2019年06月11日

山陽新幹線への憧れ

昭和48年4月、わが家族は大阪から加古川市に転居、それは父の転職によるものだった。
そのとき、荷物と一緒に先行した父以外の大家族は山陽電車、電鉄別府駅で下車、電車を下りた途端、目の前を山陽新幹線の列車が派手にパンタグラフからスパークを飛ばして、突っ走っていった。

中学生になったばかりの僕の目には、驚愕の風景だったのは間違いがない。

新幹線そのものは、わが父方の家系が関東方面に縁が深く、幼少の頃より何度も乗車しているが、沿線で走っている姿を、それも間近で見たのは初めてだったのだ。
その電鉄別府駅での新幹線列車、これはその後、10年ほど後の撮影だ。
別府0系.JPG

当時の新幹線電車(まだ0系という系列名はなかった)は16連でパンタグラフを8基上げて、走行音もそうだが、パンタグラフの騒音、また派手なスパークとともに発生する誘導障害が大きな問題になっていた。
別府0系2.JPG

当時は新幹線と言えば、同じ系列しかない時代、国鉄入社後も新幹線には電車のような〇〇〇系という呼び名がないことが不思議だった。
ただ現場は形式で呼んでおり、26形とか37形で十分だったのだろう。
鉄道ファン誌では「000系」と記されていたが浸透はしていなかったように思う。
西明石駅で名古屋へ電車を見に一人旅した時のスナップ。
こだま国鉄0系西明石.JPG

自転車で加古川橋梁を見に行き、まともに新幹線を撮影した初めてのカット。
0系加古川.jpg

これ以降、いまだに僕は加古川橋梁には撮影に出かけていて、ここに来る度、自分が歳をとっても変わらないことに、我ながら呆れたりもする。
当時の中学生鉄道ファンのお目当ては「特急」か「機関車」だったから、時に新幹線も撮影する僕は、仲間内でも相当変わった者とみられていたようだ。
同じ形しか来ない新幹線はそれほど、鉄道ファンには人気がなかった。
0系顔加古川橋梁東.JPG

背景は飯盛山、低い山だが当時から望遠で遠近感を圧縮すればまるですぐ、うしろにあるかのように見えるのが好きだった。
0系サイド飯盛山背景.JPG

後尾、こうしてみると当時の新幹線はやはりかっこいい。
0系サイド飯盛山背景2.JPG

高御位山を背景に新幹線が行く。
加古川橋梁0系高御位山0系.JPG

100系が登場して、初代の新幹線電車も「0系」と呼ばれるようになった。
加古川橋梁は空が広く、新幹線車両の車体色とマッチした写真が撮れるので好きだった。
この頃から、自分以外に新幹線を撮影する人に出会うことが増えた。

100系が出会う。
加古川橋梁新幹線100系出会い3.JPG

ちょうど片方のダブルデッカーの部分に片方の先頭車が来た。
抜群のタイミングだ。
100系出会い加古川.jpg

もうこうなると列車の写真というより空の写真だと自分で苦笑する。
しかし、この100系の出会いを撮影できたことは写真を趣味としていくことに大きな励みとなったのも確かだ。
加古川橋梁新幹線100系出会いサイド.jpg

「グランドひかり」と呼ばれる豪華な編成も登場した。
グランドひかり100系16連加古川橋梁.JPG

その中間車、ダブルデッカー4連、JRがまだ、新幹線にも旅を楽しんでもらう工夫をしていた頃だ。
グランドひかり100系中間車.JPG

0系にも「ウェストひかり」が登場した。
当初は6連で、のちに12連も登場した。
ウェストひかり0系12連加古川橋梁.JPG

反面、山陽区間の「こだま」は6連のものも登場した。
加古川橋梁新幹線0系6連.JPG

サイド・・
加古川橋梁新幹線0系サイド下り側.JPG

100系が走る、背景は当地の名所、石の宝殿だ。
100系加古川橋梁東石の宝殿背景.JPG

100系のハイデッカー、これは通常の編成だ。
100系秋加古川中間車.jpg

新幹線にさらに新型が登場した。
300系とのことだ。
当初はこの系列のために登場した、「のぞみ」に使われた。
加古川300系16連.jpg

0系から100系への進化はよくわかるが、この300系は山陽区間では何となく影が薄い。
300系横顔加古川.jpg

加古川でのサイド。
山陽新幹線300_4.jpg

これは岡山での撮影だ。
新幹線300東岡山.JPG

ずっとのち、今の地元、長坂での撮影。
300系長坂.JPG

こちらは後継に「のぞみ」を譲り、「ひかり」で運用される様子。
西明石。
300系西明石.JPG

山陽新幹線と言えば、なんといっても500系だろう。
革新的なスタイルはまさに速さの象徴だ。
登場間もないころ、加古川で見た姿にはしびれた。
新幹線500系加古川.jpg

サイドビューはことのほか美しい。
のぞみ500系サイド加古川.jpg

当時は2時間毎に「のぞみ」で走っていたかと思う。
500系のぞみ加古川橋梁1.JPG

西明石駅にて、500系が0系を追い抜く。
新幹線500・0西明石.JPG

500系が300系を追い抜く。
西明石500系のぞみ.jpg

500系とさほど変わらずに登場したのが700系、ただスピードは出ないし、500系の陰に隠れて地味な存在に思えた。
鉄道ファン目線で見ると下膨れの可愛い顔、すっきりとした外観は清潔感に溢れ、決して嫌いな車両ではない。
西明石での700系。
0313西明石700系.jpg

地元、長坂でのサイド。
0318長坂700系.JPG

加古川橋梁を行く。
0508加古川橋梁700系下り.JPG

加古川にて16連の700系。
0505加古川橋梁700系16連.JPG

700系レールスター。
当初、「ひかりレールスター」として登場、ウェストひかりを置き換えた。
後に後継のN700系7000番台の登場によりほとんど「こだま」運用となった。
ただ、個人的には700系はシンプルな方が美しく感じる。
夕陽を浴びて加古川を渡る。
0302B加古川新幹線700レールスターこだま.JPG

明石川を望むショッピングモールから。
0306明石川700系レールスターこだま.JPG

地元長坂での様子。
0226長坂700レールスター.JPG

923形新幹線電気軌道試験車・・愛称「ドクターイエロー」
700系ベースで開発された高速試験車で、ネット時代になってある程度運行が予測できるようになり、撮影チャンスが増えた。
加古川、飯盛山背景。
0302加古川新幹線8・923D.Y..JPG

夕陽を浴びて走る。
0206加古川橋梁D.Y.1.JPG

西明石駅、先輩の500系と並ぶ。
新幹線で最も人気がある組み合わせだ。
0807西明石上り500系こだま・D.Y..JPG

雨模様の夕方、同じシーンでも印象が変わる。
0117西明石500・D.Y. (4).JPG

N700系。
JR東海が「700」をブランドイメージにしたいそうで、700→N700⇒N700A⇒N700Sと進化、私鉄並みにN700系は770系とすれば分かりやすい・・・かな??
長坂で一瞬の出会い。
長坂N700流し撮り.JPG

西明石で先輩500系を追い抜く、
0313西明石500系N700系二本目.jpg

加古川での一瞬の出会い。
0711加古川4・N700離合.JPG

江井ヶ島にて、風がなく水鏡になった日。
0928・12江井ヶ島N700A水鏡.JPG

N700系7000・8000番台。
九州新幹線開業用で、「みずほ」「さくら」「つばめ」のほか、山陽区間の「ひかり」「こだま」にも使われる。
写真表現するには何とも難しい水色の車体だ。
日没後の江井ヶ島を行く。
20181207江井ヶ島N700さくら.jpg

日没、ずいぶん経過してまもなく夜になるころ、加古川を行く。
まるで夜行列車の趣だ。
1129加古川橋梁N700さくら日没後.JPG

別府で山陽電鉄と並んだ。
0618別府山陽6100・N700.JPG

500系は「こだま」に転用され、JR西としての遊び心が加えられるようになった。
エバンゲリオン塗装。
長坂。
0601長坂EVA500A.JPG

明石川。
0328明石川500EVA1.JPG

新神戸でN700系と500TypeEVAが並ぶ。
500TYPE・EVA、N700新神戸.jpg

ハローキティ。
長坂。
0820長坂ハローキティ500系.JPG

加古川橋梁。
1217加古川橋梁500系下りKitty.JPG

基本的に、僕が新幹線を撮影するのは姫路から新神戸の間の地元が大半だ。
地元の街を駆け抜けるその姿が好きなのかもしれない。

数度、地元以外で撮影したことはあるが、いずれも他の鉄道を訪問する「ついで」で、新幹線のために遠方へ撮影に出かけたことはない。
僕にとって高速で突っ走る新幹線は、あの別府の駅で見た衝撃を今も引きずっていて、それがまたカッコよく感じるのだ。

そして今、一番ハマっているのは、「こだま」で走る500系だ。
編成は短くなったが、なんだか地元のスーパーアイドルのような気がするから不思議だ。

西明石にて。
0313西明石500系到着.jpg

長坂。
0430長坂上り500系.JPG

江井ヶ島。
0928・16江井ヶ島500系下りこだま水鏡後尾.JPG

畑の中を走る・・・
1231南別府500系上り2.JPG

伊川谷の丘の上を走る。
0101500系こだま下り.JPG

夜の西明石にて。
西明石下り500系サイド.jpg

高砂市と加古川市の境に位置する名峰、高御位山を背景に・・
ドクターイエローが行く。
高御位山とD.Y..jpg

500系こだまが行く。
0601加古川橋梁山陽500系上りこだま.JPG

新幹線よ、どうかこれからも速くて安全な、庶民のスターとして活躍してくれることを念じながら。
N700夕景イメージ.jpg
posted by こう@電車おやじ at 23:42| Comment(0) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

府境の京阪電車

府県境付近は、人や物資の交流もぐんと少なくなることから、開発も遅れ、大都市近郊であっても、いつまでも長閑な風景が残っていることもある。
今回は大阪府・京都府の府境(ふざかい)付近での京阪電車の風景を取り上げたい。
撮影時期は昭和55年ごろから58年ごろにかけてだ。

かつての京阪特急は京橋・七条ノンストップであり、中間の駅で下車するには急行以下の種別を使うしかなかった。
それでも、特急に乗れなくても、この場所の風景が好きになり、一時は足しげく通ったものだ。

淀川沿いの花街のあった風情の残る橋本、そこに入る2600系・・・
京阪橋本2816.JPG

春、桜の向こうを走る1900系、古風な外観がこの場所の雰囲気にふさわしい。
京阪橋本1900系と桜.JPG

編成中間と桜・・
京阪橋本1900系中間と桜.JPG

1902を先頭にした普通電車。
京阪橋本1902.JPG

向きを変えて、同じ電車を撮影する。
京阪橋本1902サイド.JPG

1900系も当時は7連で走っていた。
北摂の山を眺めながらかつての特急車が行く。
京阪橋本1900系7連.JPG

1910・・1810系からの改造車だ。
京阪橋本1910.JPG

1925、こちらは「新」1900系。
京阪橋本1925.JPG

2400系が7連で行く。
京阪橋本2200系7連.JPG

府境で3000系特急が出会う。
京阪橋本3000系出会い.JPG

この場所は特急が出会うポイントでもあったようだ。
特急の車内では、ながらく都市部を走ってきた車窓が、穏やかな緑に変化するこの付近の景色にほっと一息をつく乗客があったのだろう。
ホンのひと時、京阪電車のオアシス的な風景で、クロスシートの値打ちも出るというものだ。
京阪橋本3000系出会い2.JPG

3008のサイド。
京阪橋本3008サイド.JPG

2600系が4連で行く。
当時、2000系からの改造が終わったころだろう。
京阪橋本2600系4連.JPG

5000系が行く。
この辺りには場違いに見える日本初のラッシュ対応、多ドア電車・・
京阪橋本5557.JPG

5000系のサイド、角ばった車体、機能本位のデザインがかえって清々しく、気持ちの良いデザインだ。
京阪橋本5605.JPG

5606を先頭に行く5000系。
京阪橋本5606.JPG

カラーポジ原版、実は露出設定を失敗していて、露出オーバーになっていた原版を、画像処理で復元してみた。
北摂の山を背景に5000系が行く。
京阪橋本5000系カラー.JPG

3000系、この5000と3000の両方をほぼ同じ時期に製造した京阪電車の、きめの細やかなサービスは賞賛に値する。
京阪橋本3000系カラー.JPG

3000系特急の出会い。
京阪橋本3000系特急出会い.JPG

1900系、京阪電車の特急車格下げ改造はデザインも優れ、上品な一般電車に仕上がるように思う。
京阪橋本1900系2.JPG

橋本・樟葉間を歩くことが多かった。
樟葉よりの区間で・・・
3012先頭の特急・・画面左は淀川の土手だ。
京阪樟葉3012.JPG

その後ろは3511だった。
京阪樟葉3511.JPG

1900系編成が行く。
京阪樟葉1928.JPG

3513先頭の特急。
京阪樟葉3513.JPG

5000系と1000系が並んだ。
5556と1006だ。
先ごろ、この5556が引退した。
京阪樟葉5556・1006.JPG

樟葉駅ではまだ昇圧前で、登場したばかりの4連の6000系が見られた。
京阪樟葉6051・4連.JPG

今やこの辺りの風景は激変した。
開発業者や自治体には、ある程度は都市圏にあっても、日本独特の田園風景を残す努力をするべきではないかと思うのは、古い人間の妄想にしか過ぎないのだろうか。

春の田圃に少女たちが集まって遊ぶ、その向こうを1900系が行く。
京阪橋本1900系と少女たち.JPG
posted by こう@電車おやじ at 19:23| Comment(4) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

153系ブルーライナー

京阪神の新快速は当初は113系でスタートしたが、昭和47年のダイヤ改正で急行用車両の失業対策の一環として、当時の国鉄では破格の急行用153系による運転に変更された。
この時、湘南色の車体塗装を改め、グレー地にブルーの帯で登場、「ブルーライナー」の愛称も与えられた。
国鉄離れした明るい色合いは評判を呼び、ブルーライナーという言葉もあっという間に広がった。
西明石駅には同名の喫茶店が誕生し、長年にわたって営業を続けた。

このブルーライナーの大評判こそ、今の新快速発展のその原点だ。
新快速を運転するにあたって「特別快速」とせず、「新快速」というネーミングを採用したことも当時としては斬新で、お上の鉄道たる国鉄にしてはずいぶん思い切ったことだったのだが、その専用車両を急行型から転用、明るく斬新な塗装に変更、さらにダイヤは特急並み、まさに当時としては破天荒な列車が登場したわけだ。
写真は昭和51年、須磨駅での撮影だ。
153系ブルーライナー須磨駅.JPG

夢前川を渡る153系、姫路から新快速になるためすでにヘッドマークが用意されている。
国鉄夢前川153系新快速.JPG

姫路駅、美しいサイドのブルーライナーが停車中。
153系ブルーライナー姫路駅Side.JPG

115系電車と並ぶ様子。
153系ブルーライナー姫路駅115系と.JPG

その列車のアップ。
当時の新快速は朝9時から夕方16時台までの運転だった。
この編成は先頭がクハ165で、乗り心地が良く、乗るときは好んで乗ったものだ。
153系ブルーライナー姫路駅停車.JPG

クハ165の車内。
基本的にクハ153と変わりはないオールクロス、デッキ付きだが、座席手すり、天井の造作などに時代の進化を感じたものだ。
急行型車両はエアサス、車内仕切により静かで快適な乗り心地だった。
急行型クハ165車内新快速.jpg

宝殿・曾根間、法華山谷川付近にて。
上りの後追い。
宝殿西153新快速後追い.jpg

上りのアップ。
153系ブルーライナー法華山谷川アップ.JPG

下り列車が貨物と出会う。
153系ブルーライナー法華山谷川東.JPG

宝殿駅構内。
サイドビュー。
153系ブルーライナー宝殿駅Side.JPG


通過する新快速。
低運転台の初期型の軽快感が好きだ。
新快速_153宝殿 (2).jpg

こちらは朝夕の快速運用、ヘッドマークは横棒3本だ。
6連2本、12連で運用されていた。
宝殿153快速クハ165.JPG

その列車の後追い、大窓初期型が美しい。
宝殿153快速低運.JPG

加古川橋梁西側・・築堤上を行く新快速。
153系ブルーライナー7加古川橋梁西側.JPG

加古川橋梁、出会う新快速、一瞬、シャタータイミングがずれた。
153系ブルーライナー加古川橋梁並び.JPG

その列車のアップ。
153系ブルーライナー加古川橋梁アップ.JPG

中間車モハ153-15.
153系ブルーライナー加古川橋梁Side153-15.JPG

加古川駅、上り新快速。
153系大窓新快速加古川.jpg

明石駅、電車線を入線する新快速。
153系ブルーライナー明石駅入線.JPG

こちらは高運転台クハ153-500台。
153系ブルーライナー明石駅アップ.JPG

朝霧、並行する山陽電車の普通電車車内から撮影。
153系ブルーライナーS51朝霧」山電車中から.JPG

須磨海岸、湘南色の原色クハ153。
背景は夏の浜辺だ。
153系ブルーライナー湘南色先頭須磨.JPG

こちらはブルーライナーカラー初期型。
153系ブルーライナー大窓須磨.JPG

松林の合間から新快速を見る。
海2須磨浦公園153系.jpg

昭和53年のダイヤ改正から神戸駅に停車が実現した新快速、まだホームは閑散としている。
153系ブルーライナー神戸駅停車初日S53.JPG

神戸駅、乗客が少しずつ増えてきた。
153系ブルーライナーS53神戸駅.JPG

上牧近く、山崎・高槻間。
153系新快速編成。
153系ブルーライナー上牧編成.JPG

この編成は中間車MM'が湘南色だ。
153系ブルーライナー上牧湘南色中間.JPG

その湘南色・・こちらはクハ165を先頭にした急行「比叡」、遠くに117系新快速が迫るのが見える。
153系クハ165急行比叡.JPG


サイドから・・急行型車両としては非常に秀逸なデザインだったと思う。
153系ブルーライナー上牧サイドアップ.JPG

153系ブルーライナーは昭和47年から55年までのせいぜい8年間、走っただけだ。
この後の117系が震災前後まで19年間、、221系が平生元年から12年まで使われたのを見ても、153系の短命がわかる。
元々東海道・山陽急行で酷使、相当老朽化していたものを転用したのだから当然といえば当然だろうが、それでも関西の153系は昭和33年から22年間使用されただけで廃車となっている。
117系以降の車両が今も存命であることを見れば、その後の国鉄⇒JRの車両が如何に長寿命になったかとも思える。

最後に‥
宝殿駅ホームを通過する新快速。
宝殿153新快速通過.JPG

静かで快適な乗り心地は最新の225系にも決して引けを取らなかったといえば「贔屓の贔屓倒し」だろうか。

posted by こう@電車おやじ at 23:22| Comment(4) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月10日

名鉄谷汲線今昔

廃止になった名鉄岐阜地区600V線区の中でも特にローカル色が豊かだったのが谷汲線だ。
末期には線内普通が毎時一回走る程度だったが、谷汲山華厳寺は春秋の桜、紅葉の名所でもあり、オンシーズンには新岐阜からの直通急行や忠節からの急行も運転されていた。

沿線は田園地帯で、僕はここを何度か訪れている。、
当時の名鉄は楽しい路線、列車が多く、訪問頻度がさほど多くなかったのが今にして思えば残念だ。

撮影は昭和55年前後だろうか。
新岐阜から直通の急行「いこいの森」号。
先頭はモ523、揖斐・谷上線優等列車用だった半円形電車、こちらはニセスチールと呼ばれた木造電車に鋼板を貼り付けたもの。
名鉄谷汲線523急行.JPG

揖斐・谷汲線急行は必ず510形・520形の2連で運転されていた。
反対向きはモ511、丸窓電車で一種のブームを巻き起こした電車だ。
名鉄谷汲線511急行.JPG

普段は750形が1両で走る線区だが、多客時はさらに楽しい510・520形が入るとあって、喜んで撮影に出かけたものだ。
だが現地で鉄道ファンらしき人に会うことはなかった。

長瀬付近の758、ローカルムードたっぷりの古豪だが、実は初代名古屋鉄道が郊外路線を敷設した際に登場させた都会派の電車だ。
あえて、撮影場所が今でもわかるように、土取り場を背景にした様子だ。
名鉄谷汲線758長瀬.JPG

谷汲駅、今はこの駅の右端部分しか保存されていまい。
名鉄谷汲駅舎.JPG

改札・出札口の風景。
いつ乗っても乗客はそれなりにあった。
名鉄谷汲線改札.JPG

駅に先ほどの急行が停車している。
折り返し新岐阜行き、この列車が運転されると、本揖斐からの列車が黒野止になっていた。
名鉄谷汲線522外から.JPG

こちらは折り返し前側になる511。
名鉄谷汲線511外から.JPG

ホームに停車する522。
名鉄谷汲線522停車中.JPG

750形751号、杉木立の向こうに姿を見せる。
名鉄谷汲線751接近.JPG

構内に入線する。
名鉄谷汲線751入線.JPG

停車している様子…
名鉄谷汲線751停車.JPG

この愛すべき路線は岐阜地区600V線区全廃の前に姿を消した。
線路が姿を形を消したら当たり前だが、名刹谷汲山への参拝は、自家用車を使わない人には厳しくなったことだろう。

先日、やっとこの谷汲駅を再訪することができた。
鉄道があった時代にも、本揖斐へのアクセスに近鉄養老線を使ったことはある。
その時の近鉄バス、結構な本数があったように記憶している。
揖斐近鉄バス.JPG

先日、乗車したこの経路のバス、ただし、谷汲山へ直通する路線だった。
揖斐からは意外に近く、バスで30分弱、本数は多くなく日に数本というのが現状だ。
しかもバスは車両こそ名阪近鉄バスのものだが、運行主体は揖斐川町コミュニティバスということになっている。
運賃は非常に安く設定され、谷汲まで乗っても200円だった。
谷汲双門前(谷汲駅近く)に停車した路線バス。
0401谷汲双門前名阪近鉄バス.JPG

今現在の谷汲駅、駅の大半は建て替えられ、昆虫館になっいる。
0401谷汲駅昆虫館.JPG

こちらが今残る駅舎部分。
0401谷汲駅.JPG

改札口の風景は昔のままだ。
ここに来た瞬間、40年近い歳月が一瞬、すぐこの間のことのように思える。
0401谷汲駅改札.JPG

750形755が留め置かれる。
0401谷汲駅755.JPG

ホーム上屋はあるが、さらに追加して車両保護の上屋が付けられている。
驛が原形ではないが車両を保護するための良心的な設計だ。
この角度、現役時代のそのまんまだ。
0401谷汲駅名鉄755外から2.JPG

電車には片側にスノーブラウも装備されている。
0401谷汲駅755すのーぶらう.JPG

755の車内・・・
ここに入って、昔の谷汲を知る友と語り合いたいものだ。
0401谷汲駅755車内.JPG

もう一両、ツートンに復元された514が保存されている。
0401谷汲駅514.JPG

半円形正面・・・
塗装が少し傷んではいるが、全体的には非常に良好な保存車だ。
0401谷汲駅514南向き正面.JPG

丸窓電車の愛称の由来・・・戸袋の丸窓。
0401谷汲駅514丸窓.JPG

駅名標と514・・
0401谷汲駅514と駅名標.JPG

車内、転換クロス、僕が岐阜に頻繁に来ていた頃は、シートモケットは赤か緑だったように記憶する。
0401谷汲駅514車内.JPG

桜にはまだ数日、早かったようだ。
だが、ここでのんびりするこの車両が何と幸せに見えることか。
0401谷汲駅514さくら.JPG

755を外から眺める・・・
0401谷汲駅755外から.JPG

514と755・・
すでにここに停まって何年がたつのだろうか。
0401谷汲駅514・755.JPG

構内の廃線跡、上の写真で751が入構してきたところだ。
0401谷汲駅廃線跡.JPG

1時間少々ここにいて、谷汲口へのバスに乗った。
こちらは僅か10分弱の所要時間だが、本数は少ない。
揖斐川町コミュニティバスが主体の名阪近鉄バスによる運行だ。
かつて名鉄の勢力圏だった谷汲に、名鉄系岐阜バスは、日に一度だけやってくる。
かつて新岐阜から直通で来た谷汲は今は公共交通としてはコミュバスがわずかに残るだけになってしまっている。

バスは廃線跡に沿い、かの土取場付近も通り、谷汲口駅へ向かった。
乗客は10人ほどで、桜のシーズンだからか案外多い。
谷汲口駅に着いたバス。
0401谷汲口駅名阪近鉄バス.JPG

樽見鉄道開業直後も僕はここに来ていたようだ。
その時の写真が残っている。
谷汲口樽見鉄道レールバス.JPG

今の谷汲口駅・・・
樽見鉄道と自治体により植樹が進められ、ここは桜の名所になった。
ゆっくりと軽快気動車がやってくる。
0401谷汲口樽見鉄道と桜.JPG

最後に、谷汲にいるモ514、その現役当時の写真・・・
場所は多分、長瀬・谷汲間だろうか。
名鉄谷汲線514.JPG

posted by こう@電車おやじ at 23:17| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月07日

相模へ帰ったハフ7=神中ハ24を見に行く。

連続して別府鉄道関連の話題で失礼します。

先日、全く鉄道と関連のない用で東京に三日間滞在した。
その二日目、午前中に数時間の暇を得たので、かねてから念願だった相模鉄道かしわ台車両センターを訪問した。

ここには別府に長年いて、ある意味では別府鉄の顔だったハフ7が今も保存されていると聞く。
別府鉄ハフ7カラー大.jpg

15年ぶりくらいに乗った相模鉄道はいろいろなものが激変している様子が見て取れ、横浜から現地へ向かうまでも刺激的な乗車だった。
かしわ台に着いて、車両センターの正門横の守衛で来意を注げた。

守衛氏は快く受け付けてくれる。
見学に際しての注意書きを読むように促され、確認するとそれで保存されている庭園の部分のみの見学が許可された。
わざわざ出向いてきた甲斐があり、保存車両をこうして見せてくれる相模鉄道に感謝だ。

機関車3号、相模鉄道開業時の機関車、現在の相模鉄道は開業時には神中(じんちゅう)鉄道と称されていて、1926年(大正15年)5月に開業した。
開業前から工事用に1・2号機があり、開業後の旅客輸送用として汽車會社で製造された機関車だ。
0224相鉄かしわ台3号機関車.JPG

その後ろに繫がるのがハ24、かしわ台正門すぐのところに連結して展示されていた。
0224かしわ台3号機ハ24.JPG

ハ24のアップ、大正15年5月の開業に際して準備された10両の客車の1両だ。
0224相鉄かしわ台ハ24.JPG

相模鉄道神中線の電化に伴い、昭和24年、三重県の三岐鉄道に譲渡、この時、のちの別府鉄ハフ5となる神中キハ10⇒機関撤去でハ10とともに移動している。
三岐鉄道ではハフ16と名乗り、偽スチール化、落とし込みの窓を二段に改造するなど手を入れられ・・・これがゆえに車体強度が増し、別府鉄廃止までの長年の使用に耐えたのだろう。
妻部の様子。
0224かしわ台ハ24妻斜め.JPG

走り装置、単純な二軸式だ。
0224かしわ台ハ24足回り.JPG

もう片方の走り装置。
0224かしわ台ハ24走り装置.JPG

台枠に「神中鉄道」の文字、創業期の社紋、車番。
車体腰部に貼られていた鋼板は撤去され、木部も綺麗に補修されている。
0224かしわ台ハ24台枠文字と車番.JPG

窓、二段窓は三岐⇒別府と引き継いだもの、神中⇒相模では落とし込み式の窓のはずで、それゆえ上昇窓なのに腰が高く、窓の天地寸法が小さい。
なお、上段は固定式だ。
0224かしわ台ハ24中央サイド.JPG

屋根部・・幕板の鋼板は車体強度上、撤去できなかったのだろう。
それでも、屋根を覆っていた屋根布は撤去され、モニタールーフが再現されている。
国鉄客車ならこの部分に開閉式の蓋があったのだが、神中ではどうだったのだろうか。
再現された今現在のように、水雷型通風機があったのだろうか。
0224かしわ台ハ24通風機.JPG

車内全景、車内には入れなかったが、出入り台までは上がることができ、扉越しに撮影ができた。
水雷型通風機の室内側には単純な円形の開閉蓋があるはずだが、そこまでは復元されていない。
もはや部品の調達は不可能に近いのだろう。
0224相鉄かしわ台ハ24車内.JPG

手ブレーキ、三岐・別府・・・あるいは神中時代からのものだろうか。
0224かしわ台ハ24車内てブレーキ.JPG

座席。
背もたれにボルト状のものが見えるが、別府時代の写真二もこれが写っている。
別府時代の扉はスリガラスだが、これは、ここでの展示のために普通のガラスにしたのだろう。
0224かしわ台ハ24座席.JPG

別府時代の車内。
別府鉄ハフ7車内.JPG

連結器・・自動連結器だが手前の台枠にバッファー(緩衝器)の跡のようなものがある。
国鉄が自連への一斉取り換えを挙行したのは大正14年で、すでに大正15年には国鉄では車輛の大半が自連になっていたはずで、国鉄との貨車直通を事業としていた神中では、当初から自連だったのではなかろうか。
だが、車両には設計・製造のタイムラグがある。
どちらでも使えるように、台枠にはバッファーが取り付けられるように用意されていたのだろうか。
0224かしわ台ハ24連結部.JPG

今年の春は早い・・はずだが、ここでは梅はやっと咲き始めたようだ。
梅の花とハ24・・僕らには今でもハフ7だ。
0224かしわ台ハ24妻と梅.JPG

車体と梅。
0224相鉄かしわ台は24と梅2.JPG

モニタールーフと咲き始めた梅の花。
この車両がいかに大事にされているか、よくわかる雰囲気だ。
0224相鉄かしわ台は24と梅.JPG

もう一両の展示車両、神中3号機もなかなか興味深い機関車だ。
タンク機の1-C-1という軸配置、珍しいように思うのだが・・
0224かしわ台3号機サイド.JPG

足回り。
蒸機のメカニズムは僕は詳しくないので、専門の方に見ていただければと思う。
0224かしわ台3号機下回り3.JPG

足回り・・2
0224かしわ台3号機下回り2.JPG


足回り・・3
0224かしわ台3号機下回り1.JPG

ハ24のデッキから見た機関車3号機の後ろ。
0224かしわ台3号機後ろ.JPG

前。
0224かしわ台3号機斜め.JPG

機関車3号機の銘板。
0224かしわ台ハ24銘板.JPG

相模鉄道公式サイトの、開業時の列車の写真。
別府鉄道とさして変わらぬ雰囲気だったのが伺える。
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今の相模鉄道、かしわ台駅を特急列車が通過していく。
例えば、大正末期の神姫電鉄=今の山陽電鉄は確かに開業時と比すと今の雰囲気がまるで別世界のように見えてしまうが、相模鉄道神中線(今の本線)は、もはやそう言った次元ではなく、まったく別次元の別の世界の鉄道に変貌したといえるのではなかろうか。
0224相鉄かしわ台相鉄10501特急.JPG

その開業時を知る生き証人として、3号機関車とともに別府にいたハフ7が昔の名前に戻ってここに鎮座しているのがとても素晴らしいことであるように思えるのだ。

折角なので、別府のハフ7を少し回顧してみたい。
別府港機関区で入換の様子。
別府鉄DB201・ハフ7.jpg

こちらも入換中の様子。
別府鉄別府港構内入れ替えハフ.JPG

土山駅発車の様子。
別府鉄土山ハフ7.JPG

僚車ハフ5とともに鳥居前を通過するハフ7。
今、大中に残るハフ5も出自は神中鉄道=相模鉄道だ。
ハフ5も故郷に帰りたいと思っているだろうか、それとも、自分は永年暮らした播磨での余生を楽しんでいるだろうか。
別府鉄ハフ7・5土山線.jpg

今現在の大中でのハフ5・・
0730別府鉄跡大中ハフ5.JPG

去る列車。
14別府鉄道ハフ7後部別府港.jpg

いつも堂々としていたハフ7・・・
夏別府ハフ7サイド.jpg

貨物のない日曜日、DBに牽かれてハフ7が行く。
別鉄S58別府港DB・ハフ7-1.JPG

ハフ7のアップ。
別鉄S58別府港ハフ7-2.JPG

明姫幹線高架を見て走る。
別府鉄中野高架道路とDBハフ.JPG

僕の当時の愛車とともに・・・
別府鉄土山先DBハフスプリンター.JPG

時代は変わる、
過ぎ去った時代はいつしか人々の記憶から遠ざかる。
だが、そこでふっと立ち止まり、記憶を呼び戻す記念碑がある・・
ハフ7がその任を受けていること、相鉄がこの客車をことのほか大事にしてくれていること、深く思いを寄せ、感謝を申し上げる次第だ。
別府鉄中野去る列車.JPG


posted by こう@電車おやじ at 22:09| Comment(2) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする