その日、幸運な乗客たちに特別に東二見車庫の公開が行われた。
今回はその写真だ。
まず、引退の日を飾ってもらえた855の編成。
288・854・855の三連だ。
同じ850形、一足早く運用離脱した852・853だが、270形との連結で中間車化されていた運転台側がみられた。
乗務員ドアは埋められているが、いかにも電車という顔つきがみられたのは嬉しかった。
2700系第一編成、2700・2701の姫路側2701、国鉄63形を車体載せ替えした車両で、ロクサンの面影は台車などに残るのみ。
2700系は第一編成のみ2ドアで、その後は3ドアとして増備されたが、その3ドア車を高性能化した2300系が登場していた。
第一編成2300。
こちらは姫路側のクハ、2600。
当時は旧型車両の淘汰が急ピッチで行われていた。
中間車化されていた300系、301号が編成を外され顔を出す。
こちらはいまだ現役だった317号。
当時、入線したばかりの新車、3100号、密着自連を備え、連結解放の運用を前提として投入されたが、この編成の機能は使われることはなかった。
違う構図で3100号。
保線列車編成のクト70。
保線列車の電動車はモワ5だった。
この車両は兵庫電気軌道開業時の木造車の機器を利用して自社で製造されたもので、大きな扉が前後二か所あるのは車内に抵抗器が鎮座しているからだと聞いた。
モワ5サイドビュー。
モワ5の表記。
モワ1、山陽全車のトップナンバーを貰った電動貨車。
明石と姫路を結んだ神姫電鉄が開業に際して用意した車両で、この頃はまだ生き残っていた。
モワ1の銘板。
モワ1とモワ5が連結はされていないが、顔を突き合わせた。
こちらは250形の生き残りで、255を改造した構内入換車。
「ビニール電車」と呼ばれた、当時としては画期的な車両だったようだ。
入換車の反対側。
廃車車両のものだろうか、側扉らしき扉を貫通路につけ、おへそライト。
当時、車庫の開放は大変珍しく、僕たちは興味津々で見て回ったものだ。
ついでに、西代車庫にあった830号。
全身が濃いブルーに塗られた塗装試験車だったようで、山陽がこの一色塗を採用しなくてよかったと思っているけれど、今ならさしずめ富山の413系ということになるだろうか。
さらに、線路が続くずっと東、阪急電車のの西宮車庫・・
ここにあった電動貨車、4203号。
箕面有馬1形の33号がその前身らしい。
920系947の出庫準備だろうか。
いかにも電車然とした釣りかけ車のあの、古武士のような雰囲気を味わえた僕らは、もしかしたら幸せだったのかも。。。