昭和50年代の能勢電。

僕は小学校時代の大半を大阪で過ごしたから、遠足や野外活動に北摂方面に連れて行ってもらうことは良くあった。そんなとき、猪名川に沿って、カーブの多い道路をバスが北上するときに、決まって路面電車よろしく道路の横を茶色の古い電車が走っているのが見えた。小学生ながら、鉄道ファンの素質満点だった僕は、これが「能勢電」であることは知っていた。当時の「能勢電」は「能勢電気軌道」の略称だ。 さて、昭和50…

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国鉄高砂工場外部向けパンフと、車両たち

予定を変更して国鉄高砂工場の第4弾。 私鉄ファンの皆様には、もう一回だけご勘弁ください。 というのは、こういうブログをしていると、不思議に片付け物などで昔の資料などが出てくることもあって、今回も実家の片づけをしていて国鉄高砂工場の外部向けパンフレットが出てきたし、これまでの3回のネガで出せなかった車両たちの写真も出して行きたいと思う。 まず、そのパンフレット表紙だ。「案内のし…

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国鉄高砂工場、昭和54年出車作業場ほか

国鉄高砂工場のシリーズは前回の旅客車主棟、前々回の入場待機線に続いて今回、出車作業場での写真。工場に入場した車両は解体、修繕、塗装の工程を経て、組み立てられ、新車同然のコンディションになって最後に検査、試運転を経て出場していく。 さて、今回、出車(でぐるま)作業場の話をする前に、まず、この写真を見ていただこう。オヤ30で、これは吹田操車場の通勤用に使われていた車両だ。原型はオハ31で、本…

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昭和54年5月8日、国鉄高砂工場旅客車主棟

昭和54年5月8日前回記事の続きだ。まず断っておくが、当時の国鉄と言えど業務中に趣味の写真撮影などできるはずもない、このブログで公表する写真はすべて昼休み、もしくは終業後の撮影だ。 その当時、鷹取工場には名だたる鉄道ファン諸氏がいて、彼らによって発表される記録もあるが、高砂工場では鉄道ファンと言える人とは出会えず、趣味としてではなく生き方として鉄道が好きな人が多かったように思う。その表れが…

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国鉄高砂工場、昭和54年5月8日入場待機線。

これまでホームページ本体「こうワールド」においてコンテンツ「国鉄高砂工場」を掲載してきたけれども、どうしても紹介できる写真点数が限られ、説明も詳細に出来ないこと、すでにこのコンテンツを作成したときのソフトが供給されなくなっていることもあり、今回から時折、「国鉄の思い出」カテゴリーで改めて国鉄部内での写真なども紹介していこうと思う。 最初は昭和54年5月8日、僕が高砂工場旅客車職場に配属され…

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