2018年12月05日

「サロンカーなにわ」に乗った。

先月11月11日、友人たちから誘っていただき、「サロンカーなにわ」貸切りの「HappyTrain白馬」なるイベント列車に乗せてもらった。
僕はここ最近の旅行の大半は青春18きっぷ利用の鈍行旅行だが、改造35年目の「サロンカーなにわ」は僕にとって数年ぶりのJR特急への乗車という意味合いもある。

最近では自分でもイベント列車のお手伝いをさせていただいたり、お誘いをいただくことが増えたが、それらはすべて私鉄であり、JRのイベント列車というのはかつて写真屋時代に頻繁に乗った修学旅行団体専用列車以来ともなる。
「白馬」と銘打ってはいても、今のご時世でJR西の列車が、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道に乗り入れが簡単に出来るわけではなく、行き先は金沢だ。
なので旅行商品名も「サロンカーなにわで行く古都金沢の旅」なのだけれども、そこは鉄道ファンばかりの列車、行き先よりは列車に乗ることを重点に置き、金沢滞在は2時間弱となっていた。

いずれにせよ北陸本線をEF81が緑色の客車を牽引して走るのは、かの「トワイライトエクスプレス」を彷彿とさせるわけで、この列車の主催者の方々は「トワイライトエクスプレス」を愛してやまない方々だという。

集合場所の京都駅にて点呼、こういった確認作業、座席の設定、弁当の配布、車内イベントの実施などすべてを主催の方々がボランティアで行うのだから、こういう鉄道ファンもあるのかと改めて感じ入った次第だ。

さて列車は定刻に入線してきた。
乗客は鉄道ファンとその関係者、そこへこの列車を撮影しようとして集まった鉄道ファン、さらには、変わった列車を見て驚く一般の乗客の方々、京都駅は一時喧騒の中にあった。
牽引機は僅か2両しか在籍しなくなったJR西日本所属、トワイライトカラーのEF81114だ。
1111なにわ京都入線.JPG

人々の興奮を駅員が冷静に鎮める。
かつての国鉄ではほとんど見なかった非常に美しい女性助役だ。
1111なにわ京都駅員.JPG

列車はすぐ走り出し、車内は大半の方々が何度目かを数える恒例イベントで見知った方々のようで、非常に楽しげでにぎやかだ。

少し落ち着いたころ、展望車へ行ってみた。
湖西線を快走する。
14系客車の乗り心地は素晴らしく、客車列車にありがちな発車、停車、加減速の際のショックもほとんどない。
見事な運転が続く。
1111なにわ湖西線後部.JPG

友人でお誘いいただいたKさん、国鉄時代からの古い友人のOさんと並びの席にしていただき、列車を堪能する。
あっという間に敦賀に着く。
ここでは10分弱の停車時間があり、ホームに出てもよいとのこと。
買い物よりなにより、列車を眺めなくてはならない。

7号車のサイド。
今回の運用では列車の編成が逆になっていて、元々、北陸本線は大阪方が1号車だが、2015年から特急「サンダーバード」が金沢方向が1号車に改められていて、それに合わせたのだろうか。
山陽本線運用ではこちら側が上り方向になるはずだ。
1111なにわ敦賀7号車.JPG

向かいのホームで列車の撮影をする。
EF81114と「サロンカーなにわ」編成全景だ。
1111なにわ敦賀EF81114.JPG

機関車と次位のスロフ14703の連結部分。
1111なにわ敦賀EF81114スロフ14703.JPG

展望車スロフ14703。
1111なにわ敦賀スロフ14703.JPG

2号車、オロ14706。
このクルマが高砂で取り掛かった第一号車だ。
そして僕が実際にメンバーとして作業をさせてもらったクルマで、しかも今は「お召し」に使えるように一部側窓が防弾ガラスに変更されている。
1111なにわ敦賀スロ14706.JPG


中央の車番。
懐かしさがこみあげてくる。
1111なにわ敦賀スロ14706中央.JPG

客車編成を後尾から。
最後尾は半室展望室のスロフ14704だ。
1111なにわ敦賀編成.JPG

車体の銘板、車内銘板はすべて鷹取のものに差し替えられているが、車体には高砂が生きる。
20161103網干なにわ銘板.JPG

ここで既出であるが、高砂での改造時の様子を思い返したいと思う。
オロ14の鋼体改造の様子だ。
外観は片方の出入り台を廃止して、そこに固定窓を設置しているだけで、大きく原型を崩してはいない。
新高砂なにわオロ14改造工事.JPG

展望車スロフ14703の鋼体工事。
展望室側、便所・洗面所を撤去し、そこに展望室を組み立てた。
新高砂なにわスロフ14703工事鋼体.JPG

ダクトは夏場の固定窓車の作業ゆえ、作業用の冷房装置だ。
上の写真と比すと尾灯掛けがついているのが分かる。


新高砂なにわスロフ14703作業展望室側.JPG

車掌室側の工事。
丸妻を切妻に改造した。
ライバル、大宮工場施工の「サロンエクスプレス東京」では、丸妻を残したことで、ここに車端ダンパーを付けることができず、乗り心地の面での不安が残ったが、その点はさすがに「基本に忠実」の高砂工場で、車端ダンパーも取り付け、特急列車としての乗り心地の維持を図っている。
新高砂なにわスロフ14703妻鋼体.JPG

塗装職場で全塗装が完了したオロ14706。
新高砂なにわオロ14706塗装完成2.JPG

場内試運転の様子。
新高砂なにわオロ14入替.JPG

オロ14706の車内。
客室内張は淡いグレーのビニールクロス、クーラーカバーは茶色に塗装され、照明器具の金属部分は金色、荷棚には茶系のプラ製カバーが付いた。
天井右側の斜めになっている個所は暖房器具で、クーラーのように送風の向きを変えることができた。
ただし、頭の上から暖気が来るわけで、この点は当時から改善の要ありと思ったものだ。
カーテンはむき出しの住宅用カーテンレールにキセなしでぶら下がり、雰囲気を盛り上げる。
新高砂なにわオロ14706車内.JPG

仕切ステンドグラス部分。
新高砂なにわオロ14706車内ステンドグラス.JPG

反対側の大型プロジェクター。
カラオケ機能付きだ。
新高砂なにわオロ14706車内プロジェクター.JPG

スロフ14703の完成外観。
新高砂なにわスロフ14703外観二位側.JPG

やや正面寄りにて。
新高砂なにわスロフ14703外観斜め.JPG

まったく丸妻の面影がなくなった車掌室側。
新高砂なにわスロフ14703後位.JPG

スロフ14703の車内。
座席は少なく、この点では座席を工夫してたくさんの人が座れるようにした「サロンエクスプレス東京」の使い勝手に軍配が上がるかもしれない。
内張はアルミデコラを平滑に加工して、その上に住宅用の淡いグレーのビニールクロスを張り詰めた。
天井のクーラーカバーは茶色に塗装され、照明器具の金属部分は金色だ。
総じて当時の喫茶店やバーのようなイメージだった。
新高砂なにわスロフ14703車内展望室.JPG

ビュッフェカウンター。
基本的な調理機能を持ち、列車食堂として営業できるようになっていた。
新高砂なにわスロフ14703車内ビュッフェ.JPG

完成したスロフ14703、車番は「サロンエクスプレス東京」の続番とされた。
新高砂なにわスロフ17703一位側.JPG

職員・家族・施工関係者向けの内覧会にて、まだ幼かった僕の妹二人だ。
新高砂なにわと妹.JPG

公式完成発表会。
後ろの巨大な建屋は木工職場の製材場だ。
新高砂なにわ完成.JPG

1983年(昭和58年)に完成し、各地で展示会が行われた。
これはその時の回送列車を加古川駅東側で撮影した写真だ。
EF651125がけん引してくる。
加古川野口EF651125サロンカーなにわ.jpg

半室展望車のスロフ14704が次位につながる。
加古川野口EF651125サロンカーなにわサイド.jpg

編成中ほど。
加古川野口EF651125サロンカーなにわサイド2.jpg

この時は未だ6両しか落成していなかった。
加古川野口EF651125サロンカーなにわサイド3.jpg

編成全景。
最後尾がスロフ14703で全室展望車だ。
加古川野口サロンカーなにわ全景.jpg

走りだすと、なかなか情報のない当時とあって、「サロンカーなにわ」にまみえることは非常に少なくなった。
見たいとは思ってもいつ走るかわからないことが多かった。
たまたま、快速電車に乗っていて、向かいのホームにEF5812がけん引する「サロンカーなにわ」に出会えた時は嬉しかった。
駅は京都駅だろうか。
EF5812なにわ京都.JPG

「サロンカーなにわ」は、その後、鷹取工場で更新工事を受けた。
外観は金帯が黄色になったくらいで変化は少なかったが、内装は大きく変化した。

網干総合車両所公開の時のスロフ14704、展望室の内部。
ビニールクロスは普通のアルミデコラに改められた。
サロンカーなにわ、現代の車内2.jpg

最近はネットで情報が出回るようになり、時間が合えば近所で撮影を楽しむこともできるようになった。
国鉄色EF65による団体列車、大蔵谷駅にて。
0614EF65サロンカーなにわ大蔵谷1.JPG


舞子にて「サロンカーあかつき」
今の時代に奇跡的に復活した一日だけの夜汽車。
サロンカーあかつき舞子.jpg

トワイライトカラーに改められたEF651124による列車、これも大蔵谷、明石の天文科学館時計塔を背景にやってくる。
0403大蔵谷なにわEF651124b.JPG

朝霧方向へ去る列車。
0403大蔵なにわ客車.JPG

東垂水駅にて。

0409東垂水EF651124サロンカーなにわ.JPG

明石海峡大橋の方向へ・・・
0409東垂水サロンカーなにわ.JPG

夜の垂水駅、今回のメンバーによる貸し切り列車だ。
1008垂水なにわEF651135B.JPG

展望車内ではじゃんけん大会が開かれていたそうだ。
1008垂水なにわ後尾A.JPG

余韻を残し列車は去る・・・
1008垂水なにわ後尾C.JPG

話を先月のイベント列車に戻そう。
金沢へ入線する帰路の列車。
1111なにわ金沢入線.JPG

スロフ14703の車内。
1111なにわスロフ14703車内.JPG

高砂時代の面影もかなり残っているように思う。
1111なにわスロフ14703車内2.JPG

列車は気持ちよく北陸本線を走る。
途中、制輪子に何かを挟んだようで発煙し、安全点検が行われたが、それもクリヤして・・

客車列車というものがこれほどに乗り心地の良いものであるとは…あらためて実感する。
1111なにわスロフ14703後部展望.JPG

日の暮れた京都駅に到着。
35年ぶりの「サロンカーなにわ」への乗車はお開きとなった。
1111なにわ京都到着.JPG

製造45年改造35年、客車ゆえ、難しい制御機器が存在せず、手入れさえ続ければまだまだ使えるとは思うが、今度は機関車が残り少なくなってしまった。

今回の機会にお誘いいただいた友人たちに深く感謝するとともに、「サロンカーなにわ」が少しでも永く、無事故で活躍してくれることを心から祈念する。
posted by こう@電車おやじ at 13:29| Comment(0) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

山陽電鉄5000系の32年

僕は昭和61年5月に国鉄を休職とし、一年間、高砂市のカメラ店で教えを請うことになった。
ちょうどその時と軌を一にして登場したのが山陽電鉄5000系電車だ。
翌年、国鉄が分割民営化されることが決まっていて、巨大な私鉄「JR西日本」が出現するわけで、山陽電鉄としてはいまだに凝っていたツリカケ式の旧型電車を一掃し、一気に冷房化を向上、さらにはクロスシートで新しいサービスを提供することで、巨大ライバルに抗うのがこの電車の目的だったようだ。
なので一気に7編成が登場、利用者や沿線住民を驚かせた。
写真は「新型電車登場」の看板を付けて、高砂線橋脚の残る加古川橋梁を行く5004F5602。
山陽5602登場時加古川.jpg

その先頭のアップ、カラーネガの劣化が酷く、モノクロ処理したカットだ。
S62山陽5602加古川橋梁BW.JPG

ただ、当時の僕は多忙を極めていて、写真業界のおよそ労働基準法などというものが通用しないことを身をもって知ったことでもあり、すぐ近くの山陽電鉄の撮影にはなかなか行けなかった。
それでも時間をこじ開けて、線路際へ数度は行っただろうか。

はじめて、この電車を見た瞬間に・・惚れた・・と言っても過言ではない。
均整のとれた上品で、それでい力強いデザインはそれ以降、これまでに登場していた南海1001、名鉄7000・7500、京阪3000、阪急6300、国鉄117といった大好きな電車たちと自分の中で並ぶほどの電車となった。
鉄道車両のデザインとしても、国鉄153系、キハ82系、名鉄5200系、京王5000系といった名車に匹敵する品位と風格があるものと思っている。
無駄がなくシンプルでありながら、風格とスピード感、明朗性のある素晴らしいデザインだ。

当初、3両編成で登場したのは「普通車」(山陽・阪急・阪神では普通列車のことをこう呼ぶことが多い)専用として企画され、「どうせ空いている普通車」だから、ゆったり座って新聞でも読みながら通勤してもらおうという趣旨から、名鉄6000系のような固定クロスで登場した。
ただ、名鉄6000よりはるかに座席はきちんとしていて、ライバルの国鉄近郊型113系よりすっと楽に座っていられるようになった。
写真が座席。
S62山陽5008車内座席.JPG

車内の様子。
この座席の色調から「マロンシートカー」と愛称が付けられたが、ほとんどその愛称は浸透しなかった。
S62山陽5008車内.JPG

なお座席の色調は先頭車と中間車では分けられていた。

登場したばかり、まっさらの5008。
大塩駅にて。
S62山陽5008大塩.JPG

特急列車は3000系ばかりだった時代だ。
冷房改造された特急3018がこの5008を追い越す。
S62山陽5008・3018大塩.JPG

3連で走る5012。
加古川橋梁。
山陽5012F3連加古川.jpg

こちらは5006F5603。
秋加古川山陽5603.jpg

車内設備が優秀で、乗り心地の良い5000系は、利用者からもちろん非常に好評となり、すぐに特急列車への要望が出るようになる。
そこで中間車を増備、特急列車にも3000系に交じって使われるようになった。

4連化され特急運用に就く5008F5604。
S63山陽5604加古川橋梁.JPG

3000系と出会う5006F5603。
1991山陽5603加古川橋梁.JPG

山陽電鉄は阪急・能勢電とともに、系列の最初の車番が0の会社だ。
トップナンバー5000F5600の普通。
1991山陽5600加古川橋梁.JPG

加古川橋梁を4連化された5000系が行く。
1990山陽5000系4連サイド加古川橋梁.JPG

こちらは3連のままの編成だ。
1990山陽5000系3連加古川橋梁.JPG

5000系正真正銘トップナンバー。
この編成はこの頃から窓柱の黒塗りがなされた。
1993年頃、尾上付近。
1990山陽5000尾上.JPG


サイド・・僅かな違いだがこの黒塗りの窓柱によって特別な電車に見える。
1990山陽5000尾上サイド.JPG

上記の事情から2番目の車両には1が付くが、5000系は3000系と同じくMc偶数、M’奇数で連結されていて、神戸側Mcには奇数号車が存在しない。
こちらは5002FのTc5601。
(なお山陽電鉄ではMc=クモハ、M=モハ、T=サハ、Tc=クハとカタカナが付くのが正式ではあるが、ほとんど使われることはないので本稿でもカナ記号は省略する)
平成7年、震災直後の三宮直通看板を付けている。
須磨駅。
1990山陽5601須磨.JPG

国鉄改革の年の夏、僕は六甲の写真スタジオに弟子入りし、板宿から通うことになる。
引っ越してすぐにダイヤ改正があり、特急の板宿停車が実現、好きな山陽電車の特急は、板宿から阪急六甲まで乗り換えなしで結んでくれた。
板宿駅の5012、阪急六甲行き特急。
1991山陽5012板宿.JPG

実は窓柱を黒く塗ったのは最初はこの増備Tだった。
5511、尾上付近。
1991山陽5511尾上.JPG


1991年(平成3年)春、電鉄明石駅が高架で開業し、山陽明石駅となった。
この時のダイヤ改正で大塩での締め切りはあるものの本線では6連特急の運転が開始された。
それまでは朝ラッシュの通勤時の特急は大混雑だったが、一気に混雑が緩和、しかも投入された新車は
自動転換装置を備えた豪華な転換クロス車で、ますますこの電車が好きになったものだ。
僕の六甲への通勤は非常に快適なものとなった。

高架なった明石駅に新車、5020F5610が入構する。
明石高架化感性山陽5610.jpg

こちらは5018F5609。
1995山陽5609明石.JPG

夕日に向かって発車していく5018。
1995山陽5018明石.JPG

阪急六甲駅に乗り入れた初日の5022。
阪急電車と比べても遜色のないデザイン、引け目を感じない6連。
阪急六甲駅俯瞰山陽5022他6連.jpg

平成7年には震災で半年以上も神戸高速を通って三宮に行くことができず、地下に封じ込められた2編成の5000系6連は、その頃は垂水から大阪に通勤していた僕にとって、通勤経路上に存在するオアシスでもあった。

震災後、阪神とともに、JRへの対抗に後がなくなったのか、ついに直通特急が梅田・姫路間を結ぶことになった。
当初は30分ヘッドで従来の山陽電鉄線内の特急も残した設定だった。
はじめ、列車愛称が「姫路ライナー」「大阪ライナー」とついていた。
5016F、5608の直通特急。
霞ヶ丘にて。
山陽5608霞ヶ丘.JPG

こちらは阪神9000系の直通特急。
この色合いは当初、山陽電車の車両であると思われた一般乗客の方も多かった。
阪神8209霞ヶ丘.JPG

その後、山陽電鉄の特急はほとんどが直通特急となり、そのまま梅田まで行けるようになった。
さて、ここからは各編成の写真をご覧いただこうと思う。


5000F、今も4連で残る編成だ。
大蔵谷駅にて。
山陽5000俯瞰大蔵谷.jpg

須磨浦公園駅西方で折り返しの阪神2000系の脇を通過する5600。
199山陽5600須磨浦公園阪神2000系.JPG

別府にて一瞬、後輩の5030系5633と並んだ5600。
0817別府山陽5633・5600.JPG

6000系登場まで、直通特急用の編成が予備1本しかなく、普段は4連のこの編成もほかの編成に編成に組み込まれて梅田まで顔を出していた。
阪神尼崎にて。
0427阪神8245・山陽5000.JPG

5002F、春の盛りの須磨歌公園を行く。
春須磨浦山陽5002.jpg

大蔵谷駅にて。
上記の5000Fと合わせて2本しかない4連だ。
0214大蔵谷山陽5002.JPG

宵の帳の降りる江井ヶ島にて5601.
1226江井ヶ島山陽5601.JPG

5004F・・
中間の増備車が5030系になり、編成内のバラエティに富んだ編成だ。
最近、更新され5702Fとなった。
今の西二見付近を行く。
山陽5004現西二見.JPG

大蔵谷駅を高速で通過する。
0913大蔵谷山陽5004.JPG

神戸より2両目は5005。
0913垂水山陽5004F5005.JPG

3両目は5502。
この車両は4連化の際に追加されている。
0913垂水山陽5004F5502.JPG

4両目は5252。
5030系の増備でVVVF制御車。
0913垂水山陽5004F5252.JPG

5両目は5235、こちらも5030系の増備車だ。
0913垂水山陽5004F5235.JPG

5602を先頭に塩屋付近を行く。
山陽5602塩屋.jpg

5006F、朝霧付近を行く。
この編成も中間に5030系を連結している。
0919朝霧山陽5006.JPG

5603・・雨の阪神大石駅で近鉄電車と出会う。
5000系登場30年余り、まさかこういうシーンが実現するとは思わなかった。
山陽5603近鉄1027大石.jpg

5008F・・
高砂にて。
0103高砂山陽5008.JPG


山陽電車のラッピングは時に度肝を抜かされることがある。
須磨浦ロープウェイの意匠をデザインされている。
0802江井ヶ島山陽5008.JPG


加古川橋梁で5610と並ぶ5604。
0505山陽加古川橋梁5604・5610.JPG

5010F・・
阪神きっての高級車、9300系と並ぶ。
大蔵谷駅にて。
0403大蔵谷阪神9501・山陽5010.JPG


同じ大蔵谷で阪神8000系と並ぶ。
0620大蔵谷山陽5010・阪神8237.JPG

ミーツカラーズ台湾号のラッピングを施された5010が尼崎で阪神、近鉄の電車と並ぶ。
1217尼崎近鉄93237・阪神8229・山陽5010.JPG

大蔵谷にて5605。
0817大蔵谷山陽5605.JPG

5012F・・
大蔵谷で3000と並ぶ・・
山陽5012・3000大蔵谷20130624.jpg

西灘にて、近鉄特急車と一瞬の出会い。
0329西灘山陽5606・近鉄22805.JPG

朝霧付近にて。
0919朝霧山陽50127.JPG

妻鹿にて5606。
山陽5606妻鹿.jpg

5014F・・
伊保付近。
0505山陽伊保5014.JPG

5607を先頭に塩屋付近を行く。
0703塩屋山陽5607.JPG

5016F・・
加古川橋梁にて。
0506加古川橋梁山陽5016下から.JPG

最近の企画だった、アニメとのコラボ、「さくらとお出かけ」号。
別府にて・・
色調のはっきりしない帯色がせっかくの好スタイルを壊していたような気がする。
山陽5608さくらとおでかけ別府.jpg

阪神8000系赤胴と甲子園で並んだ5608・・
阪神8230・山陽5608甲子園.jpg

5018F・・
高架なった西新町にて。
1121西新町山陽5018.JPG

5609、西代陸橋を潜る地上時代。
未だ幌が設置されていなかった新車の頃。
山陽西代5609.JPG

今の様子、大塩にて。
0302大塩山陽5609.JPG

5020F、塩屋付近を行く。
カーブの多い区間でさほど速度は出ない。
この編成と次の5022Fは、当初から自動転換装置付きの転換クロスを装備した。
0703塩屋」山陽5020.JPG

新車時代のわずかな間は4連だった。
塩屋にて。
1991山陽5610塩屋.JPG

地上時代の板宿にて。
山陽電鉄板宿5610.jpg

5022F・・
5000系としての最終の編成だ。
今の西二見付近にて。
山陽5022現西二見.JPG

阪神梅田に到着した直通特急。
0905阪神梅田山陽5022.JPG

5611、大蔵谷にて。
0808大蔵谷7山陽5611.JPG

震災後に運転開始された直通特急用として山陽初のVVVF制御車、5030系が登場した。
この系列では両端先頭車がいずれもTcとなり、5630形が先頭に出るということになった。
5630F・・
東垂水にて。
3列転換クロスを備える。
0913東垂水山陽5630.JPG

5631、姫路側が奇数の附番となった。
大蔵谷。
0827播磨町車内から山陽5631.JPG

こちらはNHK大河ドラマとのコラボ、官兵衛ラッピング。
0928大蔵谷山陽5631官兵衛.JPG

5632F・・
荒井にて。
利用客激増で今は朝夕に直通特急も停車する。
0103荒井山陽5632.JPG

5633、山陽5000系列として最終の先頭車両。
自然の残る八家付近。
0303八家山陽5633.JPG


山陽5000系の魅力の一つに車内の多様さがある。
固定クロスを転換式に改造した車両。
5015.
1107山陽5014F5015車内.JPG

自動転換装置付き転換クロス、5510。
1107山陽5014F5510車内.JPG

側窓が変更された5206。
1107山陽5012F5206車内逆.JPG

座席、窓側にひじ掛けもついている。
1107山陽5012F5206座席.JPG


5030系、5632、三列の転換クロス。
1107山陽5632F5632車内.JPG

ひとり掛けシート、山陽では最高の座席だ。
1107山陽5632F座席.JPG

ラッシュ対応、阪神での野球輸送対応に梅田型先頭車がロングシート化された。
だが、紅い座席が印象的な車内ではある。
5014。
1107山陽5014F5014車内.JPG

昨年から5004Fに対して更新工事が行われた。
先ごろようやくデビューして運用に就いている。
阪神尼崎での5702、梅田側2両はVVVf制御化され、改番された。
1101尼崎山陽5702.JPG

車内は4両がロング化され、2両が三列転換クロスとなった。
1101梅田山陽5234車内.JPG

しかし、5000系列の素晴らしいデザインが下手にいじくりまわされたような気になるのは僕だけだろうか。

座席のロング化も残念だが、それは輸送の事情もあろう。
しかし、ほぼ最高峰クラスと言えるエクステリアデザインは、できればそのままに維持してほしかったというのが僕の本音だ。
1030別府山陽5602・2.JPG

更新は年に1~2本のペースで進むという。
それなら5000系の素晴らしいデザインを眺めることができるのもあと数年ということになるのだろうか。

もっとも、山陽5000系と同世代である名鉄5700系はすでに廃車も進行しているから、まだ使ってくれるだけ良いのかもしれない。
0409東垂水山陽5008・5000.JPG


posted by こう@電車おやじ at 20:57| Comment(2) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月22日

昭和62年、北海道の旅(その6)桂川、函館、松前。(完)

6月20日の朝は、小樽からキハ54の普通列車に乗り、函館本線(山線)経由で長万部へ向かった。
この区間は特急・急行が廃止されて久しく、列車本数は極めて少なかった。
時刻表を見ると小樽8:12、普通長万部行きがあるのでこれに乗ったのだろう。

列車は単行で、混んではいないが、各ボックスはすべて埋まる乗車率、乗客の半数以上は観光客といった風情だ。
当時でたばかりのニコンF401で熱心に車窓を撮影しておられる男性の姿が印象に残る。

だが、僕は車窓写真は撮影しておらず、例によって朝から飲んだくれていたのだろうか。
長万部11:52、函館本線上り普通列車まで時間があるが、この時の記憶もない。
駅の中で一人酒盛りでもしていたか…

この当時、使っていた弘済出版社「道内時刻表」に自分でつけた記しのある列車があるから、これに乗ったのだろう。
噴火湾を見るところで列車を撮影したかった。
長万部13:10函館行き普通、乗ったのはキハ22だろうか。
この列車で桂川という駅で下車した。
14:25着だ。

乗ってきた列車を撮影したはずだが、何故か列車が反対の線路を走っている。
これまた記憶があいまいだ。
下り列車なのだろう。
上下線で位置がずれている桂川駅の構造がよくわかる。
この駅は今では廃止されてしまっている。
S62函館本線桂川キハ22接近遠望.JPG

列車が接近する。
S62函館本線桂川キハ22入線.JPG

仮乗降場の雰囲気満載の上りホームアップ。
S62函館本線桂川構内2.JPG

キハ56がやってきた。
時刻表にない列車だ。
この旅行では何度か時刻表にない列車を撮影している。
S62函館本線桂川キハ56・1.JPG

急行型気動車の堂々4連、これはいいものが見れたと喜んだか。
S62函館本線桂川キハ56・2.JPG

列車が通過していった。
S62函館本線桂川キハ56・3.JPG

駅から少し歩いた。
さほど遠くないところで撮影したように思う.
駅周辺の集落の家々の窓にはすべて暴風のビニールが張られていた。
風の強いところらしくこの日も強烈な風が吹いていた。
キハ22の普通列車だ。
S62函館本線桂川キハ22モノクロ.JPG

接近する。
S62函館本線桂川キハ22カラー.jpg

こちらはキハ183「北斗」後追い。
旧塗装車だ。
S62函館本線桂川キハ183北斗カラー.jpg

北斗が去っていく。
S62函館本線桂川キハ183北斗2.JPG

遥かへ去る列車。
S62函館本線桂川キハ183北斗モノクロ2.JPG

はるか先の気動車特急。
S62桂川キハ183.JPG

桂川17:38の列車で次の森まで乗り、森17:55「北斗8号」で函館へ向かった。

函館でビジネスホテルに電話をかけても、どこも満室で断られる。
駅の観光案内所を頼る・・すると、和室の木賃宿を紹介された。
どうせ食べ物は自分で調達するのでこれで構わず、思わず安くついた。
宿帳の職業欄に「写真屋」と書いた。
自分の心が定まった瞬間だ。

宿に荷物を置き、函館港の岸壁へ向かった。
函館山を下から見るのも乙かなと…
S62函館山夕景.JPG

港にはちょうど「十和田丸」が停泊していた。
S62青函連絡船十和田丸停泊.JPG

しばし、連絡船を眺める。
やがてドラの音が響き、出航する。
この写真はポケットに入れていたサブカメラ、オリンパスXAでの撮影だ。
レンズ開放で撮影すると甘さが目立つ。
S62青函連絡船十和田丸出航XA.JPG

出航する連絡船。
S62青函連絡船十和田丸出航.JPG

このシーンは僕にとってかけがえのない思い出となった。
S62青函連絡船十和田丸出航2.JPG

宿への帰路に近くの小さな居酒屋で夕食というか、酒を呑んだ。
イカの刺身や焼いたものが非常に旨かったことは覚えている。
お店の主人やほかの客との語らいが弾む・・・
心がかなり癒されてきているのが自分でもわかる。

途中、函館市電を撮影した。
719号・・場所は忘れている。
S62函館市電719ネガ.JPG

803号。
夜の時間になっても驚くほどお客が多い。
S62函館市電803.JPG


この日は木賃宿で久々の畳の上で寝た。

翌6月21日、まず駅へ行き、この日の夜の青森からの寝台特急「日本海4号」の寝台券を入手した。
周遊券の期間も迫ってきているし、何より資金が底をつきかけている。

函館7:07発の普通列車で松前へ向かう。
江差線、松前線は全列車が各駅停車で松前までの90キロに二時間半ほどかかる。

車窓から時折、美しい海岸が見える。
青函トンネルができたらここに来て、ブルートレインを撮影したいと思ったが、ついにそれは叶うことなく終わった。

松前9:42着。
乗ってきたキハ22.
S62,松前2キハ22.JPG

こちらはキハ46。
S62松前キハ46.JPG

松前駅の広大な構内。
S62松前Ⅱ構内.JPG

駅舎、僕はこの路線は廃止になどならないとみていた。
日本史の重要な町で、観光客も多いはずだと思ったのだ。
S62松前駅舎.JPG

松前城址の大手門。
S62松前城址大手門.JPG

城内を時間をかけて見学した。
この当時傾倒していた武田信玄の後裔がここの城主たちだったと知る。


S62松前城址.JPG

駅近くのいかにも場末という雰囲気のスナック兼食堂のようなところへ入った。
如何にも夜のお店のママさんという人がお昼もお店を切り盛りされているようで、お勧めだという海峡ラーメンなるものをいただいた。
驚くほど海鮮が豊富な、腹にも心にもしみるラーメンだった。

松前11:06に乗り、函館へ・・函館13:48着。


いよいよ北海道を離れる。
跨線橋から専用線が見える。
S62函館港2専用線.JPG

函館駅の連絡船待合室。
S62函館連絡船待合室.JPG

いよいよ乗船、昨夜撮影した十和田丸だった。
15:00出航の20便だ。
S62函館港Ⅱと和田丸乗船前.JPG

船の通路。
S62十和田丸通路.JPG

船の甲板から・・。
S62十和田丸甲板.JPG

思い出にと、グリーン席をとった。
鉄道の座席とは比べるべきもないゆったりした快適な座席だ。
S62青函連絡船G船室.JPG

停泊したり、行きかったりする連絡船を撮影する。
摩周丸だろうか。
S62青函連絡船摩周丸?.JPG

桧山丸。
S62青函連絡船桧山丸.JPG

摩周丸のカラー。
S62青函連絡船.jpg

船の中の食堂へ行った。
ここでも「海峡ラーメン」を頼んでみたが、味わいは遠く松前の店に及ばない。
だが、船や列車の食堂としては非常に旨い方だったと思う。

青森18:55着。
寝台特急「日本海4号」
S62青森特急日本海.JPG

車内は混んではいなかったが、北陸方面への賑やかな団体が乗ってきた。
酒をあおり、一発なんて下品な言葉が行き交う・・・

それも深夜には静かになりよく眠れた。

6月22日、加賀温泉で九段の乗客たちが下車した後、車内は静かになった。
大阪へ帰るという年配のご婦人としばらく静かに会話を楽しんだものだ。
S62特急日本海社内.JPG

神戸へ戻ったらまずは仕事を決めねばならない・・・

そう自分に言い聞かせていた。
(北海道旅行記、これで完です。長らくご愛読いただきありがとうございました。次回から通常のエントリーに戻ります)




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2018年10月15日

昭和62年、北海道の旅(その5)光珠内・植苗・朝里

昭和62年6月19日、急行「まりも」は朝、6:25に札幌に着いた。
この日は今でいう「乗り鉄」よりも、鉄道ファンの初心に帰って憧れの北の大地の列車を撮影したい。

札幌に着いてすぐに函館本線下り電車に乗り、どこが良いか悩みながら駅手前の広大さに目が行き、結局、光珠内という駅で下車した。
S62光珠内構内.JPG

特急列車が通過する。
S62光珠内駅名票781系.JPG

線路沿いに歩くも、この辺りは線路敷地の幅が広く、なかなか列車をうまくとらえられる場所がなかった。
しばらく歩いた踏切で撮影することにした。
客車列車が来る。
この頃は函館本線の都市部であるこの区間でもまだ客車列車が残っていた。
ED75518牽引だ。
S62光珠内ED75518.JPG

列車の後尾、51系客車。
S62光珠内51系客車.JPG


特急「ホワイトアロー」
781系電車。
S62光珠内781ホワイトアロー.JPG

こちらは「ライラック」781系電車。
S62光珠内781ライラック.JPG

下りの客車列車。
S62光珠内ED75・50系.JPG

これも「ライラック」781系電車。
S62光珠内781ライラック2.JPG

キハ54の普通列車。
この区間で普通列車の気動車というのは珍しかったのではないだろうか。
S62光珠内キハ54.JPG

キハ183「オホーツク」
S62光珠内キハ183オホーツク.JPG

ある程度撮影して満足したのだろう、711系電車で札幌に向かう。
S62光珠内711系普通.JPG

このあとは、千歳線に行きたくなっていた。
前回訪問時には千歳空港駅には立ち寄っているので今回はそれより南へいくことにする。
植苗という駅で降りた。

構内の広い、周囲には町がある駅だった。
キハ56系の4連、時刻表を見ると夏ダイヤの間、711系がキハ56系に運用変更されている列車で、植苗11:43しかこの写真に該当する列車はない。
S62植苗キハ27普通.jpg

「臨時」表示のキハ183-500。
S62光珠内キハ183-500臨時.JPG

駅のすぐ近くで列車を眺めるに好都合な場所があった。
キハ183「おおとり」が来た。
これも時刻表を見ると、14:38ごろに通過する上り列車だろうか。
長躯、函館から網走を目指す。
S62植苗キハ183おおとりネガ.jpg

その後尾。
S62植苗キハ183おおとり.JPG

キハ183-500「北斗」
新車は優先的に「北斗」「おおぞら」に投入されていた。
S62植苗キハ183-500北斗.JPG

711系電車が発車する。
S62植苗711系発車.JPG

キハ183のサイド。
S62植苗キハ183サイド.JPG

711系電車。
S62植苗711.JPG

普通列車で札幌へ向かう。
次は小樽方面に行きたいが、その前にと、札幌の観光案内所で宿泊するところを探してもらったが何故かこの日は空室が見当たらないとのこと。
開き直って小樽へ行き、小樽の観光案内所で駅近くの宿を手配してもらった。

宿が決まった安心感から・・朝里海岸へ。
すでに夕陽の時刻だ。

日没に間に合った。
朝里海岸の夕景。
S62朝里海岸夕景.JPG

日が落ちた海沿いの線路を機関車牽引列車が行く。
S62朝里Ed75夕景.JPG

遠くから711系電車が来る。
すでに帰宅ラッシュの時間帯だ。
S62朝里711系遠望.JPG

こちらは札幌行きの列車。
S62朝里海岸711夕景アップ.JPG

日が落ちた後の日本海。
S62朝里海岸日没後.JPG

朝里駅。
S62朝里駅.JPG

夕陽を見られたことですっかり満足し、小樽駅構内のビアホールでしこたま飲んだ。
家を出てきた時の悲壮感はなくなっていた。





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2018年10月02日

昭和62年、北海道の旅(その4)釧網本線

昭和62年6月18日、旭川駅にて特急「オホーツク1号」を待つ。
向かいのホームには稚内行きの急行「礼文」が停車していた。
客車急行ばかりの宗谷本線で唯一の気動車急行で、旭川・稚内間を4時間10分で結んだ。
キハ54急行タイプ、、国鉄が最後に作った急行気動車だ。
S62旭川キハ54急行礼文.JPG

特急「オホーツク1号」は札幌始発で8:41に発車した。
車内は混んでいたような印象があるが、さりとて立って乗車した覚えもなく、景色は見ていたから窓側の席に座ったのだろう。
石北本線の車窓は宗谷本線の茫洋とした感じではなく、険しい山を越えていくような印象を持った。
途中、遠軽で列車の方向が変わったが、これは前知識なしで驚いたものだ。
網走には12:27着、乗ってきた列車を改札口の方から撮影。
S62網走キハ183オホーツク.JPG

駅舎外観。
S62網走駅.JPG

ここでは時間の都合で街を見ることはできず、この7年後に網走の街を散策するまでお預けとなる。
網走13:09釧網本線緑行きに乗車、キハ54の2連だった。
車内。
S62キハ54車内.JPG

北浜で下車、駅を出ていく緑行き普通。
S62釧網線北浜キハ54.JPG

駅舎の外観、喫茶店になっていた。
S62釧網本線北浜駅舎ポジ.jpg

初めて見るオホーツク海は青く、水がきれいだった。
海岸でセルフポートレート。
S62釧網線北浜自分.JPG

網走行きの列車がやってきた。
キハ22だ。
砂浜の横を走る。
青い空と青い海、そして朱色の気動車。
S62釧網本線北浜キハ22・2ポジ.jpg

列車が去っていく。
S62釧網本線北浜キハ22後追い.jpg

ふっと歩いて、原生花園の方へ向かう。
濤沸湖(とうふつこ)の湿原と斜里岳。
S62釧網線原生花園・斜里岳2.JPG

北辺の野草が茂る濤沸湖の向こうに斜里岳。
S62釧網線原生花園斜里岳.JPG


海岸の橋梁を行く単行上り列車。
S62釧網線原生花園キハ54・2.JPG

ポジ原版、色合いが今も残っていることがうれしい。
S62釧網本線北浜キハ54サイド.jpg

列車が先へ進み、築堤の上を走る。
S62釧網線原生花園キハ54.JPG

北浜16:00の列車は通常なら緑行きだが、夏の間は川湯始発の列車とつないで釧路直通として運転されていた。
この列車に乗り、釧路を目指す。
18:01の弟子屈にて。
S62釧網線弟子屈駅.JPG

標茶、18:28~18:47まで19分停車する。
乗ってきた列車、キハ22だ。
S62釧網線標茶キハ22215.JPG

跨線橋から・・
キハ53-500とキハ40の2連が対向。
S62釧網線標茶キハ53510.JPG

その2連がホームに停車する。
S62釧網線標茶キハ53-510.キハ22-215.JPG

広大な構内。
網走行列車から後部の1両が切り離され、標津線列車となるようだ。
S62釧網線弟子屈キハ22-215・キハ40-131.JPG
乗ってきた列車、キハ22。
せっかくここまで来たのだから、標津線に乗っておけばよかったと、今となっては激しく後悔する。
このあと、もう一度、レンタカーでこの辺りを訪問するがその時、標津線はすでに廃線となっていた。
S62釧網線標茶キハ22.JPG

保線用の車両だろうか。
S62釧網線標茶保線車両.JPG

ここから一気に日が暮れた。
この時期の釧路湿原の日没時刻は19:10ごろだ。
車窓から幻想的な釧路湿原が見えるが、どんどん外は暗くなっていき、車内の明かりだけが窓に映るようになる。
釧路19:43、釧網本線の旅が終わった。

何処かで酒を呑んだような気がする。
初めに行った居酒屋へもう一度入ったかもしれない。
釧路22:25、急行「まりも」、再び14系座席車の客となった。

posted by こう@電車おやじ at 14:03| Comment(0) | JR化後の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする