2019年02月01日

カラーで蘇る別府鉄道の記憶

カラー化ソフトなるものが人気だ。
もちろん、業務用のものはすでにかなり以前から存在し、ラボなどでは使われているわけだが、今、流行っているのは気軽に使えるネット上のフリーソフトだ。
コストもかからず、古い写真を着色することで記憶がずっと鮮明になるような気がする。

しかし、フリーソフトゆえ、仕上がりが一発で完成状態になるわけではなく、場合によってはPhotoshopでさらに加工をする必要がある。
幸い、僕はPhotoshopについてはある程度の知識はあり、業務経験もあるので、フリーソフトとPhotoshopを組み合わせてみた。

なお、今回使用したフリーソフトは2019年2月現在は「siggraph2016_colorization」と称されてhttps://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/にて提供されている。

古い写真から見てみよう。
昭和50年頃かと思う。
野口駅に進入するキハ2。
周囲は広漠としている。
別府キハ2野口カラー化.jpg

野口駅に停車中のキハ2、上記と同じ時の撮影だ。
周囲はそれなりに開けたところだが、とても鉄道の結節点とは思えない長閑さだ。
別府キハ2野口停車中カラー化.jpg

別府港機関区に到着したばかりのキハ101、まだ、スカートの取り付けがなされていない。
別府キハ101原形カラー化.jpg

別府港機関区の奥に鎮座していた旧キハ2。
現物を見た時は「神戸市電に似ている」と思ったものだ。
別府鉄旧キハ2カラー化.jpg

ワ124とハフ5、ワ124は今も土山線跡地の脇の田圃に鎮座している。
ハフ5は、播磨町郷土館にて美しく整備され保存されている。
別府鉄ハフ5.ワ124カラー化.jpg

別府港を出るキハ2、撮影は昭和55年頃か・・
この頃には屋根上のベンチレータがなくなっている。
別府鉄キハ2カラー化.jpg

キハ2とキハ101の重連、機械式のキハ2、液体式のキハ101とでは運転取り扱いが異なり、運転士には苦労があっただろうと思う。
別府キハ重連カラー化 (2).jpg


土山線、今の明姫幹線高架を背景にDB201とハフ7の可愛い列車が行く。
別府鉄DB+ハフ7カラー化1.jpg


夜の帳が降りる頃、野口駅で国鉄キハと別府鉄キハ101が同時発車していく。
別府鉄キハ101国鉄キハ20並走.jpg

野口駅北方にあった、別府鉄のための折り返し線。
キハ101。
別府鉄野口キハ101カラー化.jpg

別府口駅に停車しているキハ101。
別府鉄別府口キハ101カラー化.jpg


最終日、昭和59年1月31日、もう35年も前のことだ。
最終日は大雪だった。
キハ101のさようなら列車が行く。
別府鉄さようならカラー化.jpg


本当にこの列車で終わり、心がおれそうな大雪の日だった。
別府鉄最終キハ101到着風景カラー化.jpg

この写真は原版がカラーだ。
本物のカラー写真と見比べていただこう。
ハフ7。
別府ハフ7カラー別府港.JPG

これも原版からカラーだ。
今の山陽電鉄別府駅前、すぐ裏手を行くキハ101。
別府鉄キハ101別府駅裏手.JPG

これもカラー原版、山陽電鉄の築堤を潜る・・キハ101。
別府鉄キハ101高架下.JPG

この写真は復元だけではなく、相当に加工してある。
こうしてできた写真を見ると、甘酸っぱいあの頃の思い出もまた、湧き出てくる。
別府鉄野口キハ101・国鉄キハ35並びカラー化.jpg

拙小説サイトから「別府のべんとばこ」
http://kobestory.blog98.fc2.com/blog-entry-112.html




posted by こう@電車おやじ at 22:46| Comment(1) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

岐阜の名鉄名古屋本線

木曽川の西側から新岐阜までの名鉄名古屋本線の写真、すべてモノクロだが、出てきた。
木曽川橋梁を渡るパノラマカー7500系のサイド。
S55木曽川ん7500サイド.JPG

当時の僕は7500系がことのほか好きだったようだ。
写真がたくさん出てくる、あるいはこの系列はほとんどが名古屋本線で使われていたから出会う機会が多かったのか。
西詰を行く7500系。
S55木曽川7500サイド後尾.JPG

夕方近く、なぜかここは小雨模様の写真が多い。
流し撮り、こういう撮り方の似合う電車でもある。
S55木曽川7500流し.JPG

接近!
S55木曽川7500探しサイド.JPG

6000系急行。
端正なデザインだが、やはり7500の流麗さとは写りが違う気がする。

S55木曽川6000.JPG

今はなき、東笠松駅にて。
今回はモノクロの夕景だ。
5200系の普通、更新後の姿だ。
S55東笠松5200普通.JPG

後ろ側は高運転台に改造された車両だ。
事故復旧などでこの系列と5500系に高運転台の車両が存在した。
S55東笠松5200普通後追い、高運転台.JPG

7000系の急行。
S55東笠松7000急行岐阜正面.JPG

その列車の後追い、
速そうに見えるがここは速度制限があり、大してスピードは出ていない。
S55東笠松7000高速岐阜後追い.JPG

豊橋行きの高速。
7000系だ。
S55東笠松7000高速豊橋.JPG

後追い、大好きな真っ赤なパノラマカーが轟音を立てて鉄橋を渡る。
S55東笠松7000高速後追い.JPG

白帯車の特急。
S55東笠松7000白帯特急岐阜.JPG

こちらは7500の特急運用。
当時の私鉄界最高峰の高速性能を有する車両だが、特急としては最後の頃だったのではないだろうか。
S55東笠松7500特急豊橋.JPG

後追い。
S55東笠松7500特急豊橋後追い.JPG

東笠松の駅名標と木曽川の看板。
S55東笠松駅名標.JPG

7500系の流し撮り。
パノラマカーが最もカッコよく見える角度。
S55東笠松7500流し.JPG

こちら7000白帯特急の流し撮り。
時刻が進み、周囲が暗い。
S55ひがし笠松7000白帯流し.JPG

ある時、乗った下り普通電車は岐南で長時間停車した。
この間に何本かの列車に抜かれ、反対方向の列車も眺められた。
5500系を前にした高速。
S55岐南5500・5000高速.JPG


後ろ4両は丸い5000系だ。
S55岐南5000系高速.JPG

こちら側の本線を5500系急行が行く。
S55岐南5500急行下り通過.JPG

7000系白帯車の重連、8連の特急だ。
S55岐南7000白帯特急重連.JPG

その列車の後追い。
S55岐南7000白帯特急重連後追い.JPG

常滑行き高速か・・
7000系だ。
S55岐南7000上り後追い.JPG

前にも書いたが、新岐阜手前、国鉄線をオーバークロスする陸橋はその部分だけ単線になっていた。
今回はワイドレンズによる風景で…
真横を一般道が通り、電車を駅チカで眺められる絶好のポイントだった。
5200が行く、。
S56新岐阜5200XE.JPG

7000系白帯車。
ワイドで写すパノラマカーはカッコいい・・
もっとワイドで撮影しておくんだった。
S56新岐阜7000白帯XE.JPG

7000系白帯車の回送。
S56新岐阜7000白帯回送XA.JPG

後尾、茶所の検車区へ行くのだろう。
S56新岐阜7000白帯回送後追いXA.JPG

7500系の異端児、7515F、スキャンして画像を見で、初めて気が付いた。
S56新岐阜7515XE.JPG

既出だが、その少し前の新岐阜駅、昭和51年。
フロントアイのない原形7500.
名古屋名鉄新岐阜7500.jpg

時代は変わる。
それから35~40年後、つい先日、岐南駅で少し撮影をした。
地元ファンのNさんの案内で、貴重な1131Fもここで撮影できた。
岐南駅は下りのみ待避線があったが、上下とも待避ができるようになっていた。
1131Fが速度を上げて突っ走る。
010504岐南名鉄1531.JPG

後追い、展望車が後尾になる。
010504岐南名鉄1131下り後追い.JPG

その列車の折り返し快速特急。
010504岐南名鉄1131上り.JPG

ロングシート車、増結3206を先頭にした下り特急。
かつての名鉄では考えられない列車だ。
010504岐南名鉄3206.JPG

こちらは今のステンレス銀色の5000系、足回りは早々と廃車された4連1000系のものだ。
この電車は乗ると、SRのような音がする。
010504岐南名鉄5007.JPG

名鉄岐阜と名を変えたかつての新岐阜、そこに入線する1131F、昨年夏に撮影。
線路横の楽しい道路は廃止されてしまった。
名鉄1131F1431名鉄岐阜20180809.JPG

岐阜でいつも使っていた国鉄保養所へ向かう電車は旧形ALだった。
3500・3600あたりだろうか。
重厚な車内の雰囲気、ふた昔前の国鉄優等客車にも通じるものがあった。
S55名鉄AL800形車内.JPG


posted by こう@電車おやじ at 18:18| Comment(1) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月27日

加古川線のキハユニ15

加古川気動車区に可愛い気動車がいて、利用者から親しまれていた。
湘南型二枚窓を前面に持つキハユニ15形だ。
全国で15両あったキハ44000形電気式気動車を元とした形式で、正面非貫通ゆえにローカル線では使いづらく、結局は編成の端っこに連結されるのが前提の郵便荷物車に改造されたという形式だ。
余談だが、この電気式キハ44000形は日本最初のカルダン駆動の実用車両だという。
(昭和27年、私鉄各社はやっと試作を出した時期でもあった)

加古川線にいたのはキハユニ15の3,6,9で、このうち3がキハ44000形が第一次車の側面一段窓、あとの3と6は上段Hゴム固定、いわゆるバス窓の第二次車だ。

まず、僕が最初に撮影したと思われるキハユニ15の写真を。
写真を拡大してみるとどうやらキハユニ159のようだ。
この列車、2両編成だが、キハユニ15は合造車であり、お客が乗れるのは実質1.5両しかないということになる。
後ろはキハ35、撮影場所は加古川・日岡間の加古川バイパス高架下、昭和51年頃だろうか。
s51日岡キハユニ156.JPG

こちらは加古川駅に進入するキハユニ15先頭の列車。
加古川線キハユニ15は常に加古川向きで連結されていた。
加古川駅北口の情景も映り込んでいる。
キハユニ153加古川北口駅舎.JPG

接近する。
キハユニ153、キハ44000系第一次車の生き残りで、前面スカートを切りこんだ裾と、開閉式(たぶん)小窓に改造された正面窓、それに側面の客車のような一段窓が特徴だ。
キハユニ153加古川北口アップ.JPG

この列車の行先票。
キハユニ153行き先票.JPG

車番。
キハユニ153車番.JPG

夜の加古川駅で郵便荷物の積み込みをするキハユニ153。
キハユニ153加古川夜.JPG

こちらはキハユニ156、もしくは9だ。
昼間の加古川駅で荷物の積み込みをする様子。
キハユニ156?加古川.JPG

鍛冶屋駅でのキハユニ153、当時の鍛冶屋はローカル線の終点ではあったが活気のある町だった・
キハユニ153鍛冶屋.jpg

作業する職員。
キハユニ153鍛冶屋アップ.jpg

キハユニ15は郵便・荷物輸送の廃止に伴い、全車両が引退した。
国鉄車両配置表によると1980年の時点では3両とも加古川気動車区に在籍しているが、翌年には3両とも配置表からは消えている。
高砂工場には愛嬌のあったキハユニ153が廃車として留置されていた。
キハユニ153_2.JPG

廃車時の車内だ。
背刷りの低い小さなクロスシート、決して快適ではなかった。
また、台車のDT19は枕ばねが防振ゴムしかなく、その乗り心地はひどいものだった。
キハユニ151車内.JPG

岡山にいたキハユニ151も同時期に廃車となって連れてこられた。
こちらは正面が貫通式に改造されているが、何かメリットはあったのだろうか。
郵便荷物車の車内を乗客が通り抜けることはできないはずだ。
キハユニ151.JPG

その妻面。
細い車体がよけいに細く見えてしまう。
キハユニ151妻面.JPG

本編がこのブログ2018年最後の更新になります。
この一年のご愛読に深く感謝申し上げます。

皆様にとって良い新年となりますことをお祈り申し上げます。
(なお、筆者喪中につき、新年の祝詞は控えさせていただきますこと、ご承知おきください)


posted by こう@電車おやじ at 07:58| Comment(6) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月05日

「サロンカーなにわ」に乗った。

先月11月11日、友人たちから誘っていただき、「サロンカーなにわ」貸切りの「HappyTrain白馬」なるイベント列車に乗せてもらった。
僕はここ最近の旅行の大半は青春18きっぷ利用の鈍行旅行だが、改造35年目の「サロンカーなにわ」は僕にとって数年ぶりのJR特急への乗車という意味合いもある。

最近では自分でもイベント列車のお手伝いをさせていただいたり、お誘いをいただくことが増えたが、それらはすべて私鉄であり、JRのイベント列車というのはかつて写真屋時代に頻繁に乗った修学旅行団体専用列車以来ともなる。
「白馬」と銘打ってはいても、今のご時世でJR西の列車が、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道に乗り入れが簡単に出来るわけではなく、行き先は金沢だ。
なので旅行商品名も「サロンカーなにわで行く古都金沢の旅」なのだけれども、そこは鉄道ファンばかりの列車、行き先よりは列車に乗ることを重点に置き、金沢滞在は2時間弱となっていた。

いずれにせよ北陸本線をEF81が緑色の客車を牽引して走るのは、かの「トワイライトエクスプレス」を彷彿とさせるわけで、この列車の主催者の方々は「トワイライトエクスプレス」を愛してやまない方々だという。

集合場所の京都駅にて点呼、こういった確認作業、座席の設定、弁当の配布、車内イベントの実施などすべてを主催の方々がボランティアで行うのだから、こういう鉄道ファンもあるのかと改めて感じ入った次第だ。

さて列車は定刻に入線してきた。
乗客は鉄道ファンとその関係者、そこへこの列車を撮影しようとして集まった鉄道ファン、さらには、変わった列車を見て驚く一般の乗客の方々、京都駅は一時喧騒の中にあった。
牽引機は僅か2両しか在籍しなくなったJR西日本所属、トワイライトカラーのEF81114だ。
1111なにわ京都入線.JPG

人々の興奮を駅員が冷静に鎮める。
かつての国鉄ではほとんど見なかった非常に美しい女性助役だ。
1111なにわ京都駅員.JPG

列車はすぐ走り出し、車内は大半の方々が何度目かを数える恒例イベントで見知った方々のようで、非常に楽しげでにぎやかだ。

少し落ち着いたころ、展望車へ行ってみた。
湖西線を快走する。
14系客車の乗り心地は素晴らしく、客車列車にありがちな発車、停車、加減速の際のショックもほとんどない。
見事な運転が続く。
1111なにわ湖西線後部.JPG

友人でお誘いいただいたKさん、国鉄時代からの古い友人のOさんと並びの席にしていただき、列車を堪能する。
あっという間に敦賀に着く。
ここでは10分弱の停車時間があり、ホームに出てもよいとのこと。
買い物よりなにより、列車を眺めなくてはならない。

7号車のサイド。
今回の運用では列車の編成が逆になっていて、元々、北陸本線は大阪方が1号車だが、2015年から特急「サンダーバード」が金沢方向が1号車に改められていて、それに合わせたのだろうか。
山陽本線運用ではこちら側が上り方向になるはずだ。
1111なにわ敦賀7号車.JPG

向かいのホームで列車の撮影をする。
EF81114と「サロンカーなにわ」編成全景だ。
1111なにわ敦賀EF81114.JPG

機関車と次位のスロフ14703の連結部分。
1111なにわ敦賀EF81114スロフ14703.JPG

展望車スロフ14703。
1111なにわ敦賀スロフ14703.JPG

2号車、オロ14706。
このクルマが高砂で取り掛かった第一号車だ。
そして僕が実際にメンバーとして作業をさせてもらったクルマで、しかも今は「お召し」に使えるように一部側窓が防弾ガラスに変更されている。
1111なにわ敦賀スロ14706.JPG


中央の車番。
懐かしさがこみあげてくる。
1111なにわ敦賀スロ14706中央.JPG

客車編成を後尾から。
最後尾は半室展望室のスロフ14704だ。
1111なにわ敦賀編成.JPG

車体の銘板、車内銘板はすべて鷹取のものに差し替えられているが、車体には高砂が生きる。
20161103網干なにわ銘板.JPG

ここで既出であるが、高砂での改造時の様子を思い返したいと思う。
オロ14の鋼体改造の様子だ。
外観は片方の出入り台を廃止して、そこに固定窓を設置しているだけで、大きく原型を崩してはいない。
新高砂なにわオロ14改造工事.JPG

展望車スロフ14703の鋼体工事。
展望室側、便所・洗面所を撤去し、そこに展望室を組み立てた。
新高砂なにわスロフ14703工事鋼体.JPG

ダクトは夏場の固定窓車の作業ゆえ、作業用の冷房装置だ。
上の写真と比すと尾灯掛けがついているのが分かる。


新高砂なにわスロフ14703作業展望室側.JPG

車掌室側の工事。
丸妻を切妻に改造した。
ライバル、大宮工場施工の「サロンエクスプレス東京」では、丸妻を残したことで、ここに車端ダンパーを付けることができず、乗り心地の面での不安が残ったが、その点はさすがに「基本に忠実」の高砂工場で、車端ダンパーも取り付け、特急列車としての乗り心地の維持を図っている。
新高砂なにわスロフ14703妻鋼体.JPG

塗装職場で全塗装が完了したオロ14706。
新高砂なにわオロ14706塗装完成2.JPG

場内試運転の様子。
新高砂なにわオロ14入替.JPG

オロ14706の車内。
客室内張は淡いグレーのビニールクロス、クーラーカバーは茶色に塗装され、照明器具の金属部分は金色、荷棚には茶系のプラ製カバーが付いた。
天井右側の斜めになっている個所は暖房器具で、クーラーのように送風の向きを変えることができた。
ただし、頭の上から暖気が来るわけで、この点は当時から改善の要ありと思ったものだ。
カーテンはむき出しの住宅用カーテンレールにキセなしでぶら下がり、雰囲気を盛り上げる。
新高砂なにわオロ14706車内.JPG

仕切ステンドグラス部分。
新高砂なにわオロ14706車内ステンドグラス.JPG

反対側の大型プロジェクター。
カラオケ機能付きだ。
新高砂なにわオロ14706車内プロジェクター.JPG

スロフ14703の完成外観。
新高砂なにわスロフ14703外観二位側.JPG

やや正面寄りにて。
新高砂なにわスロフ14703外観斜め.JPG

まったく丸妻の面影がなくなった車掌室側。
新高砂なにわスロフ14703後位.JPG

スロフ14703の車内。
座席は少なく、この点では座席を工夫してたくさんの人が座れるようにした「サロンエクスプレス東京」の使い勝手に軍配が上がるかもしれない。
内張はアルミデコラを平滑に加工して、その上に住宅用の淡いグレーのビニールクロスを張り詰めた。
天井のクーラーカバーは茶色に塗装され、照明器具の金属部分は金色だ。
総じて当時の喫茶店やバーのようなイメージだった。
新高砂なにわスロフ14703車内展望室.JPG

ビュッフェカウンター。
基本的な調理機能を持ち、列車食堂として営業できるようになっていた。
新高砂なにわスロフ14703車内ビュッフェ.JPG

完成したスロフ14703、車番は「サロンエクスプレス東京」の続番とされた。
新高砂なにわスロフ17703一位側.JPG

職員・家族・施工関係者向けの内覧会にて、まだ幼かった僕の妹二人だ。
新高砂なにわと妹.JPG

公式完成発表会。
後ろの巨大な建屋は木工職場の製材場だ。
新高砂なにわ完成.JPG

1983年(昭和58年)に完成し、各地で展示会が行われた。
これはその時の回送列車を加古川駅東側で撮影した写真だ。
EF651125がけん引してくる。
加古川野口EF651125サロンカーなにわ.jpg

半室展望車のスロフ14704が次位につながる。
加古川野口EF651125サロンカーなにわサイド.jpg

編成中ほど。
加古川野口EF651125サロンカーなにわサイド2.jpg

この時は未だ6両しか落成していなかった。
加古川野口EF651125サロンカーなにわサイド3.jpg

編成全景。
最後尾がスロフ14703で全室展望車だ。
加古川野口サロンカーなにわ全景.jpg

走りだすと、なかなか情報のない当時とあって、「サロンカーなにわ」にまみえることは非常に少なくなった。
見たいとは思ってもいつ走るかわからないことが多かった。
たまたま、快速電車に乗っていて、向かいのホームにEF5812がけん引する「サロンカーなにわ」に出会えた時は嬉しかった。
駅は京都駅だろうか。
EF5812なにわ京都.JPG

「サロンカーなにわ」は、その後、鷹取工場で更新工事を受けた。
外観は金帯が黄色になったくらいで変化は少なかったが、内装は大きく変化した。

網干総合車両所公開の時のスロフ14704、展望室の内部。
ビニールクロスは普通のアルミデコラに改められた。
サロンカーなにわ、現代の車内2.jpg

最近はネットで情報が出回るようになり、時間が合えば近所で撮影を楽しむこともできるようになった。
国鉄色EF65による団体列車、大蔵谷駅にて。
0614EF65サロンカーなにわ大蔵谷1.JPG


舞子にて「サロンカーあかつき」
今の時代に奇跡的に復活した一日だけの夜汽車。
サロンカーあかつき舞子.jpg

トワイライトカラーに改められたEF651124による列車、これも大蔵谷、明石の天文科学館時計塔を背景にやってくる。
0403大蔵谷なにわEF651124b.JPG

朝霧方向へ去る列車。
0403大蔵なにわ客車.JPG

東垂水駅にて。

0409東垂水EF651124サロンカーなにわ.JPG

明石海峡大橋の方向へ・・・
0409東垂水サロンカーなにわ.JPG

夜の垂水駅、今回のメンバーによる貸し切り列車だ。
1008垂水なにわEF651135B.JPG

展望車内ではじゃんけん大会が開かれていたそうだ。
1008垂水なにわ後尾A.JPG

余韻を残し列車は去る・・・
1008垂水なにわ後尾C.JPG

話を先月のイベント列車に戻そう。
金沢へ入線する帰路の列車。
1111なにわ金沢入線.JPG

スロフ14703の車内。
1111なにわスロフ14703車内.JPG

高砂時代の面影もかなり残っているように思う。
1111なにわスロフ14703車内2.JPG

列車は気持ちよく北陸本線を走る。
途中、制輪子に何かを挟んだようで発煙し、安全点検が行われたが、それもクリヤして・・

客車列車というものがこれほどに乗り心地の良いものであるとは…あらためて実感する。
1111なにわスロフ14703後部展望.JPG

日の暮れた京都駅に到着。
35年ぶりの「サロンカーなにわ」への乗車はお開きとなった。
1111なにわ京都到着.JPG

製造45年改造35年、客車ゆえ、難しい制御機器が存在せず、手入れさえ続ければまだまだ使えるとは思うが、今度は機関車が残り少なくなってしまった。

今回の機会にお誘いいただいた友人たちに深く感謝するとともに、「サロンカーなにわ」が少しでも永く、無事故で活躍してくれることを心から祈念する。
posted by こう@電車おやじ at 13:29| Comment(0) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

山陽電鉄5000系の32年

僕は昭和61年5月に国鉄を休職とし、一年間、高砂市のカメラ店で教えを請うことになった。
ちょうどその時と軌を一にして登場したのが山陽電鉄5000系電車だ。
翌年、国鉄が分割民営化されることが決まっていて、巨大な私鉄「JR西日本」が出現するわけで、山陽電鉄としてはいまだに凝っていたツリカケ式の旧型電車を一掃し、一気に冷房化を向上、さらにはクロスシートで新しいサービスを提供することで、巨大ライバルに抗うのがこの電車の目的だったようだ。
なので一気に7編成が登場、利用者や沿線住民を驚かせた。
写真は「新型電車登場」の看板を付けて、高砂線橋脚の残る加古川橋梁を行く5004F5602。
山陽5602登場時加古川.jpg

その先頭のアップ、カラーネガの劣化が酷く、モノクロ処理したカットだ。
S62山陽5602加古川橋梁BW.JPG

ただ、当時の僕は多忙を極めていて、写真業界のおよそ労働基準法などというものが通用しないことを身をもって知ったことでもあり、すぐ近くの山陽電鉄の撮影にはなかなか行けなかった。
それでも時間をこじ開けて、線路際へ数度は行っただろうか。

はじめて、この電車を見た瞬間に・・惚れた・・と言っても過言ではない。
均整のとれた上品で、それでい力強いデザインはそれ以降、これまでに登場していた南海1001、名鉄7000・7500、京阪3000、阪急6300、国鉄117といった大好きな電車たちと自分の中で並ぶほどの電車となった。
鉄道車両のデザインとしても、国鉄153系、キハ82系、名鉄5200系、京王5000系といった名車に匹敵する品位と風格があるものと思っている。
無駄がなくシンプルでありながら、風格とスピード感、明朗性のある素晴らしいデザインだ。

当初、3両編成で登場したのは「普通車」(山陽・阪急・阪神では普通列車のことをこう呼ぶことが多い)専用として企画され、「どうせ空いている普通車」だから、ゆったり座って新聞でも読みながら通勤してもらおうという趣旨から、名鉄6000系のような固定クロスで登場した。
ただ、名鉄6000よりはるかに座席はきちんとしていて、ライバルの国鉄近郊型113系よりすっと楽に座っていられるようになった。
写真が座席。
S62山陽5008車内座席.JPG

車内の様子。
この座席の色調から「マロンシートカー」と愛称が付けられたが、ほとんどその愛称は浸透しなかった。
S62山陽5008車内.JPG

なお座席の色調は先頭車と中間車では分けられていた。

登場したばかり、まっさらの5008。
大塩駅にて。
S62山陽5008大塩.JPG

特急列車は3000系ばかりだった時代だ。
冷房改造された特急3018がこの5008を追い越す。
S62山陽5008・3018大塩.JPG

3連で走る5012。
加古川橋梁。
山陽5012F3連加古川.jpg

こちらは5006F5603。
秋加古川山陽5603.jpg

車内設備が優秀で、乗り心地の良い5000系は、利用者からもちろん非常に好評となり、すぐに特急列車への要望が出るようになる。
そこで中間車を増備、特急列車にも3000系に交じって使われるようになった。

4連化され特急運用に就く5008F5604。
S63山陽5604加古川橋梁.JPG

3000系と出会う5006F5603。
1991山陽5603加古川橋梁.JPG

山陽電鉄は阪急・能勢電とともに、系列の最初の車番が0の会社だ。
トップナンバー5000F5600の普通。
1991山陽5600加古川橋梁.JPG

加古川橋梁を4連化された5000系が行く。
1990山陽5000系4連サイド加古川橋梁.JPG

こちらは3連のままの編成だ。
1990山陽5000系3連加古川橋梁.JPG

5000系正真正銘トップナンバー。
この編成はこの頃から窓柱の黒塗りがなされた。
1993年頃、尾上付近。
1990山陽5000尾上.JPG


サイド・・僅かな違いだがこの黒塗りの窓柱によって特別な電車に見える。
1990山陽5000尾上サイド.JPG

上記の事情から2番目の車両には1が付くが、5000系は3000系と同じくMc偶数、M’奇数で連結されていて、神戸側Mcには奇数号車が存在しない。
こちらは5002FのTc5601。
(なお山陽電鉄ではMc=クモハ、M=モハ、T=サハ、Tc=クハとカタカナが付くのが正式ではあるが、ほとんど使われることはないので本稿でもカナ記号は省略する)
平成7年、震災直後の三宮直通看板を付けている。
須磨駅。
1990山陽5601須磨.JPG

国鉄改革の年の夏、僕は六甲の写真スタジオに弟子入りし、板宿から通うことになる。
引っ越してすぐにダイヤ改正があり、特急の板宿停車が実現、好きな山陽電車の特急は、板宿から阪急六甲まで乗り換えなしで結んでくれた。
板宿駅の5012、阪急六甲行き特急。
1991山陽5012板宿.JPG

実は窓柱を黒く塗ったのは最初はこの増備Tだった。
5511、尾上付近。
1991山陽5511尾上.JPG


1991年(平成3年)春、電鉄明石駅が高架で開業し、山陽明石駅となった。
この時のダイヤ改正で大塩での締め切りはあるものの本線では6連特急の運転が開始された。
それまでは朝ラッシュの通勤時の特急は大混雑だったが、一気に混雑が緩和、しかも投入された新車は
自動転換装置を備えた豪華な転換クロス車で、ますますこの電車が好きになったものだ。
僕の六甲への通勤は非常に快適なものとなった。

高架なった明石駅に新車、5020F5610が入構する。
明石高架化感性山陽5610.jpg

こちらは5018F5609。
1995山陽5609明石.JPG

夕日に向かって発車していく5018。
1995山陽5018明石.JPG

阪急六甲駅に乗り入れた初日の5022。
阪急電車と比べても遜色のないデザイン、引け目を感じない6連。
阪急六甲駅俯瞰山陽5022他6連.jpg

平成7年には震災で半年以上も神戸高速を通って三宮に行くことができず、地下に封じ込められた2編成の5000系6連は、その頃は垂水から大阪に通勤していた僕にとって、通勤経路上に存在するオアシスでもあった。

震災後、阪神とともに、JRへの対抗に後がなくなったのか、ついに直通特急が梅田・姫路間を結ぶことになった。
当初は30分ヘッドで従来の山陽電鉄線内の特急も残した設定だった。
はじめ、列車愛称が「姫路ライナー」「大阪ライナー」とついていた。
5016F、5608の直通特急。
霞ヶ丘にて。
山陽5608霞ヶ丘.JPG

こちらは阪神9000系の直通特急。
この色合いは当初、山陽電車の車両であると思われた一般乗客の方も多かった。
阪神8209霞ヶ丘.JPG

その後、山陽電鉄の特急はほとんどが直通特急となり、そのまま梅田まで行けるようになった。
さて、ここからは各編成の写真をご覧いただこうと思う。


5000F、今も4連で残る編成だ。
大蔵谷駅にて。
山陽5000俯瞰大蔵谷.jpg

須磨浦公園駅西方で折り返しの阪神2000系の脇を通過する5600。
199山陽5600須磨浦公園阪神2000系.JPG

別府にて一瞬、後輩の5030系5633と並んだ5600。
0817別府山陽5633・5600.JPG

6000系登場まで、直通特急用の編成が予備1本しかなく、普段は4連のこの編成もほかの編成に編成に組み込まれて梅田まで顔を出していた。
阪神尼崎にて。
0427阪神8245・山陽5000.JPG

5002F、春の盛りの須磨歌公園を行く。
春須磨浦山陽5002.jpg

大蔵谷駅にて。
上記の5000Fと合わせて2本しかない4連だ。
0214大蔵谷山陽5002.JPG

宵の帳の降りる江井ヶ島にて5601.
1226江井ヶ島山陽5601.JPG

5004F・・
中間の増備車が5030系になり、編成内のバラエティに富んだ編成だ。
最近、更新され5702Fとなった。
今の西二見付近を行く。
山陽5004現西二見.JPG

大蔵谷駅を高速で通過する。
0913大蔵谷山陽5004.JPG

神戸より2両目は5005。
0913垂水山陽5004F5005.JPG

3両目は5502。
この車両は4連化の際に追加されている。
0913垂水山陽5004F5502.JPG

4両目は5252。
5030系の増備でVVVF制御車。
0913垂水山陽5004F5252.JPG

5両目は5235、こちらも5030系の増備車だ。
0913垂水山陽5004F5235.JPG

5602を先頭に塩屋付近を行く。
山陽5602塩屋.jpg

5006F、朝霧付近を行く。
この編成も中間に5030系を連結している。
0919朝霧山陽5006.JPG

5603・・雨の阪神大石駅で近鉄電車と出会う。
5000系登場30年余り、まさかこういうシーンが実現するとは思わなかった。
山陽5603近鉄1027大石.jpg

5008F・・
高砂にて。
0103高砂山陽5008.JPG


山陽電車のラッピングは時に度肝を抜かされることがある。
須磨浦ロープウェイの意匠をデザインされている。
0802江井ヶ島山陽5008.JPG


加古川橋梁で5610と並ぶ5604。
0505山陽加古川橋梁5604・5610.JPG

5010F・・
阪神きっての高級車、9300系と並ぶ。
大蔵谷駅にて。
0403大蔵谷阪神9501・山陽5010.JPG


同じ大蔵谷で阪神8000系と並ぶ。
0620大蔵谷山陽5010・阪神8237.JPG

ミーツカラーズ台湾号のラッピングを施された5010が尼崎で阪神、近鉄の電車と並ぶ。
1217尼崎近鉄93237・阪神8229・山陽5010.JPG

大蔵谷にて5605。
0817大蔵谷山陽5605.JPG

5012F・・
大蔵谷で3000と並ぶ・・
山陽5012・3000大蔵谷20130624.jpg

西灘にて、近鉄特急車と一瞬の出会い。
0329西灘山陽5606・近鉄22805.JPG

朝霧付近にて。
0919朝霧山陽50127.JPG

妻鹿にて5606。
山陽5606妻鹿.jpg

5014F・・
伊保付近。
0505山陽伊保5014.JPG

5607を先頭に塩屋付近を行く。
0703塩屋山陽5607.JPG

5016F・・
加古川橋梁にて。
0506加古川橋梁山陽5016下から.JPG

最近の企画だった、アニメとのコラボ、「さくらとお出かけ」号。
別府にて・・
色調のはっきりしない帯色がせっかくの好スタイルを壊していたような気がする。
山陽5608さくらとおでかけ別府.jpg

阪神8000系赤胴と甲子園で並んだ5608・・
阪神8230・山陽5608甲子園.jpg

5018F・・
高架なった西新町にて。
1121西新町山陽5018.JPG

5609、西代陸橋を潜る地上時代。
未だ幌が設置されていなかった新車の頃。
山陽西代5609.JPG

今の様子、大塩にて。
0302大塩山陽5609.JPG

5020F、塩屋付近を行く。
カーブの多い区間でさほど速度は出ない。
この編成と次の5022Fは、当初から自動転換装置付きの転換クロスを装備した。
0703塩屋」山陽5020.JPG

新車時代のわずかな間は4連だった。
塩屋にて。
1991山陽5610塩屋.JPG

地上時代の板宿にて。
山陽電鉄板宿5610.jpg

5022F・・
5000系としての最終の編成だ。
今の西二見付近にて。
山陽5022現西二見.JPG

阪神梅田に到着した直通特急。
0905阪神梅田山陽5022.JPG

5611、大蔵谷にて。
0808大蔵谷7山陽5611.JPG

震災後に運転開始された直通特急用として山陽初のVVVF制御車、5030系が登場した。
この系列では両端先頭車がいずれもTcとなり、5630形が先頭に出るということになった。
5630F・・
東垂水にて。
3列転換クロスを備える。
0913東垂水山陽5630.JPG

5631、姫路側が奇数の附番となった。
大蔵谷。
0827播磨町車内から山陽5631.JPG

こちらはNHK大河ドラマとのコラボ、官兵衛ラッピング。
0928大蔵谷山陽5631官兵衛.JPG

5632F・・
荒井にて。
利用客激増で今は朝夕に直通特急も停車する。
0103荒井山陽5632.JPG

5633、山陽5000系列として最終の先頭車両。
自然の残る八家付近。
0303八家山陽5633.JPG


山陽5000系の魅力の一つに車内の多様さがある。
固定クロスを転換式に改造した車両。
5015.
1107山陽5014F5015車内.JPG

自動転換装置付き転換クロス、5510。
1107山陽5014F5510車内.JPG

側窓が変更された5206。
1107山陽5012F5206車内逆.JPG

座席、窓側にひじ掛けもついている。
1107山陽5012F5206座席.JPG


5030系、5632、三列の転換クロス。
1107山陽5632F5632車内.JPG

ひとり掛けシート、山陽では最高の座席だ。
1107山陽5632F座席.JPG

ラッシュ対応、阪神での野球輸送対応に梅田型先頭車がロングシート化された。
だが、紅い座席が印象的な車内ではある。
5014。
1107山陽5014F5014車内.JPG

昨年から5004Fに対して更新工事が行われた。
先ごろようやくデビューして運用に就いている。
阪神尼崎での5702、梅田側2両はVVVf制御化され、改番された。
1101尼崎山陽5702.JPG

車内は4両がロング化され、2両が三列転換クロスとなった。
1101梅田山陽5234車内.JPG

しかし、5000系列の素晴らしいデザインが下手にいじくりまわされたような気になるのは僕だけだろうか。

座席のロング化も残念だが、それは輸送の事情もあろう。
しかし、ほぼ最高峰クラスと言えるエクステリアデザインは、できればそのままに維持してほしかったというのが僕の本音だ。
1030別府山陽5602・2.JPG

更新は年に1~2本のペースで進むという。
それなら5000系の素晴らしいデザインを眺めることができるのもあと数年ということになるのだろうか。

もっとも、山陽5000系と同世代である名鉄5700系はすでに廃車も進行しているから、まだ使ってくれるだけ良いのかもしれない。
0409東垂水山陽5008・5000.JPG


posted by こう@電車おやじ at 20:57| Comment(4) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする