2025年12月29日

東播磨・北播磨における鉄道の衰退に思う。

昭和50年代から国鉄再建法による鉄道路線の廃止が全国で進んだが、ここ播磨でも例外ではなかった。
特に、戦前に播州鉄道→播丹鉄道より開業した区間や、それら路線に関わる区間において、これ以降は、まさに鉄道の衰退といえる状況を呈してしまう結果となった。
写真は在りし日の西脇駅。
西脇駅S53.JPG

播州鉄道は繊維産業の盛んな加古川流域や、播磨灘沿岸の工業地域の加古川と結び、物資や人の流れを支え、地域経済を興していくことを目標に敷かれた鉄道路線だった。

軽く歴史的経緯を箇条書きにしていく。
先ずは開業篇。
写真は加古川総合文化センターで展示された、播丹鉄道の列車。
1109加古川総合文化センター展示播州鉄道高砂線 (2).JPG

1913年(大正2年) 4月1日 播州鉄道、加古川町・国包(のちの厄神)間開業
           8月10日 国包・西脇間開業
           12月1日 高砂線加古川町・高砂口間開業
1914年(大正3年) 9月25日 高砂線、高砂口・高砂浦間開業
1915年(大正4年) 5月14日 加古川町駅を鉄道院線加古川駅と統合
           3月3日 北条線、粟生・北条町間開業
1916年(大正5年) 11月22日 三木線、厄神(国包を改称)・三木間開業
1921年(大正10年) 5月9日 西脇・市原間開業
          9月3日 別府軽便鉄道野口線開業
1923年 (大正12年) 5月6日 市原・鍛冶屋間開業
          3月18日 別府軽便鉄道土山線開業
          12月1日 播州鉄道の経営が播丹鉄道に譲渡される
1924年(大正13年)12月27日 加古川線、野村・谷川間開業
       以後、加古川・谷川間を加古川線、野村・鍛冶屋間を鍛冶屋線とする。
1928年より播丹鉄道全線において順次気動車の運行を開始。
       国有鉄道買収時点では19両もの気動車「レカー」が使われていた。
1936年(昭和11年)12月28日 三木電気鉄道、鈴蘭台・広野ゴルフ場前間開業
       電化工事が間に合わず播丹鉄道の気動車を借り入れて運行したという
1937年(昭和12年)4月15日 三木電気鉄道全線電化
         12月28日 三木電鉄広野ゴルフ場前・三木東口間開業
1938年(昭和13年)1月28日 三木電鉄三木東口・三木福有橋間開業
1943年(昭和18年)6月1日 播丹鉄道の全路線が国有化される
             鉄道省、加古川・高砂・三木・北条・鍛冶屋線となる。
         10月1日、播丹鉄道の路線バス事業が神姫合同バスに譲渡
1947年(昭和22年)1月9日  三木電気鉄道、
              神戸有馬電気鉄道と合併、神有三木電気鉄道に
1949年(昭和24年)4月30日 神有三木電気鉄道、神戸電気鉄道に社名を変更
1951年(昭和26年)12月28日 神戸電気鉄道、三木福有橋・電鉄小野間開業
1952年(昭和27年)4月10日 神戸電気鉄道、電鉄小野・粟生間開業

日本の繊維産業の中でも大きなシェアを誇っていたのが加古川流域であり、戦前はそ
こへの人口集積も大きかった。
中国・四国・九州地方などから連れてこられた学校を卒業したばかりの少女達には、
彼女たちの故郷と等しい、あるいはもっと長閑な景色が車窓から見えるのを警戒し
て、列車の北向き進行方向左側鎧戸あるいは幕をおろして、少しでも人家の多い右
側、川側の景色しか見せなかったという逸話も伝わっている。
青野ヶ原付近。
加古川線キハ23・35青野ヶ原.jpg

戦前にあって播丹鉄道の運行は活発で、加古川町に近いところや高砂線では30分へ
ッドの高頻度運行もされていたという。

だが、栄光は長く続かない。
日本の産業構造が変化すると、繊維業界はその優位性を失い、これら鉄道群は輝きを
失っていく。

繊維から離れた海岸部重化学工業の輸送機関であったのは高砂線と別府鉄道土山線で、いわゆる臨海鉄道の雰囲気を有していた。
しかし、これも国鉄改革による激変に晒されることになる。
高砂線には沿線大工場群とともに、国鉄高砂工場の存在もあった。
高砂線貨物.jpg

ワタシが写真を撮影し始めたころ、加古川線、高砂線、別府鉄道はいわば地元の鉄道であり、中坊の頃からよく自転車で見て回った記憶がある。
別府鉄道のもう一つの顔だった白砂青松の海岸への観光客(就中、海水浴客)輸送は、巨大な神戸製鋼の出現によって過去のものとなっていたが、高砂線や別府鉄道土山線の貨物列車が活発で、これを見るのは楽しいことだった。
別府鉄道土山線の混合列車。
別府鉄DBハフハフ.jpg

高砂線の長編成貨物列車。
高砂線DD13・ワム貨物.jpg

加古川線は乗客が多く、朝夕には長編成が走り、小気味よくまとまり、整備の行き届いた美しいキハが今と変わらぬ頻度で走っていた。
神野・厄神間にて。
加古川線キハ35・30・23など5連神野.jpg

支線の中でも三木線は乗客が多く、3両編成も見られた。
加古川都市圏に相当する厄神以南の列車本数を確保する意味からも加古川から三木への直通は利用者、国鉄双方にメリットがあったのだろう。
街はずれとはいえ、三木駅にはいつもそれなりの人がいた。
国鉄三木駅夏.jpg

鍛冶屋線も沿線に北播磨の中枢都市、西脇市の中心部を抱え、西脇駅はいつも人であふれ、駅前からのバスターミナルもにぎわっていた。
西脇以北は列車の大半が加古川直通というのもあるのだろうか、利用者もそこそこにあり、閑散線区という印象はない。
鍛冶屋で発車を待つ加古川行きの荷物兼用気動車、キハユニ15。
加古川線鍛冶屋線鍛冶屋キハユニ15発車.jpg

北条線は、このグループ線区の中で、一番大人しく感じる路線だった。
淡々と2両編成のキハがのんびり走るというイメージだ。
ここだけは、現在の北条鉄道による賑わいを三セク転換時に誰が予想しただろうか。
北条線キハ20.jpg

だが、国鉄改革とともに悪魔の足音が忍び寄る。
本来、地域インフラであるはずの鉄道に無理に単独収支など求めなくてもよさそうなものだが(収支を求めるなら地域経済全体で見たいといけないだろう)各線区の単独の収支決算がなされ一定の数字をこなせないところは脱落させられていく。

1981年国鉄第一次廃止対象線区として、高砂線、北条線、三木線がやり玉に挙げられる。
三木線と北条線の沿線協議会は第三セクター化を選ぶが、本来、人口稠密地帯を走り、国鉄山陽本線と山陽電鉄線という二つの幹線鉄道を結び、沿線に大量の貨物取り扱いをする重化学工場群が立ち並ぶ高砂線が、あえなく廃止に至ってしまった。
これには「国労」で纏まっていた国鉄高砂工場そのものを消してしまうというその意志が強く出た結果ともいわれている;
だとしたら地元や、経済界には大きな迷惑でしかなかったのではないか‥
そして国鉄貨物輸送の変革により、これまでの顧客を無謀にも断ち切る暴挙に出て、別府鉄道の貨物受け入れを国鉄が拒否、あえなく別府鉄道も廃止されてしまう。


また輸送人員が多く、生き残った鍛冶屋線は第三次廃止対象路線とされ、北播磨の中枢都市西脇市の都心から線路が消えた。
この後しばらくは再開発された西脇駅用地跡のターミナルより、神戸・大阪方面への特急・急行バスの発着などでにぎわったが、町の衰退とともに北播磨中枢のはずのこの町からバス営業所が消え、高速バスもJRバス撤退、神姫バスも神戸便の大半が廃止になるなど、かつての賑わいがなくなってしまっている。
(神姫バス西脇急行線は1969年からの歴史ある路線だが、大半が社営業所発着となり西脇発着はごく一部のみとなった)
国鉄健在の頃の神姫バス西脇営業所。
神姫バス西脇営業所S53.JPG

さらに第三セクター化された鉄道のうち、三木鉄道が「無用の長物」とされ、実際には特に朝夕には大勢の旅客があるのに、無用を叫んだ市長によって廃止を強行されてしまう。
この辺りの事情は名鉄岐阜地域の中速鉄道を全廃させた当時の岐阜市長と似たものがあるように思える。
三木線は人里離れた山間部を走るのではない。
都市と都市を結び、沿線人口も決して少なくなかった。
三木鉄道石野駅とレールバス.jpg

以下に衰退へ向かう現状への歴史を簡単に記す。


1981年日本国有鉄道第一次廃止対象路線確定

1981年(昭和56年)9月19日 
国鉄、高砂線・三木線・北条線を第一次廃止特定地方交通線として廃止承認する
1983年(昭和58年)11月25日 国鉄高砂工場廃止、正式決定
1984年(昭和59年)2月1日 国鉄高砂線、貨物輸送廃止
別府鉄道全線廃止
          7月1日 国鉄高砂工場廃止(この後、昭和62年まで稼働)

1985年(昭和60年)4月1日 北条線→北条鉄道へ 三木線→三木鉄道へ
            第三セクター鉄道始動

1987年(昭和62年)2月3日 鍛冶屋線、第三次特定地方交通線として廃止承認
          4月1日 日本国有鉄道、分割民営化。
             当地では西日本旅客鉄道(JR西日本)へ承継
1990年(平成2年)4月1日  JR鍛冶屋線全線廃止、バス転換
2001年(平成13年)9月1日 神姫バス、恵比寿快速線運行開始、当初一日30往復
2004年(平成16年)12月19日 加古川線全線電化、加古川駅高架化完成
2008年(平成20年)4月1日 三木鉄道全線廃止、バス転換
2017年(平成29年)3月25日 神戸電鉄粟生線、日中の急行列車廃止
2022年(令和4年)4月1日 神姫バス西脇営業所廃止

今現在、神戸電鉄粟生線が廃止の危機にあるという。
輸送人員15000人、輸送密度5000人近い路線がなにゆえに廃止危機になるのか、ワタシにはいまだに理解不能だが、ほぼ同じ利用状況である名鉄尾西線と比すと、列車の速達性、運行頻度、運賃など利用客の利便性がどうしても劣るように見えるのは致し方のないところなのだろうか。
北条鉄道が経営でき、粟生線が危険ということの、この差は何なのだろう。
急行列車の廃止、朝夕の快速列車の廃止、ここ数年、あえて利用者が離れるようなことばかりしてきている神戸電鉄が、本気で沿線のためを思っているとは考えられない。
三木の美嚢川を渡る粟生線電車。
1208三木神鉄1103サイド.JPG

加古川線も西脇市(旧野村駅)・谷川間での経営が厳しく、JR西日本関西統括本部で最下位の営業成績だそうだ。
ワタシの友人はかつて、西脇から大阪への通勤に谷川経由で向かっていた。
当時は今より本数が多く、福知山線列車も殆どが大阪直通の快速で、利便性が高かった。
今一度、西脇など北播の街と、三田、宝塚、大阪を結ぶルートを再構築しても良いのではないか。
加古川線現代谷川駅103系.jpg

北条鉄道。
活発に見えるが、それは加西市、北条鉄道、それに鉄道社員や利用者の積極的な努力によって成り立っていることは忘れてはならない。
鉄路は廃止してしまったらちょっとやそっとでは戻らない。
維持し、活用し、町の役に立てて行かねばならない。
桜北条鉄道2000-1大歳神社.jpg

クルマ社会の播州といわれるが、同じクルマ社会でも愛知県での鉄道の現状を見るに、寂しくもある。
愛知でも蒲郡線などでは厳しい状態が続くが、根底にあるのは社会を自分たちで守ろうという考え方ではないだろうか。

今一度、東播磨・北播磨の愛すべき鉄道を地域の総意で守り活用していく機運が生まれればと思っている。
posted by こう@電車おやじ at 18:02| Comment(2) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月29日

ロングシート一考

自分も参加させていただいている「鉄道insight」という雑誌6月号に「ロングシートの社会学」なる記事が出ていた。
なるほど、関東の方、趣味者から見ればこういう感じなのかなとは思ったが、関西人としてみれば全くその思考の方向性が変わってくる。
そこで本ブログにおいて、その反論ではないが関西人的思考から見たロングシート考というものをここで出してみたいと思う。
とはいっても関西人であっても世代、住んでいる地域、あるいは使っている路線で志向ももちろん異なるだろうし、普段は自動車やバイクを通勤に使いながら、休日に電車移動という人と、毎日電車で通勤通学する人の考え方は異なるだろう。
そこを踏まえてあくまでもワタシ個人の嗜好と思ってみていただきたい。
写真は京阪9000系、セミクロスからロングに改造された車両だが、デザインが非常に美しい。
0104京阪9000車内.JPG

鉄道のロングシートというのは、他の乗り物と大きく違う志向性であると思う。
というのは、鉄道以外の乗り物は常に前方へしか進行しない。
自動車でも船舶でも(一部、短距離のフェリーなどには例外もあるが)航空機でも乗り物は基本前に向かうものである。
そのうえで、自動車や航空機は加速度も大きく、前進するエネルギーを受け止めるために座席は前を向いていなければならない。
船舶にしても後ろへ進行することは、港内の着岸、離岸時くらいしかありえず、なので座席は基本、前方をむく。
ただ、船舶は基本的に加速がゆっくりのために、座敷でもロングシートでも、単距離であれば立ち席でもさほど問題はない。
鉄道車両というのは外国の路面電車など以外では、基本的に前後どちらの方向にも動くことができる。
終着駅へ着くと、そのまま向きを変えて反対へ走る。

そうなると、座席を一方向に向けていたのではかなり不便であり、その点でボックス型のクロスシートやロングシートは有効である。
かつて、国鉄の特急列車が座席の向き、あるいは展望車などを含めた編成の向きが前方向きに固定されていたころには、東京、大阪、福岡などの支線や出入庫線を使って編成全体の向きを変えていた時代もあったが、一日に数本という列車ならそれも可能だろうが、今のように例えば新幹線でも数分ヘッドの運転では非現実的で、座席の向きを変更する作業をしたほうが手っ取り早いということになる。
ロングシートはこの点でも特急列車などではない一般列車の座席としては何の手間もいらず、好都合だろう。
日本の鉄道が開業したころ、客車の作りは各ボックスごとに客用ドアのある英国式だった。
だがこのやり方では長編成化、トイレや化粧室の装備、列車編成の複雑化に対応できない。
やがて米国式の両端に出入り口のある中央通路の客車が標準になる。
しかし、当時の客車は車体幅も狭く、座席の仕上げも良くなかったに違いない。
そこで、上等の車両がまず、ゆったり腰掛ける際に有効なロングシートとなる。
写真はマイテ49。
マイテ車内.jpg

これに対し、大都市の路面電車などでは乗降のしやすさ、車体幅の狭い設計にならざるを得ないゆえに、詰め込みの利くことで当初よりロングシートとなる。
大阪市の保存電車30号。
0519緑木30号車内.jpg

この際も、国有鉄道の上等車を思わせるビロウド帳の座席など、意匠を凝らし小さな車体ながら高級感を打ち出すところもあった。
高速電車が登場したての頃、阪神や京阪、阪急などはその黎明期に車内の作りをより豪華に見せることに腐心している。
やがて車両の車体幅も拡大し、中・長距離には上等車でも固定式のクロスシートが一般化、私鉄においても路線の延長とともに乗り心地を重視したクロスシート車も登場していく。

その当初は国有鉄道が長距離客車に採用したベンチの様な転換式腰掛は、京阪電鉄が急行用に投入した1550形(のちの初代600形)において豪華な転換クロスを採用。
在阪、中京地区の私鉄はこぞってこれを採用した。
阪急900保存車。
1020阪急正雀900車内.JPG

しかし転換式腰掛は、特別な料金不要といえどあくまでも看板列車用であり、一般の普通列車などはロングシートだったし、一時的に阪神間特急用900形に転換式クロスシートを採用した阪急は、国鉄一等車のようなゆったりとしたロングシートのほうが好ましいと、増備の920形からロングシートに変更している。
阪急→能勢500形。
能勢電520車内02.jpg

阪急のこの思想はこれ以降も現在も転換式クロスシート車を保有しながら、ロングシート車であっても阪急独特の豪華さ、ゆとりを設計上の前提としている点で、いわばロングシートの模範生ともいえるものだ。
最近の車両の車内も美しい。
阪急1000系。
1013阪急1005車内.JPG

ふたつ前の世代の9000系車内。
阪急9104車内.jpg

今から40年ほど前の鉄道ピクトリアル誌で「車内アコモを考える」だったと思うがそういう企画があり、ロングシートや国鉄式クロスシートの問題点を挙げて、改善を求める動きがあった。
ロングシートは確かに詰め込みが利くが、問題は座っている人の足と、立っている人の足、身体が近すぎることでトラブルが絶えない。
JR西日本では阪和線の車両を一斉に更新する際、快速用途以外の車両もすべて転換式クロスシートに統一という。利用客やファンがあっと驚くことを成し遂げたが、これには阪和線独特の事情というのも存在する。
阪和線用223系225系はいずれも片側一列、両側で3列のクロスシートである。
(車端部は4人向かい合わせボックス型)
JR西公式サイトより引用、225‐100車内。
225系100台車内トレ旅公式.jpg

関西空港への荷物の多い乗客に向けて荷物置き場の確保という対外的な用途はともかく、3ドアにして、片側一人掛けにすることで座席定員は103系並みを確保できる。
そのうえで通路幅を広くとれるうえ、座っている人と立っている人の足元が重ならない。
これによってラッシュ時の車内での「足を踏んだ」というトラブルが激減したと聞く。
つまりラッシュ対策としても、必ずしもロングシートは万全ではなく、阪和線が一つの答えを出したといっては言いすぎだろうか。
逆に本来空いているはずの地方交通線や地方都市周辺通勤列車で、同じJR西日本がロングシートに設計変更した新車を投入したり、クロスシートだった車両をわざわざロングシートに改造したりして投入するのは、車内の治安維持と大いなる関係がある。
キハ47をオールロングシート化した吉備線用の3000番台。
キハ47-3000吉備線車内.jpg

クロスシートではどうしても車内見通しが良くない。
特に通学時間帯などは学生たちの悪ふざけが過ぎる場合があるが、ワンマン化や駅の無人化の進む今現在ではそれらを監視するためにもロングシートが有効というわけだ。
この歴史はすでにオハ41から始まっていた。
オハ41350代車内.JPG

これは昨今のJR東海が、ローカル区間へ投入する気動車などにも言えることだろう。
(中央線の315系ロング車投入はまた別の事由であると考えるし、その結果は成功であると思う→特に快速停車駅として一部の駅を指定していくより、各駅の乗降客数に変化が少なく、どうしても停車駅が増え、乗降が分散され、車内移動が少しでも楽になるようにという意図ではないだろうか)
JR東海315系車内。
0329古虎渓315系車内.JPG

幸いにして315系はその完成度の高さにより鉄道ファン以外からは好評であると聞く。

そして転換式クロス、固定式クロス、あるいはロングシートであっても、国鉄→JRの車体幅2930~2970ミリという数字は大きな意味を発揮する。
私鉄一般の2800ミリより150ミリ程度広いわけで、クロスシートの座席幅、ロングシートの座席奥行きをある程度確保しても、通路幅がそれだけ広くとれるということだ。

中京圏の名鉄もこのところは特急専用車以外はロングシート車の増備が進む。
JR東海と同じ座席幅を採用すると、どうしても通路が狭くなってしまう。
名鉄最新の9500系の車体幅は2744ミリ、これに対しJR東海313系は2930ミリ(雨どいを含む最大幅は2970ミリ)、なんと200ミリ近くも差がついてしまう。
これでは、快適さを味わってもらうにはロングシートもやむなしということになるのだろう。
名鉄9500系。
0402岐阜名鉄9500系車内.JPG

特急車両の一般席クロスシートは、今現在では片側一列の3列が基本のうえ、半分はロングシートとされている。
写真が名鉄2300系で奥がクロスシートだ。
010610内海名鉄2200系車内.JPG

当初はクロスシート設計だった車両でも増備途中からロングシートに変更せざるを得ない場合もある。
南海21001系は高野線急行用だが増備途中からロングシートになった。
だが当時の南海のシートは大変柔らかく、かけ心地の良いものだった。
写真は一畑へ移籍後だが座席の良さは健在だった。
窓上の照明がクロスシート設計の名残を表している。
南海21001車内・一畑分.jpg

ロングシートだからどうだとか、クロスシートだからどうだとか、それはワタシ自身の思考にはない。
ただ、路線や列車の特性に合った、より快適なサービスを求めるものであり、この点では関東のファンや識者のクロスシート悪玉論には大きな違和感がある。
鉄道を経営する側として、乗客がどうすれば快適に乗車いただけるか、その視点がなければ座席の形態いずれであれ、利用者が離れてしまうという結果をもたらす。
中距離電車でありながらロングシート主体になったE217系車内。
0802E217車内.jpg

JR東のロングシート車は最近はそのデザインも洗練されているように思う。
E531系にはセミクロス車とロング車の両方が連結されているがこれはそのロング車のほう。
0122いわきE531車内.JPG

ちなみにスマホばかり見ていると揶揄される今現在でも関西ではロングシートとクロスシートが混在する場合、間違いなく、クロスシートから席が埋まっていく。
阪神・阪急梅田や京阪淀屋橋などでその光景を目にすることができる。
名鉄においては短距離の乗客はロングシートを選ぶが比較的長距離の利用者は最初からクロスシートを目指して乗り込むのをよく目にする。
これらは男女の比ではあまり関係なく、女性がロングシートを特に好むといううのは、もしかしたらその路線の治安の点で不安があるからかもしれない。
治安を改善した阪和線の事例から見ても必ずしもロングシート万能ではないわけだ。
けれど、治安を改善するために国鉄末期から今現在もロングシート車しか走らない線区もあるわけで、やはり、これはすべてにおいての最適解はなく、線区や列車、地域の個性に委ね、そこから最適解を目指すのが筋だろう。

ロングシートでも趣向を凝らした楽しい車両もある。
叡電「ひえい」
0902叡電出町柳732ひえい車内.JPG

山陽電鉄はクロスシート主体の5000系からおもに普通用としてロングシートのみの6000系へ移行しているが、座席は柔らかく長時間乗車も苦にならない。
0429山陽6000車内全景.JPG

かつてはほとんどクロスシートだった北の鉄道もロングシートが主流になっている。
JR北海道733系、座席はゆったり作られていて好感が持てるが、窓の汚れた車両が多いのはいただけない。
1005新千歳空港駅733系車内.JPG

神戸電鉄は比較的乗車時間が長く、また沿線は冬季の寒さが厳しく、高性能車初期はボックス式クロスシート、やがて2ドアながらロングシート車となった。
長い座席が印象的な1100系。
0306有馬温泉神鉄1109車内.JPG

阪急系列となった今、神戸電鉄の最新ロングシート車の車内はシックで魅力的だ。
6500系。
0102神鉄有馬温泉6504車内.JPG

京阪といえば、ファンには特急用転換クロス車のイメージが強いが、最新通勤車両の車内も美しい。
ロングシートでもここまで設計にこだわってほしいものだとは思う。
0104京阪13000車内.JPG

ロングシートの代表格といえば国鉄103系。
冷房車両が新車で出始めた頃…
103系冷房車内.jpg

名鉄にかつて、ラッシュ用として登場した6000系の小さなクロスシート。
ここまでしてクロスシートにこだわることに驚いたものだ。
名鉄6012車内.JPG

早々にロングシート化されたがこの場合はロングシートのほうが余程サービスに則ったものだろう。
010612中部空港名鉄6000初期型車内.JPG

近鉄2610系の車内、かつては国鉄113系あたりより小さな向かい合わせシートでひじ掛けもなかった。
ロングシートのほうがゆったりと座れる。
0106近鉄2625車内.JPG

近鉄のLCカー、ロングクロス切り替えでこういう発想が関西だと思わせる。
昨今は関東でもこの手の座席変換タイプが増えているが関東は基本、有料座席とするのが関西との違いだろうか。
それだけラッシュの混雑が酷いわけだ。
近鉄Lc車内.jpg

山陽電鉄3000系の座席。
背中からあたる太陽の温かさを感じながら、ゆったりと座れる座面の広いシートは快適この上ない。
0913山陽車内.JPG

どうか、すべてを一辺倒に考え、当てはめるのではなく、地域柄、路線事情、歴史も考慮して乗客に精いっぱいのサービスを尽くす車両であってほしいと願うばかりだ。
5ドアながら閑散時はドア2か所を締め切り、そこに天井からロングシートを下ろして着席定員を増やした京阪の5000系。
通勤車両としては最高の配慮だったのではなかろうか。
1012中之島5000系車内.JPG
posted by こう@電車おやじ at 20:24| Comment(2) | 鉄道と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年09月18日

広島電鉄広島駅前

ワタシが最初に広島電鉄を訪問したのは昭和53年秋の終わりごろだったと思う。
友人たちと山陰からの夜行列車「さんべ5号」に乗り、下関で山陽本線快速電車に乗り換えて、まだ午前のうちに広島に着いた。
けれど広島市は雨で、友人たちはパチンコへ行くということで、自分は雨の中、電車を見ることにした。

その時に見た元神戸市電と、ピンクの帯をまいた宮島線直通車にすっかり魅せられ、以降はしばしば通うようになった。
何故か広電では雨が多く、写真にも雨の日のものが半分くらいある。
また昭和63年ごろから無理やりお付き合いしてもらっていた女性が、広島市の職場へ移籍したことにより、そのころはさらに通うことが増えていた。
けれど、その女性と離れたことで一種のトラウマ状態となったが、時間が心の中を落ち着かせてくれ、また年に1~2回は通うようになったのはここ15年ほどのことだ。
自分の中で名鉄と並んで今も心底愛することのできる鉄道といえるかもしれない。
その広島電鉄で、この8月に駅前大橋線が開業し、路線が大きく変わった。
そして路面電車そのものへの社会的イメージも激変した。

今回は広島駅前の思い出をたどってみたいと思う。
昭和55年ごろだろうか、宮島から乗ったのは2500形2507で、軽快な乗り心地も楽しかった。
広島駅前に着くと後ろに元神戸市電579が出ていくのが見える。
このころの広島駅前はなんだか雑然としていた。
広電広島駅前579.JPG

乗ってきた2507は乗車ホームへ移動している。
広島駅前広電2507発車.JPG

そこへ旧宮島線直通車、元850形→350形351がやってきた。
広電広島駅前351停車.JPG

351が乗客を乗せて発車する。
そこへ元神戸市電1103が入ってきた。
広電広島駅前351発車.JPG

神戸市電1103、ひし形黄色塗装がなされているが、ウィンカー跡は残っているし、方向版は神戸市電時代のもの、全面窓上部の風防がなく、会えたのが非常にうれしかったことを覚えている。
広電広島駅前1103.JPG

神戸市電最新だった1150形1157、全面窓のRが美しい。
広電1157広島駅.JPG

最初に訪問した時の写真。
何度も出しているが、話の流れとして・・
このころはまだ、広島駅前の空が広かった。
旧850形の350形353。
広電353広島駅.JPG

元神戸市電K車、575。
広電575広島駅雨.JPG

こちらも神戸市電K車、580。
広電580広島駅雨.JPG

神戸市電700形以降のスタイル、1100形1101。
広電1101広島駅雨.JPG

700形(先代)705。
広電705広島駅雨.JPG

いかにも大阪市電や阪堺のイメージ、元大阪市電1601形の756。
広電756広島駅.JPG

広島駅前に停車中、大阪市電1601形からの753。
広電753広島駅正面.JPG

雨の陰鬱さを打ち破るような2500形、この瞬間、好きになった電車だ。
広電2501.jpg

昭和55年ごろだろうか。
初代ハノーバー号、神戸市電1105と753ほか、大阪市電が3両、画面に入った。
広電1105・753広島駅.JPG

雨の中、ヘッドライトが印象的だ。
神戸市電1153。
広電1153広島駅.JPG

昭和57年11月ごろの訪問だったと思う。
このころには京都市電も走っていた。
ドルトムント電車、76号。
広電76広島駅前.jpg

その電車のアップ、いい顔つき、この電車は広電では比較的短命に終わったけれどデザイン面では日本の路面電車に大きな影響を与えたと思う。
広電ド76広島駅.jpg

神戸市電L車の584の夕暮れ。
広電584広島駅前夕方.JPG

583が江波へ向かって出ていく。
広電583広島駅朝.JPG

朝の陽を浴びて神戸市電1154も後を追う。
広電1154・583広島駅.JPG

昭和59年ごろか‥550形554号、全車廃車されてみることができない。
広電554広島駅前.jpg

唱和61年ごろ、神戸市電K車571号の夜景。
s61広島駅前571.JPG

2500形2507の夕景。
行き先が廿日市だ。
広電2507広島駅前.jpg

しばらく、長い間、広電に通えなくなった時期があった。
平成も随分と経過して思いきって広電に行ってみた。
青春18きっぷでの神戸からの日帰りという安直さだ。
広島駅前電停は「広島駅電停」となっていた。
平成25年。
701・711が並ぶ。
0328広島駅前701・711.jpg

グリーンムーバなる低床式連接車がすでに二世代目に入っていた。
0328広島駅前5104.jpg

グリーンムーバMAXと連接車3900形が出会う。
この電車すら、この時の僕には初めて見たのだった。
0328広島駅前3903・5104.jpg

この年、8月には泊まりで伺った。
唯一神戸市電カラーで運行される580形582に出会えた。
0822広電582広島駅 (2).JPG

西鉄福岡市内線出自の3008と大阪市電762が出会う。
0822広電762・3008広島駅.JPG

昨年、広電工事の様子を眺めに行った。
広島駅で並ぶグリーンムーバMAXとAPEX。
0804広電広島駅前5106・5206.JPG

広島駅電停夕景。
APEX5203と711だ。
0804広電夜広島駅前5203・711.JPG

猿猴橋町で何とも都会的な背景の中、近未来をイメージするAPEX。
0804広電夜猿猴橋町5203.JPG

つい先日、新駅ができて初訪問。
垢ぬけた新しい電停。
0908広島03広電構内俯瞰.JPG

駅へ入る706と3953。
もはや新交通システムだ。
0908広島05広電706・3953俯瞰.JPG

高架線で行きかうグリーンムーバ、単車置き換え用のREX1016とMAX5108。
0908広島06広電1016・5108.JPG

巨大なビル群の高架線、REX1014が行く。
0908駅前大橋広電1014ほか.JPG

広島は大都会になった。
その象徴が広電高架だろう。
確かに速く、非常に便利になった。

だが、ワタシの脳裏にはまだ、あの頃の雑然とした空の広い広島駅前電停がそこにあるような気がする。
広電2505広島駅.JPG
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2025年08月06日

デジタイズ日本国有鉄道(その2)

今回は関西、とりわけ兵庫を中心に、前回に抜けたところを少し追加して進めていきたいと思う。
僕は中学生の頃にかなり無理をして写真を始めたが、そのころは加古川市に在していたので、先ずは加古川橋梁の様子から。

山陽新幹線0系、当時は単に新幹線電車というだけで系列での呼び方はしていなかった。
加古川橋梁0系アップ.JPG

サイド、昨今のデザインと比すと隔世の感がある。
加古川橋梁0系小窓.JPG

高砂線普通列車が山陽電鉄の電車を追う。
加古川橋梁キハ20・35、山陽3022.JPG

高砂線、国鉄工場への配給列車。
高砂線加古川橋梁DD13614配給.JPG

山陽本線を堂々と走るクモニ83形。
加古川橋梁クモニ83.JPG

加古川線、橋梁中間部分が流出する以前の写真だ。
加古川線第一加古川橋梁キハ35・30.JPG

その加古川線、野村駅での乗降風景。
今の新西脇駅だ。
加古川線野村キハ20通学風景.JPG

ここからは当時地元だった宝殿駅付近で。
153系新快速、低運転台のクハが好きだった。
宝殿153系新快速.JPG

新快速の車両は朝夕には12連になり快速として使われたが看板には三本線が入った。
宝殿駅153系快速.JPG

EF66、2号機がけん引する高速貨物列車。
撮影している場所は線路わきの橋梁部材などを置く場所だった。
宝殿EF662.JPG

新快速に新型車117系が入る、その展示のための回送列車。
宝殿117系展示回送.JPG

スロ54・スロフ62によるオールグリーン団体列車。
宝殿駅スロ54系団臨.JPG

構内に留置中の20系客車。
波動用の車両が疎開留置されることが多かった。
宝殿駅カニ21.JPG

夜の宝殿駅、通過する153系急行「鷲羽」。
宝殿駅153系鷲羽.JPG

寝台特急「富士」
駅長さんの許可と駅員さんの監視の下、撮影させてもらえた写真。
宝殿駅EF65富士.JPG

宝殿駅から西方1キロ、法華山谷川を渡るあたりは長閑な田園地帯だった。
新車の試運転をする201系。
法華山谷川付近201系試運転.JPG

走る117系新快速。
法華山谷川付近117系新快速.JPG

当時、珍しい機関車だったEF61、2号機牽引荷物列車。
貨車に見えるが次位以降の車両は客車列車としての運用だった。
法華山谷川付近EF612.JPG

姫路駅ホーム風景、583系特急が発車していくが手前の新快速も動き出しているのだろう。
姫路駅153系581系停車風景.JPG

播但線ホームにはDD54の姿が。
姫路駅DD5424 .JPG

折り返す新快速に乗り込もうとする乗客、先頭車はクハ165だ。
姫路駅クハ165新快速.JPG

姫路機関区のDD5433号機、今、京都鉄博にいる機関車だ。
姫路機関区DD5433.JPG

兵庫県北部、城崎駅俯瞰。
城崎駅俯瞰キハ28だいせん。キハ82まつかぜ.JPG

去っていくキハ80系特急「まつかぜ」食堂車を連結した13連、堂々たる編成だった。
城崎俯瞰まつかぜ後追い2.JPG

餘部駅の少年たち、列車は後追い。
餘部キハ82と少年.JPG

普通列車から下車する女子中学生。
日本の心象風景といっても過言ではない。
餘部オハフ33下校風景.JPG

キハ80系特急「あさしお」が余部橋梁を渡る。
余部橋梁キハ82あさしお2.JPG

こちらは特急「まつかぜ」、背景は切り立った崖。
余部橋梁キハ82まつかぜ.JPG

武田尾旧線、大江トンネル上からのキハ181系「まつかぜ」俯瞰。
武田尾キハ181まつかぜ.JPG

冬の渓谷を行く12系普通列車。
福知山線武田尾12系普通客車列車.JPG

こちらはキハ28・58系急行列車。
福知山線武田尾キハ28急行.JPG

須磨海岸、113系快速、まだまだ非冷房だった。
須磨113系非冷房BW.jpg

103系普通、当時としては夏は113系より103系のほうが同じ非冷房でもマシに感じたものだ。
須磨103系非冷房BW.JPG

京都駅、1番線に入線する485系「雷鳥」
京都485系雷鳥.JPG

大阪駅に快速が入る直前、20系特急「つるぎ」と出会った。
大阪手前113系車内より20系つるぎ.JPG

大阪駅、485系「雷鳥」と福知山線客車普通列車牽引のDD5430が並ぶ。
大阪DD5430・485系雷鳥.JPG

寝台特急14系「日本海」が大阪駅着、いまに比すとファンは少なかった。
大阪14系日本海.JPG

紀勢本線各駅停車、南部の次の岩代駅、このまま谷山浩子女史の「テングサの歌」歌詞出だしになる。
停車するのは12系客車列車の後尾にマニ50をつないだ普通列車。
岩代マニ50・12系普通列車.JPG

通過する381系特急「くろしお」
岩代381系くろしお.JPG

北海道、東北、九州の写真を少し。
白石駅近く、豊平川にて、711系100台が行く。
白石711系.JPG

特急「ライラック」781系、このころはまだ6連だった。
白石781景.JPG

三沢駅近く、485系「はつかり」
三沢485系はつかり.JPG

こちらはED75けん引荷物列車。
三沢ED75124.JPG

鳥栖駅にて、すべて形式の異なる気動車普通列車。
鳥栖キハ58・20・キハユニ26・キハ35・28.JPG

最後は美しいキハ28・58系急行気動車編成で。
東園駅近く、列車は間合い運用の通勤用普通列車だ。
東園キハ28系5連.JPG
posted by こう@電車おやじ at 22:24| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年07月19日

デジタイズ日本国有鉄道(その1)

ふっと、やみくもに国鉄時代の写真を見たくなる。
国鉄が解体されたのが1987年だから、すでに38年前、なんとなく幼少期の記憶に残っているという人でもすでに40歳代だ。
そこで、非常に適当にネガを出してきてデジタイズスキャンしてみた。

既出のものもあるし、今回初めて公表するコマもある。
今回は主に関西以外の写真を公表するが、東北・九州などほかの地域のネガも探して加工でき次第、次回に公表したいと思う。

札沼線新十津川駅に停車するキハ46。
このころはまだ、日に数本はここまで運行されていた。
新十津川キハ46.JPG

札幌市内にて北海道特急のパイオニア、キハ80系による「おおぞら」
函館本線キハ82おおぞら.JPG

登場したばかりの交流専用電車特急781系「ライラック」
函館本線781系ライラック.JPG

札幌駅、急行「すずらん」だろうか、停車する14系客車。
ホームの高さが低い。
札幌駅14系客車.JPG

札幌駅での711系、この雰囲気、格調高かった。
札幌駅711系.JPG

南武線尻手、クハ16とクモハ11の編成。(読者の方よりご教示いただきました)
南武支線扇町クハ16.JPG

小田原駅にて、185系登場すぐの「急行伊豆」
小田原185系急行伊豆.JPG

同じく小田原駅で新幹線0系と小田急2320系。(読者の方よりご教示いただきました)
小田原小田急2387・新幹線0系.JPG

富山県早月川橋梁、419系の原色、この色合い好きだったけどなぁ~
北陸本線早月川419系赤.JPG

特急「白鳥」485系。
北陸本線早月川485系白鳥.JPG

身延線62系電車、旧型車の下回りを使って113系並みの車体を乗せた電車だが長続きしなかった。
身延線62系.JPG

名古屋駅、80系電車、初期三枚窓クハ86が先頭、編成長は10連にもおよび今の名古屋圏では見られない長大編成だが、運転間隔が快速普通ともに60分ヘッドだった。
名古屋80系普通.JPG

名鉄今伊勢駅近く、特急「しらさぎ」485系、あくまでも名鉄撮影の”ついで”だ。
今伊勢付近485系しらさぎ.JPG

同じ場所で117系、普通列車で登場当時は6連だった。
今伊勢付近117系.JPG

信越本線上田駅、特急「あさま」189系。
激変した今の上田駅からこの当時の面影を探すのは困難だ。
上田189系あさま.JPG


予讃本線海岸寺付近でキハ181系特急「しおかぜ」。
予讃本線海岸寺キハ181しおかぜ.JPG

同じ場所で通学列車、お行儀がよろしくないようで。。。
でもこれがある意味では旧型客車の醍醐味…
予讃本線海岸寺オハフ33下校風景.JPG

多度津付近で「しおかぜ」
多度津キハ181しおかぜ.JPG

出雲市駅、20系急行「だいせん」とキハ80系特急「おき」の出会い。
出雲市20系だいせん・キハ82系おき.jpg

福塩線70系電車。
福塩線70系.JPG

府中電車区に憩う70系電車、ここの電車は本当に美しかった。
府中電車区70系2.JPG

瀬野・八本松間のEF59、回送。
瀬野・八本松EF59.JPG

長門本山駅の通学風景。
長門本山駅朝風景.JPG

長崎本線長与線の朝の通勤通学列車。
なんでも繋げられる気動車ならでは。
長崎本線長与支線キハ58・35ほか.JPG

海の中の築堤を行く普通列車。
長崎線長与支線キハ26ほか.JPG

国鉄は遠くなりにけり…
だが僕はその国鉄を必ずしも好きであるというわけではなく、その中にいたということ、好きと嫌いの部分がありながらも好きな部分を折に触れ撮影したということだ。
最後は名鉄撮影の際、偶然通りかかった「ユーロライナー」を。
名鉄石刀駅付近。
DSC_3029.JPG
posted by こう@電車おやじ at 18:44| Comment(2) | 国鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする