その名鉄、車両面では傑作、珍作が多く、今も結構飽きない電車ではあるけれど、半世紀前は飽きないなんてものではなく、それこそおもちゃ箱をひっくり返したかのような楽しさがあった。
揖斐線の510・520形の急行、美濃町線の600形、本線でも流線形3400はまだだ一線で5000等は新しい部類だった。
AL、HLの列車が錯綜する中、10分ヘッドほどでたくさんやってくるパノラマカー、いつ来ても、どれほどの回数来ても飽きることのない電車が走り回っていた。
さて、そのパノラマカーには2種類の系列があった。
いや、のちの貫通型や更新車・改造車を入れれば5種類になるだろうが、全面展望を完備した7000系と7500系の二種こそが本当の意味でのパノラマカーだろう。
初めて岐阜・名古屋を友人たちと訪問した昭和51年の春、最初に出ったのは岐阜駅前、揖斐線のモ510・520形の急行で予備知識なしの目にはまさに驚愕だった。
そして、新岐阜駅では、各務原線に行かねばならにのに、本線高架ホームに間違えて上がってしまった僕らの目の前に停車していたのが7500系だった。
この当時の名鉄電車は今のようにピカピカではなく、どこか埃を被ったような汚れがあったものだが、それは国鉄でも同じこと、今のようにはメンテナンス技術も発達していなかったのだろう・・はさておき、あまりの格好の良さにしばしそこでボウッと見ていたような気がする。
この時の旅行は各務原線で明治村に行き、見物のあとは名古屋へ臨時特急で向かった。
パノラマカーを期待したが、この時は7700系だったが、まだ新車でその乗り心地を楽しんだ。
翌日、名古屋で何箇所か巡り、新名古屋駅近くの駐車場入り口で係員に頼み込んで少しだけ、名鉄を撮影させてもらった。
時間にしては僅か10分ほどだったが、この際も7500系に出会っている。

コンパクトカメラでのとっさの撮影で、当時の僕の力量がこの程度だったとわかる稚拙な写真だが、昭和51年春に運転された河和・新岐阜間を犬山経由で結ぶ列車だ。
当時はまだ、僕自身は7000系と7500系の違いがよく分かっていなかった。
これを知ることになるのは間もなく手に入れた「私鉄電車プロファイル」の図面と記事で、設計最高速度180km/hの記事に驚いた。
名鉄パノラマカー7000系は、昭和36年の登場時、システム的には安定したSR系列と同等にものを使ったが、その2年後、昭和38年の新型パノラマカー7500系の際には当時最新のシステムを導入、阪急2000・2300系に先を越されはしたが、トランジスタを多用した界磁位相制御となった。
定速度制御(今でいうオートクルーズ的なもの)も可能になり、熟練の運転士から高い評価を得たという。
しかし、当初の特急専用という運用だとこれもいいが、やがて急行などにも使われるようになるとこういった高性能はむしろ足かせとなる。
この点では阪急も同じだったようで、いわば進みすぎた、先を読みすぎた事例となるのかもしれない。
また抜きんでた高性能ゆえ、7500系は他のSR車との連結が出来ず、7000系が支線区へ進出したり、ラッシュ時には5000系以降のSR各系列と連結できたことを考えると、7500系の高性能は成功とはいえないのかもしれない。
だがまだ、僕が写真を撮り始めたころには7500系は第一線の特急列車で活躍していた。
全面展望室部分がフラットで、腰の低い綺麗なラインはこの系列特有のもので、飛び出たように見える運転台もまたチャームポイントだった。
連続窓がきれいに並ぶ姿が美しい・・・下地にて。
7500系のチャームポイントはまさに展望室だ。
名電山中。

しかし飛び出した感のある運転台はもしかすると全体のバランスを崩しているかもしれない。
藤川・名電山中間。

この点では7000系のデザインに参加した萩原政男氏が「7000をデザインしておきながら次世代車もスケッチしておいた」が名鉄からは依頼がなかったという。(レイルマガジン41号)
運転席を前方に出して庇形にする案だったというが、それではパノラマカーのイメージとしては全く違ったものになる可能性もあったという事だろうか。
その7500を見たい気もするし、見たくない気もする。
パノラマカー7000の意匠をほとんど変えず、完成度を上げていった名鉄の車両設計は王道である。
昭和52年、国鉄の流電を見に行ったとき、国鉄に接する時間以外のすべてを名鉄にかけた。
その際に、神宮前で見た7500系だ。

後に訪問したときの7504の車内、更新されてクリーム系の内装になっていた頃だろう。
赤いシートは特急運用に優先的に使われる編成だ。
内海駅近く、信号所付近での7500系。
カラー写真の痛みを修正している。
どうやってこの場所に行ったかはいまだに謎だ。
乙川を渡る7501F、この角度が最もこの電車を美しく見せる。

新木曽川を通過する7500系特急。
今伊勢での7500系。
長閑な地平駅だった本宿駅通過の様子。
名鉄の特急施策が変更になり、専用車として7000系白帯車の整備が始まる。
すると6連でしか使えない7500系は特急運用の大半を追われ、急行・高速を中心に走るようになる。
この頃から7500の凋落が始まった。
車内の整備も等閑になり、荒れた雰囲気の車両もあった。
それでも7500は美しかった。
特別な料金を払わずとも乗れる7500は名古屋訪問の主目的にもなっていく。
新岐阜駅各務原線ホームの犬山行き急行。
今の舞木検車場付近を行く高速。
乙川を渡る7565先頭の列車。
7515Fの中間車でパノラマミックウィンドウを持つ運転台があった。

青空を背景に乙川を行く。
国府宮にて。
内海、7515Fで、逆富士型の表示板が大きい。

木曽川を渡る。

新安城で7700白帯特急と出会う7500急行。
これこそまさにパノラマ一族の下剋上とでもいうものだろうか。
石刀付近を行く7515F。
雨の東笠松、急行。
上下の急行、7500が出会った。
だが、これを見ていた僕はそのシーンを一瞬、茫然と見てしまいタイミングが遅れた。
しかも、下りは7515ではないのか。
このシーンは僕にとって最大の失敗だったと言えるかもしれない・・後悔が大きい。

上り急行、豊川稲荷行。

当時としては撮影ぎりぎりの時間帯、東笠松で上り急行。

平成に入ると、特急施策の変更から、5編成を廃車して1000・1200・1800系と同じ車体を新製した1030.1230・1850系が登場した。
さらに残る7500は低重心設計故、車体高さが低く、中部国際空港へのバリアフリーに対応できないとされ、全車が廃車となった。
それなら、車輪径を大きくして、台車にライナーを入れることで問題となった80ミリの段差は解消できるのではないかというのは素人考えなのだろう。
7500系の機器類を再利用した1030ほかの系列も2019年までに廃車される。
やはりほかの系列と連結できない不便さからだろうか。
2019年に廃車寸前の1131F、岐南で。
愛してやまない名鉄SR車、さらにそのうちのパノラマカー、その中で最も愛するのが7500系だ。
佳人薄命というが彼らは昭和38年に登場し、平成17年にすべて引退、この間42年間、最後は特急運用には就かなくなっていったといっても、主に急行用として名鉄の主要線区を走った。
そう考えると、幸せな一生だったのかもしれない。
富士松で。
新岐阜で。
今伊勢、国鉄側から。
美しいシルエット、乙川。

最後に、あの悔しい東笠松の出会いを今の自分の技術で加工して蘇らせてみた。
7500よ、永遠なれ。

僕は小説もするが、拙作に「パノラマドリーム」というのがあり、7500との夢の中での出会いをモチーフにしている。
那覇新一Story・・小さな物語「パノラマドリーム」