香住と餘部

昭和57年頃だったか・・ 職場の忘年会で香住へ行くことになった。 ただ、高砂工場の場合、普段から自家用車で通勤している人も多く、自家用車でも十分いける距離であったことから現地集合・現地解散となった。 (もちろん、今では当たり前だが、全員宿泊必須で、翌朝、自家用車で参加したものには酒類の提供は厳禁だった・・交通事故ひとつで解雇された国鉄ゆえの厳しさでもある) 忘年会の前日、僕は一人、早く山陰に向か…

続きを読む

ドルトムント電車の走った広島電鉄

昭和57年ごろか、広電がドイツのドルトムント市の中古電車を輸入して、翌年から宮島直通系統で走らせ始めた。 今回はその頃の写真だ。 なお、宮島線は以前の記事を参考にされたい。 「昭和50年代の広電、宮島線」 まず、廿日市近くの橋梁をわたるドルトムント電車、76号。 流麗な車体デザインは路面電車先進国、ドイツが日本よりはるかに先を行くのが実感として思い知らされる。 その頃、宮島線にはまだ…

続きを読む

昼下がりの須磨海岸

時期的にはいつごろだろうか。新快速が117系化されたものの、EF58の荷物列車が走り、113系103系に非冷房車が残存しているから昭和55年ごろだろうか。 場所は須磨・塩屋間、季節はたぶん春先の昼下がりか・・ 去っていく103系、ユニット窓の改良タイプだが、全車両が非冷房。 これも改良型103系非冷房のアップ。 113系の快速。海岸を見て走る。 113系快速のアップ。この当時、…

続きを読む