2019年11月16日

広島電鉄の車両たち1970・80年代(その2)、宮島線直通車、専用車

広島電鉄車両の二回目だ。
今回、ネガスキャンしたものを掲載しているが、まだポジの手つかずもあり、さらに、この後の時代のプライベートな広島訪問を重ねる中で撮影したものもあるので、それらは別の機会としたい。
今回もごく最近の撮影のものを、一部に掲載する。

このブログで過去にも何度か出したが、僕にとって広電の魅力は、京阪神出身の市電たち、そして宮島直通の連接車だった。
当時の日本では、鉄道線と併用軌道を相互に直通しているのは、広島のほかには、西鉄北九州線と筑豊電鉄、京阪大津線、福井鉄道くらいではなかっただろうか。
併用軌道に乗り入れというなら、名鉄も江ノ電、新潟交通もあるのだが・・

広電最初の訪問時に見た宮島線直通の連接車、2500形、雨の暗い雰囲気を打ち破るかのような明るい色彩の電車。
僕はすっかり虜になっったものだ。
2501号、本格連接車のトップナンバーだ。
広島2501.jpg

スタイル抜群、軽快感あふれる連接車こそ、広電のクィーンだった。
昭和36年生まれ、日本の路面電車が衰退に向かう中で製造された気概あふれる電車だ。
登場時の鉄道ピクトリアル昭和37年8月臨時増刊号によると、最高速度は70㎞/h、高加減速に優れた、当時流行のPCCに匹敵する性能を有していたようだ。
第二編成の2504、連接車でありながら各車体ごとに番号を持っていた。
広電2504原爆ドーム前.JPG

2505、翌昭和37年製造、何と自社工場で竣工させた。
前照灯がシールドビーム二灯となり、さらに近代感が増した。
今に至るまでの広電で、神戸市から移籍したグループを除けば、最も好きなデザインだ。
己斐行き。市内線だけの運用だ。
広電2505広島駅.JPG

2507、夕暮れの広島駅にて。
廿日市行き。
広電2507広島駅夕方.JPG

2509、当時の阿品にて。
(現在の阿品とは異なる)
広電2509阿品.JPG

当時は瀬戸内海がすぐわきで、巨大なジェットコースターが見えた。
広電2509阿品Ⅱ.JPG

原爆ドーム前での2509。
広電2510原爆ドーム前.JPG

反対側の2510・・本当に美しい電車だ。
広電2509紙屋町.JPG

2000形を世に送り出した広電とも思えぬ傑作が同じ2500形を名乗る2編成だ。
大阪市電1601形を連接車に改造、性能を他の2500形にそろえたが、外観はなんともクラシカル、新車と同じ色合いがアンバランスな楽しい電車だ。
この当時、広島でも路面電車の廃止が論議されていたようで、見えない将来がこういう電車登場の背景にあるのだろう。

廿日市付近だろうか。
2512。
広電2512廿日市.JPG

市内での2512・・
広電2512八丁堀.JPG

阿品、2513。
広電2513阿品.JPG

海岸を行く、2514・・
広電2512阿品遠望.JPG

2500形は乗客の増加に車体が小さく、対応できにくいことから、福岡からの3000形投入後に3連接化された。
もちろん、この中に大阪市電を改造した車両は入らない。
3編成造られ、2500形は5編成あったことから1両は廃車になった。
3103、上記2510だ。
広電3103原爆ドーム前.JPG

最近の様子、めったに走らなくなってしまっているが、この日は幸運にも一往復の運用を見ることができた。
3102・・2503が前身だ。
この系列には元のピンク系の色合いが似合うと思うのだが・・
広電3102十日町.jpg

同型電車と出会う3102・・
広電3102本川町.jpg

2000形、最初から宮島線直通用に作られた電車で初めの2両は昭和34年生まれで、僕が訪問した当時はすでに2001を除いて連結化されていた。
残り6両は昭和37年から38年にかけて自社で製造された。
2004、広島市民球場を背景に・・
広電2004原爆ドーム前.JPG

2006、廿日市、2000形は2002+2003から順に連結化されていた。
広電2006廿日市.JPG

夜の広島駅前、2008。
広電2008広島駅夜景.JPG

本川町、冷房改造後の2008。
広電2008本川町.JPG

3000形、最近ではすっかり市内専用となった感がある形式、福岡から来た昭和29年から登場した連接車で、広島で三連接に改造されている。
元の形式は1101形、1201形、1301形。
阿品、海岸を行く3002。
広電3002阿品.JPG

廿日市、3004・・
広電3004福岡市内線.jpg

最近の撮影、3005、この車両は福岡での1101形で窓が上下に大きい。
広電3005.jpg

これも最近の撮影、夜の街を行く3004・・
広電3004流し.jpg

長らく低迷を続けていた日本の路面電車界は、ようやく新しい時代のLRTへの歩みを始めようとしていた。
昭和50年、政財界の肝いりで登場したのが3500形「軽快電車」だ。
広電には連接車を予定していたようだが、広電の希望で三連接になった。
基本設計は連接車のままなので加速が鈍いという欠点があったようだ。

当時の路面電車では珍しいクロスシート車だ。
登場時の様子。
広電3501西広島.JPG

なかなか、乗る機会も撮る機会も少ない電車で、あまり写真が残っていない。
原爆ドーム前、3501。
今に続く宮島直通車の緑濃淡、その初めだ。
広電3501原爆ドーム前.JPG

この後は、3500形の反省を踏まえた3700形の登場となり、これ以降、広電は連接車を中心に発展していくことになる。
3702。
広電3702原爆ドーム前.JPG

一時期、ドイツより中古電車を輸入して走らせた。
広島には昭和57年の登場。
ドルトムント電車と親しまれた電車で、抜群のデザインセンスはさすがにドイツと思ったものだ。
廿日市にて76。
広電76廿日市.jpg

広島駅前。
広電76広島駅前.jpg

宮島線には本来の鉄道車両もまだ健在だった。
廿日市だろうか、1071・1072・・阪急からの譲受車で車体幅の狭い宝塚線500形がその前身。
広電1071・1072.jpg

1077・・
広電1077廿日市.JPG

1080形、阪急唯一本の210形で嵐山線で走っていた。
車体幅は相当広かったはずで、入線に際して問題はなかったのだろうか。
1082・・
広電1082廿日市.jpg

1060形、昭和32年生まれ、僅か1両のカルダン車だ。
車体の軽快さが如何にも昭和30年代の車両だ。
広電1061廿日市.JPG

ボートレースの臨時列車1062・・
広電1061ボートレース借り切り廿日市.jpg

1050形、阪急の木造車を車体新製して更新した形式。
1051。
広電1051.jpg

1053、この当時は固定編成ではなく、のちに完全固定化され、番号も1090形に変わった。
広電1053廿日市.JPG

2連化された1094と向こうに1082が見える。
当時の高低あるホームの様子が分かる。
広電1082・1094.jpg

今、宮島線に専用車両はなく、すべてが路面電車タイプの連接車だ。
グリーンムーバ5000形が行く。
広電5001商工センター.jpg

今の広電は、LRTへの道を確実に歩んでいる。
日本の交通行政を先取りし、路面電車の最先端を行き、鉄道業界を牽引する・・
そんな頼もしい存在であるともいえようか。
広電5108・5110.jpg

posted by こう@電車おやじ at 15:29| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

広島電鉄の車両たち1970・80年代(その1)市内線

かつては広島へ頻繁に通った。
最初の訪問は、昭和53年(1978年)12月、国鉄職員に正式採用されて、その三か月後、初めて精勤乗車証なるものを申請して、京都から丹後を回り、米子から「さんべ5号」で下関へ出て、そこから快速電車で広島入りした時だ。

この日は雨だった。
以後、広島ではなぜか雨に遭うことが多かったのは気のせいか・・・
なお、今回の記事では、1980年代までの様子を車種別に記載するものとして、(その1)では市内線車両を、(その2)では宮島線直通車と鉄道線車両を取り上げたいと思う。
なお、一部にごく最近の撮影のカットを入れている。


雨の広島駅に降り立ち、目の前を行く路面電車に見惚れた。
最初にやってきたのは広電生え抜き、350形だ。
353号、なんとなく、京都市電に似ていると思ったものだ。
当時はいまだ京都市電1900形は広島での運用を開始していなかったが不思議な縁だと、このあと1900形が入る際には不思議な縁だと感じたものだ。
広電353広島駅.JPG

昭和28年生まれの350形は元々は宮島線直通用に作られたが、この当時はすでに市内線専用となっていた。
以後、車種別なので撮影時期も場所もシャッフルする形で紹介していきたい。

この日も雨だった。
351号。
広電351広島駅Ⅱ.JPG

比治山線、352号。
広電352皆実町.JPG

昭和28年生まれの500形、こちらは当初から市内線用、落ち着いた風貌が好みのタイプだ。
最初の訪問で、502号、広島駅前。
広電502広島駅Ⅱ.JPG

504号、広電は当時から広告電車に積極的で、広告収入は入るし、塗装代は浮くしと上手に活用されていた。
広電504広島駅.JPG

550形、昭和30年生まれの落ち着いた広電スタイルだ。
551号、この車両は宮島線直通認可を受けていたという。
既にこの当時は市内線専用車だ。
広電551広島駅夕方.JPG

553、冷房改造後の姿、十日市町。
広電553十日市町.JPG

570形、神戸市電500形を前身とするグループで神戸市電J、K、Lの各車が出自だ。
J車は大正13年、K車は大正15年から昭和2年、L車は昭和6年生まれの車体で、当時とて相当なベテランだったが、ごく初期の鋼製車でもあり、相当に頑丈にできていたのではないかと思う。

571号、元K車だ。
広電571広島駅夜景.JPG

573号、元K車、方向幕拡大後。
広電573.jpg

575号、元K車。
初訪問の広島駅でしばらく雨の中に立っているとやってきてくれた神戸市電・・
広電575広島駅雨.JPG

花の向こうに576号、元K車。
570形はどっしりしていて、広告電車になると一気に神戸のイメージから遠ざかる。
広電576原爆ドーム前.JPG

582号、元J車で神戸時代の車番は592。
今も残る車両で、これは数年前の撮影。
広電582紙屋町.JPG

580号、元k車。
これも最初の訪問で出会えたもの。
広電580広島駅雨.JPG

583号、朝の広島駅で・・
J車出自で神戸での車番は590。
広電583広島駅朝.JPG

584号、元L車。
広島駅前の夕暮れだ。
神戸市電は車内の照明が独特で、夜に見ると美しかった。
広電584広島駅前夕方.JPG

586号、元L車。
これら570形は神戸時代に更新されていて、ほとんど外観上の差異がなくなっていた。
僅かに屋根の深さに元の面影が残るのみだ。
広電586広島駅.JPG

600形602号、西鉄福岡市内線からやってきた。
昭和23年生まれが、当時最新のトヨタソアラと並ぶ。
広電602ソアラ本川町.JPG

この電車は今も残る。
美しく整備されて朝に活躍する様子。
広電602.jpg

650形、有名な被ばく電車だが、当時は特に説明もなかったように思う。
ごく普通に運用されていた。
昭和17年生まれ。
654号、江波で被ばくして大破したと伝えられる。
広電654的場町.JPG

651号、最近の撮影、この電車は中電前で被ばくしたと伝えられる、最近の撮影。
広電651.jpg

652号、宇品で被ばくしたという、これも最近の撮影。
広電652紙屋町.JPG

700形、戦前の京王電軌から譲受した23形を戦後に650形同様の車体を新製したもの。
705号、最初の訪問で・・
広電705広島駅雨.JPG

750形、大阪市電1601形、1651形、1801形を譲受したもので、ひとまとめに750形となっていた。
753号、1601形は製造初年は昭和2年。。
大阪での車番は1619号。
広電753広島駅正面.JPG

756、これも最初の訪問で出会えたもの、大阪での車番は1634。
スタイルが如何にも昭和初期の大都会の電車だ。
広電756広島駅.JPG

762号、大阪での車番は1652、この車両は大阪大空襲の被災車だと伝えられる。
広電782本川町.JPG

最近の撮影、762号紙屋町。
広電762紙屋町.JPG

768号、元大阪1801形1827で戦後生まれらしい軽快な外観だ。
この電車はイベント用として現存する。
広電768八丁堀.JPG

761号、元大阪市電1650形1651で、散水車を改造したグループとのこと、昭和15年生まれ。
広電761広島駅Ⅱ.JPG

769号、大阪市電1827、今、なぜか宮崎にあると聞く。
広電769八丁堀.JPG

760号、大阪での旧番号は1645、この日も雨の広島駅前。
広電760広島駅.JPG

1100形、神戸市電1100形で昭和29年生まれ、このシリーズは車番も神戸時代と変わらない・
1101号、僕の中の神戸市電はこの形態で、570形に会った時よりさらに大感激の再会だった。
広電1101広島駅雨.JPG

1101号、広告電車時代。
広電1101土橋.jpg

1103号、まだ神戸市電の面影が十分だ。
広電1103広島駅Ⅱ.JPG

1103号俯瞰。
広電1103本川町.JPG

1104号、己斐電停。
広電1104己斐.JPG

1105号が大阪市電出自753号と並ぶ。
ハノーバーカラーに塗られた初代の電車だ。
広電1105・753広島駅.JPG

1150形、昭和30年31年生まれの、神戸版PCCと呼ばれた高性能車だったが、扱い難く、神戸時代に大阪市電の中古機器でツリカケ化されている。

1151号、冷房改造後。
広電1151本川町.jpg

1153号、こうしてみるとかつての広島駅前は如何にもアジアの香りが漂う。
まさに古き良き時代だ。
広電1153広島駅.JPG

1154号と580号が並ぶ。
ここは三宮阪神前ではなく広島駅前での神戸市電の出会いだ。
広電1154・583広島駅.JPG

1157号、原形に近い状態で、優雅な正面のRの付いた窓が特徴。
広電1157広島駅.JPG

1156号、本川町。
マツダの広告電車だ。
広電1156本川町.JPG

紙屋町での夜景。
広電1156紙屋町.JPG

1155号、この車両のみ番号が変更されている。
神戸時代は1158、なので、東灘に残る電車と同じ番号というわけだ。
冷房化、方向幕の大型化がなされたが、正面のひし形黄色は消されて、それなりに神戸のムードを感じることができた。
広電1155緑.jpg

最近の撮影、1156号、ハノーバーカラー二台目となって現存する。
広電1156 (2).jpg

大阪市電から来た900形、大阪の2601形で、僕にとって大阪市電と言えばまさにこのイメージ。
昭和50年代、あまり広島駅前に来なかったような気がする。
江波近く舟入本町あたりだろうか、913号。
昭和30年から登場した電車だがツリカケ駆動、大阪での車番は2638号。
広電913江波.jpg

冷房改造後、土橋あたりだろうか。
907号・・大阪では2629号。
広電907本川町.jpg

最近の撮影、906号(大阪市電2627号)御幸橋。
広電906ほか.jpg

京都市電1902号と並ぶ913号。
最近の撮影、土橋。
広電913・1902.jpg

大阪市電が行きかう。
ここは松屋町筋ではなく、本川町、最近の撮影。
904号は大阪市電2634号。
広電904・913本川町.JPG

1900形、昭和32年生まれの京都市電1900形を譲受した形式、
今も主力車のひとつであるのは立派だと思う。
京都市電のイメージに近いがよく見ると結構、改造されている。
1913号、京都での番号は1929号。
広電1913本川町.JPG

サッポロビールの広告電車、1905号(京都1919)
広電1905的場町.JPG

冷房改造後、1915号(京都1931)を先頭に京都市電が続く。
広電1915ほか本川町.JPG


交通バリアフリー先進都市、広島にあって、これら旧型電車はもはや使いづらい存在なのかもしれず、現存車でも京都市電以外はほとんど動態保存と化している現状では、いつまでその姿を見られるか、はなはだ心もとない状況でもある。
それでも、如何にも路面電車然とした彼ら旧型電車の雰囲気は街によく溶け込み似合っていたと思う。
広電912サイド女性広島駅.JPG

だが、彼らが走る限り、僕は広島に行きたいし、彼らに会いたいと願っている。
広島は、京阪神の市電への思いと個人的な思いの交錯する不思議な町だ。
広電584室内灯.jpg

(その2)直通車、鉄道線に続く。
posted by こう@電車おやじ at 21:28| Comment(1) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月28日

関西105系の終焉

昭和59年、国鉄は奈良・桜井・和歌山各線の電化を完成させた。
本来は新車が入るはずで、そのための予算もついたはずだが、その予算で常磐・千代田線直通用103系の置き換えが行われ、元々地下線を走っていた103系1000番台は大改造工事を施され105系となり、この三線区に投入ということになった。

奈良線105系宇治.JPG

機器類は大幅な更新が行われた105系だが、福塩、宇部・小野田各線に投入された105系は新車での投入であり、ロングシートながら3ドアのローカル線に適した車両だった。
しかし、奈良・桜井・和歌山線の105系はいわば東京のお古で・・
奈良線105系投入時地下鉄顔宇治.jpg

機器類こそ更新されたものの、車内設備は使い古した色あせた化粧板や、大量輸送を使命としていた詰込みの効く浅く高い座席といったおよそ比較的距離のある路線にふさわしくないものだった。

この三線区に走っていたのはキハ35一党を中心とした気動車で、こちらも、元々はラッシュの激しい関西本線湊町口や総武本線などに向けて製造されたもので必ずしも三線区に似合っていたとは思えないものだった。
しかも、内装はくたびれ、それが乗客の荒みにつながり、決して快適な路線ではなかった。
写真は京都駅の奈良線列車。
PICT0063.JPG

電化されても車両の雰囲気は気動車時代とさして変わらず、スピードアップこそなされたものの、必ずしも評判の良い電化開業ではなかったというのが実情だろう。
この当時の国鉄は581系改造の419系を北陸線に投入するなど、資金力のなさを感じることが多かったが、まさにこの奈良・桜井・和歌山電化はその最たるもの・・・一両の新車も入ることはなかった。
奈良線105系投入時サイド宇治.jpg

ただ、当初のクリーム地に赤帯といういでたちは案外、格好良かった。
105系然とした顔つきの先頭車改造車より、地下線出自の顔立ちである元々の先頭車は、そのデザインにホロ枠を付けたことで随分、見た目のイメージは良くなっていたように思う。
国鉄桜井駅105系.JPG

105系然とした顔立ちの改造先頭車は、サイドの4ドアとの整合性が感じられない・・
これは個人的には前年に103系でこの顔立ちを採用した九州バージョンが出ているがそちらでも同じ感覚だ。

あくまでも間に合わせ的な投入であったはずの改造105系だが、北陸線419系とともに、随分、生き永らえてしまった。
北陸線419系は2011年に廃車されたが、こちら改造105系はついに令和の時代を迎え、先ごろようやく運用が終了した。

JR西日本としても、一部車両の内外装の更新も行い、何とか美しく見せようという努力はしたようだが、元が地下線で使い古した中古車である。
どうしても限界はあろうが、その中では万葉の世界をイメージした編成だけは美しい仕上がりになっていた。
0104五条105系まほろば電車.jpg

105系は走り続けた。
奈良線では221系、103系に追われる形で運用を終了したが、桜井・和歌山線では激しい103そのものの乗り心地で長時間ゆられることも少なくなく、いわゆる「乗り鉄」には厳しい路線となっていた。
0320奈良105系春日色.jpg

景色は抜群なのに、電車はどうもよくない・・それが利用者の実感だったのではないだろうか。
同じ103系が大幅にリニューアルを施して投入された、播但。加古川線では人気があることを思うとやはり、きちんと手を入れて投入すれば、悪評もそれほどでなかったのかもしれない。
0730粉河105.jpg

僕は何度か和歌山線を乗りとおしているが、やはり覚悟の必要な路線で、ある意味開き直って乗ったものだ。
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それでもまだ、オリジナル塗装が生きていた頃はそれなりに撮る楽しさもあったのかもしれない。
105計和歌山バージョン105顔王寺.jpg

奈良線、105系が走っていた区間に221系が走る現状。
今の奈良線は221系、205系主体でごく一部に103系が残る・・サービスは大幅に改善された。
0104奈良線221系宇治.JPG

王寺で黄緑の201系と並ぶ105系。
0320王子105系・201系.jpg

塗装が青一色なった・・これも似合ってはいるが、やはりクリーム地に赤帯の姿が姿が格好良く感じる。
せめて見た目だけでも、気持ちの良いものにしておくことはできなかったのだろうか。
105系蒼和歌山.jpg

105系は一部はさらに広島地区に転出し、可部線でも使われた。
旧型国電の走っていた可部線に春日塗と言われる奈良線色・・よく似合っていた。
可部線105系春日色上八木.jpg

こちらは可部線カラー・・3ドアだ。

可部線105系3ドア可部色上八木橋梁.JPG

朱色の4ドア、宇部線カラーが可部線を走る。
可部線105系4ドア朱色上八木橋梁.JPG

和歌山線には117系もごく一部投入され、こちらは美しい青系統のオーシャンカラーで走っていた。
しかし、4連ゆえワンマン機能がないので無人駅間相互では運賃は取りこぼし、不思議な運用だった。
五条にて。
117系オーシャン五条.JPG

先ごろ、105系は地下鉄を走っていた時代よりずっと長く活躍した和歌山、桜井線から撤退した。
国鉄形引退ということで鉄道ファンの注目を集めたが、嘆き悲しんだのは鉄道ファンだけで、地元の利用客から見ればようやく新しい電車に乗れるという喜びか安堵だけだったのではないだろうか。

これで105系で残るのは当初より新車として製造された3ドアの編成のみとなり、福塩、宇部・小野田、そして紀勢本線南部での活躍ということになる。

新車227系1000番台はまだ現地ではお目にかかっていないが、先だって、地元神戸での試運転を見る機会に恵まれた。ロングシートだというが、そこは線区の実情もあるだろうし、現場の運行事情もあるだろう。

なにより窓の大きな、明るく乗り心地の良い車両はきっと地元の方々に愛されるに違いない。
227-1000試運転元町.jpg

ローカル線の経営が厳しい時代になってきたが、40年近くも使い続けた中古電車が、この新車になって和歌山線の活性化に大いに役立ち、愛されることを願うばかりだ。
posted by こう@電車おやじ at 00:38| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月27日

D511072、デ101、キハ2、DD51など鉄道趣味界の保存活動について

一年前に友人の紹介で、西元町地区での活性化運動をされているNPO法人代表の方と繋がりができた。
最初のお話で神戸駅前に保存されているデコイチ、D511072について「何とか整備できないか悩んでいる」ということをお伺いし、元鉄道マンであり、工場での車両整備に携わり、その後は写真業界に居ながら様々な鉄道現業の方や、熱心な鉄道ファン諸氏と交流を結んでいる僕としては「可能なことはお手伝いさせてください」とお返事申し上げた。

その後、この保存機D51が、今もJR西日本の所有で、神戸市に無償貸与されている状態であることから作業許可はどうするか、整備作業がどこまでできるのか、簡単な作業にとどめるにしても補修用の材料、作業工具などをどうするのか、様々に検討を重ねやっと1年かかって今夏、鉄道ファン諸氏にボランティアに参加してもらい、整備作業を実施することができた。
0905神戸D511072正面.JPG

この機関車は昭和50年12月まで北海道で運用された国鉄最後の営業用蒸気機関車のうちの1両だ。
昭和19年、日本車輛名古屋本店で製造された、戦時型D51の生き残りであり、しかも、寒冷地仕様に改造されたD51としては貴重な個体でもある。
製造からずっと北海道で使用されたが、戦時型の特徴のうち、危険な部分については戦後すぐに標準型に戻されている。

最後の配置は国鉄最後の蒸機の砦となった追分機関区で、この機関車は他の仲間より一足先に昭和50年12月に運用を終了、昭和51年3月に苗穂工場へ送られ、ここでずっと保管されていた。

ここがこのD511072の幸運なところで、昭和51年4月、追分機関区の建屋は謎の火災で焼失、保存のために格納されていた苗穂工場最後の定期検査出場機D51602をはじめ、貴重な機関車が何両も焼失、さらには当時国鉄で最も新しかったDD51新車も道連れになるという悲劇がおこったのだ。

すでに苗穂に保管されていたD511072は難を逃れた形になったが、もし彼が意識を持ち、僚機の身の上に起こった悲劇を知ったならどんなにか悲しんだであろうか。

だが、D511072にはなかなか保存の声がかからなかった。
このままでは解体やむなし・・・まさにそういうところだっただろう。
昭和53年、神戸ホストライオンズクラブが神戸市を通して国鉄に蒸気機関車の譲渡を要請、ここにD511072は解体を免れ、出生もその機関車人生においても全く縁のない、神戸に来ることになったわけだ。

当初は西元町の三越前に保存され、周囲に公園も整備されて「グリーンD51」として市民に親しまれたが、のちに関西で最初の鉄道開業地である旧神戸駅跡地である現在地に移転されている。

しかし、長年、放置状態で置かれていたために傷みがひどく、これを見かねた神戸市内の工業高校教諭が生徒たちとともにボランティアで全面的に再塗装、修繕を行ってくれた。
このあと、さらに放置状態となり、神戸駅の裏側、ビルの谷間に哀れな姿をさらすことになってしまっていたというわけだ。

今回の作業開始前の様子。
くたびれてはいるが、のんびり花と過ごしているように見える。
0407神戸D51・1.JPG

正面、この記事の最初の写真は二回目の作業後のものだが比べてほしい。
0625神戸駅D511072正面.JPG

D51としては珍しい寒冷地仕様、密閉型運転台。
0625神戸駅D511071密閉キャブ.JPG

戦時型の特徴の一つ、船底テンダーも健在だ。
0625神戸駅D511072テンダー下部.JPG

作業は真夏、お盆休みから始めた。
猛烈な暑さの中、汗を流して作業をする鉄道ファン諸氏。
0812神戸D51・5.JPG

基本的には車体塗装はまだ、何とか持ちこたえていた感じなので、グリースを塗りこみ磨いていくという単純なものだ。
国鉄時代、僕はこのやり方で鷹取工場に保管されていた「義経」や「若鷹」を磨かされたことがある。
いわばその時の経験が役に立ったということか。
0812神戸D513.JPG

塗装の痛んでいるところは錆止めをして塗りなおしたが、今回、許可をいただいたのがあくまでも「補修」ということ、作業日程、作業時間が限られることで、パテによる平滑化は行っていない。
あくまでの錆の浸食防止が目的だ。
0812神戸D514.JPG

だが、鋼板の薄いシリンダカバーなどは悲惨な状況でもある。
錆びて失った部分をテープ類で補修した跡があった。
この場所で鉄材の切断、溶接作業は難しく、今後の課題でもある。
0807神戸D511072シリンダカバー前.JPG

作業前の全景。
0729神戸駅D511072.JPG
二回目の作業を終えた状況。
これまでにこういう整備作業が最低年に数度でもできていれば、この機関車はもっと美しさを保ったはずだ。
0905神戸D511072全景.JPG

テンダーから全体を見る。
こうしてみるとビルの谷間の都会的な景観にこの機関車は良く似合っている。
0905神戸D511072サイドバック.JPG

二回目の作業後、D51の横顔。
DSC_3001.JPG

今年は神戸駅開業145周年、東海道本線全通130周年の佳節に当たる。
そこでこの機関車を広く神戸市民に知ってもらおうと、機関車周辺で小さなイベントを計画した。
令和元年10月13日の予定だ。
(この写真はFacebookで知りあった先輩鉄道ファン氏の撮影である)
D51まつりチラシ.jpg

綺麗になったD51の周りで写真を撮影する人が増えた。
まさにインスタ映えするということなのだろう。
保存車は美しくなければならない。
引き取ってそこに置くだけでメンテナンスの予算も組まないというのは行政の怠慢だろう。
だが、昨今の景気低迷、税収の落ち込む自治体に今やその余裕はない。

我々鉄道ファンとして、鉄道の誇りである保存車をもっと世間に知ってもらい、もっと親しんでもらうための保存活動、そこへのボランティアは、昨今、撮り鉄による社会問題が大きくなる中、世間から鉄道ファンそのものに対する評価も、こういった活動で大きく変わってくるのではないだろうか。

僕としては、今後もこのD511072に関わって、車体を磨きその喜びを仲間とともに味わい、デコイチを市民にもっと親しんでもらう活動を続けるつもりだ。

さて、周辺には様々な保存車が存在する。
鉄道ファンによる保存車再生のそのパイオニア的存在が別府鉄道廃線跡にあるキハ2の修復活動だ。
イベントなどの手法に批判もあるし、必ずしも原形復元とはなっていないという批判もあるが、何より朽ち果てようとしていたキハ2に命を吹き込んだその功績は大きいし、クラウドファンディングで資金調達をするという、思い切った手法には驚かされた。
工事中のキハ2.
別府鉄キハ2外観作業.JPG

復元工事中の車内。
車内を見せてもらった時、外観の荒れかたとは想像できない車内の良い状況に驚かされた。
別府鉄キハ2社ない2.JPG

そして、いよいよ本日から神戸電鉄鈴蘭台車庫の奥に眠っていたデ101復元整備のクラウドファンディングが開始される。
登山電車並の急こう配を持つ都市鉄道という稀有な存在、その神戸電鉄開業直後の増備車で、構内入換に使われいたことから奇跡的に生き延びてきた。
50‰急こう配を上下できる、昭和初期の奇跡的な電車でもある。
神鉄101.jpg

僕が画像に手を加えて、現状で復元した場合の様子を作ってみた。
なお、窓枠や扉は他の鉄道の保存車のものを移植した。
神鉄101復元案.jpg

神戸電鉄デ101復元プロジェクトは、最初の構想、神鉄への打診からここまで1年半を要している。
戦前日本の技術力、神戸の誇りでもあるこの電車を、なんとしても復元し、未来へつなぎたいと願っている。
クラウドファンディングは以下で募集中、ぜひ、読者諸兄には関心を持っていただき、そして支援をいただきたく願う。
https://www.makuake.com/project/de101support/?fbclid=IwAR35TuTIDc5zr-pitcMTipMAOOxpyg8COfTDkaOav-dSUO6Q4uhJ87BHR8I

我が地元、神戸・播磨には他にも残すべき保存車が存在する。
神戸市内で唯一残る、市電時代の形態の神戸市電1155号、昨年の台風で被害を受け、安全上から解体の話も出ているということだ。
市内御崎公園には広電から返してもらった車体が美しく保存されているが、この1155号車はずっと神戸にいて、市民がじかに触れられる唯一の存在だ。
是非、残して未来へつなげていきたいと思う。
0202神戸市1155南東側本山.JPG

加古川のキハ2のすぐ近く、鶴林寺公園のC11331・・
ここに鉄道があり、それゆえに街が発展してきた生き証人である。
荒廃極まる現状は悲しく、見ていて辛いものがある。
なんとか、保存再生へ向けて手を付けていけないかと苦慮するところだ。
0516鶴林寺C11331非公式側.jpg

中には海外へ渡った機関車の支援を行うグループもあり、僕も深く注目している。
鉄道ファンのスケールも大きくなったものだ。
だが、海外へ車両が渡っても満足な整備も受けられず、荒廃することが多いと聞く。
日本の技術の象徴でもある優れた鉄道車両が末永く活躍する・・それはまさに日本の誇りだろう。
「タイのDD51北斗星色を支援して両国有効の星にしたい」
https://readyfor.jp/projects/dd51thailand


平成筑豊鉄道、いすみ鉄道、熊本電鉄などでもクラウドファンディングによって車両の再生が行われている。
だが、いったん町中に置かれた車両には権利関係も複雑で一言でクラウドファンディングともいえない事情もあるし、昨今では街頭での募金活動も世間的事情から難しい。
結局は現状を憂える一人がその人脈を駆使して、様々な方々の協力を得ながら進めていくというのも大事ではないかと思う。
整備・清掃も保存場所の管理者や保有者の承諾を得なければならず、すぐにはおいそれと出来ないもどかしさもある。

計三回、延べ50人のボランティアによって蘇ったD511072の姿。
DSC_3091.JPG

蒸気機関車に余計な飾りは不要というのが鉄道ファン、なかでも活躍当時を知る人の思いだろう。
だが、街中で人々に親しんでもらい、蒸機のことを知ってもらうには最低限の飾りは必要であると僕は思う。
そこでランボードの白線は残し、錆を除去して再塗装した。
また、作業の安全上から手すりに相当する部分については白で残した。
運転台窓回りの白く塗った部分の錆が目立っていたので、ここは原形に従い黒で仕上げた。
DSC_3097.JPG

寒冷地を走っていたことを実感させる正面窓。
DSC_3111.JPG

作業の終わった夕方、D511072は誇らしげだ。
火災を免れ、解体を免れた幸運な機関車、戦時日本の工業界の苦悩を今に伝える機関車、極寒の地を走っていたことをふっと垣間見せる機関車、そして神戸市民の誇りである機関車、D511072、そこにいてくれてありがとう。
DSC_3107.JPG

これまでのD511072整備活動に際し、ご協力をいただいた延べ50名あまりの鉄道ファン・鉄道関係の方々、また資料を提供、技術をご教示いただいた鉄道ファンや関係者の方々、保存活動に際しての注意と手法をご教示くださった有田川鉄道交流館の皆様、本当にありがとうございました。
また元町地区の地元の交流団体はじめ、資金的、人的、活動場所の支援をいただいた皆様、本当にお世話になりありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします。

最後に・・
保存車両たちは生きようとしている。
彼らは選抜されて街のシンボルとなったその誇りを忘れたくないからだ。
ぜひ、各地の鉄道ファン諸氏もただ眺める、ただ外野から文句を言うだけではなく、少しでも保存活動に関心を持っていただきたいと願っている。
posted by こう@電車おやじ at 13:55| Comment(0) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月22日

レールバス一考

鉄道というものは本来は大量輸送のためのシステムである。
だから、鉄道車両は可能な限り多くの乗客を乗せるように設計されているのが基本だ。

頻発運行を旨とする路面電車ならともかく、通常の鉄道車両で車両限界も問題がないのに小さな車両を採用するというのはそれだけで矛盾しているということになると思う。

レールバスはその最たるもので、小型軽量のバスサイズの車体を採用するというのは、それだけその鉄道のおかれた立ち位置が厳しいということだ。
S62法華口フラワ1985・2レん日没後.jpg

僕の国鉄時代、レールバスは国鉄からは短期間で消えた後で、唯一、青森県の南部縦貫鉄道に残っていて、わざわざそれを見に行ったことがある。
南部縦貫レールバス.jpg

二軸貨車そのものの下回りに、当時の路線バスの走行システムを組み合わせたといえる車両で、軌道状態も相当よくなかったのだろうが、速度の割に激しい乗り心地には驚いたものだ。

時は移り、国鉄地方交通線問題が叫ばれる中、第一次特定地方交通線というものは、鉄道としての使命を終わっていると評された路線ばかりで、その輸送量は小さく、第三セクターに経営を移管して残る路線でも小型軽量の車両が求められた。
富士重工が開発したLE-CARと呼ばれるのがそれで、南部縦貫のレールバスとはシステムを一新して、新時代の乗り心地、走行性能の良い新型レールバスの登場となった。
その嚆矢は、国鉄樽見線を移管した「樽見鉄道」だ。

昭和59年、新型レールバスも誇らしげに、殺風景な神海駅でのハイモ180形だ。
1987樽見鉄道レールバス.JPG

このレールバスは二軸でありながら乗り心地が良く、しかも、国鉄気動車並みの出力を持ち、超軽量車体と相まって軽快な走りが印象的だった。
樽見鉄道開業記念ハイモ橋梁.JPG

樽見鉄道は貨物輸送が主体の鉄道だった。
だが、沿線住民の悲願であった終点、樽見への延長を行う。
樽見駅のレールバス、ハイモ180形。
樽見鉄道樽見灰も180-201.JPG

ただ、樽見開業の際には、すでに初期のハイモ180形は小型過ぎ、乗客の多い時間には乗り切れないという問題も出ていた。
そこで、樽見開業時よりはレールバスというより、中型気動車という方が適切なハイモ230形が用意された。
樽見鉄道樽見ハイモ230-301.JPG

結局、二軸のレールバスでは小さすぎた・・・
乗客が当初予想より増えたという目出度い成績もこうなってくると悩みになるのかもしれない。

昭和60年には、地元、播州で二つの小鉄道が開業した。
国鉄北条線を引き継いだ北条鉄道、国鉄三木線を引き継いだ三木鉄道だ。
北条線・三木線はそれなりに乗客も多く、国鉄気動車も常に2~3連で走っていたからレールバスの採用には驚いた。

開業時の三木駅・・
三木鉄道三木駅舎.JPG

石野付近を走る試運転列車。
ミキ180形と名付けられたレールバスは正面、サイドとも、全くバスそのものを思わせるデザインだ。
三木鉄道石野ミキ100形試運転.JPG

別所付近にて。
三木鉄道別所ミキ100走行.JPG

三木鉄道では乗客を増やすために、路線バス並みの駅間距離を実現、新駅をいくつも建設した。
三木鉄道下石野駅??建設.JPG

けれど、三木鉄道でもピーク時に乗客がさばききれないレールバスより、中型のしっかりした気動車を購入してこれに代替されてしまう。
ミキ300形が走る。
三木鉄道石野ミキ200-104.JPG

だがこの三木鉄道は乗客減著しく、それには、三木市と加古川市では高等学校の学区が異なるという、乗客流動上の大きな問題もあった。
また、国鉄時代は大半の列車が加古川に直通していたのに、国鉄との線路を遮断されたという問題もある。
三木駅自体、市街地のはずれにあり、中心部に位置する神戸電鉄との連絡がなされていない・・・

結局、三木市財政の立て直しという大義名分のもとに、三木鉄道廃止を掲げた市長が当選、市長は公約通り、三木鉄道を廃止してしまう。

こちらは北条鉄道、三木線と似たような事情の路線だが、乗客の流動には合致しているという強みもある。
開業前、レールバスが北条町に到着したところ。
北条鉄道レールバス納車.jpg

国鉄時代のままの北条町駅舎。
北条町駅舎.jpg

本社も国鉄時代の建築物だ。
北条鉄道旧本社.jpg

新しい車庫を建設中の様子。
北条町車庫建設中.jpg

開業記念の装飾がされた北条町駅。
北条鉄道北条町開業装飾.JPG

こちらは網引駅。
北条鉄道網引開業装飾.JPG

網引駅に停車するレールバス、フラワ1985形の2連。
北条鉄道でもレールバスの輸送力不足は深刻で、半数ほどの列車が2連で走るということになった。
北条鉄道網引ホームフラワ1985・2連.JPG

北条町にて、フラワ1985形に増結の準備をしているところだろうか。
北条鉄道北条町フラワ1985並び2.JPG

粟生駅で国鉄気動車と北条鉄道のレールバスが並ぶ。
三木鉄道厄神ミキ100・国鉄キハ.JPG

網引付近にて、快晴の空の下、レールバスが映える。
北条鉄道のレールバスは三木鉄道のものとほぼ似た仕様ながら、観光バスタイプの側面窓を持っていた。
質実な三木鉄道と、少し華やかな北条鉄道という感じだ。
北条y鉄道網引西不破ら1985.JPG

雨の法華口に2連のレールバスが停車する。
S62法華口フラワ1985・2連.jpg

善坊山を背景にレールバスが行く。
北条鉄道法華口善坊山フラワ1985.JPG

こちらも2連だ。
北条鉄道法華口フラワ1985・2連.JPG

全線一閉塞、増発もできない状況では、レールバスでは明らかに輸送力が不足し、結局は三木鉄道と同時期に中型気動車を導入する。
新装なった北条町に並ぶ、レールバス、フラワ1985形と中型気動車フラワ2000形。
北条鉄道北条町フラワ1985・フラワ2000.JPG

冬晴れの中を快走するレールバス。
北条鉄道網引フラワ1985.JPG

アップ、北条鉄道は撮影ポイントがいくらでもあり、鉄道ファンとしては楽しい路線だ。
北条鉄道網引フラワ1985サイド.JPG

国鉄高森線を引き継いだ南阿蘇鉄道は、中型気動車を採用した。
南阿蘇鉄道DC2連.JPG

だが、第三セクターのみならず、既存の私鉄、それも電化鉄道でレールバスを採用するところが出てきた。
こちらは近江鉄道のキハ10、やはり輸送力の問題から早々と電車に置き換えられた。
僕はこの車両の実乗機会がなく、写真は引退後の彦根でのものだ。
0725彦根近江レールバス.jpg

そして、僕らをあっと驚かせたのが名鉄で・・
乗客の極端に少ない路線にレールバスを導入・・名鉄の場合、もとより気動車を保有していて、レールバス導入への敷居が低くなっていたというのもあるかもしれない。
八百津線・・ススキの中を行く。
名鉄八百津線キハ11ススキ.JPG

レールバス快走!
名鉄八百津線キハ11.JPG

三河線。
名鉄三河線広瀬キハ10形.JPG

猿投だろうか、三河線。
名鉄猿投キハ10形.JPG


名鉄の閑散路線にレールバスは良く似合った。
だが、もとより鉄道として採算の取れる状況ではなく、レールバスの走った区間はいずれも廃止されている。

つまり、レールバスというのは、ローカル線区の維持に有用だと考えられてはいたにしても、ラッシュ時にや多客時には対応できず、レールバス程度の輸送力で十分ということは、鉄道路線の維持がすでに難しくなっている線区であるということを実証しているわけで、ローカロ線区経営改善の切り札などではなかったと、僕には思えるのだ。

それでも、あの、LE-CARの、た~ん、た~ん、という、独特のジョイント音、やわらかで楽しい乗り心地は、やはり独特の世界であったなぁと、あらためて思うのだ。
三河線を行く名鉄キハ11。
名鉄広瀬キハ10形.JPG

最後に、北条鉄道から紀州鉄道に移って活躍していたレールバスを・・
0730紀伊御坊キテツ2.jpg
posted by こう@電車おやじ at 22:55| Comment(0) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする