2024年07月10日

甘木にて

甘木という街は鉄道の歴史から見れば不思議な町だ。
ここを目指して二日市、久留米、鳥栖、基山、そのほかからいくつもの鉄道が計画され、その多くが実現した。
もっとも、軽便鉄道もしくは軌道が大半で、西鉄甘木線以外は国鉄甘木線やバスの台頭によって姿を消していく。

僕がこの甘木に興味を持ったのは、西鉄の軽快車200形が走っていたからで、この車両は本来は大牟田線で高加速の普通列車用として登場したものだ。
それゆえ、気動車の設計を取り入れた小型車体に半円形5枚窓の前頭形状は、話に聞く阪神801形の九州版を思わせてくれた。
西鉄甘木線206アップ.JPG

さて、僕が九州へ頻繁に通ったのは国鉄時代の「精勤パス」が使え、しかも急行「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」があったころで、精勤パスでも特急に乗れば特急券が必要、急行ならそのまま追加料金などなしで乗ることができ、資金の乏しい時にはありがたかった。
14系座席車の寝苦しさに最初は閉口したが、やがてそれすら快適と思われるようになるほどに九州へ通ったものだ。

甘木には何度か通った。
いつも終点まで乗り、短尺ホイールベースの軽快な乗り心地を楽しみ、半円形電車の醸し出す独特のムードに酔いしれたものだ。
この辺りの感覚は名鉄揖斐線と似ているのかもしれない。
西鉄203甘木.jpg

そして、甘木終点近くで国鉄甘木線が並行して存在していた。
国鉄甘木線は日中は殆ど運転がなく、一日で7往復だけの路線でついでに乗ってくるという訳には行かなかった。
だが一度だけ貨物列車を見ることができた。
甘木DE101545.JPG
貨物列車の後追い。
DE10ワム貨物甘木線.jpg

西鉄甘木線独特のムード。
西鉄甘木線200形2両サイド.JPG

半円形電車を何両も繋げた編成は見ていて楽しい。
3両編成。
西鉄甘木線200形3連.JPG

4両編成もあった。
西鉄甘木線200形4両.JPG

こちらは小石原川橋梁を渡るシルエット。
やはり名鉄揖斐線510・520形と同じ空気を感じる。
西鉄甘木線200形4連シルエット.JPG

撮影ポイントは殆どが駅から歩いて数分の、川を渡った場所だ。
なぜか夏の訪問ばかりだ。
西鉄甘木線200形3連遠望.JPG

ク62を繋いだ2連、小型車ばかりの甘木線で2連では乗車定員が少ない。
西鉄甘木線62ほか2連.JPG

後に甘木線が第三セクター化され、甘木鉄道となった。
甘木鉄道は列車の運行を大幅に増やし、福岡への通勤通学に使えるように、小郡駅を西鉄小郡駅そばに移設、これが好評を呼び乗客は大幅に増えた。
第三セクター鉄道としては全国的にもトップクラスの成功例だ。
甘木鉄道レールバス2.JPG

甘木鉄道甘木駅。
国鉄設計とは思えるお洒落な駅舎だ。
甘木線甘木駅.JPG

西鉄甘木線の乗客が便利になった甘木鉄道へ転移し、西鉄が苦しくなるかと思ったがそれほどではなかったらしい。
西鉄甘木駅に停車する200形。
この頃は駅近くに大型スーパーもあった。
西鉄甘木駅213大.JPG

この頃は駅の上屋がない。
西鉄甘木駅200形停車.JPG

停車するク62、ク60形は元をただせば博多湾鉄道汽船の気動車で、車体寸法がほぼ200形と同じで、200形の連結相手として活躍していた。
西鉄甘木線62甘木.JPG

西鉄甘木線は宮の陣で西鉄小牟田線に連絡するがそのまま久留米を経て花畑まで直通する。
久留米駅での200形の様子。
賑わう駅、可愛い電車が入る。
西鉄久留米甘木線216.JPG

ク62形を先頭にした編成が久留米駅に入線。
西鉄久留米甘木線62入線.JPG

駅に停車する200形。
西鉄甘木線久留米駅200形.JPG

当時は大牟田線も随分と面白かったものだ。
2000形特急はその貫録を見せつけてくれた。
西鉄久留米2000系特急.JPG

戦後の流線形1300形も姿を見せてくれる。
西鉄久留米1300形.JPG

先だって本当に偶然から一日の福岡訪問をすることができ、甘木を再訪できた。
甘木鉄道甘木駅は健在。
0705甘木鉄道甘木駅.JPG

甘木鉄道の気動車は標準的な大きさの軽快気動車に変更されていた。
0705甘木鉄道小石原川AR305.JPG

西鉄甘木線はなかなか良いデザインの7050形になっていた。
0705西鉄甘木7557_01.JPG

通い詰めた線路が並行するあの田圃は巨大なソーラー基地となってしまい、もはやそこでの撮影はできそうになく、小石原川の土手で列車を眺めた。
橋梁も改築され、電車の下回りが写らなくなっている。
0705小石原川西鉄7050系.JPG

そこへ、西鉄電車と甘木鉄道の気動車が同時にやってきた。
0705小石原川甘木鉄道AR302西鉄7050系.JPG

活発な鉄道路線が二つもある甘木は、今は朝倉市の一部となった。
かつての朝倉郡全体で市制を施行したためだ。
西鉄甘木駅。
0705西鉄甘木駅.JPG

国鉄甘木線、貨物列車が遠ざかる・・
甘木線貨物後ろ姿.JPG

その同じ風景も随分と周囲が賑やかしくなったものだ。
0705甘木鉄道小石原川AR305後追い遠望.JPG

夏空の下を走る半円形正面を持つ電車。
西鉄甘木線208.JPG

なお至近の大刀洗にはもともと個人が資金を出して運営されていた平和記念館があり、今は町営として戦時の戦闘機、特攻機、そして映画に使われた実物大の模型、地元で亡くなられた方々の写真、詳細な記録などが展示されていて、今回そこへ案内していただくことができた。
是非、読者の方々にも訪問をお勧めしたいところだ。
posted by こう@電車おやじ at 23:12| Comment(0) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月07日

神戸駅150周年。

阪神間鉄道が明治7年に開業して150周年になる。
イベントは神戸駅でも5月11日に開催されるが、神戸市垂水区の「絵葉書資料館」で購入した複製絵葉書と拙撮影の写真で神戸の鉄道を振り返ってみたい。
なお、絵葉書資料館によれば商用目的ではないSNSなどでの利用は自由という事なのでここでは最初に同館の資料であることを宣言して書き進めたいと思う。
本ブログはあくまでも個人運営であり、blog上の宣伝などもブログ運営者には一切入ってこない設定としている。
純粋に個人ブログであることを貫きだいためだ。
絵葉書資料館の概要は以下アクセスから。
https://www.ehagaki.org/

日本の幹線鉄道は当時は「官鉄」として主に港と都市を結ぶ路線に手を付けられた。
関東・関西を結ぶ鉄道は軍事上の理由・・主に艦砲射撃を避ける意味合いから、中山道経由として進められていた頃、まずは緊急に必要だった貿易用の支線から始まったという事だ。
明治5年6月12日(太陽暦)、品川・横浜(桜木町)間仮開通。
同年10月14日、新橋・横浜間正式開業。

そして明治7年5月11日、大阪・神戸間鉄道開業。
当時、大阪・西ノ宮・三ノ宮・神戸の各駅が設けられ、二十日後の6月1日には神崎(今の尼崎)駅・住吉駅も開業している。
これまで徒歩だと丸一日を要していた阪神間がわずか1時間7分で結ばれることとなり、経済活動は一気に花開いた。
この時の三ノ宮駅は三ノ宮神社の近くだという事で、今の元町駅の場所であり、元町駅も事実上は同時に150周年を迎える。
明治10年2月5日、京都・大阪間鉄道が開業、同時に京都・神戸間鉄道の開業式典が行われている。

なお、さらに明治15年、敦賀・長浜間鉄道が開業、琵琶湖の水運と日本海の海運を連絡する術が出来上がったが、幹線鉄道の敷設は経済的事情と戦術の軍事上の理由からの意見があり、遅々として進まなかった。
東海道五十三次をトレースする東海道経由が明らかに当時の日本にとって重要だったはずであるにもかかわらずである。
(中山道鉄道は結局、高崎線、信越本線の一部、中央本線の一部、東海道本線のごく一部が出来たものの、中間地点の軽井沢・塩尻間は未だに鉄道としてもあるいは高速道路としても実現もしていない)

開業間もない時代の神戸駅、相生橋からの撮影とされる絵葉書。
絵葉書資料館所蔵資料より。
絵葉書明治相生橋から見た汽車 (2).JPG

手前が今の多聞通、中央幹線だ。
ここに鉄道が駅ができるにあたり、町のど真ん中・・当時は湊川神社や元町周辺が神戸の都心だった・・を分断してしまう事から先進的な鉄道跨線橋「相生橋」が架けられた。
この橋は汽車を眺めるところとして神戸市民にとって名所と化し、のちには市電もここを通ることになる。

三ノ宮駅、今の元町付近にあった駅だ。
昭和初期の高架化・複々線化工事で三ノ宮駅は旧生田川を埋め立てた広大な土地に移されることになり、のちに阪神電鉄も三宮にターミナルを持つことになる。
列車がかなり立派で、長距離列車の雰囲気があるので東海道本線全通後の撮影だろう。
絵葉書明治三ノ宮駅と列車 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

政府による鉄道建設が遅々として進まない中、民間資本による幹線鉄道敷設を許可することになり、明治16年には関東・東北に広く路線網を作り上げていく日本鉄道が、明治18年には関西私鉄最初の産声として阪堺鉄道(今の南海電鉄)が開業、そして山陽鉄道は明治21年に兵庫・明石間を、この年の年末に明石・姫路間を開業した。

翌明治22年7月1日、東海道本線がようやく全通し、東京新橋から神戸駅まで一本の鉄路で結ばれた。
当時の新橋・神戸間は20時間5分という事だから、今現在、新幹線で新神戸から東京まで約2時間45分、いやいや、青春18きっぷを使った鈍行旅ですら快速や普通で同じ区間を行けば9時間以内でいけるわけであり、現代人には何とものんびりした旅に感じられるだろうが、徒歩でおよそ12日を要した東海道区間を一日足らずで行けるようになったという事はまさに移動の革命でもあった。
同じ年の9月、山陽鉄道が神戸駅まで延伸し、新橋から姫路までが一本の鉄路でつながった。

この当時の列車はもちろん、蒸気機関車牽引で客車は当初は英国式のコンパートメントごとに扉がある形態のものだった。
阪神間鉄道の工事用に導入され、そのまま開業後は牽引機となり、のちに売却された加悦鉄道2号機。
加悦2号機.jpg

当時の各座席区画ごとに扉のある形態の客車、加悦鉄道ハ4995号。
0211加悦ハ4995.JPG

ただ、この形態では車内の移動も自由にならず、列車の長距離化にともない便所や車内移動も必要となり、米国式の中央通路式となっていく。

山陽鉄道が開業した頃の須磨海岸。
絵葉書明治須磨海岸と汽車 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

山陽鉄道は明治24年に岡山、明治27年に広島、明治34年に馬関(下関)まで開業するが、明治39年、突然の鉄道国有化法により国有化され、今の山陽本線となった。

しかし一地方の私鉄に関しては国有化の対象から外され、阪堺鉄道はそのまま私鉄として残ることになり、やがて、阪堺鉄道に範をとった純然たる私鉄も登場する。
日本の市街電車以外の電化私鉄で二番目の開業となったのが阪神電気鉄道で、これは日本最初の幹線電気鉄道という画期的なものだった。
明治39年4月12日、大阪出入橋・神戸三宮(滝道)間を開業。
官設鉄道に比して数倍の駅を擁しながら、阪神間をおよそ60分で結んだ。
開業初期の阪神電鉄、場所は大石付近だろうか。
絵葉書明治大石付近阪神電車 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

さらに明治43年4月15日、今の山陽電鉄の前身にあたる兵庫電気軌道が兵庫から須磨までを開業、大正6年には明石に達する。
舞子公園駅における兵庫電気軌道の電車。
絵葉書大正舞子公園駅と兵庫電気軌道 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

須磨付近の神姫電鉄との合併後の電車。
宇治川電気か、山陽電気鉄道になっていたか・・・
絵葉書須磨国道と山陽電車 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

今の山陽本線舞子駅は構内に皇族専用ホームを有する駅で、通常の駅設備も公園中にある風流な駅だった。
絵葉書大正舞子駅と列車 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

明治43年4月5日、神戸電気鉄道(今の神戸電鉄とは無関係の会社)により、市内電車が開業。
市内電車は建設の遅滞、市民からの利便性の追求などのため大正6年に市営化されるが、この辺りの事情は昨今の北神線市営化などとも似ている気がして、神戸独特の風潮というものがあるような気がしてならない。
多聞通を行く、市内電車。
絵葉書明治多聞通と市電 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

大正期、湊川神社前を走る市内電車。
絵葉書大正湊川神社と市電 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

栄町通の市電。
絵葉書明治栄町と市電 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

二代目神戸駅の堂々とした外観と駅前の神戸市電。
絵葉書大正神戸駅と市電 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料より。

昭和5年9月、東京・神戸間に画期的な超特急「燕」が運転された。
神戸市垂水区在故又野氏所蔵、新聞記事の「燕」試運転・・地上時代の神戸駅。
神戸駅マイテ燕試運転又野氏.jpg

こちらは2線で高架なった神戸駅に停車するC53形。
おそらく試運転だろうか。
これも又野氏所蔵、新聞記事より。
神戸駅C5343燕試運転又野氏.jpg

神戸駅を含む、三ノ宮・鷹取間は昭和6年10月10日に高架化された。
この高架工事にあたっては当時の技術の粋を集め、しかも駅の部分は可能な限りバリアフリーとしたゆったりとした設計で、さらに複々線化への準備工事も為されていた。
複々線化は昭和12年に完成、今のJR神戸線の形態に近くなった。
写真は高架化ができた当時の元町付近を走る列車。
絵葉書昭和元町付近の省線 (2).JPG

昭和9年には旧三ノ宮駅跡地に元町駅が開業している。

昭和6年の高架化で相生橋跨線橋は消滅したが、今も高架工事中の仮受けをするために設けられた梁を高架下で見ることができる。
神戸D51PARKの一番北の端、高架の橋脚に横渡ししてある梁が当時の相生橋仮橋の受けではないかと言われている。
1019神戸D51PARK相生橋仮橋跡.JPG
もちろん、昭和12年に完成した南側2線では、相生橋は消滅していたのでこのような横梁は存在しない。


昭和12年、電化なった東海道線のスターとして京都・神戸間に「急行電車」が登場。
最新の性能とデザインを備えた画期的な流線形電車は私鉄王国と言われた関西で、鉄道省の存在感を見せつけた。
写真は今も吹田工場で保管されている急行型電車、モハ52.
1031吹田モハ52全景.JPG

神戸駅を含む神戸市内高架線や、阪神・阪急・山陽などの私鉄はは阪神大水害、神戸大空襲、いくつもの台風、そして阪神淡路大震災を経験し、その都度、復旧されて今に至る。

そして市電廃止の前に、昭和43年4月7日、神戸高速鉄道が開業、相生橋跡地の地下に電車が走るようになった。
この場所では阪神電車と山陽電車が、線路北側の三宮方向には阪急電車と山陽電車が走るようになった。
同時に高速神戸駅の隣にできた新開地駅には神戸電鉄が乗り入れ神戸市内の私鉄が一堂に会するようになった。
この神戸高速鉄道は戦前から計画されていた私鉄各線の免許線を繋いだもので、例えば阪神電鉄の構想では以下の図のように考えられていた。
阪神乗り入れ予想図.jpg

当時、湊川が神戸の中心と考えられていて、神有電鉄(今の神戸電鉄)は省線神戸駅を目指したものの、阪神・山陽はいずれも湊川を目指していた。
もしこれができていると、神戸駅周辺は今現在は場末的な雰囲気になっていたかもしれない。
神戸高速鉄道が高速神戸駅を設けたことは、神戸駅にとっては都市の中心駅である最後の砦となったのかもしれない。

昭和12年ごろの阪神三宮駅、この建物は長年「そごう」として神戸市民に親しまれたが、今は「神戸阪急」として健在である。
絵葉書昭和阪神三宮駅 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料。

同じころの阪急神戸駅、今の阪急神戸三宮駅。
絵葉書昭和阪急神戸駅と市電 (2).JPG
絵葉書資料館所蔵資料。

初の電車特急「こだま」は神戸から東京への日帰りを可能にした。
写真は今も川崎重工で保存されるクハ26001→クハ151-1→クハ181-1車両。
1018和田岬線川重クハ26.JPG

神戸駅は三ノ宮に都市中心部を持っていかれ、さらに新幹線新神戸駅の開業で東への長距離列車も消滅しながらも、駅南の湊川貨物駅は今やハーバーランドとなり、巨大なビジネス・ショッピング街を形成している。
神戸市の構想では数年で、都市中心駅に相応しい雰囲気を持たせるとのことで、期待も高まる。
なお、神戸駅東側に保存されているD511072 は、この湊川貨物駅まで、貨物列車に組まれて北海道からやってきた。
神戸に到着した際の写真が残っている。
昭和53年7月、奥清博氏撮影。
19780527湊川貨物駅D511072編成.jpg

今現在の神戸駅。
堂々たる3代目駅舎は健在だ。
0729神戸駅 (2).JPG

皇族専用に作られた貴賓室が近年まで健在であったのも神戸駅の特徴だ。
昨年までは「がんこ」店内の部屋として予約すれば使わせてもらったが、閉店、いま「Starbucks」の店として改装工事中だ。
改装後もあの雰囲気は残してもらえるのだろうか。
20220828神戸駅貴賓室.jpg

駅舎正面。
神戸駅2012.jpg

夕刻の神戸駅を。
歴史的建造物にも指定された駅舎が未来を見据えて建つ。
0423神戸駅.JPG

夜の神戸駅と月。
1028神戸駅と月.JPG


posted by こう@電車おやじ at 00:02| Comment(1) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月23日

京阪電車のデジタイズ・・・

古いポジをデジタイズアダプターで撮影、復元加工してみたシリーズ。
今回は京阪電車だ。

古い順に行くが、最初の橋本・樟葉間での撮影は露出の失敗(多分感度設定のミス)という、ポジにはあってならない失敗作をどこまで復元できるのかと思いながらやってみて、やはりポジのオーバーは救いがたいがそれでも数点はそれなりの絵にはなったと思う。

まず、露出失敗の橋本・樟葉間。
時期的には5000系にまだ前面行先・種別表示機が設置されておらず平成元年以前という事かと。

5000系5002編成の急行。
セイタカアワダチソウだろう、季節は秋か。
京阪橋本5002.JPG

一寸イラストっぽくなってしまったが3000系特急。
京阪橋本3000系.JPG

こちらは逆光シーンという事もあり・・まぁまぁ。
京阪橋本3000系3505.JPG

3000系特急が出会う。
京阪橋本3008・3000系出会い.JPG

鴨川、四条・五条間のシーンだ。
まずは1900系を。
この頃はまだ、一般車格下げ時の形態のままで使用されていたが、一点だけ冷房編成が写っている。
1915編成。
冷房付き、更新後の鴨川べりでワタシが撮影出来た唯一の写真だ。
京阪鴨川1915.JPG

1910編成が行く。
京阪鴨川1913編成.JPG

1910のサイドビュー。
京阪鴨川1910サイド.JPG

1913のサイドビュー。
京阪鴨川1913サイド.JPG

1900系4連普通が行く。
京阪鴨川1900系4連.JPG

編成を真横から。
京阪鴨川1900系編成サイド.JPG

1900系編成の全景。
京阪鴨川1900系全景.JPG

こちらは1000系。
京阪鴨川1000系.JPG

2400系。
まだオリジナルの顔立ちだ。
京阪鴨川2400系.JPG

2600系2812、2000系からの改造車だ。
京阪鴨川2812.JPG

四条の南座と2200系電車。
失われた京都の風景。
京阪鴨川2200系と南座.JPG

撮影場所が良くないが5000系5555が工事区間を行く。
京阪鴨川5555.JPG

6000系7連が行く。
京阪鴨川6000系7連.JPG

6000系6013、やはり6000系でもこの色合いが似合う気がする。
京阪鴨川6513.JPG

四条駅、南座の脇で3000系3509と2200系が行き交う。
京阪鴨川四条3509.JPG

3000系が2200系と出会う。
この当時の主力車はこの2系列だった印象が強い。
京阪鴨川3000系2200系.JPG

3000系6連特急。
京阪鴨川3000系6連.JPG

3006のサイド。
優雅な座席ごとのR付きの窓、格調高いカーマインレッドとオレンジイエロー。
京阪鴨川3006.JPG

3506と3005の連結部。
3000系は3連もしくは4連でそれを組み合わせて6連、7連としていたが連結できる相手は決まっていた。
京阪鴨川3005・3506.JPG

3505、今、樟葉で保存されている車両だ。
京阪鴨川3505サイド.JPG

逆光の中を行く3000系特急。
京阪鴨川3000系逆光.JPG

淀駅近くにて。
まだまだ、当時はゆったりと電車を眺められるところだった。
ここの撮影は時期がはっきりしている。
平成2年、花と緑の博覧会の頃だ。
その広告電車だった1001編成を。
京阪淀1001はな.JPG

こちらは2600系2829、2000系出自の車両だ。
京阪淀2829.JPG

5000系5651、5ドア車7連の贅沢?な普通だ。
京阪淀5651.JPG

3000系3002、前面幌枠を撤去した車両が出現したが、3000系のデザインが締まりのないものになったと思ったものだ。
京阪淀3002特急.JPG

最後にもう少し前、地下工事の始まったころの3000系を。
京阪鴨川3000系.JPG

この頃の京阪電車はいかにも京都の電車然とした穏やかさ、落ち着きが漂っていて本当に好きだった。
会社の本社は大阪にあろうとも、京阪電車は京都らしい「雅な」そして3000系2200系5000系を取りそろえ運用を工夫し、細やかな心使いのできる鉄道会社という印象だった。
だが3000系が数を減らしていき、そして伝統の色合いを変えてしまってからはかつてほどの魅力を感じなくなってしまっている。

昨今、特にコロナ以降、利用客へのあからさまなサービスの削減、コストカットを意識しすぎ普段遣いの乗客の存在などないかのような振舞いは、得てしてタマの所用で乗る時にも鉄道としての魅力の減退を肌で感じてしまう。
そこには、毎日の利用ではない、かつて好きで頻繁に訪れたファンだったからこそ、見えてしまうものがあるのではないだろうか。
座席指定サービスもいい、それは否定しない。
だが、まずは、毎日使う人たちが心の底から会社を贔屓にしてくれるようにしなければならないのではないだろうか・・・そうでなければいずれ先は危ういものに見えてしまうといっては言い過ぎだろうか。

ワタシ自身は鉄道ファンであっても、何でもかんでもそこに群がる人の中に居たいとは思わず、ただ、本当に好きな列車に乗り、その列車を撮影し、眺めるのが好きなだけで、そう言う意味では今現在の京阪電車から足が遠ざかり、神戸在でありながら年に何度も名鉄詣でを繰り返してしまうのもこれは趣味の嗜好性の問題だろう。

posted by こう@電車おやじ at 18:34| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月18日

理想を求めたJR第一世代転クロ近郊型

先だっての2024年3月ダイヤ改正で、わが地元、神戸・明石から白い快速221系が静かに撤退した。
今回のダイヤ改正は名鉄や近鉄、関東各社など一部私鉄なども含めた大変大掛かりなもので、その分、話題も多く、特に北陸新幹線の敦賀開業、関西・中京と北陸を結ぶ特急の敦賀打ち切りは大きな話題となった。
だが派手な改正の陰で、静かに地元から消えていった名車に思いを寄せる人は如何ほどおられるのだろうか。
そう、JR西日本221系の東海道山陽線(通称Aライン)からの撤退だ。
(ただし、当面、播但線運用として網干区に1編成が残るほか、向日町・草津間の草津線・湖西線運用、新大阪駅前後でのおおさか東線運用はこのラインで僅かながら見られることになる)
221新快速須磨一の谷.JPG

JR西日本221系は1989年、平成元年の登場だ。
同じ年にJR東海の311系、JR九州の811系が登場、その前年、1988年(昭和63年)には新生JRグループで初の新設計近郊型、JR北海道721系が登場している。

これら4系列はいずれも3ドア、転換クロスを採用。
国鉄はその末期において将来の車両の理想像を、特急型=リクライニングシート、急行型=簡易リクライニングシート、近郊型=ゆったりしたロングシートもしくは転換式クロスシート、通勤型=ロングシートと定めていて、ラッシュ混雑がまだまだ激化の一途をたどった首都圏をもつ、JR東日本以外のJR各社は、理想を転換クロスシートに求めた。
ただ、国鉄が作り出したキハ66・117系・115系3000台、213系のような2ドアではなく、むしろ名鉄6000系や山陽5000系、近鉄5200系といった私鉄の3ドアクロス車に範を求めたのかもしれない。

最初に転クロ近郊型を出したのがJR北海道721系であり、分割民営化直後の新会社の「やる気」を感じさせるには十分だった。
それまでの極寒地での車両は2ドアという慣例を破った3ドア車両、そして急行型を上回る居住性を持つ転換クロス・・
1106南千歳721系並び.JPG

近郊型は乗客の移動距離も長く、通勤通学用途とはいえ、ある程度の快適さを追及する必要があったわけだ。
特に私鉄と競合し、なんとしても乗客を奪わねばならなかった京阪神地区を持つJR西日本、中京地区のJR東海には快適な近郊型=快速用車両の登場は急務だったと言えるのだろう。
JR東海の場合、真横で派手に転クロ車ばかりを走らせていた当時の名鉄を凌駕するには画期的な近郊型311系が必要だった。
しかも名鉄はJR発足前にSR系をモデルチェンジして再増備を進めていた。
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九州においても西鉄への対抗、そして旧来の国鉄式、狭苦しいシートの近郊型からの脱却を狙って811系を登場させている。
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快調に走り始め、好評だったこれら、JR化初期の転クロ近郊型ではあったが、線区によっては激化するラッシュへの対応に無理を感じることもあり、やがてはラッシュ用に立ち席を増やしたり、あるいはロングシートに基準を変更したりしているシーンも数多い。

ただ、JR西日本に限っては北陸地区から山陽地区まで、一部ワンマン専用の線区や純然たる通勤電車区間を除けば、押しなべて転クロ車で統一されており、現状では京阪神新快速と同じサービスレベルの車両が各線区で走っているということになっている。
(気動車も新型では転クロとされていて電車のイメージを地方にもの意気込みを感じる・・その割に紀勢線南部の観光路線でわざわざロングシートに設計変更した227系を走らせているのは、ラッシュ時の混雑の激しい和歌山線との共通運用とはいえ、やや疑問にも感じるが)

ただ、僕自身が全国のこれら車輛を登場当時から見ることができていたわけではない。
仕事・生活に追われろくに鉄道趣味活動も出来なかった時代、あるいはせっかく北海道へ仕事で行っても、とても鉄道路線などに近づく時間的余裕のない時代もあり、関西圏・中京圏以外ではなかなか追うことができなかったのもまた現実だ。

彼らの活躍はまさに、雑誌やのちにはネットでようやく知るだけでもあった。

理想を追求してその理想通りに事が運べば全く問題はなく、喜ばしい限りだが鉄道にはラッシュ輸送という重要な使命がある。
特に別途特別料金を収受するわけでもない近郊型電車のサービスアップは、逆に言えば座れない乗客と座っている乗客との格差となって表れてしまう。
もちろん、クロスシート設定にすることで座っている乗客と立っている乗客の間での例えば「足を踏んだ」などのトラブルは激減されるが、それ以前に詰め込みの問題だろう。
関西や中京のようにそう言った車内設備に慣れている乗客が多ければそれなりにうまく利用していただけるのだろうが、なかなかそうはいかない。
九州では今後は近郊型電車はすべてロングシートである旨が発表されているし、北海道でも731系からは極寒地向けのロングシートという新しい標準が出来上がった。
関西で馴染みのある転換クロスという形態が一部地域で否定されてきたわけで、ファンとしては少々残念に思うところもあり、また致し方なしと思う事もある。

さて初期転クロ通勤型・・
理想を求めただけに、ゆったりとした座席を多くしたものがほとんどだ。
この点、JR各社の参考になったと言われる1988年登場の近鉄5200系は3ドアで大半の座席が進行方向を向けるが、ドア横には立ち席スペースも設けられていた。
(近鉄は車体長が1メートル長いゆえ可能になる配置だった、逆に車体幅は近鉄が150ミリ狭い)
近鉄5156堅下.jpg

その車内(更新後)、車体幅が狭いゆえに、座席もJR各社と比すと狭くなっている。
010501名古屋近鉄5200系車内 (2).JPG

JR西日本221系はその増備規模も大きく、一気に新快速・大和路快速を置き換えた。
これにより新快速の120キロ運転が実現し、大幅なスピードアップ、そして一気にイメージチェンジを果たした。
京阪神間の乗客は激増、全列車の8連運転、やがて12連運転へと進化していくが乗客が増えるとドア横にほとんど立ち席スペースのない構造ではラッシュ輸送に限界を感じてしまう。
この系列はドア横に戸袋窓があり、その部分にも座席が設置されていた。
221系並走須磨.JPG

未更新の車内、座席生地は変更されている。
1231快速221車内.JPG

221系の後、阪和線用に登場した223系0番台は221系と同じ窓配置の車内の座席は片側一列の3列だった。
0527野田223-0.jpg

だが、223系を京阪神用にアレンジした1000番台では近鉄5200系と同じく、出入り口脇の戸袋部分に立ち席を設け、混雑時以外はここの補助席を使える構造となって、ラッシュ用の立ち席に配慮したものとなった。
1118垂水223-1000.JPG

そうなると221系の出入り口付近も改善の必要性が高まる。
結局、221系は1両辺り座席を3列撤去して、立ち席スペースとし、閑散時にはそこで補助席が使えるように改造された。
大掛かりな車体改修も必要と言われていたが、鋼製車ゆえの思い切ったデザインにはほとんど手を加えられることなくラッシュ対応改造ができたのだから一利用者である僕もホッとしたものだ。
0729関西線221リニューアル車内.JPG

少しでも座席をゆったりとさせたい近郊型、あるいは快速用途の車両では、常にラッシュ輸送との板挟みをどうするかが命題になってしまうが、それでも工夫を凝らしながら転換クロスを貫くJR西日本には脱帽する。

だが、このあとの転落防止柵取り付けについては、元々のデザインが非常に美しい流線形である221系にはどう考えても防止柵のデザインそれ自体が納得ができない。
せめて柵の地色を黒にして車体色と分ければ遠目には良かったのではないだろうか。
0311兵庫221系12連.JPG

JR東海の311系も戸袋窓を持つタイプで、221系と同じ欠点を抱えている。
1218金山311系.JPG

だがこちらは総両数が60両とやや控えめなこともあり、後継の313系に主力列車の座を明け渡すことにより、車いすスペース以外の改造は行われていない。
0326東海311車内.JPG

特急用371系と並ぶ311系、この両系列を4両程度の一本の編成とし、特急「ふじかわ」「伊那路」などを一部特別車の快速化すれば、非常に使いやすい列車になるのではないだろうか。
0825豊橋311系371系.JPG

JR九州では近郊型電車は基本的にロングシート化されることが発表されている。
それはそれで地域の実情に合わせるのだから致し方のないことだろう。
聞けばロングシートもこれまでの水戸岡デザインとは異なり、ベンチ状ではなくクッションのあるものらしい。
0505小倉811系リニューアル編成.JPG

理想を追求しても地域の特性もあるし、会社の体力の問題もある。
ある程度後退するのはやむを得ないだろうが、せめて快速列車に特別な編成が欲しいと思うのは、たまにそこへ出かける旅行者の勝手な思いなのだろうか。
新旧の近郊型電車が並ぶ。
0505小倉811系813系.JPG

JR北海道も札幌都市圏のラッシュ混雑の激化は大問題になっていた。
特に乗降時間を短縮するためにロングシートの電車を投入。
寒冷地でありながら、仕切りドアを持たず、エアカーテンで車内外を分けるやり方で、純然たる通勤電車の投入となった。
721系は今も活躍しているが、傷みが目立ち、特に窓に貼った飛散防止フィルムの劣化により、殆ど車窓が楽しめない現状は哀しいものがある。
1106南千歳721系.JPG

721系の車内。
非常に高品質な車両だ。
1003新千歳空港721系車内.JPG

JR東海が中央線に315系ロングシート車を投入、通勤仕様でありながら落ち着いた車内は好評らしい。
このあと、315系に都市快速用のクロスシート車ができるのかどうか、その辺りが東海の近郊型将来像の見極めだろうか。
お隣の名鉄では特急用途以外の転クロ車は製造されなくなっている。
当面、211系や311系を315系で置き換える作業が続くが、そのあとという事だ。

国鉄が解体され、JRが誕生して早37年になる。
これまでこの世代の転クロ車両は東海の一部を除いては引退はしていなかったが、西の221系は京阪神から追われ、北の721系も置き換え用車両の設計に着手されたと伝わってきている。
クロスシートを徹底し、奮闘する西は今後もクロスシート主体で行けるだろうか。

更新後も奈良所属の221系のうち、6連、8連のものは今でも転落防止策のない美しい姿で走っている。
その雄姿を。
221系D11更新ホロ未設置野田.jpg

JR東海311系が並んだ。
左はトップナンバー編成、右はラスト編成だ。
1217尾頭橋311系並び左トップナンバー.JPG

posted by こう@電車おやじ at 21:06| Comment(1) | JR化後の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月17日

富山県:早月川と常願寺川

はじめに・・
元日早々の大地震によって被害を受けられた、石川・富山両県の方々に慎んでお見舞い申し上げます。

さて、似たような橋梁付近で撮影したポジの塊が二つあり、似たような列車が写っていたがちょっと年代が違う・・
記憶では一回きりの1985年前後の富山訪問はどうも2~3回行っていたらしい。
Twitterでポジの撮影場所が二か所であることをご教示いただいた。
似たようなポジションに見えた写真も実は二か所別々、川も違う川であることが分かった・・有難いことだ。
人間の記憶なんて本当にあてにならない。

もう一度調べなおし、記憶をたどりなおし、最初の訪問は1985年夏頃ではないかということに落ち着いた。
別のネガに「きたぐに」で糸魚川で下車して419系へ乗り換える様子が写っていた。
この時に、魚津もしくは黒部で下車して富山地鉄に乗り、越中中村駅に着いたようだ。

そうしてもう一回のポジは1990年7月31日とケースに日付があった。
この時の訪問ではどうやら北陸本線に乗ったまま移動して水橋駅から歩いたようだ。

で、霧の中のこの写真。
築堤のようなものに向かっていく上り「電鉄富山行き」電車だ。
この場所が分からない・・
この先は線路を超えるっぽいが、西加積でも西魚津でも富山地鉄は国鉄と交叉するが、アンダーパスだからだ。
オーバーパスなのは黒部だけで、どうやら黒部で下車したらしい。
いまに至るまで富山地方鉄道が鉄道専用に製造した最後のシリーズ、14760系だ。
地鉄魚津14761霧.JPG

アーカイブから10020形の2連。
富山地鉄10024黒部.JPG

その次がこの写真。
霧がやや晴れてきた感じで、電車の走っている線路の手前にも線路用地があるように見えるがどうやらこれは空き地のようで、電鉄黒部駅近くとすれば、嘗て国鉄黒部駅とを結んでいた黒部支線の跡地だろうか。
貫禄ある旧型電車の3連、大手私鉄を思わせるような列車だ。
14750形の3連だ。
地鉄滑川14755ほか3連.JPG

越中中村駅、当時は駅横に変電所のような建物があった。
絵中中村駅変電所跡.JPG

駅舎はこちら。(アーカイブから)
富山地鉄中村駅.jpg

この駅は国鉄の真横にあり、国鉄列車が良く見えた。
特急「白鳥」485系。
越中中村485系白鳥.JPG

471系の普通列車。
越中中村471系.JPG

駅から徒歩5分くらいで橋梁に出た。
川は早月川で、劔岳に水源を発し、日本有数の平均勾配で一気に富山湾へ下る水流らしい・・
しかし当時のワタシがそんなことを知るはずもなく、ただ電車の撮影に便利そうだからと訪れただけだ。

14710形、クハ13が先頭だ。
この形式は地鉄のカラーに染まってはいるが、元は名鉄のAL3800系だ。
早月川地鉄13.JPG

国鉄特急、485系クハ481は貫通型200台、「北越」
早月川485系北越.JPG

地鉄14760形特急列車。
早月川地鉄14764特急.JPG

国鉄特急「白鳥」485系、ボンネット型クハ481。
早月川特急白鳥485.JPG

地鉄特急14760形、「うなづき」看板付き。
早月川地鉄14772うなづき.JPG

地鉄14750形2連。
早月川地鉄14750形2連.JPG

地鉄の不思議な2連、クハとモハで系列が異なる・・
173と14791。
早月川地鉄173・14791.JPG

国鉄419系初期の赤い車体。
早月川419系赤3連.JPG

こちらは急行型電車のオリジナルカラー(本当は裾の白線が・・)471系。
早月川475系原色6連.JPG

地鉄10020形。
早月川地鉄10025.JPG

常願寺川へいったのは、トワイライトが走り始めたころだ。
真夏で、上半身裸になり、時折水浴びしながら撮影した。
常願寺川の看板。
常願寺川プレート.JPG

前にも出したが、グレードアップ「白鳥」に「雷鳥」がかぶってしまった。
常願寺川485系雷鳥・白鳥出会い.JPG

JR化後なので当時のアイディア的な列車もある。
特急「スーパーかがやき」、長岡と福井を可能な限り高速で結んだ。
常願寺川485系スーパーかがやき.JPG

「スーパー雷鳥」
展望付きグリーン車に「だんらん」を連結、JRの「やる気」を魅せた列車だ。
常願寺川485系スーパー雷鳥クロ・サロ.JPG

その反対側。
常願寺川485系スーパー雷鳥.JPG

こちらは東日本のグレードアップ編成を使った「雷鳥」
常願寺川485系雷鳥グレードアップ編成.JPG

「雷鳥」には485系ボンネット特急も健在だ。
常願寺川485系雷鳥ボンネット.JPG

こちらは「北越」ボンネット型。
常願寺川485系北越ボンネット.JPG

419系の車体色も白くなった。
特急顔の編成。
常願寺川419系白特急顔3連.JPG

EF81牽引の貨物列車。
常願寺川Ef81105.JPG

419系、平面顔の3連。
常願寺川419系白3連.JPG

そして413系・・
常願寺川413系.JPG

いまや北陸本線は第三セクター3社に分割され、来月からはさらに一社が加わる。
特急列車など望むべくもなく、地道に通勤、近郊輸送と、貨物輸送に働くだけの線路になった。
写真は越中中村駅近くで419系。
越中中村419系.JPG
posted by こう@電車おやじ at 19:13| Comment(3) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする