2021年02月28日

嗚呼・・知立

知立(ちりゅう)という不思議な語感、およそ日本語離れしたその感覚は、かつての僕の地元「宝殿(ほうでん)」にも通じるものがあり、今も名鉄の名古屋以南に行く際はここで必ずと言ってよいほど下車して駅ホームで撮影している。

最初に行ったときに気に入ったというのもあるが、なんだか自分を引き付けるようなものを感じるのだ。

特急や高速で名古屋から豊橋まで乗りとおすのが常だったが、ある雨の日、ここで降りてみた。
たぶん、昭和54~5年ごろか。
当時の看板列車、パノラマカー7000系だが、このころ、逆富士型行き先表示に電動方向幕がつけられている編成が出てきていた。
当時の最新車両なのだろう。
名鉄7000後期型特急知立.JPG

雨の中、知立は多くの乗降客で賑わう喧騒だ。
パノラマカー7500系に乗り込む乗客。
時代を先取りしすぎたこのサイドのデザイン、名鉄の真骨頂ではなかろうか。
一般乗客を高品質な車両が迎える。
知立7000乗車風景.jpg

7500系の運転台。
名鉄7500運転台知立.JPG

乗り込む乗務員、たぶん、名鉄のこの運転台は国鉄では絶対に組合が受け入れなかったろうなと、当時でも思ったものだ。
二階レベルの運転台は国鉄が先駆ではあるけれど、国鉄は乗客の前面展望など考えもしなかった。
知立駅乗務員.jpg
実際に、僕が中京競馬場の保存車で乗り込んでみると、乗りにくいのは間違いがないがそれは慣れだろう、中は広々していて乗用車の運転席にいるような感覚だった。

当時はまだまだ旧型車、AL.、HLの全盛期ともいえる時代で、普通電車の大半はそういう車両だった
だが、急行森上行はAL3850系ク2860だ。
知立2860急行森上.jpg

その後ろだろうか、モ802の急行。
名鉄802知立.jpg

こちらも碧南行き急行、当時の名鉄では珍しい3ドア、3550系モ3552だ。
知立3552急行碧南.jpg

AL3850系ク3859を先頭にした本線普通電車。
知立3859普通岡崎.jpg

三河線ホームにはHL3700系列が二本並ぶ。
ク2742、ク2707だ。
知立2742・2707.jpg

高速・豊川の看板を付けて5000系が入線してきた。
豊川稲荷行高速。
5000系は丸っこい、独特のデザインで、栄光のSR最初のシリーズだ。
知立5000高速豊川東方.jpg

その電車の後ろ側、行先表示が豊川稲荷になっている。
前面窓もやや異なる。
名鉄5000知立.jpg

5200系、5000系の改良・増結用に登場した形式だ。
昭和32年製造で、パノラマミックウィンドウや2連下降窓は国鉄の車両づくりに多大な影響を与えたといわれている。
未更新、ほぼ原型を保つ編成が来た。
名鉄知立5200未更新.JPG

その編成の後ろ側「高速美合行」懐かしい種別だ。
名鉄5200原型知立後追い.JPG

5200系は当時、更新工事の途中で、側窓を二段化した車両もあった。
この下降窓→二段窓への改造工事も国鉄サロ・キロの更新に多大な影響を与えた。
高速岐阜行・・新岐阜と書かず、岐阜と書くのが名鉄流。
中間に5000系中間車を連結しているので車体断面が異なる。
名鉄知立5200更新.JPG

7300系、パノラマカーの車体を持ったつりかけ車という不思議な存在。
支線特急増発に大いに活躍した。
普通・岡崎・・・もちろん、行き先は東岡崎だ。
名鉄7300知立.JPG

新しい時代も少しずつ見えてきた。
6000系の今見れば美しい車体デザインだが、当時はファンとしては避けたい電車だった。
名鉄6000サイド知立.JPG

さらに100系なる4ドアロングシート車も登場する。
ただしこの電車は地下鉄と乗り入れをする豊田新線用の車両で、このころ、三河線で新車の足慣らしを行っていた。
この直後に三河線急行は廃止される。
名鉄100系知立.jpg

行き先板を「豊田市」とした急行100系。
ふっとみると、今、犬山から地下鉄経由で豊田市へ急行があってもおかしくない気がする。
名鉄100系急行知立.JPG

三河線急行、普段はこんな雰囲気だ。
知立駅の構内飲食店も懐かしい…きしめんやそばを扱っていたが、酒類もつまみもあった。
自分もこういうところで飲んだり食ったりしたものだ。
名鉄にくると駅のホームで一杯やれる・・のもまた特徴で、麺類の汁の香りが漂うと、いそいそと店ののれんをくぐる・・
名鉄2738急行知立.JPG

そういえば、駅で呑みすぎて・・特急に乗って小用がしたくなり、やむなく途中で降りてトイレだけ済ませて、次の特急に乗って車掌さんに事情を説明したら「ああ、いいですよ~~」と言ってもらったことも。。
今の名鉄、ほとんど構内やホームに飲食スタンドらしきものがない・・金山と名鉄名古屋くらいだろうか。。

カラーで・・
7000系パノラマカー、白帯だが急行だ。
すでに本邦有数の名車の凋落は始まっていた。
名鉄知立7000系白帯特急カラー.JPG

ホームで待つ沢山の乗客が反対方向の特急を見ている。
名鉄知立7000系特急カラー.JPG

7700系西尾線特急。
名鉄7700白帯西尾線特急知立.JPG

時代は移り、僕は写真の仕事に入ったことで特にその後半は多忙と経済的苦境でなかなか名鉄に行くことが出来なくなっていった。
それは名鉄詣でをしなくなった外的要因だが、それでも、北近畿方面や四国、岡山などには出かけていたから、やはりそこに僕の中での名鉄への失望があるのかもしれない。

パノラマカーが優等列車の主力を追われ、好きな岐阜地区の路線も一部廃止が始まっていた。
だがあるとき、どうしても名鉄に乗りたくなって無理をして出かけた。
現地で泊まることなどできず、青春18きっぷの残りを友人に分けてもらう旅しかできなかったが、それでも僕はまた知立に降り立った。
駅の雰囲気はあの頃のままで、だがそこにくる車両がずいぶん様変わりしていた。

1200系特急の離合。
この電車が出た時は、名鉄らしいスマートな新車の登場に喜んだものだ。
名鉄1200知立2000.JPG

8800系パノラマDXによる西尾線特急。
名鉄8800知立2008.jpg

パノラマスーパー1000系、1200系を連結する姿にもまた惚れ込んだものだ。
名鉄1000知立2002.jpg

2002年と記録にはあるが‥もう少し遅い時期かもしれない。
パノラマカーを見たくて溜まらずに無理をしてきたときの写真だ。

7700系急行、白帯車、自分が乗る列車なら儲けものだと喜んだかもしれないが、都落ちの悲哀を感じた。
(この場所は鳴海とのことです。お詫びして訂正いたします)
名鉄知立7700急行2002.jpg

僕が最後に動いているパノラマカーを見たのはこれが最後だった。
白帯こそ巻いているものの、普通列車で走る姿はなんだか哀れで、涙が出た。
この時出会えたパノラマカーはこれ一度きりだ。
名鉄7039知立2002 (2).jpg

知立は今も気になる駅だ。
だが、壮大な高架工事を実施中で混雑し写真など撮っていたら邪魔だと叱られそうな雰囲気だ。
一昨年、最後のSRを追ったときに、ここで見ることが出来た5700系5705F。
1122名鉄知立5705.JPG

この日も雨で、SR5700系は静かに去っていった。
1122名鉄知立5705後追い.JPG

その日、僕の前に新世代の新型車両、9500系の試運転列車が現れた。
1122名鉄知立9304.JPG

その日は地元ファン氏がお付き合いくださっていて、二人して驚いたものだ。
僕にとって、知立でSRに代わる新型車両を見たことは、今からの名鉄の姿を垣間見せてもらったように感じたものだ。
9500系は決して悪い電車ではなく、むしろ一般のレベルから見れば十分に名鉄らしさのある、素晴らしい車両だといえるだろう。
けれど・・・

僕にはあの喧騒の中の、蕎麦の汁の香りが漂う知立駅での、雑多な電車たちが懐かしく思われてならないのだ。

posted by こう@電車おやじ at 17:27| Comment(3) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月06日

雪と鉄道

雪とは厄介なものでもあるし、美しいものでもある。
また、怖いものでもあるし、平和な冬のイメージもある。
豪雪で生活や産業、交通が遮断される悪い面と、スキーや冬場の観光などに欠かせないものでもある。

ただ、僕は神戸市旧市街地の生まれで、大阪で小学生時代を過ごし、播州で多感なころを、そしてその後はまた神戸に戻って今に至るわけで、基本、数年に一度の気まぐれに降るとき以外は雪とは無縁だ。

そんな僕でも雪に驚愕したのは忘れもしない、昭和59年1月31日の播州地方での大雪だろう。
別府鉄道最後の営業日がまさかの大雪になったのだ。
別府鉄キハ101さようなら.JPG

この日は仕事で、職場からクルマで平時なら20分ほどのところ、普段、雪の降らない播州地方の道路は完全にマヒをしてしまい、やむなく山陽電車で別府鉄道へ向かったものだ。
土山線の最終列車。
別府鉄最終列車DDハフハフ.JPG

機関車次位のハフ7は撮りこぼしたらしく、次のコマはハフ5だ。
別府鉄最終列車ハフ5.JPG

だが、もう一両繋がっていた。
数日前からエンジン不調で動かさず展示されていたキハ2が最後尾だった。
土山線を走ることなどめったにないキハ2が土山線最終列車のシンガリを勤めたのもまた意外だった。
別府鉄最終列車キハ2.JPG

その日、別府鉄道に向かうために下車した電鉄別府駅での山陽電車、ステンレスカー2015だった。
山陽2015雪別府.JPG

滅多に雪に触れない土地柄である故、時にわざわざ雪を眺めに行くこともあった。
余部橋梁の雪景色。
余部橋梁サイド雪.jpg

幾何学的な構造が雪のよってさらに不思議な光景へと転じる。
餘部雪橋梁鋼体.jpg

雪の中、長大編成の気動車急行。
「だいせん」だろうか。
餘部雪キハ28急行6連.jpg

下から見上げた。
特急が通過する。
余部橋梁雪特急.jpg

旧型客車の普通列車が村の上空を通過する。
餘部雪客車下から.jpg

雪のホームに入ってきたのはDD51が牽引する、ローカル改造された(自分が関わった)12系客車による普通列車だ。
餘部雪DD511122.jpg

だが雪がさほど多くなくても、背景の山々に雪が残ればそれもまた美しい
特急列車が行く。
餘部雪キハ181特急.jpg

堂々とした普通列車。
餘部遠望雪DD51普通.jpg

普段よく行くポイントで雪に遭遇すると嬉しかった。
武田尾、うっすらと雪化粧という言葉がまさにぴったりの朝。
特急「まつかぜ」
武田尾キハ181まつかぜ雪.jpg

DD51が牽引する普通列車、マニとその後ろがオハフ33だ。
武田尾雪のDD51マニ50オハフ33発車.jpg

大茂山トンネルで・・
写真だけ見ると戦後すぐから昭和30年代を思わせる。
武田尾冬オハフ33.jpg

だが、50系客車の投入も始まっていた。
武田尾冬50系.jpg

好きな京阪神の私鉄で雪に会うことはごくまれだ。
だから、俄か雪程度でも嬉しい。
京阪七条にて。
3000系特急。
京阪3002雪七条.jpg

こちらは2000系。
S52京阪七条2025.JPG

阪急六甲にて駅ビル屋上から。
阪急六甲雪3000系.JPG

6000系特急が通過する。
阪急六甲雪6000系 (2).JPG

乗り入れてきている山陽電車。
山陽3008新色阪急六甲雪.JPG

僕は国鉄から写真業界に移ったが、そのうち7年ほど、学校アルバムの撮影に関わった。
冬場の北海道、僅かな隙間で撮影した札幌の路面電車。
旧塗装の331。
札幌市電n331.JPG

緑色の222。
札幌市電n222.JPG

当時の新型8511。
札幌市電8511 (2).jpg

写真業界時代は当初は忙しく、末期には経済的に苦境に立たされ、ロクに鉄道写真を撮影していない。
今の業界に来てやっと少しだけ、余裕が戻った気もする。
永原駅でのトワイライトエクスプレス。
トワイライト永原 (2).jpg

冬の高岡・魚津へ、新幹線開業で消える列車たちを見に行った。
トワイライトエクスプレス。
終点まで行きつかなかった列車だ。
トワイライトEF81114高岡.jpg

北越急行の赤い塗装がカッコよく見える、681系「はくたか」
魚津681系はくたか北越車.jpg

6連で来た475系急行型による普通列車。
急行型475系魚津6連.jpg

ここ数年、友人たちが雪の降るあたりへ連れて行ってくれることがあった。
自分ではそこまでの勇気がないので・・とても感謝している。
因美線、智頭付近にて。
スーパーはくと。
0212智頭HOT7000スーパーはくと4号.JPG

いなば。
0212智頭キハ187いなば2号.JPG

キハ47が雪を巻き上げて進む。
0212智頭キハ47×3下り.JPG

智頭急行のHOT3500による普通列車。
0212智頭HOT3500・2.JPG

播但線もまた冬場は美しい。
遠望で小さく見えても朱色のキハはしっかり存在感を出す。
0127播但1寺前キハ41.JPG

こういうシーンが見られるのは僅かな時間、ここに連れてきてくれたこと、そしてこのシーンに出会えたことに感謝だ。
0127播但4寺前キハ41.JPG

国鉄形特急のデザインの流れをくむ、キハ189「はまかぜ」
0127播但10長谷キハ189.JPG

こちらは季節臨、「カニかにはまかぜ」
0127播但3寺前キハ189かにカニ.JPG

今年、正月に休みが得られ、播但線から山陰線を少し回った。
下車して撮影するのは兵庫県内だ。
播但線で・・
「はまかぜ」
0102長谷キハ189回送後追い.JPG

山陰線柴山駅でキハの普通を。
0102柴山キハ47入線.JPG

数十年ぶりの雪の余部橋梁。
キハ47の普通列車。
0102余部橋梁キハ47上り.JPG

特急「はまかぜ」
6連で来てくれた、貫禄が漂う。
橋は変わったが背景は昔のままだ。
0102余部橋梁キハ189はまかぜ1号.JPG

所用があり、長野県小諸市に縁ができ、それは冬場も続く。
合間に撮影できた雪の平原付近。
115系の通勤列車が5連で停車する。
0113平原雪の115系5連.JPG

しなの鉄道カラーの115系2連。
0113雪の平原115系2連.JPG

湘南色115系・・
小諸は雪はめったに積もらないそうで、この日も午後には雪など消え去っていた。
0113雪の平原15系湘南色2連.JPG

結局、僕自身は雪景色へのほのかな憧れを今も抱いていると思う。

posted by こう@電車おやじ at 12:48| Comment(2) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月15日

2ドア転クロ時代の終焉か

日本の鉄道車両で、乗車券以外の特別料金、特急券とか特別車両券、グリーン券というものが不要な、転換クロス車両は決して多くない。
関西と東海では歴史的にその存在は確立したものではあるけれど、関東では皆無に等しく、北陸・九州の一部地域を除き日本全体を見ればということだ。

さらにその車両が2ドアとなると更に激減し、ここ数十年は2ドア転クロの車両の新生はない。
鉄道車両は断然2ドアがいい。
とてもスマートに見えるのだ。
もちろん使い勝手となると、乗降口が離れ、ラッシュに動きにくい2ドアはダメなのだろうが、あくまでもスタイルとしての実感だ。
2ドア車両を3ドアにして転換クロスを存置した例としては近鉄の旧型特急車群があるが、これこそ今の3ドア転換クロスの嚆矢であり、つまり、3ドア転換クロスは当初は新製車両ではないところから始まったということだ

2ドア転換クロスの車両はその製造目的が都市間輸送だったこともあり、スタイリッシュでしかも軽快だ。

我が国における転換クロスは明治期の国鉄客車のその範を見るが、それは粗末な板張りシートで、米国のインターアーバンを研究しつくした京阪が世に送った1550形車両こそ、ロマンスカーの歴史の始まりと言われている。
もちろん、僕に昭和初期の写真の持ち合わせなどあるはずもないが、京阪以降、阪急900形、参宮急行新2200系、南海301系、1201系、阪和モヨ100形さらに京阪1580形から1000形へと続くし、その流行は関ヶ原を超えて東海に飛び火して愛知電鉄3080形や3300形、知多910形、名岐800形、さらには名鉄3400系、3350系などを生むわけで、今の関西と中京圏の鉄道サービスの根幹になったような気もする。
国鉄の3等車といえば板張り向かい合わせの窮屈なシートだった時代だ。
余談だが国鉄が総力を結集して製作した流線形急行電車モハ52もその車内は関西人には不評であったともいう。

1960年生まれの僕がこれら名車の大半の現役時代に出会うはずもなく、後にロング化や3ドア化された車両に出会えたのがせめてもの救いだった。ただ、名鉄3400にだけは転換クロスの状態で出会えた。
S51名鉄犬山分岐3401.JPG

さて、混乱の時代を経て戦後、最初に2ドア転換クロスを採用したのはなんと、関西でも中小に分類される山陽電鉄だ。
写真は850形トップナンバーで国鉄の先輩から頂いたものだ。
山陽850カラー化.jpg

小田急ロマンスカーの嚆矢となる1910形こそが戦後ロマンスカーの始まりだと勘違いされておられる方々が大勢を占めているが、小田急は1910形ではボックス型のセミクロスだったのだ。
しかも山陽のそれは特別料金を収受しない都市間電車の伝統を受け継いだ。
小田急は特別料金収受の特急だ。
山陽はこの後も2000系2010Fまで転換クロスの一般用特急車を出す。

戦後も近鉄がどちらかというと有料特急車を転クロで用意してきた。
名古屋線にはそれでも戦後も一般急行用途として転クロ車が増備されてはいるが、それも本格的な特急車両の登場とともになくなった。
南海、京阪、阪急は戦後も転換クロスの一般用途車を作り続ける。
南海1001箱作.jpg

関西大手で転クロ車を用意したことがないのは阪神だけだが、その阪神も近年、3ドアで一部に転クロを備えた車両を用意してきている。
名鉄は戦後は固定クロスから始まり、高性能化と同時に転換クロスに戻った。
転クロ2ドアのSRは一昨年の年末に終了したが、以降は3ドア転クロ、もしくは3ドアセミ転クロに転じている。
名鉄5000高速岐阜.jpg

名鉄は国鉄電化の対抗策として、国鉄が到底、追随できそうもない破格の車両を用意、それが2ドア転換クロスのSRだったのだが、流線形5000系以降、国鉄急行型に先じパノラマミックウィンドウや2連式下降窓を採用した5200系。
名鉄知立5200未更新.JPG

戦後日本最初の大衆冷房電車5500系まで登場。
名古屋名鉄新岐阜5500.jpg

勢いはとどまることなく、日本最初の前面展望電車、パノラマカー7000系が出たのが昭和36年。
S57名鉄新木曽川7000サイド.JPG

その高性能版7500系まで登場。
名鉄新岐阜7500フロントアイなし.JPG

名鉄の勢いはとどまるところを知らず、普通列車用途の車両まで2ドア転クロとするようになる。
名鉄3780岐阜.jpg

さらには軌道やローカル用途の車両までも。
美濃町線600形上芥見.JPG

これはいくら何でもやり過ぎで、高度経済成長時代にサービス精神旺盛だったことは喜ばしいが、名古屋圏の通勤事情はひっ迫してしまう。
後に昭和50年代から通勤用として3ドア車が導入されたのもラッシュに悩む利用客からはやっととの思いだったのだろう。

関西では高度経済成長時代にあっても特急は特急であり、一般列車と区別するという考えのもと、阪急・京阪では2ドア転クロを作り続ける。
京阪3000系。
京阪3501ほか6連淀.jpg

阪急は2800系を経て6300系の時代へと。
阪急6357桂特急.jpg

戦前の一回だけの例外を除いては固定クロスでやってきた九州の西鉄でも、この時期、2ドア転クロ一般特急車が登場している。
西鉄2061久留米.jpg

地方私鉄もまだまだ元気な時代、富山地鉄は自前の転換クロス車の増備を続けていた。
富山地鉄14764常願寺川.jpg

伊豆急行1000系は新しいスタンダードになるかと期待もされたが・・
S56伊豆急1501編成BW熱海.JPG

福井鉄道では近代化初期の新車には固定クロスの連接車を投入したが、車両近代化の流れの中で中古車両を組み合わせた転換クロス車を登場させた。
昭和50年代になってツリカケ式、まるで京阪1550形を思わせる前後非対称デザインの転換クロス車を送り出したことはある意味、強烈な印象でもあった。
福井鉄道143福井新2.jpg

そして国鉄も・・
名鉄5500系に遅れること16年、昭和50年に九州地区に汎用車として投入されたキハ66・67だ。
キハ66_4.jpg

さらに昭和53年になってやっと京阪・阪急に真っ向勝負を挑んだ117系。
須磨117.jpg

さらに、ややスペックダウンしながらも都市圏の新しいサービスを目指し、広島地区に投入された115系3000番台。
115-3000廿日市.jpg

この頃、昭和50年代前半頃が2ドア転換クロス車の黄金時代だったのではなかろうか。
名鉄が3ドア通勤型、そしていったん2ドアのSRに戻りながらも3ドア転クロに転じていった昭和60年代、あるいは平成時代、2ドア転クロ車はその存在意義を薄れさせてしまう。
名鉄5703.jpg

名鉄6000系は当初、3ドア固定クロスで設計され、やがて座席を改良しながらも、初期の窮屈な座席の車両はロング化されていったが、この名鉄6000に範をとったのが山陽電鉄5000系で、長らくロングシート車ばかりになっていた同社のなかで久々にクロスシートを採用、当初は固定式だったが、やがて転換式に変更される。
この山陽5000がJR西日本の3ドア転クロ221系登場のもとになったとも言われていて、このあたり、結局、3ドア転クロを使いこなした会社と、使いこなせなかった会社の差が出てきてしまったかもしれない。

しかし、この頃にあっても新たに登場した2ドア転クロ車はあった。
京阪8000系。
京阪西三荘8051特急.jpg

西鉄8000系。
西鉄8000大橋.jpg

京急2100形。
固定クロスで頑張ってきた京急もついに転クロに。。
京急2165北品川.JPG

だが、平成も終わり近くになると、3ドア転クロの使いやすさが一般化してきて、JR西日本や東海のスタンダードになった。
名鉄も京阪も阪急も西鉄も、新しい転クロ車は3ドアだ。
気が付いてみると2ドア転クロで一般用途で残っているのは以下の車両しかない。
京急2100形。
青い特別な塗装の編成だ。
0224平和島京急2140青.JPG

京阪8000系。
ダブルデッカーやプレミアムカーを連結した今の姿。
0104野江京阪8003.JPG

阪急6300系。
京とれいん、として活躍する姿。
阪急6354京とれいん看板付き梅田.jpg

支線の嵐山線用としての姿。
20130401松尾阪急6353.jpg

JR西日本117系・・岡山での様子。
0307倉敷117-100正面黒.JPG

こちら京都区の団体臨時列車の様子。
0622大蔵谷117団臨後追い.JPG

今は岩国以東には来ない115系3000台。
0307庭瀬115-3000萌黄.JPG

これに九州のキハ66だが、遠くて見に行けていないし、すでにロングシートの新車と置き換えが進んでいる。

大井川鉄道には南海高野線から移籍した21001系が存在する。
大井川21003千頭.jpg

いずれ彼らが引退した時に一般用の2ドア転クロ車はまた作られるのだろうか・・
個人的にはその可能性は低いとみている。

3ドアの使いやすさ、名鉄・西鉄がもはやそこから戻れないように、今から残る各社も彼らの引退後はもはや2ドア転クロ車を作ろうとも思わないだろう。
見ててスマートで、乗って落ち着いた車内にほっとする・・・
このような車両が特別料金なしで乗れた時代は遠く過ぎ去っていくように思えてならない。

阪急6300系・・・
阪急夕景6300中間.jpg

京阪3000系・・・
京阪3515鴨川.jpg

名鉄7500系・・・
名鉄7500_5.jpg

国鉄117系・・
国鉄117須磨列車線下り.JPG

そして車内写真は名鉄5700系。
010601犬山名鉄5704車内.JPG
posted by こう@電車おやじ at 23:50| Comment(4) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月20日

しなの鉄道115系を見る

不思議なことから長野県小諸市に自分にとって濃い縁があることが分かり、本年7月以降、特に10月11月は公休日の度に、小諸を訪れる必要性ができた。
もとより、鉄道に関する縁ではないし、趣味活動としていくべき筋合いのものではないが、例えば所用の合間、朝夕などホッとして線路際で電車を見ることも出来る。
ちょうど、しなの鉄道では国鉄→JR東から引き継がれた115系電車が最後の活躍を続けていて、しかも様々な塗色で走っている。
思いもかけず、時として115系電車を堪能する機会ともなった。

11月3日撮影、この日は午後から暇を得、浅間山の良く見えそうな場所で撮影をしてみた。
しなの鉄道標準色の115系と観光列車「ろくもん」が出会った。
1103しなの鉄道平原115系ろくもん・115系.JPG

最初に小諸に行ったのは7月14日、我が地元の西明石から新幹線「ひかり」に乗り、名古屋で「しなの」に乗り換え、さらに長野からしなの鉄道115系に乗って着いた小諸は遠かった。
ここに来たのは若き日、今から40年ほど前のことだ。
上田駅にはコカ・コーララッピングを施された115系が停車していた。
0714上田しなの鉄道115系コカ・コーラ.JPG

実はコカ・コーラの本来の宣伝用ではなく、国鉄が車体ラッピングを始めたごく初期のデザイン広告で非常に人気が高く、わざわざクラウドファンディングを実施して復元されたとのこと。
0714上田しなの鉄道115系コカ・コーラ2.JPG

現地に事情に疎い僕は、この色の意味がよく分からなかった・・・修学旅行電車の復元にしては側面が違う・・・
なんと、台湾鉄路の「フユマ号」カラーだそうだ。
0714上田しなの鉄道115系オレンジ.JPG

小諸駅で、懐かしい・・思わず叫んだ。
かつての長野支社の標準色「あさま色」に塗られた115系。
0714小諸しなの鉄道115系あずさ色.JPG

小諸駅で目の前を湘南色の115系が。
0714小諸115系湘南色2連.JPG

この電車には帰路に乗ることも出来た。
長野駅で。
0715長野115系湘南色3連.JPG

次に小諸を訪れたのは10月1日だ。
だがこの日は小淵沢で所用があり、小海線で小諸に着いたのは夜になっていた。
翌朝、泊まったホテルすぐ近く、朝の時間帯に少し撮影ができた。
小諸駅には標準色の電車と並んで紅い電車が停車している。
1002小諸115系並びコカ・コーラ.JPG

紅い電車はコカ・コーラ電車だった・・朝の長野行きだ。
1002小諸115系コカ・コーラ②.JPG

現場には数人の鉄道ファンがいた。
伺うと、この電車はこの日が最終運行とのこと、その出発のシーンを見られたわけだ。
1002小諸115系コカ・コーラ4.JPG

湘南色115系、長野管内は国鉄時代に115系1000番台に統一された経緯があり、経年も新しく接客設備も整っている車両がそのまま、しなの鉄道へ譲渡された。
それゆえ、今日まで使用に耐えたのだろう。
1002小諸115系湘南色2.JPG

横須賀色、スカ色と呼ばれる塗り分けで、115系としては中央線系統に使われていた。
ファンには「山スカ」と呼ばれる。
1002小諸115系スカ色.JPG

しなの鉄道標準色。
1002小諸115系しなの鉄道標準色.JPG

新型SR-1系が入ってきた。
1002小諸SR1系.JPG

この日、午後は天候が回復した。
午後の暇に・・
小諸南町辺りで・・・
1002小諸南町115系しなの鉄道色.JPG

スカ色電車と浅間山系のコラボ、古城地区の様子も。
1002小諸午後115系スカ色.JPG

10月12日、この日も朝は曇っているというか、ここは山の中腹でもあるので霧がかっているというか・・・

湘南色の3連。
1012小諸しなの鉄道115系湘南色3連.JPG

後追い。
1012小諸しなの鉄道115系湘南色3連後追い.JPG

10月13日、旧しなの色。
1013小諸駅しなの鉄道115系しなの色俯瞰.JPG

標準色、国鉄系の塗装と比べると複雑な塗り分けだ。
1013小諸しなの鉄道115系標準色2連.JPG

山スカ色。
1013小諸しなの鉄道115系スカ色2連.JPG

旧しなの色を駅で。
1013小諸駅しなの鉄道115系しなの色.JPG

11月3日、午後には暇を得、初めて小諸駅から西へ繰り出した。
といっても一駅だが・・
平原の駅舎・・といっていいのか・・この手の駅舎は北海道でよく見た。
1103平原駅.JPG

浅間山が良く見える。
1103しなの鉄道平原115系と浅間山1.JPG

僅か一駅で得られるこの風情。
1103しなの鉄道平原115系と浅間山.JPG

しかし、しなの鉄道標準色はこの色彩の中では目立たない。
1103しなの鉄道平原115系と浅間山3.JPG

この日は標準色しか来ない・・・
1103しなの鉄道平原115系と浅間山3-2.JPG

と、思ったら観光列車「ろくもん」と標準色の車両が出会う。
1103しなの鉄道平原15系ろくもんと浅間山.JPG

115系が行く・・・
1103しなの鉄道平原115系2.JPG

この方向は高峯山か。
1103しなの鉄道平原115系と高峯山.JPG

平原駅を通過するSR-1系快速。
1103しなの鉄道平原SR-1系2.JPG

ついでに軽井沢まで足を延ばしてみた。
行き止まりの線路が悲しい・・・
1103しなの鉄道軽井沢115系.JPG

11月12日、小諸駅に停車する湘南色編成。
1112小諸115系湘南色.JPG

11月13日、小諸のホテルにて。
浅間山を背景に始発電車が長野へ向かう。
1113小諸しなの鉄道始発1115系.JPG

翌11月14日は霧が出て山の姿ははっきりとは拝めない。
湘南色と標準色の編成が行く。
1114小諸しなの鉄道115系湘南色・普通色.JPG

スカ色の編成が来た。
1114小諸しなの鉄道115系スカ色.JPG

この日も午後から晴れた。
小諸駅すぐ近くにて「ろくもん」
1114小諸115系ろくもん1.JPG

後尾・・乗れる可能性のある列車だったがあとの予定のため断念した。
次回機会のある時はぜひ。。。
1114小諸115系ろくもん2.JPG

電車に乗ろうとホームに行くと「あさま」色の電車が停車していた。
思わず小海線ホームまで行って撮影。
1114小諸115系あさま色.JPG
posted by こう@電車おやじ at 20:47| Comment(1) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月23日

近鉄名阪特急に寄せて

僕はまだ少年の頃から近鉄特急にはよく乗っていた。
それはほとんどの場合、名古屋へ名鉄詣での行き帰りで、名阪特急には本当によくお世話になった。
車内設備が良く、料金の安い近鉄特急は僕らのような貧乏鉄道ファンにありがたい存在だったと言える。
ところが、愛用した近鉄名阪特急だが殆ど撮影ができていない。

よく考えると名阪特急に使われた車両では10100系以降のほとんどの車両を経験しているのに・・である。

名鉄は訪問して撮影する鉄道、近鉄は交通機関として愛用する鉄道・・いつの間にか自分の中での立て分けができてしまっていたような気がする。

だが、近鉄特急は魅力的だ。
国鉄が長年、485系辺りのデザインを漫然と作り続けていた時代にあって、近鉄特急はリクライニングシートは当たり前、駅のホームに特急券自販機が供えられ、次の特急の座席を難なく購入できたことなど、今にも通じる一歩先の特急列車をごく普通に運行していた。

だからこそ、名古屋からの帰りにふと思いたって近鉄特急で帰るなんてことも普通にできたのだし、それは僕にとっては今に続く流れでもある。

僕が初めて近鉄特急に乗ったのは、中学生の終わりの卒業旅行を仲間と計画した時。
列車は12200系でわずか2連、だが、スナックコーナーは営業され、サンドウィッチあたりの軽い食事をとったと記憶している。
写真は難波駅での名阪ノンストップ特急、まさに廃止寸前の様相だった。
名阪特急近鉄難波12200系.JPG

発車、停車のショックがほとんどない素晴らしい乗り心地に、近鉄の偉大さを垣間見た気がしたものだ。


二度目に乗車したのは10100系ビスタカーだった。
スナックカーでの感動未だ冷めやらぬ頃、一人鉄旅で乗車したのだが、緑のチェック柄の化粧板が下天井まで及んでいたのには驚いたが、この列車もスナックコーナーは営業していた。
写真は乗車した10100系。
S51近鉄名古屋10100系ノンストップ貫通.JPG

この時、同じホームには別の列車もやってきていて、10100系、11400系の姿を見ることができた。
S51近鉄10100系流線形.JPG

二階建て中間車でのお別れ風景。
S51近鉄10100系ノンストップ中間車.JPG

11400系、この系列の列車にも乗車したことはある。
S51近鉄名古屋10400系名阪特急.JPG

なんと、ツリカケ時代の名阪特急車が準急に格落ちされて並んでいた。
2250系の異端車2247。
S51近鉄名古屋2247.JPG

2250系のトップナンバー、2251。
S51近鉄名古屋2251.JPG

この時、乗車した10100系はまさに憧れの電車だったが、発車、停車時こそショックはなかったものの、高速運転時には酷く揺れた。
スナックカーの方が断然いいなと思ったものだ。

さて、名阪特急は乗るばかり、でも僅かに撮影したこともある。
長谷寺の様子から。

国鉄の大幅な運賃値上げで乗客が一気に名阪特急に流れ込んできた。
2連で廃止寸前、消えてしまいそうだった名阪特急はひょんなことから息を吹き返した。
サニーカー12400系も投入。
名阪特急近鉄長谷寺12400系.JPG

新世代ビスタカー30000系も投入された。
名阪特急近鉄長谷寺30000系.JPG

その中間部。
名阪特急近鉄長谷寺30000系中間車.JPG

難波行きの名阪特急。
名阪特急近鉄長谷寺30000系下り.JPG

ビスタカ―30000系。
近鉄長谷寺30000後追い.jpg

そして一気に名阪間顧客を挽回すべく生まれた21000系アーバンライナー。
近鉄長島21000系アーバンライナー.JPG

この列車にも登場時に乗った。
素晴らしいアコモに驚愕しながら・・・
近鉄21000難波.jpg

伊賀神戸にて。
近鉄アーバン伊賀神戸.jpg

高安にて・・
0629近鉄アーバンライナー高安.JPG

河内国分。
近鉄アーバンライナー河内国分.jpg

名古屋に入線。
0106名古屋近鉄アーバンライナー入線.JPG

更にモデルチェンジしたアーバンライナーネクスト21020系。
鶴橋・・
近鉄アーバンネクストつるはし.jpg

難波・・
0906近鉄21200.JPG


最近に乗車した21000系アーバンライナー。
010613名古屋近鉄22100系アーバン.JPG

その車内、素晴らしい静粛性とくつろぎの空間だ。
010613アーバンライナー車内.JPG

座席、今のJR特急も新幹線普通車も未だにこのレベルには程遠い。
0106近鉄アーバンライナー座席.JPG

先ごろ、アーバンライナーの後継に「ひのとり」がデビューした。
かなり濃い赤を纏った車体は名鉄のお株を奪い、私鉄界に近鉄ありを宣言しているかのよう。
0902近鉄青山町ひのとり全景斜め.JPG

サイドビューもなかなか魅力的だ。
0902近鉄青山町ひのとり流し.JPG

同じ列車の後ろ。
0902近鉄青山町ひのとり流し2.JPG

だが、なんとなく厳つい感じがする。
0902近鉄青山町ひのとりアップ.JPG

名阪特急と言えば、やはりこの優しさではないのか。
0902近鉄青山町URBAN1・8連.JPG

アーバンライナーのサイドビュー。
0902近鉄青山町URBAN流し1.JPG

最後にまもなく引退と聞く12200系スナックカーの名阪特急での雄姿を。。
近鉄名阪特急長谷寺12200系.JPG



posted by こう@電車おやじ at 22:31| Comment(4) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする