2020年02月28日

阪急電車、六甲辺り。

僕は国鉄を退職後に写真の道を進むことになるのだが、昭和62年夏から7年間、阪急六甲駅ビルのスタジオにお世話になった。
スタジオは基本的にポートレートを撮影する店で、特に師匠は女性ポートレートの評価が高く、そこでは様々な経験もさせてもらえた。

ただ、やはり趣味としては鉄道というのは続いていたわけで、特に閑散期の昼間など「散歩」を許されることもあった。

仕事の隙間の休憩ゆえ、遠くへ電車に乗っていくというのは無理だったが、阪急沿線の空気を吸い、マルーンの電車を眺めるのは極めて幸せなことでもあった。

また、当時は山陽板宿から六甲まで私鉄で通勤していて、あの大事故の後ではあるのに、ダイヤはますます便利で、往復の通勤経路とも乗り換えの必要がなかった。
僕がここに通った7年間、列車ダイヤはどんどん便利になっていった。

当時のスタジオがあった駅ビルの屋上、ここはテナント関係者なら誰でも立ち入ることができた。
特急で通過する7017F。。
阪急六甲俯瞰7117.JPG

こちらは6010F。。
阪急六甲駅俯瞰5010他.jpg


山陽電車は大体、毎時2回乗り入れてきた。
当時の山陽電車は日中は阪神に重きを置き、深夜時間帯は阪急から出るという、旅客流動をよく考えた設定だったように思う。
3060Fがやってきた。
ここが終点だ。
阪急六甲俯瞰山陽3060.JPG

長いホームに4連の列車が停車する。
黒Hゴムが特徴だった3060Fだ。
阪急六甲俯瞰山陽3060停車.JPG

乗客を降ろした後、列車は御影駅手前の折り返し線へ向かう。
阪急六甲俯瞰山陽3635.JPG

一部の山陽5000系が6連化され、特急専用車となった。
六甲発姫路行き特急だ。
6連になると阪急のホームでも見劣りはしない。
阪急六甲駅俯瞰山陽5022他6連.jpg

雪の日、3000系が停車する。
阪急六甲雪3000系.JPG

通過する3000系特急。。
阪急六甲雪3000系縦.jpg


御影との間の築堤を行く3000系特急。
阪急六甲3015特急.JPG

こちらは山陽特急、3060Fだ。
阪急六甲3635姫路特急.JPG

7006、やはり7000系も頭の白い部分がない方が美しいと思うのだが。
阪急六甲7006.JPG

7が7つ並んだ縁起の良い電車。
阪急六甲7777.JPG

5200系特急。
阪急六甲5241.JPG

7017、3074、3056が一瞬顔を並べる。
阪急六甲7017・3074・3056.JPG

山陽3056Fによる特急。
阪急六甲山陽3056姫路特急_01.JPG

少し後の時代、6000系が停車する。
阪急六甲6012.JPG

ずっと東、御影駅近くに折り返し線があり、山陽電車はそこまで行っていた。
山陽3010阪急御影 (2).jpg

雪の中を走る山陽3008F。
山陽3008新色阪急六甲雪.JPG

青春真っただ中であった場所こそ神戸六甲、甘く切ない物語も少しはもっているつもりだ。
posted by こう@電車おやじ at 23:35| Comment(0) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月17日

線路際から見た震災前の須磨・長田

阪神淡路大震災、兵庫県南部地震から丸25年、四半世紀が過ぎた。
どうも、歳をとるごとに、メンタル面でかつてのような強靭さがなくなり、1月17日の前後のテレビなどの報道は、とても正視できない。
まともに視てしまうと感情が高ぶり、メンタル崩壊の予兆すらある。

大災害の経験者にとって「忘れる」ことも、本来は大きな癒しであるはずだ。

僕は阪神淡路大地震が起きてすぐ、落ち着いてもカメラを持つ気がなく(仕事柄、人物の撮影は業務として大型、中判、スナップ用のカメラは使用していた。あくまでも趣味のカメラは出さなかったということだ)、毎日の通勤で見た各地から応援の鉄道車両やバスなども興味を持ったが一切撮影はしていない。

粉砕された故郷を趣味のカメラに収めることは、自分自身で許せなかったからだ。

さて、この時にあたって、震災前の様子を思い出すのは、案外、懐かしさで心が落ち着くものだということを最近、味わった。
1月10日より26日まで、板宿、寺田町の喫茶「カーナ」において「線路際から見た震災前の須磨・長田」という小さな写真展を開かせてもらった。
展示会場は場所の都合で写真が限られるが、このブログの中で過去に出した写真が大多数ではあるが、震災前の様子をしみじみ見ていきたいと思う。

まずは板宿駅周辺。
ここは神戸では湊川、灘の水道筋と並ぶ、商店街。
しかも商店街の入り口が駅と線路だ。
山陽電車が行く。
幅の広い踏切には大勢の人。
長田須磨板宿商店街山陽3034_01.JPG

阪神電車も行く。
山陽板宿商店街阪神3515.JPG

阪急電車が下りホームに停車、毎時3本もここに来ていた。
長田須磨板宿旧駅阪急5132.JPG

板宿商店街の入り口。
長田須磨板宿商店街_01.JPG

夜というか、実際には早朝始発電車の頃の板宿駅、踏切から撮影。
下りホームが地下工事のために仮設になっている。
長田須磨板宿駅夜景.JPG

北側の母屋。
長田須磨板宿駅_01.JPG

母屋を正面から。
板宿旧上り駅舎.jpg

昼間の上りホーム、ここは震災で完全に倒壊した。
長田須磨板宿駅上りホーム.JPG

地下工事のための仮線を行く特急電車。
長田須磨山陽5610.JPG

3050系アルミカーも行く。
山陽板宿旧3640.JPG

下り側駅舎、仮設になる前のもので、細長い、窮屈な建物だった。
板宿下り旧ホーム.jpg

阪急が梅田へ向かう。
当時最新の編成だ。
板宿阪急6111.jpg

山陽が作った最も美しい電車、2010Fが行く。
板宿2011.jpg

板宿・西代間
阪神の旧特急車、3011系改め3061系。
阪神3563西代 (2).jpg

ここでも山陽で最も美しい電車、2010F。
山陽2010板宿.jpg

Mは3200形、3622が行く。
山陽3622西代.jpg

3000系初代アルミカー、3000F、この頃、帯を太くされていた。
山陽西代3000 (2).JPG

こちらは細帯のアルミカー、3002。
山陽3002細帯西代.JPG

3014Fが行く。
長田須磨西代旧線山陽3014.JPG

西代。
上りホームのロクサン電車更新、2700系。
長田須磨西代山陽2708.JPG

そのロクサン電車の廃車体。
車庫にて。
長田須磨S51西代車庫山陽715.JPG

こちらはPCと呼ばれた戦前の小型優秀車、100形117の車体。
山陽西代117廃車体.jpg

車庫の入り口にて試験塗装車、ブルー一色塗の800形830号、Ok台車を履いている。
長田須磨西代車庫山陽830.JPG

初代西代駅の遺構を見て、3632(3054)が行く。
この編成はつい先ごろ引退した。
長田須磨西代旧駅山陽3632.JPG

山陽電鉄の旧本社。味わい深い建物だった。
山陽電鉄旧本社.JPG

陸橋下の踏切から駅を望む。
電車は当時最新の3637で最後の全車が鋼製車で統一された編成だ。
長田須磨西代山陽3637.JPG

ホームにて、阪神旧特急専用車、3568。
阪神3568西代.jpg

こちらはチョッパ制御に改造された阪神7601系、7708。
山陽西代阪神7708.jpg

東須磨。
かつての山陽顔の電車が並ぶ。
本邦初のアルミ電車2012とツリカケ、100形を更新した250形286。
山陽2012・286東須磨.JPG

2700系を新性能化した2300系が停車。
山陽2300東須磨.JPG

今は地下化された区間を阪急5000系が行く。
僕の好きな5010F5061だ。
長田須磨東須磨阪急5061.JPG

月見山。
古色蒼然たる駅舎。
月見山駅旧駅舎.jpg

須磨寺。
阪神3501系赤胴が行く。
阪神3503須磨寺.jpg

須磨。
3000系アルミカーの2編成が並ぶ。
須磨長田須磨駅山陽3000・3002.JPG

3000系アルミカーの霞ヶ丘行き区間列車。
山陽3600須磨アップ.JPG

ツリカケ2700系2702、後ろ2両は一次型の2ドア車だ。
山陽2702須磨カラー.jpg

須磨浦公園。
今も昔も桜の美しいところだ。
阪神7001系7111。
春須磨浦阪神7111.jpg

山陽2300系、新塗装になった後。
春須磨浦山陽2300.jpg

阪急6000系6015。
阪急6015須磨浦.jpg


こちらは山陽3050系3060F、この編成だけ黒Hゴムで登場し、驚かせてくれた。
山陽3060須磨浦原色.jpg

小型車200形を車体更新した300系。
山陽314須磨浦公園.JPG

須磨浦公園山上から須磨の街並みを見る。
美しい街だった。
長田須磨須磨海岸遠望_01.JPG

海岸線を行く201系電車。
長田須磨須磨海岸201.JPG

113系と117系が並走。
117系113系と併走須磨.jpg

221系新快速登場!
長田須磨スマシオ221新快速.JPG

希少車ともいえる205系。
須磨205 (2).jpg

国鉄鷹取工場、C571の全般検査。
この機関車は震災当日、全般検査で入場していて被災、そのあと見事に復活した。
長田須磨鷹取工場C571.JPG

神戸電鉄丸山、まだ冷房未装備の1100系1109・・
神鉄丸山1109.JPG

神戸市営地下鉄、名谷。
開業当日の様子。
須磨長田名谷駅開業_01.JPG


周囲には何もない。
須磨長田名谷駅開業「列車進入.JPG

震災前に一時期だけ走った地下鉄の快速電車、停車駅が少なすぎ好評より不評の割合が多かったともいわれる。
震災とともに運行休止、やがて廃止された。
長田須磨名谷駅地下鉄1107.JPG

庶民の街・長田と、古典と歴史の街須磨、似ているようで違い、違うようで似ている二つの街の個性は、神戸の中でも際立っていたように思う。
震災、その後の復旧、復興で街は大きく姿を変えた。
鉄道もまたかつてを知る者には激変した場所もある。

だが人々は生き、鉄道は走る。


震災直前の須磨、長田区を俯瞰。
板宿・西代仮線俯瞰.jpg
posted by こう@電車おやじ at 21:03| Comment(2) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月16日

SRが去る・・

名鉄SR、「Super-Romancecar」の略称だという。
何がSuperなのか・・

全電動車方式の高加速、高減速、そして高速運転に対応した高性能。
全てが2ドアで、ズラリと並んだ快適な転換クロスシート。
常に時代の一歩どころか、二歩も三歩も先を見据えた驚きのデザイン・・

そして何より、街中のスーパーマーケットよろしく、普段着の電車でありながらのこの高性能と快適な座席をすべての利用者に提供しようとしたその思想こそが「Super」だったのではあるまいか。

昭和30年の流線形モノコックボディの5000系から始まるそのシリーズは、東海形の大いなる参考になった5200系、戦後日本初の大衆冷房車5500系と続き、革新的な7000系パノラマカー、超高性能高速対応7500系、半流線形ともいえる7700系、そしてJR東海への対抗として登場した界磁チョッパ制御5700系、非冷房5000シリーズの足回りを使った添加励磁制御5300系と続き、そのすべてが名車と呼ぶにふさわしい内容を持っていた。

だが、そのSRの歴史が終焉を迎える。
6000系、1200系が3ドアで登場後、ラッシュの激化とともに2ドアのSRはラッシュ対応が難しく、運用面で嫌われるようになったことは否めない。
さらに、昨今の乗客の志向の変化、乗りやすいロングシートが短距離乗車には好まれる傾向になってきたことにも一因はあるだろう。

最後の5305Fは、クリスマスを待たずに引退するといわれているこの時、今年の鉄道界の大きな出来事の一つであるに違いない、名鉄SRを振り返ってみたいと思う、

僕が「名鉄詣で」を始めたのは昭和51年、友人たちと岐阜、愛知へ旅行に行った時の衝撃的な出会いから始まる。
そして国鉄入社直後から名鉄そのものを目的に通い続けることになる。
まずは昭和52年春の、神宮前駅での5000系を・・
丸っこい、独特の形状で、パノラマカーを見に来たはずの僕にはこの電車も十分に衝撃的だった。
名鉄5000神宮前.jpg

前後の車両で前面窓のデザインが異なることには、あとで気が付いた。
この当時の名鉄は行先板に正式な駅名を書かず、名古屋、岐阜、岡崎、豊川などと書いているのが印象的だった。
名鉄神宮前5000急行後ろ.JPG

5000系は昭和30年生まれ、転換クロスの高性能車としては関西には先に京阪1800系が登場していたが、大人しい京阪のデザインに比して革新的なデザインである。
オールM、75kWモーターによる全電動車は5700系を除くすべてのSRの基本になった。

知立にて、昭和57年頃。
名鉄5000知立.jpg

5000系の車内。
この頃は天井の照明カバーが外されていた。
シートピッチが若干狭く、角度のついている背もたれを向かい合わせにすると、その後ろの席の背もたれと重なったのは、愛嬌のある思い出だ。
名鉄5006車内.JPG

今の舞木検車場のあたりを走る・・
名鉄5000名電山中.jpg

5200系、革新的な5000系に比すと正面貫通型になったこともあり、地味な存在だ。
昭和32年に登場・・
この電車のパノラマミックウィンドウは国鉄153系東海形に大きな影響を与えたといわれる。
さらに、側面の2連下降窓も、国鉄サロ152の参考にされたのは間違いがないだろう、

地味だが、車体デザインでは後の国鉄車両に大きな影響を与えた存在でもある。
最初の単独での名鉄詣での際の神宮前で。
名鉄神宮前5200.JPG

こちらは知立、未更新車が最後の活躍をしていたころ。
名鉄知立5200未更新.JPG

新名古屋駅東方、俯瞰した様子。
名鉄5200新名古屋.jpg

昭和53年から、特別整備の際に側窓が2段に変更された。
雨水やゴミなどが下降窓から入り込み、車体腐食の要因なっていたからだ。
この下降窓⇒二段窓の工事は、このあと、国鉄でもサロやキロに対して大々的に行われた。
更新車、東笠松。
国鉄の小さな二段窓ではなく、乗客へのサービスダウンにはならなかったと思う。
名鉄東笠松5200.jpg

国府宮だろうか・・
編成の中間車は5000系のもので、車体断面が異なる。
名鉄5212国府宮高速.JPG

5202は、踏切事故の復旧の際に高運転台化されている。
この時期、名鉄は踏切事故が多く、当該車両の復旧に際して高運転台化されるのが普通になった感もある。
名鉄東笠松5200後追い.jpg

5500系・・
昭和34年生まれの戦後日本初の大衆冷房車。
冷房車と言えば、南海が戦前に2001系で実現した実績があるが、風雲急な世相ゆえ、長続きしなかった。
国鉄では食堂車、展望車や優等の寝台車などへの車軸発電式の空気調和装置が存在したが、いずれも高額な料金を徴収する富裕層向けのものだった。
名鉄では屋根上に小型のユニットクーラーを搭載して、一般客が乗る普通の列車へ冷房を提供したわけで、名鉄の次に大衆冷房車を採用したのは昭和43年の京王帝都5000系、昭和44年の京阪2400系というのだから、名鉄の先進性は素晴らしい。

なお、国鉄が冷房付き、転換クロスでこの名鉄に追い付いたのは、昭和50年のキハ66まで待たねばならない。
新岐阜に停車中の2連の美合行き特急。
S51名鉄新岐阜地上5500特急.JPG

下地でのアップ、いい表情の電車だ。
名鉄5500船町アップ.JPG

今の舞木検車場付近。
舞木名鉄5500流し.JPG

東笠松にて、名古屋本線特急が一般車と特別車になったころ、こともあろうに一般車が2連だが、編成が逆だ。
既に1000系登場の後で、急行に運用されていた。
名鉄5500・7000東笠松.jpg

7000系の編成に組み込まれた様子、隣の7100形は後に先頭車改造され、7000系から離れた。
名鉄7100・5500木曽川.jpg

岐南での「高速」
名鉄高速5500.jpg

5500系でも高運転台の車両がある。
こちらは車庫火災で被災した車両ということだ。
5509。
名鉄5500高運本笠寺2002 (2).jpg

雨の犬山橋・・冷房装備の5500系は比較的遅くまで活躍した。
引退は平成17年とのことだが、当時は僕は独立して悪戦苦闘していた時期で、この電車の終焉は見ていない。
雨犬山名鉄5500.jpg

7000系、パノラマカーもSRの仲間で、実際に共通で運用されるシーンも多かった。
革新的なデザインで、僕は今でもこの電車の大ファンだが、性能的にはこれまでのSRと変化はない。
昭和36年から登場、増備は10年以上続けられ、名鉄の主力車両の地位を確立した。
このデザインセンスが昭和30年代半ばに存在したというのが驚きだ。
そして、7000系から「なで肩」の車体断面となり、細身でスマートに見えたのも好イメージの要因だろうか。

下地にて・・
名鉄7000特急船町.JPG

座席指定特急専用車には白帯がまかれた。
名鉄7000白帯新岐阜.JPG

7026のサイド、乙川にて。
名鉄7026サイド.jpg

木曽川を渡るサイド。
名鉄7000木曽川サイドアップ.JPG

知立にて、7000系列車に乗車する風景、一般乗客にこのような優秀な車両を提供していたあの頃の名鉄、その歴史はもっと誇っていいと思う。
知立7000乗車風景.jpg

昭和38年生まれの7500系、SRはこの系列を除けば互いに連結が可能だ。
低重心高速志向の高性能車両。
高性能すぎて、他の電車と連結できず、さらに低重心であることからバリアフリーに対応できず、早くに姿を消したのが惜しまれる。
フロントアイのない原形、新岐阜。
名鉄新岐阜7500フロントアイなし.JPG

名電山中・藤川間、今の舞木検車場付近。
名電山中7500高速.jpg

変色が酷かったカラーネガを再着色して復元した。
内海近く。
名鉄7500内海近くカラー復元.JPG

神宮前・・昭和52年。
名鉄7500神宮前.jpg

下地・・どの角度から見てもかっこいい。
橋梁豊川橋梁名鉄7500系.jpg

国府宮だろうか、7500系とホームを急ぐ親子。
名鉄国府宮7500.JPG

新一宮付近、サイド。
名鉄一宮7515サイド.JPG

昭和48年生まれの7700系、僕が名鉄の特急として最初に乗車したのはこの系列だ。
ただ、当時の僕は7000系ではないことに運の悪さを感じていたものだが、当時最新の電車で、非常に良い乗り心地だったことは覚えている。
新名古屋駅東方俯瞰・・
名鉄7700新名古屋.jpg

新岐阜に停車中の特急。
名鉄本線新岐阜7700特急.JPG

名電山中を通過する。
名鉄7700名電山中.jpg

新安城だろうか、7500系と並ぶ。
名鉄7700東岡崎.jpg

パノラマカーの座席指定車として7700系が使われた。
乙川。
名鉄7700岡崎.jpg

西尾線特急だろうか、知立。
S52名鉄7700駅不明.JPG

5700系、昭和61年にJR東海への対抗として登場した界磁チョッパ制御車。
117系への対抗にはまさに好ライバルとなったが、JRもすぐに311系で3ドア転換クロスへ走り、名鉄でも当時増備されていた6000系のみならず、新世代の特急車1200系で3ドアとなり、結局、2ドアであるSR伝統の車体デザインから、使いにくくなってしまった。
SRで初めてMT編成となったが、性能的には7000系と連結できるようになっている。
なお、社内では5300系と合わせNSRと呼ぶようだ。
7000系と並ぶ登場時。
名鉄新岐阜5700急行・7000特急.JPG

夜の犬山駅にて。
H2名鉄5700犬山.JPG

こちらはAL車体更新車7300系と並ぶ。
名鉄H2犬山5700・7300.JPG

豊橋にて停車中。
名鉄5700系豊橋正面.JPG

犬山橋。
名鉄5700犬山橋2002.jpg

車内、ずらりと並ぶ転換クロスは壮観だ。
010601犬山名鉄5704車内.JPG

5300系、5000・5200系の機器類を流用、5700と同等の車体を乗せたもので、大衆冷房車の導入には先駆を切りながら、冷房改造が進まないために他社に大きく後れを取ってしまった名鉄は、この車両で一気に他の大手と足並みを揃えるところまで駆け上がる。
昭和61年、5700系とほぼ同時に登場した。
他の系列と連結して運用される様子を・・
5500系と・・
名鉄岡崎5500系+5300系.jpg

1000系と・・
乙川名鉄5300・1000.jpg

こちらも5500系と・・
名鉄5300・5405.jpg

名鉄は車両の入れ替えのタイミングが早い・・
普段から車両を大事に手入れして長持ちさせる関西私鉄に接していると、時に戸惑うこともある。
名鉄5700系は、やはりJR対策で登場した山陽5000系と同じ年の生まれだ。
山陽はその5000系を直通特急に運用し、さらに更新して今後も使い続けるという方向性を見せているが、名鉄SRは活躍の場を縮小し続けてきた。
僕の昨今の名鉄詣では、パノラマスーパーなどとともに、このSRがお目当てであり、最終期に彼らにたくさん会うことができた。

名鉄名古屋にて・・5306F
010613名古屋名鉄5306.JPG

平日の日中に運転された河和線全車一般車特急はSR最後の華だった。
知多武豊にて。
0106知多武豊5300系名古屋行き特急.JPG

こちらも知多武豊で。
0106知多武豊5300系特急内海行き.JPG

金山に入線。
0106金山5700系特急河和行き.JPG

優等運用は編成の減少により激減し、最晩年では普通列車中心の運用になっていた。
金山にて・・
0321金山名鉄5700.JPG

乙川・・
0401名鉄乙川5700系全景.JPG

舞木・・
0826舞木名鉄5705編成全景大.JPG

この夏の乙川・・・5705が行く。
0825乙川名鉄5705編成全景大.JPG

真っ赤なSR、それこそが名鉄の大看板だった時代は終わりを告げた。
最新の通勤電車群、それに特急電車群はいずれも120㎞/hで運用され、もはやSRの出番はない。
僕が幼少期から憧れた名鉄はそこにはなく、新しい時代の「MEITESU」が名古屋が世界に誇る大都市になったことを宣言しているように見える。
だが、若い、新しい鉄道ファンには、今の電車群こそが憧れたの対象だろうし、乗客にもあか抜けた都会的な電車のイメージは快く受け入れられていることだろう。
SRを惜しむのは、古い鉄道ファンだけなのかもしれない。
2ドアの電車はスマートに見える。
連続窓や2連窓はさらにそのスマートさに磨きをかける。
真っ赤な車体はやや細身で、それがまた名鉄のカッコ良さだった。

今年の二回の訪問で、東岡崎⇒犬山、名電山中⇒犬山、岐阜⇒新可児と、長時間の乗車をした。
乗り心地も座席もよく、疲れを感じず、ゆっくりと持参の焼酎を舐めて、SRを味わう。

ふっと、酔いによる居眠りで、あの7500の急行に乗っている錯覚を覚えた。
すれ違う殆どの電車が真っ赤な2ドア車だったあの頃、それは自分の青春時代にも重なる思い出でもあり、僕の鉄道趣味の原点のひとつなのかもしれない。

SRよ永遠なれとは言わない。
そこに自分の青春があったことを、素直に喜ぶ。
時に彼らSRを思い出し、静かに瞑想にふけることが、老齢へ向かう世代の楽しみ方であろうか。

広見線善師野、5305・・
この編成がSRの65年に及ぶ歴史の最終走者になった。
1121名鉄善師野午後5305編成.JPG

犬山遊園に入る5705F・・
0826犬山遊園名鉄5805.jpg

犬山橋、各務原線急行、5704F。
1122名鉄新鵜沼5704.JPG

SRのあのカッコよさを忘れることはない・・
颯爽と走る彼らの真っ赤な細身を・・
0826舞木名鉄5805流し.jpg
posted by こう@電車おやじ at 17:33| Comment(4) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月16日

広島電鉄の車両たち1970・80年代(その2)、宮島線直通車、専用車

広島電鉄車両の二回目だ。
今回、ネガスキャンしたものを掲載しているが、まだポジの手つかずもあり、さらに、この後の時代のプライベートな広島訪問を重ねる中で撮影したものもあるので、それらは別の機会としたい。
今回もごく最近の撮影のものを、一部に掲載する。

このブログで過去にも何度か出したが、僕にとって広電の魅力は、京阪神出身の市電たち、そして宮島直通の連接車だった。
当時の日本では、鉄道線と併用軌道を相互に直通しているのは、広島のほかには、西鉄北九州線と筑豊電鉄、京阪大津線、福井鉄道くらいではなかっただろうか。
併用軌道に乗り入れというなら、名鉄も江ノ電、新潟交通もあるのだが・・

広電最初の訪問時に見た宮島線直通の連接車、2500形、雨の暗い雰囲気を打ち破るかのような明るい色彩の電車。
僕はすっかり虜になっったものだ。
2501号、本格連接車のトップナンバーだ。
広島2501.jpg

スタイル抜群、軽快感あふれる連接車こそ、広電のクィーンだった。
昭和36年生まれ、日本の路面電車が衰退に向かう中で製造された気概あふれる電車だ。
登場時の鉄道ピクトリアル昭和37年8月臨時増刊号によると、最高速度は70㎞/h、高加減速に優れた、当時流行のPCCに匹敵する性能を有していたようだ。
第二編成の2504、連接車でありながら各車体ごとに番号を持っていた。
広電2504原爆ドーム前.JPG

2505、翌昭和37年製造、何と自社工場で竣工させた。
前照灯がシールドビーム二灯となり、さらに近代感が増した。
今に至るまでの広電で、神戸市から移籍したグループを除けば、最も好きなデザインだ。
己斐行き。市内線だけの運用だ。
広電2505広島駅.JPG

2507、夕暮れの広島駅にて。
廿日市行き。
広電2507広島駅夕方.JPG

2509、当時の阿品にて。
(現在の阿品とは異なる)
広電2509阿品.JPG

当時は瀬戸内海がすぐわきで、巨大なジェットコースターが見えた。
広電2509阿品Ⅱ.JPG

原爆ドーム前での2509。
広電2510原爆ドーム前.JPG

反対側の2510・・本当に美しい電車だ。
広電2509紙屋町.JPG

2000形を世に送り出した広電とも思えぬ傑作が同じ2500形を名乗る2編成だ。
大阪市電1601形を連接車に改造、性能を他の2500形にそろえたが、外観はなんともクラシカル、新車と同じ色合いがアンバランスな楽しい電車だ。
この当時、広島でも路面電車の廃止が論議されていたようで、見えない将来がこういう電車登場の背景にあるのだろう。

廿日市付近だろうか。
2512。
広電2512廿日市.JPG

市内での2512・・
広電2512八丁堀.JPG

阿品、2513。
広電2513阿品.JPG

海岸を行く、2514・・
広電2512阿品遠望.JPG

2500形は乗客の増加に車体が小さく、対応できにくいことから、福岡からの3000形投入後に3連接化された。
もちろん、この中に大阪市電を改造した車両は入らない。
3編成造られ、2500形は5編成あったことから1両は廃車になった。
3103、上記2510だ。
広電3103原爆ドーム前.JPG

最近の様子、めったに走らなくなってしまっているが、この日は幸運にも一往復の運用を見ることができた。
3102・・2503が前身だ。
この系列には元のピンク系の色合いが似合うと思うのだが・・
広電3102十日町.jpg

同型電車と出会う3102・・
広電3102本川町.jpg

2000形、最初から宮島線直通用に作られた電車で初めの2両は昭和34年生まれで、僕が訪問した当時はすでに2001を除いて連結化されていた。
残り6両は昭和37年から38年にかけて自社で製造された。
2004、広島市民球場を背景に・・
広電2004原爆ドーム前.JPG

2006、廿日市、2000形は2002+2003から順に連結化されていた。
広電2006廿日市.JPG

夜の広島駅前、2008。
広電2008広島駅夜景.JPG

本川町、冷房改造後の2008。
広電2008本川町.JPG

3000形、最近ではすっかり市内専用となった感がある形式、福岡から来た昭和29年から登場した連接車で、広島で三連接に改造されている。
元の形式は1101形、1201形、1301形。
阿品、海岸を行く3002。
広電3002阿品.JPG

廿日市、3004・・
広電3004福岡市内線.jpg

最近の撮影、3005、この車両は福岡での1101形で窓が上下に大きい。
広電3005.jpg

これも最近の撮影、夜の街を行く3004・・
広電3004流し.jpg

長らく低迷を続けていた日本の路面電車界は、ようやく新しい時代のLRTへの歩みを始めようとしていた。
昭和50年、政財界の肝いりで登場したのが3500形「軽快電車」だ。
広電には連接車を予定していたようだが、広電の希望で三連接になった。
基本設計は連接車のままなので加速が鈍いという欠点があったようだ。

当時の路面電車では珍しいクロスシート車だ。
登場時の様子。
広電3501西広島.JPG

なかなか、乗る機会も撮る機会も少ない電車で、あまり写真が残っていない。
原爆ドーム前、3501。
今に続く宮島直通車の緑濃淡、その初めだ。
広電3501原爆ドーム前.JPG

この後は、3500形の反省を踏まえた3700形の登場となり、これ以降、広電は連接車を中心に発展していくことになる。
3702。
広電3702原爆ドーム前.JPG

一時期、ドイツより中古電車を輸入して走らせた。
広島には昭和57年の登場。
ドルトムント電車と親しまれた電車で、抜群のデザインセンスはさすがにドイツと思ったものだ。
廿日市にて76。
広電76廿日市.jpg

広島駅前。
広電76広島駅前.jpg

宮島線には本来の鉄道車両もまだ健在だった。
廿日市だろうか、1071・1072・・阪急からの譲受車で車体幅の狭い宝塚線500形がその前身。
広電1071・1072.jpg

1077・・
広電1077廿日市.JPG

1080形、阪急唯一本の210形で嵐山線で走っていた。
車体幅は相当広かったはずで、入線に際して問題はなかったのだろうか。
1082・・
広電1082廿日市.jpg

1060形、昭和32年生まれ、僅か1両のカルダン車だ。
車体の軽快さが如何にも昭和30年代の車両だ。
広電1061廿日市.JPG

ボートレースの臨時列車1062・・
広電1061ボートレース借り切り廿日市.jpg

1050形、阪急の木造車を車体新製して更新した形式。
1051。
広電1051.jpg

1053、この当時は固定編成ではなく、のちに完全固定化され、番号も1090形に変わった。
広電1053廿日市.JPG

2連化された1094と向こうに1082が見える。
当時の高低あるホームの様子が分かる。
広電1082・1094.jpg

今、宮島線に専用車両はなく、すべてが路面電車タイプの連接車だ。
グリーンムーバ5000形が行く。
広電5001商工センター.jpg

今の広電は、LRTへの道を確実に歩んでいる。
日本の交通行政を先取りし、路面電車の最先端を行き、鉄道業界を牽引する・・
そんな頼もしい存在であるともいえようか。
広電5108・5110.jpg

posted by こう@電車おやじ at 15:29| Comment(1) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

広島電鉄の車両たち1970・80年代(その1)市内線

かつては広島へ頻繁に通った。
最初の訪問は、昭和53年(1978年)12月、国鉄職員に正式採用されて、その三か月後、初めて精勤乗車証なるものを申請して、京都から丹後を回り、米子から「さんべ5号」で下関へ出て、そこから快速電車で広島入りした時だ。

この日は雨だった。
以後、広島ではなぜか雨に遭うことが多かったのは気のせいか・・・
なお、今回の記事では、1980年代までの様子を車種別に記載するものとして、(その1)では市内線車両を、(その2)では宮島線直通車と鉄道線車両を取り上げたいと思う。
なお、一部にごく最近の撮影のカットを入れている。


雨の広島駅に降り立ち、目の前を行く路面電車に見惚れた。
最初にやってきたのは広電生え抜き、350形だ。
353号、なんとなく、京都市電に似ていると思ったものだ。
当時はいまだ京都市電1900形は広島での運用を開始していなかったが不思議な縁だと、このあと1900形が入る際には不思議な縁だと感じたものだ。
広電353広島駅.JPG

昭和28年生まれの350形は元々は宮島線直通用に作られたが、この当時はすでに市内線専用となっていた。
以後、車種別なので撮影時期も場所もシャッフルする形で紹介していきたい。

この日も雨だった。
351号。
広電351広島駅Ⅱ.JPG

比治山線、352号。
広電352皆実町.JPG

昭和28年生まれの500形、こちらは当初から市内線用、落ち着いた風貌が好みのタイプだ。
最初の訪問で、502号、広島駅前。
広電502広島駅Ⅱ.JPG

504号、広電は当時から広告電車に積極的で、広告収入は入るし、塗装代は浮くしと上手に活用されていた。
広電504広島駅.JPG

550形、昭和30年生まれの落ち着いた広電スタイルだ。
551号、この車両は宮島線直通認可を受けていたという。
既にこの当時は市内線専用車だ。
広電551広島駅夕方.JPG

553、冷房改造後の姿、十日市町。
広電553十日市町.JPG

570形、神戸市電500形を前身とするグループで神戸市電J、K、Lの各車が出自だ。
J車は大正13年、K車は大正15年から昭和2年、L車は昭和6年生まれの車体で、当時とて相当なベテランだったが、ごく初期の鋼製車でもあり、相当に頑丈にできていたのではないかと思う。

571号、元K車だ。
広電571広島駅夜景.JPG

573号、元K車、方向幕拡大後。
広電573.jpg

575号、元K車。
初訪問の広島駅でしばらく雨の中に立っているとやってきてくれた神戸市電・・
広電575広島駅雨.JPG

花の向こうに576号、元K車。
570形はどっしりしていて、広告電車になると一気に神戸のイメージから遠ざかる。
広電576原爆ドーム前.JPG

582号、元J車で神戸時代の車番は592。
今も残る車両で、これは数年前の撮影。
広電582紙屋町.JPG

580号、元k車。
これも最初の訪問で出会えたもの。
広電580広島駅雨.JPG

583号、朝の広島駅で・・
J車出自で神戸での車番は590。
広電583広島駅朝.JPG

584号、元L車。
広島駅前の夕暮れだ。
神戸市電は車内の照明が独特で、夜に見ると美しかった。
広電584広島駅前夕方.JPG

586号、元L車。
これら570形は神戸時代に更新されていて、ほとんど外観上の差異がなくなっていた。
僅かに屋根の深さに元の面影が残るのみだ。
広電586広島駅.JPG

600形602号、西鉄福岡市内線からやってきた。
昭和23年生まれが、当時最新のトヨタソアラと並ぶ。
広電602ソアラ本川町.JPG

この電車は今も残る。
美しく整備されて朝に活躍する様子。
広電602.jpg

650形、有名な被ばく電車だが、当時は特に説明もなかったように思う。
ごく普通に運用されていた。
昭和17年生まれ。
654号、江波で被ばくして大破したと伝えられる。
広電654的場町.JPG

651号、最近の撮影、この電車は中電前で被ばくしたと伝えられる、最近の撮影。
広電651.jpg

652号、宇品で被ばくしたという、これも最近の撮影。
広電652紙屋町.JPG

700形、戦前の京王電軌から譲受した23形を戦後に650形同様の車体を新製したもの。
705号、最初の訪問で・・
広電705広島駅雨.JPG

750形、大阪市電1601形、1651形、1801形を譲受したもので、ひとまとめに750形となっていた。
753号、1601形は製造初年は昭和2年。。
大阪での車番は1619号。
広電753広島駅正面.JPG

756、これも最初の訪問で出会えたもの、大阪での車番は1634。
スタイルが如何にも昭和初期の大都会の電車だ。
広電756広島駅.JPG

762号、大阪での車番は1652、この車両は大阪大空襲の被災車だと伝えられる。
広電782本川町.JPG

最近の撮影、762号紙屋町。
広電762紙屋町.JPG

768号、元大阪1801形1827で戦後生まれらしい軽快な外観だ。
この電車はイベント用として現存する。
広電768八丁堀.JPG

761号、元大阪市電1650形1651で、散水車を改造したグループとのこと、昭和15年生まれ。
広電761広島駅Ⅱ.JPG

769号、大阪市電1827、今、なぜか宮崎にあると聞く。
広電769八丁堀.JPG

760号、大阪での旧番号は1645、この日も雨の広島駅前。
広電760広島駅.JPG

1100形、神戸市電1100形で昭和29年生まれ、このシリーズは車番も神戸時代と変わらない・
1101号、僕の中の神戸市電はこの形態で、570形に会った時よりさらに大感激の再会だった。
広電1101広島駅雨.JPG

1101号、広告電車時代。
広電1101土橋.jpg

1103号、まだ神戸市電の面影が十分だ。
広電1103広島駅Ⅱ.JPG

1103号俯瞰。
広電1103本川町.JPG

1104号、己斐電停。
広電1104己斐.JPG

1105号が大阪市電出自753号と並ぶ。
ハノーバーカラーに塗られた初代の電車だ。
広電1105・753広島駅.JPG

1150形、昭和30年31年生まれの、神戸版PCCと呼ばれた高性能車だったが、扱い難く、神戸時代に大阪市電の中古機器でツリカケ化されている。

1151号、冷房改造後。
広電1151本川町.jpg

1153号、こうしてみるとかつての広島駅前は如何にもアジアの香りが漂う。
まさに古き良き時代だ。
広電1153広島駅.JPG

1154号と580号が並ぶ。
ここは三宮阪神前ではなく広島駅前での神戸市電の出会いだ。
広電1154・583広島駅.JPG

1157号、原形に近い状態で、優雅な正面のRの付いた窓が特徴。
広電1157広島駅.JPG

1156号、本川町。
マツダの広告電車だ。
広電1156本川町.JPG

紙屋町での夜景。
広電1156紙屋町.JPG

1155号、この車両のみ番号が変更されている。
神戸時代は1158、なので、東灘に残る電車と同じ番号というわけだ。
冷房化、方向幕の大型化がなされたが、正面のひし形黄色は消されて、それなりに神戸のムードを感じることができた。
広電1155緑.jpg

最近の撮影、1156号、ハノーバーカラー二台目となって現存する。
広電1156 (2).jpg

大阪市電から来た900形、大阪の2601形で、僕にとって大阪市電と言えばまさにこのイメージ。
昭和50年代、あまり広島駅前に来なかったような気がする。
江波近く舟入本町あたりだろうか、913号。
昭和30年から登場した電車だがツリカケ駆動、大阪での車番は2638号。
広電913江波.jpg

冷房改造後、土橋あたりだろうか。
907号・・大阪では2629号。
広電907本川町.jpg

最近の撮影、906号(大阪市電2627号)御幸橋。
広電906ほか.jpg

京都市電1902号と並ぶ913号。
最近の撮影、土橋。
広電913・1902.jpg

大阪市電が行きかう。
ここは松屋町筋ではなく、本川町、最近の撮影。
904号は大阪市電2634号。
広電904・913本川町.JPG

1900形、昭和32年生まれの京都市電1900形を譲受した形式、
今も主力車のひとつであるのは立派だと思う。
京都市電のイメージに近いがよく見ると結構、改造されている。
1913号、京都での番号は1929号。
広電1913本川町.JPG

サッポロビールの広告電車、1905号(京都1919)
広電1905的場町.JPG

冷房改造後、1915号(京都1931)を先頭に京都市電が続く。
広電1915ほか本川町.JPG


交通バリアフリー先進都市、広島にあって、これら旧型電車はもはや使いづらい存在なのかもしれず、現存車でも京都市電以外はほとんど動態保存と化している現状では、いつまでその姿を見られるか、はなはだ心もとない状況でもある。
それでも、如何にも路面電車然とした彼ら旧型電車の雰囲気は街によく溶け込み似合っていたと思う。
広電912サイド女性広島駅.JPG

だが、彼らが走る限り、僕は広島に行きたいし、彼らに会いたいと願っている。
広島は、京阪神の市電への思いと個人的な思いの交錯する不思議な町だ。
広電584室内灯.jpg

(その2)直通車、鉄道線に続く。
posted by こう@電車おやじ at 21:28| Comment(1) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする