2025年02月15日

でら好きだがや7500!(すっきゃねん7500!)

僕が名鉄ファンであることは前にも書いたし、このブログのカテゴリに「名鉄の思い出」を入れているというのは、名鉄を特別扱い、いわば自分の中で特別な存在として捉えているからだ。
その名鉄、車両面では傑作、珍作が多く、今も結構飽きない電車ではあるけれど、半世紀前は飽きないなんてものではなく、それこそおもちゃ箱をひっくり返したかのような楽しさがあった。
揖斐線の510・520形の急行、美濃町線の600形、本線でも流線形3400はまだだ一線で5000等は新しい部類だった。
AL、HLの列車が錯綜する中、10分ヘッドほどでたくさんやってくるパノラマカー、いつ来ても、どれほどの回数来ても飽きることのない電車が走り回っていた。

さて、そのパノラマカーには2種類の系列があった。
いや、のちの貫通型や更新車・改造車を入れれば5種類になるだろうが、全面展望を完備した7000系と7500系の二種こそが本当の意味でのパノラマカーだろう。
初めて岐阜・名古屋を友人たちと訪問した昭和51年の春、最初に出ったのは岐阜駅前、揖斐線のモ510・520形の急行で予備知識なしの目にはまさに驚愕だった。
そして、新岐阜駅では、各務原線に行かねばならにのに、本線高架ホームに間違えて上がってしまった僕らの目の前に停車していたのが7500系だった。
名鉄新岐阜7500フロントアイなし.JPG

この当時の名鉄電車は今のようにピカピカではなく、どこか埃を被ったような汚れがあったものだが、それは国鉄でも同じこと、今のようにはメンテナンス技術も発達していなかったのだろう・・はさておき、あまりの格好の良さにしばしそこでボウッと見ていたような気がする。
この時の旅行は各務原線で明治村に行き、見物のあとは名古屋へ臨時特急で向かった。
パノラマカーを期待したが、この時は7700系だったが、まだ新車でその乗り心地を楽しんだ。

翌日、名古屋で何箇所か巡り、新名古屋駅近くの駐車場入り口で係員に頼み込んで少しだけ、名鉄を撮影させてもらった。
時間にしては僅か10分ほどだったが、この際も7500系に出会っている。
名古屋名鉄新名古屋7500.jpg

コンパクトカメラでのとっさの撮影で、当時の僕の力量がこの程度だったとわかる稚拙な写真だが、昭和51年春に運転された河和・新岐阜間を犬山経由で結ぶ列車だ。

当時はまだ、僕自身は7000系と7500系の違いがよく分かっていなかった。
これを知ることになるのは間もなく手に入れた「私鉄電車プロファイル」の図面と記事で、設計最高速度180km/hの記事に驚いた。
名鉄パノラマカー7000系は、昭和36年の登場時、システム的には安定したSR系列と同等にものを使ったが、その2年後、昭和38年の新型パノラマカー7500系の際には当時最新のシステムを導入、阪急2000・2300系に先を越されはしたが、トランジスタを多用した界磁位相制御となった。
定速度制御(今でいうオートクルーズ的なもの)も可能になり、熟練の運転士から高い評価を得たという。
しかし、当初の特急専用という運用だとこれもいいが、やがて急行などにも使われるようになるとこういった高性能はむしろ足かせとなる。
この点では阪急も同じだったようで、いわば進みすぎた、先を読みすぎた事例となるのかもしれない。
また抜きんでた高性能ゆえ、7500系は他のSR車との連結が出来ず、7000系が支線区へ進出したり、ラッシュ時には5000系以降のSR各系列と連結できたことを考えると、7500系の高性能は成功とはいえないのかもしれない。

だがまだ、僕が写真を撮り始めたころには7500系は第一線の特急列車で活躍していた。
全面展望室部分がフラットで、腰の低い綺麗なラインはこの系列特有のもので、飛び出たように見える運転台もまたチャームポイントだった。
連続窓がきれいに並ぶ姿が美しい・・・下地にて。
名鉄7500下地1.JPG

7500系のチャームポイントはまさに展望室だ。
名電山中。
名鉄7500高速踏切.jpg

しかし飛び出した感のある運転台はもしかすると全体のバランスを崩しているかもしれない。
藤川・名電山中間。
名鉄名電山中7500流しサイド.jpg

この点では7000系のデザインに参加した萩原政男氏が「7000をデザインしておきながら次世代車もスケッチしておいた」が名鉄からは依頼がなかったという。(レイルマガジン41号)
運転席を前方に出して庇形にする案だったというが、それではパノラマカーのイメージとしては全く違ったものになる可能性もあったという事だろうか。
その7500を見たい気もするし、見たくない気もする。
パノラマカー7000の意匠をほとんど変えず、完成度を上げていった名鉄の車両設計は王道である。

昭和52年、国鉄の流電を見に行ったとき、国鉄に接する時間以外のすべてを名鉄にかけた。
その際に、神宮前で見た7500系だ。
名鉄7500神宮前.jpg

後に訪問したときの7504の車内、更新されてクリーム系の内装になっていた頃だろう。
赤いシートは特急運用に優先的に使われる編成だ。
名鉄7504車内.JPG

内海駅近く、信号所付近での7500系。
カラー写真の痛みを修正している。
どうやってこの場所に行ったかはいまだに謎だ。
名鉄7500内海近くカラー復元.JPG

乙川を渡る7501F、この角度が最もこの電車を美しく見せる。
名鉄岡崎7501_2.jpg

新木曽川を通過する7500系特急。
S55名鉄新木曽川7500特急.JPG

今伊勢での7500系。
名鉄今伊勢7500下り.JPG

長閑な地平駅だった本宿駅通過の様子。
名鉄7500本宿.JPG

名鉄の特急施策が変更になり、専用車として7000系白帯車の整備が始まる。
すると6連でしか使えない7500系は特急運用の大半を追われ、急行・高速を中心に走るようになる。
この頃から7500の凋落が始まった。

車内の整備も等閑になり、荒れた雰囲気の車両もあった。
それでも7500は美しかった。
特別な料金を払わずとも乗れる7500は名古屋訪問の主目的にもなっていく。
新岐阜駅各務原線ホームの犬山行き急行。
名鉄新岐阜各務原線7500急行.JPG

今の舞木検車場付近を行く高速。
名鉄舞木旧線7500後追い.JPG

乙川を渡る7565先頭の列車。
7515Fの中間車でパノラマミックウィンドウを持つ運転台があった。
名鉄乙川7605.jpg

青空を背景に乙川を行く。
名鉄乙川7500上り.JPG

国府宮にて。
名鉄国府宮7500.JPG

内海、7515Fで、逆富士型の表示板が大きい。
内海名鉄7500BW加工.jpg

木曽川を渡る。
名鉄東笠松7500サイド.jpg

新安城で7700白帯特急と出会う7500急行。
これこそまさにパノラマ一族の下剋上とでもいうものだろうか。
名鉄7500・7700新安城.JPG

石刀付近を行く7515F。
名鉄本線新木曽川7500俯瞰.JPG

雨の東笠松、急行。
S61名鉄7500急行東笠松雨.JPG

上下の急行、7500が出会った。
だが、これを見ていた僕はそのシーンを一瞬、茫然と見てしまいタイミングが遅れた。
しかも、下りは7515ではないのか。
このシーンは僕にとって最大の失敗だったと言えるかもしれない・・後悔が大きい。
名鉄7500離合東笠松.jpg

上り急行、豊川稲荷行。
名鉄7500東笠松急行.jpg

当時としては撮影ぎりぎりの時間帯、東笠松で上り急行。
名鉄東笠松7500流し.jpg

平成に入ると、特急施策の変更から、5編成を廃車して1000・1200・1800系と同じ車体を新製した1030.1230・1850系が登場した。

さらに残る7500は低重心設計故、車体高さが低く、中部国際空港へのバリアフリーに対応できないとされ、全車が廃車となった。
それなら、車輪径を大きくして、台車にライナーを入れることで問題となった80ミリの段差は解消できるのではないかというのは素人考えなのだろう。

7500系の機器類を再利用した1030ほかの系列も2019年までに廃車される。
やはりほかの系列と連結できない不便さからだろうか。
2019年に廃車寸前の1131F、岐南で。
010504岐南名鉄1131上り.JPG

愛してやまない名鉄SR車、さらにそのうちのパノラマカー、その中で最も愛するのが7500系だ。
佳人薄命というが彼らは昭和38年に登場し、平成17年にすべて引退、この間42年間、最後は特急運用には就かなくなっていったといっても、主に急行用として名鉄の主要線区を走った。
そう考えると、幸せな一生だったのかもしれない。

富士松で。
名鉄富士松7500仰望.JPG

新岐阜で。
名鉄本線新岐阜7500入線.JPG

今伊勢、国鉄側から。
名鉄今伊勢7515.JPG

美しいシルエット、乙川。
名鉄7500シルエット岡崎.jpg

最後に、あの悔しい東笠松の出会いを今の自分の技術で加工して蘇らせてみた。
7500よ、永遠なれ。
名鉄7500並び合成東笠松.jpg

僕は小説もするが、拙作に「パノラマドリーム」というのがあり、7500との夢の中での出会いをモチーフにしている。
那覇新一Story・・小さな物語「パノラマドリーム」
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2025年01月11日

保存車両への雑感

国鉄時代、最初は引退する蒸気機関車を、やがては電機、ディーゼル機、電車や気動車、客車、新幹線車両などが各地で保存されるに至っている。
車両というものはまさにその時代の文化の集積物であり、保存されるというのは意義の大きなことだとは思う。
だが、その車両が保存された後、荒廃するのはこれは、国鉄など鉄道事業者には見えていることであり、それゆえに、それと国鉄の場合は「廃車解体」というその行きつく先を明らかにすることによって帳簿上の問題点を亡くしてきた部分もあり、自治体などからの保存要請には「無償貸与」という形をとってきていた。

国鉄が解体され、保存車両の原簿は各JRに移行されたが、その頃より役所の予算、人手不足により保存されている車両の状態が劣化し、時にはほとんど崩壊するような状態になってしまったのは、それを見る地元住民や、鉄道ファンには哀しいことであった。
状況が若干改善されたのはここ数年で、鉄道ファンや地元ボランティアの方々の意識が変わり、積極的に地元の文化遺産として活用しようという機運が満ちてきている。

それには博物館として多くの車両を保管してきた各団体の努力というものが認められてきたという事もあろう。
鉄道会社でも保存の意義を理解してくれて、これまで保存には熱心でなかった会社でも積極的に自社の文化遺産を守ろうとする傾向がみられることは良いことだと思う。

北海道、安平町のD51 320号機・・
おそらく日本で一番美しい静態保存機だろう。
DSC_3909.JPG

この罐は雪のない季節には週に一度、建物の外に出てくる。
そのための移動機が一緒に保管されている。
DSC_3919.JPG

安平にはキハ183もある。
なおこの町内には他にキハ183もう一両と、スハフ45がある。
1006安平キハ183仰望.JPG

北海道、室蘭の旧駅舎。
線路は外されたが建物は見事に保守されている。
1007室蘭旧駅.JPG

その真横にD51 560号機が保存されている。
海の見える場所であり、保存には絶望的な場所であるはずが、ロッド磨き出し、きちんと手入れのされた個体だ。
国鉄から貸与された時からずっと磨き続けているのだろうか。
1007室蘭d51560.JPG

九州、鹿児島県吉松のC55 52号機。
ここもロッドは磨き出しだ。
昨今の九州山間部は人口の減少著しく、こういった地道な作業も人を集めるのに難儀しておられないだろうか。
一人の意を決した人があれば機関車の美観は保たれる。
吉松がかつては鉄道の街というほどに、鉄道員やその家族、関連企業により栄えたその証を伝える証人でもある。
0711吉松C5552・1.JPG

岐阜市梅林公園のD51 470号機。
ここは友人にご教示いただいて初めて訪問したが、その美しさに絶句した。
岐阜と言えば、あっさりと名鉄600V ネットワークを崩壊させた、鉄道をないがしろにするイメージがあっただけに意外な、そして嬉しい出会いだった。
0815梅林公園D51470 全景.JPG

その岐阜市、駅前には懐かしい御大がいる。
名鉄揖斐線急行用だったモ513だ。
市内の公園で劣化していたものをここに移設、岐阜市が本腰を入れて保存されている。
0401岐阜駅前名鉄モ513.JPG

様々なイベントを行いながら、車体を磨き続けているボランティアの存在は大きい。
夜景は美しい。
0814岐阜モ513夜景1.JPG

和歌山県、有田川鉄道保存会にいたころのD51 827号機、油が滴りおち、艶を放つ罐は本当に美しかった。
0707有田川D51827.JPG

このあと、827号機はえちごトキめき鉄道に貸し出され今に至る。
有田川には看板代わりのD51 1085号機もいる。
こちらも良好な保存状態だ。
0707有田川D511085.JPG

有田川鉄道保存会はこのほかにも富士急行出自のキハ58、樽見鉄道や北条鉄道出自のレールバスも保存されいずれも見事な整備状況でもある。
そしてワタシが神戸のD51 1072号機を整備するのにまず最初に訪問し、実際の保存車両の扱いについてご教示をいただいたところでもある。
0707有田川気が58003キテツ1.JPG

片上鉄道保存会、
貴重な国鉄キハ07出自の気動車、キハ702。
片上現在キハ702.JPG

国鉄キハ04出自のキハ303。
片上現在キハ303.JPG

そして自社発注のDD13を先頭にした客車列車編成。
片上現在DD13551.JPG

鉱山記念館の一角である吉ヶ原駅構内に見事な状態で車両たちが並んでいる。
片上現在吉が原駅舎.JPG

惜しむらくは、コロナ禍以降、中止されている運転イベントが未だに復活しないことで、これには町の支援やボランティア側の都合もあるだろうが、どうか再開を心から祈る。

加古川市鶴林寺にあるC11 331号機。
SLブームの前に国鉄から貸与された罐で、昨今はその痛みが酷い状況だった。
だが、同じ加古川市のキハ2を手掛けるメンバーの一人が意を決して市と交渉、作業が始まった。
0522鶴林寺C11.jpg

今では非常に美しい状態となり、同市を代表する公園で市民のアイドル的存在に帰り咲いた。
0801鶴林寺C11331_2.JPG

長野県小諸市、同市の象徴的観光地である懐古園駐車場、しかも蕎麦の名店、草笛本店の真ん前に位置する場所にあるC56 144号機。
保存というにはあまりにも酷い状況だった。
1223小諸懐古園C56144.JPG

それが最近手入れされ、見違えるように美しくなった。
これは行政によるものだが、美装なった後に日常の手入れをするボランティアが必要で、その点ではまだ不安が残る。
0624小諸C56144.JPG

岐阜県美濃市、かつての名鉄美濃駅はボランティアによりきちんと運営されている。
駅舎も美しい。
0815美濃駅.JPG

保存されているのはかつて岐阜地区で走った電車ばかりで、この地域の路線が大好きだったワタシには涙が出る思いだ。
0815美濃駅モ876・601・512・593_02.JPG

こうして見ると、現役の頃のままだという錯覚さえ起こる。
この美しさを日常的に維持するのは大変なはずで、しかもここは独立採算を維持して、グッズや鉄道、音楽のレトロな商品などの売り上げで車両を維持し、自治体に家賃まで支払っているという。
神戸でD51イベントをする際、大いに勉強させてもらったところだ。
0815美濃駅モ593・モ512・モ601.JPG

岐阜県谷汲村、旧名鉄谷汲駅跡。
駅舎の建物は建て替わった。
0401谷汲駅昆虫館.JPG

だが、改札口付近の雰囲気は営業当時を思わせてくれる。
0401谷汲駅改札.JPG

かつての車両が並ぶ。
それも非常に美しい。
0401谷汲駅514・755.JPG

だが、かつて活発な鉄道路線で容易にアクセスできた谷汲へは今や公共交通は殆ど崩壊状態にある。
岐阜県で有数の観光地であるというのに・・

新幹線車両も保存されている。
大阪府摂津市、新幹線公園に保存されている0系21形。
非常に美しい。
0405新幹線公園21形.JPG

ここにはEF15も保存されているが見事なコンディションだ。
0405新幹線公園EF15120.JPG

四国、鳴門市のC11は非常に荒れた状態だった。
鉄道ファンではないが地域をこよなく愛する女性が神戸のD51に相談に来られた。
0721鳴門C1166全景1.JPG

そこでいろいろ助言させていただき、ただメンバーに鉄道ファンという人が皆無で、公園を美しくしたいとの思いの人ばかりだった。
結果、機関車は見事に美しくなった。
0330鳴門C1166.JPG

そして美しくなったからとイベントを開催し、機関車の前で皆が阿波踊りを踊る。
この機関車こそが日本一、幸せな機関車ではないだろうかと思った。
0330鳴門市機関車さくらまつり3.JPG

加古川市のキハ2、貴重な別鉄道の遺産だ。
ボランティアの活動が活発で非常に美しく整備されている。
0821円長寺別府鉄キハ2.JPG

同じ別府鉄道でもこちらは加古郡播磨町大中遺跡公園。
DC301とハフ5が現役当時のままの美しさで保存されている。
0801大中DC302.JPG

美しい保存車両を見ると嬉しいが、そうではないもの、荒れたものを見ると哀しい。
小樽市博物館のキハ82、準鉄道記念物とのことだ。
1006手宮キハ821.JPG

だが、台枠は腐蝕し外板と台枠が剥離し始めている。
もはやこれ以上の保存にこのままで耐えられるとは思えない。
1006手宮キハ80裾痛み.JPG

解体されそうになりながら救出された事例もある。
兵庫県加東市播磨中央公園のC56 135号機。
解体の予算がついて万事休すかと思われたが、ワタシの目には根本的なところは痛んではいないように見えていた。
後に大井川鉄道が引き取っていったとのこと、今整備中だそうだ。
0926播磨中央公園C56135 .JPG

保存車両の維持は経年や環境による腐食との戦いだ。
昨今ではクラウドファンディングが大流行りで、例えば福岡市貝塚公園のナハネフ22をクラウドファンディングにより資金を集めて綺麗にという事も行われた。
0705貝塚公園ナハネフ221007_2.JPG

よく見ると窓ゴムが違う・・というか、窓回りが原形を失っている。
0705貝塚公園ナハネフ221007_3.JPG

鉄道車両を扱っていない業者に委託したからこうなったのだろうか。
だが、窓ゴムも窓ガラスも今現在でも本来のものは入手可能だ。
もちろん、保存にあたり様々な部分をメンテナンスフリー化することを否定はしない。
ワタシ自身も車両保存にあたって窓枠の構成をアルミに変えてしまえばと提案したこともある。
そして同じ綺麗にするなら、連結して保存されている蒸気機関車49627も綺麗にしてほしかった。
0705貝塚公園49627.JPG

問題は補修方法ではなく、業者に委託して綺麗になった車両を今度はボランティアなり自治体也がその美しさを保つために、定期的な手入れができるのかというところだ。
神戸市でもその問題はあるわけだが今もなんとかなっているという感じだろうか。
東灘区小寄公園の神戸市電1155号、台風で破損し、そのまま解体とも思われたが、市によって美しく再整備された。
0924東灘小寄公園神戸市電1155北側.JPG

兵庫区御崎公園の広電から里帰りした1103号。
0212御崎公園神戸市電1103.JPG

尼崎市のD51 8号機。
ここは行政とボランティアの連携で美しさを保っている。
0924大物公園D518 全景.JPG

企業で保存されている好例、兵庫県小野市カコテクノスにある神戸電鉄1117号。
余りの美しさに涙が出る。
0926カコテクノス神鉄1117.JPG

ワタシもスタッフで参加している神戸電鉄デ101、クラウドファンディング成立により保存車両の仕事に手慣れた企業に依頼して美しさを取り戻した。
今はさらに原形への回帰という事で二度目のクラウドファンディングも成立、間もなく工事にかかる。
DSC_0859.JPG

先にも書いたが、保存車両の維持は腐食との戦いだ。
それにはいったん綺麗にした後の常時の手入れが必要だ。

そこを忘れて資金集め、業者に委託だけでは車両の保存は継続できない。
また、車両が文化遺産であり、それを地域の方々に知らしめる運動も必要だ。

先達から学び、自分たちで考え、地域とのつながりを持ちながら神戸駅前のD51 1072 を今後も維持していけるよう改めて決意を表明する。
1019神戸D511072 全景.JPG

夜景、街灯の少なかったところでもあり、神戸市からLEDによる街灯扱いでライトアップが為されている。
周囲が明るく、華やかになり街の治安が向上した。
1102神戸D511072夜景5_01.JPG

イベント、D51前を中心に地元団体とイベントを行った。
機関車を背景に「安平町雪だるま大使」の高橋涼子さんが歌う。
DSC_1860.JPG

博物館でもない、普通の街中の公園や、道端、駅前などにある機関車や電車、それらにはそこに保存された意義があるわけで、今必死の人たちが維持に努めている。
北海道狩勝峠近く、新内の59672と後ろの20系客車。
特に客車は貴重なもので、個室寝台車も含まれる。
現地の方々が一生懸命に維持しているが、哀しいのは鉄道ファンによる車両部品や銘板類の盗難だ。
暖房機キセまで持って行ってしまう浅ましさには強い怒りを覚える。
こうなると、鉄道ファンは車両保存にとって敵でもある。
1004新内59672・20系客車.JPG

今、ワタシが力を入れさせてもらっているのが北海道津別町のオロネとスハネの2両。
ほぼ原形を保っているがここでも銘板類はずいぶん盗難の憂き目にあっている。
1104津別21世紀の森スハネ16510後尾.jpg

だが鉄道業界の方のご教示により補修用の窓ゴムを入手でき、その作業ができた。
1104津別21世紀の森オロネ10502側ゴム交換後.jpg

車両保存を今後も進めていくには世代交代も必要で、さてそれ上手くいくかが我々の大きな任務なのかもしれない。

最後に鉄道ファン諸氏へ。
クラウドファンディングの登場により、「口だけ出す」から「口もカネも出す」になったのは良いとして
もうひとつ、「カラダ」も出してほしい。
そして保存車の部品を盗むなどという恥ずかしい行為をしないで欲しい。
切なる願いだ。

posted by こう@電車おやじ at 23:48| Comment(0) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月02日

名鉄、SR・OR系

パノラマカー登場以前の特急・急行用、5000系からSuperRomanceCar→SR車と呼ばれるようになった系列だが、パノラマカー登場後はパノラマ―も同じSRながらも、どうしても後塵を拝するイメージのあった系列を纏めてみたいと思う。
僕が名鉄を撮り始めたのは昭和51年からで。SRの前段階のロマンスカー、のちにOR系と呼ばれた彼らもまだ元気に走っていたし、新車なのにOR系とされてしまったパノラマカーと同じ車体を持つ7300系も元気だった。
写真は太田川駅で3400系と5000系の並び、向こうには6500系の姿も見える。
新旧の流線形デザインの饗宴だ。
名鉄太田川5000・3400・6500並び.JPG

名鉄は愛知電鉄と名岐鉄道の合併で誕生した大手私鉄だが、そのうち愛知電鉄の車両デザインの流れが今に至っているように思える。
写真は太田川だと思うが、旧型電車の4両編成、名鉄になってからの登場だが均整のとれた愛電デザインの3600系と、戦後の規格型電車で、どちらかというと名岐のデザインの流れをくむ3800系の組み合わせだ。
名鉄太田川3600.JPG

戦前の名車、流線形3400系もまだ優等種別に活躍していた。
「高速」という列車種別が出来たばかりの頃、神宮前にて御嵩行き高速、今やワンマン2連しか走らない御嵩へ、特急一般席に相当する「高速」が頻繁に走っていたのだから思えば隔世の感もある。
名鉄高速_2403神宮前.jpg

太田川にて。
名鉄太田川3403.JPG

駅に停車中の様子。
名鉄太田川2403.JPG

椋岡での3850系、昭和26年製造の名鉄復興の象徴ともいえる特急車。
ただ、ボックス式の固定クロスは名鉄の社風には合わなかった気がする。
名鉄椋岡2858.JPG

新岐阜にて3900系、なかなかカッコいい旧型電車だった
名鉄3901.jpg

昭和30年に颯爽と登場した5000系、カルダン駆動に転換クロスを装備、新型電車ブームにはやや遅れたが抜群のデザインセンス、そして小型電動機によるオールM、丸っこい流線形は、当時大流行りの国鉄湘南型とはまた違った好デザイン。
この系列からSuperRomanceCar、SR車という言葉が使われるようになった。
名鉄5000神宮前.jpg

名電山中付近、5000系のサイド。
名鉄5000名電山中.jpg

太田川での5002。
名鉄太田川5002.JPG

知立にて。
名鉄5000_2.jpg

5000系の車内、簡素な転換クロス、座席の向きを変えると背もたれ同士が接触しているという面白さもあった。
名鉄5006車内.JPG

5200系、昭和32年、5000系を正面貫通式にして、サイドにはサッシュレスの下降窓が二枚一組で並ぶ。
実に国鉄東海形クハに先駆けてパノラマミックウィンドウを採用、二連サッシュレスの窓は国鉄サロ152よりずっと早いという意欲的なデザインだ。
下降窓が健在な原形、中間車は5000系ように増備された5150形で車体断面が大きく違う。
知立で。
名鉄5200原型知立後追い.JPG

知立に入線する原形。
名鉄知立5200未更新.JPG

神宮前にて急行。
名鉄神宮前5200.JPG

国鉄サロの先駆けとなった下降窓だが車体腐蝕への対策として二段式窓への変更が行われた。
国府宮にて。
名鉄5212国府宮高速.JPG

国鉄サロはこの実績をもとに二段窓化されたとされるが、国鉄は元のままの窓部にそのままユニット窓をはめ込んだのに対し、名鉄では窓の開口部寸法を維持したため、やや大きめの窓となった。
新岐阜で。
名鉄5200更新新岐阜.JPG

こちらは今伊勢、丸っこい屋根形状がこの系列の特徴かもしれない。
名鉄5200更新今伊勢.JPG

事故で破損した正面を高運転台に改造した5202を最後尾に行く・・東笠松にて。
名鉄東笠松5200更新後高運.JPG

5500系、昭和34年に登場した戦後日本初の大衆冷房電車、戦前には南海に事例があるがあくまでも試作的なものであり、通勤冷房電車としては本邦初と言っても良いだろう。
しかも、冷房車の換気に、国鉄は自然通風式を設置したにとどまるが、当初から強制換気装置を設置していたことは特筆に値する。
デザインも5200系をさらに近代的にしたもので、今見ても決して古くはない。
だが、当時の名鉄で伝説になっている白井昭氏と社長の土川元夫氏にとって満足できる車両ではなかったらしい。
「エレガントさがない、夢も希望もない」とまで白井氏は酷評したとされる。
写真は豊川橋梁。
名鉄5500船町アップ.JPG

名電山中。
舞木名鉄5500流し.JPG

犬山橋。
雨犬山名鉄5500.jpg

新岐阜にて2連の特急・・ドアが開いているので当時は2連の本線特急があったという事なのだろうか。。
S51名鉄新岐阜地上5500特急.JPG

この系列にも車体復旧の際に高運転台化された車両がある。
5509、本笠寺。
名鉄5500高運本笠寺2002 (2).jpg

晩年は5300系と組んで運用されることもあった。
乙川橋梁。
名鉄岡崎5500系+5300系.jpg

また、7000系パノラマカーとも性能的には同じであり、稀に7000系編成に組み込まれることもあった。
写真は木曽川橋梁で、パノラマカー更新工事に際し入場中の車両の代わりに連結されたもの。
なお、7000系側は両開き扉の7100形だ。
名鉄7100・5500木曽川.jpg

このあと、SR登場以後はORと呼ばれていた3850・3900・3400系に仲間が登場する。
パノラマカー、7000系7500系の登場後、7000系の車体に3800系800系の機器を組み合わせて登場した7300系で昭和41年からとなる。
支線特急へも使えるように、座席指定もできるようにとデラックスな車体更新車の登場だ。
神宮前にて。
名鉄7300神宮前.jpg

犬山橋で。
名鉄犬山橋7300系.JPG

犬山で5700系と並ぶ急行。
永哲犬山5700・7300急行夜景.JPG

7300系の車内、パノラマカーと同じデザインのはずだが、蛍光灯カバーは外され、座席が一列撤去されるなど、ややうらぶれた感があった
名鉄7153車内.JPG

僕が初めて撮影した名鉄電車は実はこの系列だ。
修学旅行新幹線の車内から、栄生付近。
S51新幹線から名鉄7300.JPG

ついでに言うとその十数分後、豊橋で5000系5200系の連結部を撮影している。
S51豊橋駅新幹線から名鉄5000・5200.JPG

パノラマカーが絶世の美女あるいはスーパーイケメン俳優だとしたら、彼ら初期SR車の面々は、渋さをもった味のあるわき役と言えようか。
私鉄電車らしい風貌と、せわしなく揺れながら突っ走るあの雰囲気はパンラマカーとはまた違った魅力にあふれていた。
これに岐阜地区の600V線区も健在だったのだから、当時の僕が名鉄に嵌まり込んだのも、今思っても十分理解できるのだ。

発車する豊橋行き急行。
もはや今の名鉄に彼らの血筋は絶えて存在しない。
名鉄知立5500急行.JPG
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2024年10月20日

地元、神戸・播磨での機関車(その3)EF66・EF200以降

昭和の国鉄、最大出力機と言えばEF66だ。
F662、ワタシが撮影したEF66最若番機、このあと901号機とも出会うがトップナンバーとは出会えず。
宝殿駅東側にて。
EF662宝殿 (2).jpg

EF669、宝殿駅通過中。
EF669宝殿.jpg

EF6611、宝殿駅下り列車。
宝殿下り通過EF6611.jpg

EF6615、宝殿・曽根間、法華山谷川。
宝殿EF6615.JPG

EF6619、これも宝殿駅。
宝殿EF6619.jpg

EF6622、ヒサシの付いた二次型、加古川・宝殿間、遠くに川西小学校の円形校舎が見える。
宝殿EF6622.jpg

EF6623、宝殿駅通過中の下り。
EF6623宝殿.jpg

EF6625、宝殿駅上り列車、西神吉の山々が見える。
ef6625宝殿.jpg

EF6626、加古川・宝殿間、すでに線路際に家が立ち並んでいる。
EF6626宝殿 (2).JPG

EF6627、須磨・塩屋間、最後まで原形を維持した人気機の当時の姿。
EF6627須磨原形 (2).jpg

EF6630、宝殿・曽根間法華山谷川。
EF6630原形宝殿.jpg

EF6637、加古川橋梁、珍しく一般貨物列車を牽く。
EF6637ワム貨物加古川.jpg

EF66901、宝殿駅。
EF66901宝殿.JPG

JR化後、EF66の中には一時期、白っぽい塗装を纏ったものがあった。
EF6612、須磨・塩屋間。
2006須磨Ef6612.JPG

EF6610、須磨・塩屋間。
2006須磨EF6610.JPG

だがこの色合いは似合わず、27号機以外は青の面積が大きい、国鉄時代に似た雰囲気の塗装に改められている。
EF6621、舞子駅。
0403舞子EF6621a.JPG

EF6630、大蔵谷駅。
1220大蔵谷EF6630・1.JPG

同機、垂水駅。
0302垂水EF6630.JPG

EF6633、大雨の須磨駅。
0908須磨EF6633.JPG

EF6636、大蔵谷駅。
0519大蔵谷EF6636.JPG

JR化後、高速貨物の運転が不可欠なJR貨物は、取り敢えずEF66を追加増備した。
ただし形態はよりスマートにリファインされた。

EF66101, 朝霧駅。
1229朝霧6688レEF66101.JPG

同機、舞子駅で。
0910舞子EF66101・225.JPG

EF66105が次位に無動力回送EF66119を繋いで走る。
大蔵谷駅。
0223大蔵谷EF66105・EF66119B.JPG

EF66109、垂水駅。
0916垂水EF66109.JPG

EF66110、大蔵谷駅。
0417大蔵谷EF66110.JPG

EF66111、元町駅近く。
1110元町EF66111.JPG

EF66120、大蔵谷駅。
0428大蔵谷EF66120.JPG

EF66129、加古川駅、高架化成った加古川駅からは高御位山がよく見える。
0710加古川EF66129.JPG

JR貨物も新時代の機関車、EF200を開発、EF66をはるかに凌駕した高性能機で理想に燃え、理想を追求した機関車だ。
まだ登場時の塗装を纏っていた頃。
EF200-15 、大蔵谷駅。
EF200-15.200610.jpg

EF200-16、須磨・塩屋間。
EF200-16suma.jpg

EF200-12、朝霧駅。
EF200-12.200512.jpg

塗装は後にややサイド面が濃くなって良く似合っていた。
EF200-901 、垂水駅。
0624垂水EF200-901a.jpg

同機、宝殿駅。
EF200-901.jpg

EF200-2、舞子駅。
0403舞子EF200-2.JPG

EF200-4、大蔵谷駅。
0910大蔵谷EF200-4.JPG

EF200-6、塩屋駅。
0204塩屋EF200-6.JPG

EF200-7、大蔵谷駅、次位にHD200を無動力でつないでいる。
1229大蔵谷EF200-7B.JPG

EF200-19の正面。
0425垂水EF200-19.JPG

EF200-20 、大蔵谷駅。
0423-3大蔵谷EF200-20.JPG

EF200はあまりにも特殊な設計故、また高性能すぎて電力設備に与える影響が大きく(これにはJR西の変電所設備強化策が中止になったことも絡んでいる)EF66より先に姿を消すことになった。
最先端のデザインは今見ても惚れ惚れするが、佳人薄命の類だろうか。
EF200-10 、舞子駅で。
1209舞子Ef200-10.JPG

EF64、その中でも国鉄時代末期に製造された1000番台が伯備線で運用されているが、一時期、部内用の配給列車などで地元で顔を見せてくれることがあった。
EF641012単機、六甲道駅にて。
0210六甲道EF641012.JPG

EF641023、大蔵谷駅。
EF641023大蔵谷.jpg

EF641049、垂水駅。
1118垂水EF641049.JPG

最終の全般検査で国鉄色に戻された機関車があった。
EF641014、大蔵谷駅。
ef641014大蔵谷.jpg

EF510、まさかと思わせる運用、北陸線貨物機EF510が岡山まで直通運転するようになった。
地元で見られる交直流機は久しぶりだった
EF510-10、塩屋駅近くで。
0609塩屋Ef510-11.JPG

ブルトレ牽引機だった青塗装の機関車も来るように・・・
EF510-513、須磨。塩屋間で。
0618須磨EF510-513.JPG

「カシオペア」専用機までが仲間入りする。
EF510-509 、大蔵谷駅。
0827大蔵谷EF510-509・1.JPG

EF510-1、このタイプには試作機がないがトッポナンバーが量産試作機でややほかの機関車とは違う。
明石・西明石間にて。
0605和阪EF510-1.JPG

DD51、国鉄時代にはこの区間でDLを見ることは珍しかったように思う。
いまや臨時列車や配給、工臨などで結構姿を見かけるようになった。
いずれもJR西所属だ。
工臨牽引のDD511191がEF210と出会う。
大蔵谷駅。
0423-13大蔵谷DD511191・EF210.jpg

同機、サロンカーなにわを牽引し夕陽を浴びる。
大蔵谷駅。
0513大蔵谷DD511191 ・サロンカーなにわ2.JPG

DD511192・1183による重連工臨。
東垂水駅。
072206東垂水DD511192・DD511183 .JPG

DE10、本来、此処を走るべき性能は有していないが、加古川線などへの工臨で稀に見ることができる。
DE101118、西所属機だ。
加古川線工臨。
0117大蔵谷De101118.JPG

EF81、北陸路の機関車だが稀に臨時などを牽いてやってくることがあった。
EF81108、須磨・塩屋間。
EF81108須磨.jpg

EF81113、須磨・塩屋間。
トワイライト色の機関車が当地を走ったのは極めて珍しい。
12系団臨EF81須磨.jpg

貨物機EF81735,、ごく短期間、EF81が日常に入ってくるようになったことがあった。
明石駅にて。
EF81735明石.jpg

EF210、この機関車についてはまだ思い出として語るレベルに達していないだろうとは思う。
EF200の「やり過ぎ」を修正した万能機と言われ今現在も増備が続く。
塩屋での試作機、EF210-901。
0613塩屋EF210-901.JPG

トップナンバーEF210-1 、垂水駅で。
0423-5大蔵谷EF210-1.JPG

企業としては機関車などは性能を統一、できれば部品も可能な限り統一するのが望ましいだろう。
それゆえ、EF210が増殖を続け、そのほかの機関車は少なくなる。
EF66国鉄型消え、100台も残り少ない。
JR西においても工臨などは機関車ではないものを見据えているようだ。

国鉄色を最後まで維持したEF6627号機。
0717垂水EF6627_02.JPG

最後に海を背景に、舞子・朝霧間でEF6627を。
0623大歳山EF6627.JPG
posted by こう@電車おやじ at 23:47| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年10月12日

地元、神戸・播磨での機関車(その2)EF60~EF65。

国鉄ではすべての車両に「新系列・旧系列」という考え方があるが、電気機関車ではEF60以降が新系列とされていた。
小型軽量大出力の電動機を搭載、EH10 に近い大出力機関車がEF60だ。
従輪を持たず、F級だが車体はEF58やEH10よりは随分コンパクトだ。

一回だけ撮れたEF60 トップナンバー。
加古川駅で。
S51加古川EF601.JPG

クイル駆動の一時量産機、EF606。
法華山谷川にて。
EF606.jpg

宝殿駅側線、高砂工場への入場車両を牽引するEF608、この初期型は当時はこういった部内用の運用につくことが多かった。
後ろはスハ14、オハネフ12、キハ20あたりだろうか。
ef608宝殿.jpg

こちらは同じ高砂工場入場車両牽引でも宝殿を通過していくEF6059 、三次量産機だ。
宝殿EF6059.jpg

その列車の後追いだろうか、EF60同士が離合する。
キハ35が目立つ。
宝殿EF60+キハ35.下り貨物離合.jpg

EF6042 、二次量産機で、ここでクイル駆動を諦め、ツリカケ式に戻った。
宝殿EF6042.JPG

EF6040、夢前川橋梁。
国鉄夢前川EF6040.JPG

EF6018 、宝殿駅構内。
橋梁部材の輸送中だろうか。
宝殿EF6018.jpg

EF60115、法華山谷川にて。
EF60の最終形態、5次量産機、たくさんやってくるEF65一般形との区別がつかなかった。
宝殿西EF60115.JPG

EF61形、EF60 をベースに旅客用とした機関車で、本来はEF58の後継機として想定されていた。
しかし、地元ではEF58は特急牽引を譲らず、したがってEF61の特急牽引を見たことがない。

正面はEF60 初期量産型、側面はEF60最終形態でなぜかカッコよく思えたものだが、なにせ両数18両と少なく出会うことがほとんどなかった。
法華山谷川、EF612、荷物列車を牽引。
EF61-2法華川橋梁.JPG

EF612の側面、法華山谷川。
宝殿西EF612サイド.JPG

貨物列車を牽引して宝殿を通過するEF615。
EF615宝殿.jpg

EF65、とにかく両数が多く、うじゃうじゃいる感じだった。
今でいえばEF210に相当するだろうか。
一般形から。
EF65はEF60後期と比してあまり変化なく、制御装置が変更されたことは、外からは見えない。
それならEF60各種は変化が激しく、そこで形式の変更なく、EF65で形式の変更があったのが個人的には謎でもある。

EF65一般形。
姫路で初期量産機、EF652。
EF65には試作機というものがなく、いきなり量産に入っている。
ところが制御機の故障が相次ぎ、かなり大規模な設計変更と既存機の改造を行った吉。
姫路Ef652.JPG

EF6598、宝殿駅にて。
宝殿EF6598.jpg

EF65108 、加古川土手を駆け上がる。
宝殿日本毛織横EF65108.jpg

EF65122、宝殿駅にて。
宝殿EF65122.jpg

EF65132、東加古川・加古川間。
野口EF65132.jpg

EF65-500番台、旅客用P型と貨物用F型があるが、なぜか番号は続きで特に区別はしていない。
所属区が異なるから特に問題もなかったのだろうか。
宝殿の名勝、石の宝殿を背景に走るEF65500台、517と読めるように思える。
宝殿EF65500F.jpg

東京への寝台列車「富士」を牽引して深夜の宝殿駅を通過するEF65512。
とにかくカッコよく思えた機関車だが、関西では本当に見ることが稀だった。
宝殿駅富士Ef65512.jpg

EF65-1000番台、旅客にも貨物にも使えるオールマイティ、EF65の最終形態で今現在も活躍する。
この機関車もめったに見ることはなく、むしろいま現在のほうが良く見ているのかもしれない。
東加古川・加古川間EF651001。
今も保存されている機関車だ。
宝殿EF651001.JPG

サロンカーなにわを牽引するEF651125 、東加古川・加古川間。
加古川野口EF651125サロンカーなにわ.jpg

加古川橋梁、特急「あかつき」を牽引するEF65PF、番号不明。
この頃になると、EF58 は順次退役し、EF65PFが寝台特急を牽引していた。
国鉄出会いEF65あかつき、EF66加古川.jpg

14系リゾート客車を牽引して垂水駅を通過するEF651125。
垂水駅EF651125.jpg

鷹取で検査した「ゆうゆうサロン」客車を牽引するEF651131、朝霧付近。
EF651131朝霧.jpg

寝台特急「なは」を牽引するEF651093、塩屋付近。
塩屋EF651093なは.JPG

塩屋にてJR貨物標準色のEF652068(旧EF651068)
0702塩屋EF652068.JPG

JR貨物はEF65最終の全般検査で塗装を国鉄時代のものに戻した。
やはり国鉄時代の塗色は見ていて力強さ、風格がある。
朝霧にて、EF652068の塗装復帰後の姿。
0527狩口EF652068・2.JPG

「特別なトワイライト」を牽引するEF651132。
大蔵谷駅で。
EF651132トワイライト大蔵谷.jpg

国鉄荷物列車の極最晩年、老朽化したFE58をEF62に置き換えた。
信州の山から下りてきた機関車が平坦路線を走る・・
宝殿駅を通過するEF6229。
宝殿EF6229.JPG

EF66、EF200以降はまた次回の機会に。
posted by こう@電車おやじ at 23:12| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする