2019年07月14日

神戸電鉄・山陽電鉄の旧塗装復活に思う。

昨年は神戸電鉄で、本年は山陽電鉄で、旧塗装電車が復活した。
いずれも昭和30年代から50年代にかけての、ツートンカラーの塗分けだ。

まず登場したのが神戸電鉄「メモリアルトレイン」1151F・・
1012長田神鉄1151下り.JPG

かつての旧型車の色合いだという。
ただ、この色合い、現在記憶に残っている人が非常に少なく、僕の脳裏でもごくわずか、幼少期の思い出の中に、こんな美しい色合いではなくかすれたような色合いで顔を出す程度、神戸電鉄ではすでに当時の調色を覚えておられる人もいないことから、あらためてデザインされたそうだ。

その次が神戸電鉄の「メモリアルトレイン第二段」1357F、グレー地に窓回りをオレンジとした僕にとっては非常に懐かしい色合いだ。
今でもこの色合いこそが神戸電鉄のイメージだととらえる人が多く、デビュー時には感極まって泣き出す人もいたという。
1012長田神鉄1357カーブ.JPG

神戸電鉄「メモリアルトレイン」の二つの編成が快走し、沿線住民やファンの心をとらえて離さない中、ついに山陽電鉄でも復活塗装電車が登場した。
かつて「ネイビーブルーとクリームイエロー」と呼ばれ、戦後復興期に820形で採用、実に国鉄80系の湘南色より2年も早く、戦時色を脱し、沿線住民に希望をもたらした塗装だ。
0711塩屋山陽3030.JPG

山陽電鉄では社内にこの復刻塗装推進派、反対派があり、これまでも何度も企画されながら実現できなかったとのこと。
今回は未更新・原形を維持する3000系の最終全般検査ということで、ようやく日の目を見たそうだ。

これら復刻塗装電車はいずれも大変美しく、また、色合いに深みが感じられる。
関係者に伺うと、やはり塗料の進化というものがあり、それが見事に反映されているとのこと、嬉しい限りだ。

さてそこで少し、思い出を・・
神鉄1151・・
復刻前の様子を・・・
神戸電鉄鋼製車の現塗装は、この一つ前、二つ前の塗装のイメージに近いイメージでデザインされ、元々あまり違和感がない。
車体幅の狭い1000系列のデザイン上の弱点を隠す意味もあったのかもしれず、現塗装では安定感がある。
藍那にて・・
0630神戸電鉄1152藍那.jpg

鈴蘭台へ入線。
0316鈴蘭台神鉄1151.JPG

鵯越、50パーミル勾配票とともに・・
神鉄1152勾配票鵯越.jpg

こちらは1357Fの現行塗装時代。
工事中の鈴蘭台。
1011鈴蘭台神鉄1357.JPG

長田にて・・・
0818長田1357準急.jpg

丸山にて・・
0210丸山神鉄1360.JPG

鵯越・・都心近いところが最も山深く感じる、神戸電鉄の妙でもある。
0506神鉄鵯越1360.JPG

古い写真では、この2編成がきちん写ったのを未だ発見できず、30年以上前の様子は別の編成の写真で・・

まずこちら、沿線にかつて在住され、今も熱烈な神鉄ファンであり、大学教授である岡田氏の撮影に僕が着色した写真だ。
増結用に相模鉄道から購入したクハ131形だ。
僕の幼少期のこの塗装の思い出というのはまさにこの写真のイメージに相当する。
岡田先生神鉄クハ着色.jpg

箕谷を行く1109F・・裾に赤帯が入る。
現塗装のひとつ前の塗装がこちらで、裾に赤帯を入れたことで、この系列の顔の細さをカバーし安定したイメージとなる、好きな塗装デザインだ。
1109神戸電鉄中間カラー.jpg

こちらは谷上での800系、ツリカケ車だが車体は310系と同じものだった。
最も長く続いた神鉄標準塗装だ。
神戸電鉄802谷上カラー.jpg

山陽電鉄は今も昔も僕にとっては地元の電車で、今の3030F、かつての様子がたくさん残っている。
まず現行塗装の様子を少し・・
大蔵谷駅での3615。
山陽3615最新大蔵谷.jpg

垂水での3030・・・
山陽3030最近垂水.jpg

震災直前、板宿を行く3615・・
S62山陽3615板宿.JPG

かつての標準色、ネイビーブルーとクリームイエローの時代の同編成を・・

姫路駅の3630、入線の様子。
昭和51年頃か・・・
先頭クハに幌がついている。
撮影した時は気にも留めなかったが、あらためて見るとなかなか衝撃的だ。
山陽3615姫路1976.JPG

高速神戸駅での3030。
僕のイメージする山陽電車と言えばこの雰囲気だ。
山陽3030旧色高速神戸.JPG

加古川を渡る3615、2両目に2000系をサハ化した3555を連結している。
山陽3615・3555・3031・3030旧色加古川.jpg

須磨浦公園での3615。
山陽3615須磨浦旧色.jpg

林崎付近。
山陽3030旧色林崎.JPG

復刻塗装と言われる塗装に、この昭和後半の年代のものが多いのは、これは、我々高度経済成長期に生を受けた世代のそろそろ社会的な引退時期であるということと無縁ではないように思える。
鉄道会社の幹部にもかつての色合い、かつてのイメージに思いを馳せ、その姿よもう一度と思う人も多いのだろうし、沿線住民や鉄道ファンが懐かしく受け止めるのも、つまりは、まもなく老成の時期を迎える人たちが青春の頃を懐かしんでくれるというのが大きいのだろうと思う。

かくいう僕も、まさにその一人で、かつて、この両電鉄の沿線で生活し、そこで人生の様々な出来事を経験してきた身としては、、復刻塗装電車はまさに自らの青春を思い起こさせる、自分というものにある意味では今あることの意義を思わせるものであることに間違いはない。

電車は生活の背景である。
決して一部鉄道ファンだけのものではない。
復刻塗装を企画してくれた鉄道会社の幹部たちの思いはまさに、「私たちは沿線の皆様と一緒に歩いてきました」ということの宣言でもあるのだろう。

両社の関係者に伺うと、企画した、あるいはこの作業をした社員が、出来上がった車両を見て涙を流すという。
沿線住民もまさに、涙を流す人が大勢あるのだろう。

鉄道会社と沿線住民の心を改めて繋ぎなおすのが、復刻塗装電車の意義かもしれない。

では、快調に走る復刻塗装電車の様子を・・
神鉄1151Fから・・
小野市垂井にて・・
0919垂井神鉄1151.JPG

加古川を渡る・・
0919粟生加古川橋梁神鉄1151.JPG

鈴蘭台で待機中・・・
0518鈴蘭台神鉄1152.JPG

昨夏のイベントで、メモリアルトレインの並び。
0722道場南口神鉄1357・1151.JPG

偶然、長田での並び。
1012長田神鉄1360・1152・1.JPG

1357F・・木幡にて・・
神鉄1360サイド.jpg


鈴蘭台車庫付近。
0922鈴蘭台車庫前神鉄1357.JPG

二郎にて・・・
0315二郎神鉄1360メモリアル.JPG

復刻塗装電車は沿線の緑によく映える・・・
山陽3030F・・
八家付近。
0713八家山陽3615.JPG

こちらも八家で・・昨日撮影したばかりだ。
0713八家山陽3615上り.JPG

大蔵谷・・
先頭は3615・・
0713大蔵谷山陽3615.JPG

塩屋にて3615後追い・・
0711塩屋山陽3615.JPG

垂水にて、背景に明石海峡大橋の橋桁が写る。
0713垂水山陽3030.JPG

最後に加古川橋梁にて・・・
こうしてみると、僕は子供のころから同じところで写真を撮影していることに気が付く。
そういう気づきがまた復刻塗装電車たるゆえんかもしれない。
0705加古川橋梁山陽3030復元色2.JPG
posted by こう@電車おやじ at 07:57| Comment(1) | 私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月11日

山陽新幹線への憧れ

昭和48年4月、わが家族は大阪から加古川市に転居、それは父の転職によるものだった。
そのとき、荷物と一緒に先行した父以外の大家族は山陽電車、電鉄別府駅で下車、電車を下りた途端、目の前を山陽新幹線の列車が派手にパンタグラフからスパークを飛ばして、突っ走っていった。

中学生になったばかりの僕の目には、驚愕の風景だったのは間違いがない。

新幹線そのものは、わが父方の家系が関東方面に縁が深く、幼少の頃より何度も乗車しているが、沿線で走っている姿を、それも間近で見たのは初めてだったのだ。
その電鉄別府駅での新幹線列車、これはその後、10年ほど後の撮影だ。
別府0系.JPG

当時の新幹線電車(まだ0系という系列名はなかった)は16連でパンタグラフを8基上げて、走行音もそうだが、パンタグラフの騒音、また派手なスパークとともに発生する誘導障害が大きな問題になっていた。
別府0系2.JPG

当時は新幹線と言えば、同じ系列しかない時代、国鉄入社後も新幹線には電車のような〇〇〇系という呼び名がないことが不思議だった。
ただ現場は形式で呼んでおり、26形とか37形で十分だったのだろう。
鉄道ファン誌では「000系」と記されていたが浸透はしていなかったように思う。
西明石駅で名古屋へ電車を見に一人旅した時のスナップ。
こだま国鉄0系西明石.JPG

自転車で加古川橋梁を見に行き、まともに新幹線を撮影した初めてのカット。
0系加古川.jpg

これ以降、いまだに僕は加古川橋梁には撮影に出かけていて、ここに来る度、自分が歳をとっても変わらないことに、我ながら呆れたりもする。
当時の中学生鉄道ファンのお目当ては「特急」か「機関車」だったから、時に新幹線も撮影する僕は、仲間内でも相当変わった者とみられていたようだ。
同じ形しか来ない新幹線はそれほど、鉄道ファンには人気がなかった。
0系顔加古川橋梁東.JPG

背景は飯盛山、低い山だが当時から望遠で遠近感を圧縮すればまるですぐ、うしろにあるかのように見えるのが好きだった。
0系サイド飯盛山背景.JPG

後尾、こうしてみると当時の新幹線はやはりかっこいい。
0系サイド飯盛山背景2.JPG

高御位山を背景に新幹線が行く。
加古川橋梁0系高御位山0系.JPG

100系が登場して、初代の新幹線電車も「0系」と呼ばれるようになった。
加古川橋梁は空が広く、新幹線車両の車体色とマッチした写真が撮れるので好きだった。
この頃から、自分以外に新幹線を撮影する人に出会うことが増えた。

100系が出会う。
加古川橋梁新幹線100系出会い3.JPG

ちょうど片方のダブルデッカーの部分に片方の先頭車が来た。
抜群のタイミングだ。
100系出会い加古川.jpg

もうこうなると列車の写真というより空の写真だと自分で苦笑する。
しかし、この100系の出会いを撮影できたことは写真を趣味としていくことに大きな励みとなったのも確かだ。
加古川橋梁新幹線100系出会いサイド.jpg

「グランドひかり」と呼ばれる豪華な編成も登場した。
グランドひかり100系16連加古川橋梁.JPG

その中間車、ダブルデッカー4連、JRがまだ、新幹線にも旅を楽しんでもらう工夫をしていた頃だ。
グランドひかり100系中間車.JPG

0系にも「ウェストひかり」が登場した。
当初は6連で、のちに12連も登場した。
ウェストひかり0系12連加古川橋梁.JPG

反面、山陽区間の「こだま」は6連のものも登場した。
加古川橋梁新幹線0系6連.JPG

サイド・・
加古川橋梁新幹線0系サイド下り側.JPG

100系が走る、背景は当地の名所、石の宝殿だ。
100系加古川橋梁東石の宝殿背景.JPG

100系のハイデッカー、これは通常の編成だ。
100系秋加古川中間車.jpg

新幹線にさらに新型が登場した。
300系とのことだ。
当初はこの系列のために登場した、「のぞみ」に使われた。
加古川300系16連.jpg

0系から100系への進化はよくわかるが、この300系は山陽区間では何となく影が薄い。
300系横顔加古川.jpg

加古川でのサイド。
山陽新幹線300_4.jpg

これは岡山での撮影だ。
新幹線300東岡山.JPG

ずっとのち、今の地元、長坂での撮影。
300系長坂.JPG

こちらは後継に「のぞみ」を譲り、「ひかり」で運用される様子。
西明石。
300系西明石.JPG

山陽新幹線と言えば、なんといっても500系だろう。
革新的なスタイルはまさに速さの象徴だ。
登場間もないころ、加古川で見た姿にはしびれた。
新幹線500系加古川.jpg

サイドビューはことのほか美しい。
のぞみ500系サイド加古川.jpg

当時は2時間毎に「のぞみ」で走っていたかと思う。
500系のぞみ加古川橋梁1.JPG

西明石駅にて、500系が0系を追い抜く。
新幹線500・0西明石.JPG

500系が300系を追い抜く。
西明石500系のぞみ.jpg

500系とさほど変わらずに登場したのが700系、ただスピードは出ないし、500系の陰に隠れて地味な存在に思えた。
鉄道ファン目線で見ると下膨れの可愛い顔、すっきりとした外観は清潔感に溢れ、決して嫌いな車両ではない。
西明石での700系。
0313西明石700系.jpg

地元、長坂でのサイド。
0318長坂700系.JPG

加古川橋梁を行く。
0508加古川橋梁700系下り.JPG

加古川にて16連の700系。
0505加古川橋梁700系16連.JPG

700系レールスター。
当初、「ひかりレールスター」として登場、ウェストひかりを置き換えた。
後に後継のN700系7000番台の登場によりほとんど「こだま」運用となった。
ただ、個人的には700系はシンプルな方が美しく感じる。
夕陽を浴びて加古川を渡る。
0302B加古川新幹線700レールスターこだま.JPG

明石川を望むショッピングモールから。
0306明石川700系レールスターこだま.JPG

地元長坂での様子。
0226長坂700レールスター.JPG

923形新幹線電気軌道試験車・・愛称「ドクターイエロー」
700系ベースで開発された高速試験車で、ネット時代になってある程度運行が予測できるようになり、撮影チャンスが増えた。
加古川、飯盛山背景。
0302加古川新幹線8・923D.Y..JPG

夕陽を浴びて走る。
0206加古川橋梁D.Y.1.JPG

西明石駅、先輩の500系と並ぶ。
新幹線で最も人気がある組み合わせだ。
0807西明石上り500系こだま・D.Y..JPG

雨模様の夕方、同じシーンでも印象が変わる。
0117西明石500・D.Y. (4).JPG

N700系。
JR東海が「700」をブランドイメージにしたいそうで、700→N700⇒N700A⇒N700Sと進化、私鉄並みにN700系は770系とすれば分かりやすい・・・かな??
長坂で一瞬の出会い。
長坂N700流し撮り.JPG

西明石で先輩500系を追い抜く、
0313西明石500系N700系二本目.jpg

加古川での一瞬の出会い。
0711加古川4・N700離合.JPG

江井ヶ島にて、風がなく水鏡になった日。
0928・12江井ヶ島N700A水鏡.JPG

N700系7000・8000番台。
九州新幹線開業用で、「みずほ」「さくら」「つばめ」のほか、山陽区間の「ひかり」「こだま」にも使われる。
写真表現するには何とも難しい水色の車体だ。
日没後の江井ヶ島を行く。
20181207江井ヶ島N700さくら.jpg

日没、ずいぶん経過してまもなく夜になるころ、加古川を行く。
まるで夜行列車の趣だ。
1129加古川橋梁N700さくら日没後.JPG

別府で山陽電鉄と並んだ。
0618別府山陽6100・N700.JPG

500系は「こだま」に転用され、JR西としての遊び心が加えられるようになった。
エバンゲリオン塗装。
長坂。
0601長坂EVA500A.JPG

明石川。
0328明石川500EVA1.JPG

新神戸でN700系と500TypeEVAが並ぶ。
500TYPE・EVA、N700新神戸.jpg

ハローキティ。
長坂。
0820長坂ハローキティ500系.JPG

加古川橋梁。
1217加古川橋梁500系下りKitty.JPG

基本的に、僕が新幹線を撮影するのは姫路から新神戸の間の地元が大半だ。
地元の街を駆け抜けるその姿が好きなのかもしれない。

数度、地元以外で撮影したことはあるが、いずれも他の鉄道を訪問する「ついで」で、新幹線のために遠方へ撮影に出かけたことはない。
僕にとって高速で突っ走る新幹線は、あの別府の駅で見た衝撃を今も引きずっていて、それがまたカッコよく感じるのだ。

そして今、一番ハマっているのは、「こだま」で走る500系だ。
編成は短くなったが、なんだか地元のスーパーアイドルのような気がするから不思議だ。

西明石にて。
0313西明石500系到着.jpg

長坂。
0430長坂上り500系.JPG

江井ヶ島。
0928・16江井ヶ島500系下りこだま水鏡後尾.JPG

畑の中を走る・・・
1231南別府500系上り2.JPG

伊川谷の丘の上を走る。
0101500系こだま下り.JPG

夜の西明石にて。
西明石下り500系サイド.jpg

高砂市と加古川市の境に位置する名峰、高御位山を背景に・・
ドクターイエローが行く。
高御位山とD.Y..jpg

500系こだまが行く。
0601加古川橋梁山陽500系上りこだま.JPG

新幹線よ、どうかこれからも速くて安全な、庶民のスターとして活躍してくれることを念じながら。
N700夕景イメージ.jpg
posted by こう@電車おやじ at 23:42| Comment(4) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

府境の京阪電車

府県境付近は、人や物資の交流もぐんと少なくなることから、開発も遅れ、大都市近郊であっても、いつまでも長閑な風景が残っていることもある。
今回は大阪府・京都府の府境(ふざかい)付近での京阪電車の風景を取り上げたい。
撮影時期は昭和55年ごろから58年ごろにかけてだ。

かつての京阪特急は京橋・七条ノンストップであり、中間の駅で下車するには急行以下の種別を使うしかなかった。
それでも、特急に乗れなくても、この場所の風景が好きになり、一時は足しげく通ったものだ。

淀川沿いの花街のあった風情の残る橋本、そこに入る2600系・・・
京阪橋本2816.JPG

春、桜の向こうを走る1900系、古風な外観がこの場所の雰囲気にふさわしい。
京阪橋本1900系と桜.JPG

編成中間と桜・・
京阪橋本1900系中間と桜.JPG

1902を先頭にした普通電車。
京阪橋本1902.JPG

向きを変えて、同じ電車を撮影する。
京阪橋本1902サイド.JPG

1900系も当時は7連で走っていた。
北摂の山を眺めながらかつての特急車が行く。
京阪橋本1900系7連.JPG

1910・・1810系からの改造車だ。
京阪橋本1910.JPG

1925、こちらは「新」1900系。
京阪橋本1925.JPG

2400系が7連で行く。
京阪橋本2200系7連.JPG

府境で3000系特急が出会う。
京阪橋本3000系出会い.JPG

この場所は特急が出会うポイントでもあったようだ。
特急の車内では、ながらく都市部を走ってきた車窓が、穏やかな緑に変化するこの付近の景色にほっと一息をつく乗客があったのだろう。
ホンのひと時、京阪電車のオアシス的な風景で、クロスシートの値打ちも出るというものだ。
京阪橋本3000系出会い2.JPG

3008のサイド。
京阪橋本3008サイド.JPG

2600系が4連で行く。
当時、2000系からの改造が終わったころだろう。
京阪橋本2600系4連.JPG

5000系が行く。
この辺りには場違いに見える日本初のラッシュ対応、多ドア電車・・
京阪橋本5557.JPG

5000系のサイド、角ばった車体、機能本位のデザインがかえって清々しく、気持ちの良いデザインだ。
京阪橋本5605.JPG

5606を先頭に行く5000系。
京阪橋本5606.JPG

カラーポジ原版、実は露出設定を失敗していて、露出オーバーになっていた原版を、画像処理で復元してみた。
北摂の山を背景に5000系が行く。
京阪橋本5000系カラー.JPG

3000系、この5000と3000の両方をほぼ同じ時期に製造した京阪電車の、きめの細やかなサービスは賞賛に値する。
京阪橋本3000系カラー.JPG

3000系特急の出会い。
京阪橋本3000系特急出会い.JPG

1900系、京阪電車の特急車格下げ改造はデザインも優れ、上品な一般電車に仕上がるように思う。
京阪橋本1900系2.JPG

橋本・樟葉間を歩くことが多かった。
樟葉よりの区間で・・・
3012先頭の特急・・画面左は淀川の土手だ。
京阪樟葉3012.JPG

その後ろは3511だった。
京阪樟葉3511.JPG

1900系編成が行く。
京阪樟葉1928.JPG

3513先頭の特急。
京阪樟葉3513.JPG

5000系と1000系が並んだ。
5556と1006だ。
先ごろ、この5556が引退した。
京阪樟葉5556・1006.JPG

樟葉駅ではまだ昇圧前で、登場したばかりの4連の6000系が見られた。
京阪樟葉6051・4連.JPG

今やこの辺りの風景は激変した。
開発業者や自治体には、ある程度は都市圏にあっても、日本独特の田園風景を残す努力をするべきではないかと思うのは、古い人間の妄想にしか過ぎないのだろうか。

春の田圃に少女たちが集まって遊ぶ、その向こうを1900系が行く。
京阪橋本1900系と少女たち.JPG
posted by こう@電車おやじ at 19:23| Comment(4) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

153系ブルーライナー

京阪神の新快速は当初は113系でスタートしたが、昭和47年のダイヤ改正で急行用車両の失業対策の一環として、当時の国鉄では破格の急行用153系による運転に変更された。
この時、湘南色の車体塗装を改め、グレー地にブルーの帯で登場、「ブルーライナー」の愛称も与えられた。
国鉄離れした明るい色合いは評判を呼び、ブルーライナーという言葉もあっという間に広がった。
西明石駅には同名の喫茶店が誕生し、長年にわたって営業を続けた。

このブルーライナーの大評判こそ、今の新快速発展のその原点だ。
新快速を運転するにあたって「特別快速」とせず、「新快速」というネーミングを採用したことも当時としては斬新で、お上の鉄道たる国鉄にしてはずいぶん思い切ったことだったのだが、その専用車両を急行型から転用、明るく斬新な塗装に変更、さらにダイヤは特急並み、まさに当時としては破天荒な列車が登場したわけだ。
写真は昭和51年、須磨駅での撮影だ。
153系ブルーライナー須磨駅.JPG

夢前川を渡る153系、姫路から新快速になるためすでにヘッドマークが用意されている。
国鉄夢前川153系新快速.JPG

姫路駅、美しいサイドのブルーライナーが停車中。
153系ブルーライナー姫路駅Side.JPG

115系電車と並ぶ様子。
153系ブルーライナー姫路駅115系と.JPG

その列車のアップ。
当時の新快速は朝9時から夕方16時台までの運転だった。
この編成は先頭がクハ165で、乗り心地が良く、乗るときは好んで乗ったものだ。
153系ブルーライナー姫路駅停車.JPG

クハ165の車内。
基本的にクハ153と変わりはないオールクロス、デッキ付きだが、座席手すり、天井の造作などに時代の進化を感じたものだ。
急行型車両はエアサス、車内仕切により静かで快適な乗り心地だった。
急行型クハ165車内新快速.jpg

宝殿・曾根間、法華山谷川付近にて。
上りの後追い。
宝殿西153新快速後追い.jpg

上りのアップ。
153系ブルーライナー法華山谷川アップ.JPG

下り列車が貨物と出会う。
153系ブルーライナー法華山谷川東.JPG

宝殿駅構内。
サイドビュー。
153系ブルーライナー宝殿駅Side.JPG


通過する新快速。
低運転台の初期型の軽快感が好きだ。
新快速_153宝殿 (2).jpg

こちらは朝夕の快速運用、ヘッドマークは横棒3本だ。
6連2本、12連で運用されていた。
宝殿153快速クハ165.JPG

その列車の後追い、大窓初期型が美しい。
宝殿153快速低運.JPG

加古川橋梁西側・・築堤上を行く新快速。
153系ブルーライナー7加古川橋梁西側.JPG

加古川橋梁、出会う新快速、一瞬、シャタータイミングがずれた。
153系ブルーライナー加古川橋梁並び.JPG

その列車のアップ。
153系ブルーライナー加古川橋梁アップ.JPG

中間車モハ153-15.
153系ブルーライナー加古川橋梁Side153-15.JPG

加古川駅、上り新快速。
153系大窓新快速加古川.jpg

明石駅、電車線を入線する新快速。
153系ブルーライナー明石駅入線.JPG

こちらは高運転台クハ153-500台。
153系ブルーライナー明石駅アップ.JPG

朝霧、並行する山陽電車の普通電車車内から撮影。
153系ブルーライナーS51朝霧」山電車中から.JPG

須磨海岸、湘南色の原色クハ153。
背景は夏の浜辺だ。
153系ブルーライナー湘南色先頭須磨.JPG

こちらはブルーライナーカラー初期型。
153系ブルーライナー大窓須磨.JPG

松林の合間から新快速を見る。
海2須磨浦公園153系.jpg

昭和53年のダイヤ改正から神戸駅に停車が実現した新快速、まだホームは閑散としている。
153系ブルーライナー神戸駅停車初日S53.JPG

神戸駅、乗客が少しずつ増えてきた。
153系ブルーライナーS53神戸駅.JPG

上牧近く、山崎・高槻間。
153系新快速編成。
153系ブルーライナー上牧編成.JPG

この編成は中間車MM'が湘南色だ。
153系ブルーライナー上牧湘南色中間.JPG

その湘南色・・こちらはクハ165を先頭にした急行「比叡」、遠くに117系新快速が迫るのが見える。
153系クハ165急行比叡.JPG


サイドから・・急行型車両としては非常に秀逸なデザインだったと思う。
153系ブルーライナー上牧サイドアップ.JPG

153系ブルーライナーは昭和47年から55年までのせいぜい8年間、走っただけだ。
この後の117系が震災前後まで19年間、、221系が平生元年から12年まで使われたのを見ても、153系の短命がわかる。
元々東海道・山陽急行で酷使、相当老朽化していたものを転用したのだから当然といえば当然だろうが、それでも関西の153系は昭和33年から22年間使用されただけで廃車となっている。
117系以降の車両が今も存命であることを見れば、その後の国鉄⇒JRの車両が如何に長寿命になったかとも思える。

最後に‥
宝殿駅ホームを通過する新快速。
宝殿153新快速通過.JPG

静かで快適な乗り心地は最新の225系にも決して引けを取らなかったといえば「贔屓の贔屓倒し」だろうか。

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2019年04月10日

名鉄谷汲線今昔

廃止になった名鉄岐阜地区600V線区の中でも特にローカル色が豊かだったのが谷汲線だ。
末期には線内普通が毎時一回走る程度だったが、谷汲山華厳寺は春秋の桜、紅葉の名所でもあり、オンシーズンには新岐阜からの直通急行や忠節からの急行も運転されていた。

沿線は田園地帯で、僕はここを何度か訪れている。、
当時の名鉄は楽しい路線、列車が多く、訪問頻度がさほど多くなかったのが今にして思えば残念だ。

撮影は昭和55年前後だろうか。
新岐阜から直通の急行「いこいの森」号。
先頭はモ523、揖斐・谷上線優等列車用だった半円形電車、こちらはニセスチールと呼ばれた木造電車に鋼板を貼り付けたもの。
名鉄谷汲線523急行.JPG

揖斐・谷汲線急行は必ず510形・520形の2連で運転されていた。
反対向きはモ511、丸窓電車で一種のブームを巻き起こした電車だ。
名鉄谷汲線511急行.JPG

普段は750形が1両で走る線区だが、多客時はさらに楽しい510・520形が入るとあって、喜んで撮影に出かけたものだ。
だが現地で鉄道ファンらしき人に会うことはなかった。

長瀬付近の758、ローカルムードたっぷりの古豪だが、実は初代名古屋鉄道が郊外路線を敷設した際に登場させた都会派の電車だ。
あえて、撮影場所が今でもわかるように、土取り場を背景にした様子だ。
名鉄谷汲線758長瀬.JPG

谷汲駅、今はこの駅の右端部分しか保存されていまい。
名鉄谷汲駅舎.JPG

改札・出札口の風景。
いつ乗っても乗客はそれなりにあった。
名鉄谷汲線改札.JPG

駅に先ほどの急行が停車している。
折り返し新岐阜行き、この列車が運転されると、本揖斐からの列車が黒野止になっていた。
名鉄谷汲線522外から.JPG

こちらは折り返し前側になる511。
名鉄谷汲線511外から.JPG

ホームに停車する522。
名鉄谷汲線522停車中.JPG

750形751号、杉木立の向こうに姿を見せる。
名鉄谷汲線751接近.JPG

構内に入線する。
名鉄谷汲線751入線.JPG

停車している様子…
名鉄谷汲線751停車.JPG

この愛すべき路線は岐阜地区600V線区全廃の前に姿を消した。
線路が姿を形を消したら当たり前だが、名刹谷汲山への参拝は、自家用車を使わない人には厳しくなったことだろう。

先日、やっとこの谷汲駅を再訪することができた。
鉄道があった時代にも、本揖斐へのアクセスに近鉄養老線を使ったことはある。
その時の近鉄バス、結構な本数があったように記憶している。
揖斐近鉄バス.JPG

先日、乗車したこの経路のバス、ただし、谷汲山へ直通する路線だった。
揖斐からは意外に近く、バスで30分弱、本数は多くなく日に数本というのが現状だ。
しかもバスは車両こそ名阪近鉄バスのものだが、運行主体は揖斐川町コミュニティバスということになっている。
運賃は非常に安く設定され、谷汲まで乗っても200円だった。
谷汲双門前(谷汲駅近く)に停車した路線バス。
0401谷汲双門前名阪近鉄バス.JPG

今現在の谷汲駅、駅の大半は建て替えられ、昆虫館になっいる。
0401谷汲駅昆虫館.JPG

こちらが今残る駅舎部分。
0401谷汲駅.JPG

改札口の風景は昔のままだ。
ここに来た瞬間、40年近い歳月が一瞬、すぐこの間のことのように思える。
0401谷汲駅改札.JPG

750形755が留め置かれる。
0401谷汲駅755.JPG

ホーム上屋はあるが、さらに追加して車両保護の上屋が付けられている。
驛が原形ではないが車両を保護するための良心的な設計だ。
この角度、現役時代のそのまんまだ。
0401谷汲駅名鉄755外から2.JPG

電車には片側にスノーブラウも装備されている。
0401谷汲駅755すのーぶらう.JPG

755の車内・・・
ここに入って、昔の谷汲を知る友と語り合いたいものだ。
0401谷汲駅755車内.JPG

もう一両、ツートンに復元された514が保存されている。
0401谷汲駅514.JPG

半円形正面・・・
塗装が少し傷んではいるが、全体的には非常に良好な保存車だ。
0401谷汲駅514南向き正面.JPG

丸窓電車の愛称の由来・・・戸袋の丸窓。
0401谷汲駅514丸窓.JPG

駅名標と514・・
0401谷汲駅514と駅名標.JPG

車内、転換クロス、僕が岐阜に頻繁に来ていた頃は、シートモケットは赤か緑だったように記憶する。
0401谷汲駅514車内.JPG

桜にはまだ数日、早かったようだ。
だが、ここでのんびりするこの車両が何と幸せに見えることか。
0401谷汲駅514さくら.JPG

755を外から眺める・・・
0401谷汲駅755外から.JPG

514と755・・
すでにここに停まって何年がたつのだろうか。
0401谷汲駅514・755.JPG

構内の廃線跡、上の写真で751が入構してきたところだ。
0401谷汲駅廃線跡.JPG

1時間少々ここにいて、谷汲口へのバスに乗った。
こちらは僅か10分弱の所要時間だが、本数は少ない。
揖斐川町コミュニティバスが主体の名阪近鉄バスによる運行だ。
かつて名鉄の勢力圏だった谷汲に、名鉄系岐阜バスは、日に一度だけやってくる。
かつて新岐阜から直通で来た谷汲は今は公共交通としてはコミュバスがわずかに残るだけになってしまっている。

バスは廃線跡に沿い、かの土取場付近も通り、谷汲口駅へ向かった。
乗客は10人ほどで、桜のシーズンだからか案外多い。
谷汲口駅に着いたバス。
0401谷汲口駅名阪近鉄バス.JPG

樽見鉄道開業直後も僕はここに来ていたようだ。
その時の写真が残っている。
谷汲口樽見鉄道レールバス.JPG

今の谷汲口駅・・・
樽見鉄道と自治体により植樹が進められ、ここは桜の名所になった。
ゆっくりと軽快気動車がやってくる。
0401谷汲口樽見鉄道と桜.JPG

最後に、谷汲にいるモ514、その現役当時の写真・・・
場所は多分、長瀬・谷汲間だろうか。
名鉄谷汲線514.JPG

posted by こう@電車おやじ at 23:17| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする