2020年06月03日

阪急6300系への想い

このブログでも僕はずっと、僕にとっての最高の「電車」と言えば、登場順に南海11001系(→1001系)、名鉄7000・7500系、京阪3000系(先代)、阪急6300系、国鉄117系であると公言してきた。
既に南海、名鉄はなく、京阪は富山に車体だけ移籍したものが残るだけ、国鉄は急速に数を減らし今や岡山と京都に塗装を変えた数本ずつが残るだけという有様である。(JR西日本が117系を改造して長距離列車を作り上げていて、イメージはとても良いとは思うが、僕が愛した関西急電色の新快速117系ではない)
その中で阪急6300系は、阪急電鉄の担当者にも深く愛されているようで、嵐山線に3編成、「京とれいん」に1編成が残り、まだ恵まれているのかもしれない。
だが、やはり僕にとっての6300系はずらり並んだ転換クロス、京阪間ノンストップのサービスであり、観光用、観光路線用と言うのは確かに好きな電車で今もわざわざ見に行くくらいだけど、心の底から僕が惚れ込んだあの時代、いやそのあとの、6300系が苦手な中間駅停車を担当するようになり如何にも苦労して走っていたあの時代でも、「特急」の表示を見れば、それだけでも元気が出る・・そんな電車ではないことは確かだ。

今回、特急用としては末期にあたるデジタルデータ、また一部プリントを取り出してみて、今でも会いたくて会いたくて仕方のない6300系特急の雄姿を思い起こしていきたいと思う。
まず、淀川を渡る夕景。
阪急夕景6300 (2).jpg

カッコいい!
心からそう思える電車。
美しい、心底惚れることのできる電車。
気持ちの良い、いつ乗ってもそう思えた電車。
どんな風に撮影しても、絵になる電車。
それが僕にとっての6300系だ。
阪急淀川夕景6300系編成(小.jpg

まず6350F、栄えあるトップナンバー編成だ。
20082008年の崇禅寺での崇禅寺でのカット、かつての崇禅寺もまた大阪市内よは思えぬ、緑豊かな心地よい駅だった。
2008阪急6350崇禅寺.JPG

その後追い。
2008阪急6450崇禅寺.JPG

2002年、桂にて、6350。
2002阪急6350桂.jpg

後追い。
2002阪急6450桂.jpg

こちらは2010年10月撮影、6連に短縮されても生き残り、オンシーズンの嵐山線直通用に走っていた頃。
梅田で。
20100503阪急6350臨時特急梅田.jpg

この一月後、このカットを撮影したくて十三に行った。
20101129十三阪急6450臨時特急全景.jpg

接近する。
この時が特急用原形の6300を見た最後かもしれない。
20101129十三阪急6450臨時快速特急.jpg

6351F、6300系特急末期のデータを探してみてもこのワンカットしか出てこなかった。
もしかしたら、最末期には一足早く嵐山線仕様への改造が進められていたのかもしれない。
2002年、南方で。
2002阪急6451南方.jpg

6352F、梅田折り返しの情景。
2008阪急6452梅田.JPG

崇禅寺。
2008阪急6352崇禅寺.JPG

後追い、梅田へ向けて走り去る。
2008阪急6452崇禅寺.JPG

6353F、この編成も特急末期にはあまり出会えていない。
上新庄にて。
2008阪急6353上新庄.JPG

6354F、今「京とれいん」で活躍する編成だが、特急時代のカットを。
2008年、梅田に進入。
長い編成は如何にも6300系だ。
2008阪急6354梅田.JPG

接近する。
2008阪急6354梅田進入.JPG

この電車に乗って桂へ。。
去り行く特急。
2008阪急6354桂.JPG

6355F、この編成からは新しいのに一足先に廃車されてしまった。
2002年、高槻市か・・
2002阪急6455茨木市.jpg

2008年の崇禅寺。
2008阪急6455崇禅寺.JPG


高槻市進入。
2008阪急6455高槻市.JPG

6355と6356が並んだ。
6300系ファンには狂喜するような光景だ。
2008阪急6355・6356高槻市.JPG

6356停車の風景。
2008阪急6356高槻市.JPG

南方で6356と5317がならぶ。
2008阪急6356・5317南方.JPG

6356、上新庄通過。
2008阪急上新庄6356.JPG

6357F、高槻市。
2008阪急6357茨木市.JPG

崇禅寺にて、対向の普通電車車内から。
2008阪急6357崇禅寺・淡路間.JPG

桂駅進入。
2008阪急6357桂.JPG

茨木市。
2008阪急6457茨木市.JPG

桂停車。
2008阪急6457桂.JPG

2008年、その桂で、嵐山線用となった6351Fと、間に5315を挟んで並ぶシーン。、
6300系特急最末期の様子だ。
2008阪急桂6357・6351・5315.JPG

6330F、6300系最後の増備車で7300系と合わせた編成になり、車内のつくりも美しさを増し、好きな電車だったが、意外にも撮影するときはなかなか来ず、用事で乗るときによく来てくれた電車だ。
2002年の南茨木にて。
2002阪急6430南茨木.jpg

後追い、梅田側の先頭パンタはこの編成だけだった。
2002阪急6330南茨木.jpg

電車は走り去っていく。
6300系で最も短い命だった編成だ。
阪急の電車は長生きが普通だが、この編成は僅か25年の命でしかなかった。
2002阪急6330南茨木Ⅱ.jpg

その後の6300系・・・
2011年末、正雀に留め置かれていた6350F、休車の札がかかっている。
20111224阪急正雀6350休車.jpg

車庫の裏側から・・復活してほしい・・その願いも虚しく、6350以外の車両は解体されてしまった。
残る6350の復元、保存を心から願う。
2011122阪急正雀6450休車.jpg

6351F、嵐山線桂での様子。
2008阪急桂6351.JPG

2009年の松尾。
20090530阪急6351松尾.jpg

2014年末、6352F、雪の松尾で。
20141218阪急6352松尾.jpg

6353F、この日はものすごい雪だった。
20141218嵐山阪急6453.jpg

桜の松尾、2013年。
20130401松尾阪急6353.jpg

6354F、「京とれいん」に抜擢された幸運な編成。
梅田へ入線。
当初は扇形のヘッドマークはなかった。
阪急6354入線梅田.jpg

十三にて6354。
0427十三19阪急6354京とれいん.JPG

十三へ進入、6454。
0427十三7阪急6454京とれいん.JPG

同じく十三にて。
0427十三18阪急6354京とれいん.JPG

「京とれいん」としての運用を終え、回送で正雀へ戻る6454。
この電車だけがかつての栄光を感じさせてくれる。
0104淡路阪急6454京とれいん回送.JPG

だが、6300系「京とれいん」も先行きはかなり不安でもある。
十三のホームドア工事により十三通過の「快速特急A」限定で運用されているが、阪急は全駅へのホームドア設置を目指していて、淡路高架完成時には間違いなく、運用を外されるとみている。
すでに「京とれいん」は、7000系の「雅楽」編成も完成していて、車体幅の問題から神戸線に入れない6300系とは異なり全区間で運用が可能、ホームドアにも対応している。
外観も6300系のイメージを上手に引き継いでいるし、内装はさらに凝っている。
この編成がもう一本あれば6354Fに存在意義がなくなってしまう。
20190427十三阪急7106京とれいん.jpg

名鉄7000・7500なき今、JR117系が原色で走らなくなった今、阪急6300系の残存4編成は富山で走る京阪3000系とともに僕の心を癒してくれるあの頃の憧れ、その最後の存在でもある。
セミクロス化されていてもいい、豪華な観光列車でもいい、6300系よどうか、一日も長く走ってほしい・・
その願いが天に届けと思うこの頃だ。
阪急淀川夕景6300系サイド1.jpg

夕景の中を走る梅田行き特急をこの文の〆としよう。
阪急淀川夕景6300系下り方サイド.jpg
posted by こう@電車おやじ at 20:28| Comment(1) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

名鉄揖斐線ふたたび

名古屋鉄道揖斐線についても未公開のネガも見つかっているので、今回はこちらをご覧いただこうと思う。
なお過去ログには何度も登場している路線であり、検索して見ていただければ幸いである。

新岐阜での谷汲急行、モ511の顔。
名鉄511急行谷汲岐阜駅前.JPG

新岐阜駅前の停留所にモ515+モ526がはいっていく。
丸窓電車として有名で、在籍5両中、今も4両が保管されているという。
名鉄揖斐線515新岐阜.JPG

モ526の側を。
こちら520形は正面5枚窓以外の特徴が見えないことから保存はされていないが、実は大正12年1923年生まれの木造電車で、外板に鉄板を貼っただけの所謂ニセスチール車であり、鉄道線を走る電車としては大手私鉄最後の木造車だったのではないだろうか。

新岐阜駅前、今もたまにここに立ち寄るが、かつて電車が走っていたとは到底思えない雰囲気だ。
名鉄揖斐線526新岐阜.JPG

千手堂付近か、乗った電車(たぶん写真の526)から見た対向のモ511。
名鉄揖斐車内から511千手堂.JPG

丸窓急行電車は路面電車区間ではごく一部の停留所だけに停まり、忠節に着く。
広電己斐、西広島とよく似た構造だが、広電が一日中、人で賑わうのにこちらは電車が付いた時だけの賑わいだ。
モ513が停車する。
名鉄揖斐513忠節.JPG

市内線各停留所へはモ571へ乗り換え。
名鉄忠節571.JPG

モ526を上から。
名鉄526忠節乗降.JPG

モ523と市内線小型のモ562が出会う。
名鉄揖斐忠節523・。562.JPG

一度出した写真だが珍しいシーンなので・・ク2326、谷汲行急行に運用される。
名鉄2326臨時急行忠節.jpg

尻毛駅だろうか、当初、忠節・黒野間で急行運転がなされていて、行きたい下方には急行が停まらないので、乗り換えることもあったと思う。
電車はモ522。
名鉄揖斐522政田進入.JPG

尻毛駅。
名鉄尻毛駅舎.JPG

下方駅。
名鉄揖斐下方駅.JPG

広大な果樹園だろうか、ここの雰囲気が好きだった。
電車はモ513。
名鉄揖斐下方駅513.JPG

根尾川の河原から電車を見上げる。
名鉄揖斐下方510形下から.JPG

モ526・モ515が鉄橋を渡る。
名鉄揖斐526下方橋梁.JPG

モ512単行の急行で、谷汲急行のようだ。
名鉄岐阜512谷汲急行.jpg

ここでいつもなら鉄橋から金華山を望む写真を上げるのだが、今回は電車のシルエットを。
モ750形の二連、よく見ると番号は751・752になっている。
MMの編成は珍しかったのではないか。
名鉄揖斐750形×2下方2.JPG

電車は先へ進む、この2両が完全に写った写真が出てこない、うまく撮れていないのだろうが、惜しいことだ、その当時の僕。
名鉄揖斐750形×2.JPG

この撮影は昭和50年代後半だが当時とて貴重なシーンである。
名鉄揖斐750シルエット.JPG

モ750形もしくはモ700形と、ク2320形のコンビ。
・・まるでおとぎの国の電車だ。
名鉄揖斐750+2320シルエット2.JPG

揖斐線でよく見られた組み合わせだが、こうしてシルエットで見ると電車の形態の違いが面白い。
名古屋鉄道郊外線開業時の重厚な電車と、愛知電鉄出自の都市間電車の元祖でSRの流れの最初となった電7形を電装解除、組み合わせた編成は楽しく、丸窓電車でなくとも、十分に楽しめる揖斐線だった。
名鉄揖斐750形+2320形2.JPG

土手のほうへ電車が去る。
名鉄揖斐2320形+750形シルエット.JPG



こちらは丸窓電車モ510形+520形。
小さな電車が仲良く手を繋いでゆったり走る・・・
実際は急行運転ではかなりの速度(最高時速は65キロだった由)で走っていた。
名鉄揖斐510形+520形シルエット3下方.JPG

2両ともパンタグラフが上がっているが、実際はモ510形のみ、モーターを動かしている。
モ520形はサービス電源だけのために通電していた。
名鉄揖斐510形+520形シルエット3.JPG

この愉快なシルエットが急行電車だというのだから本当に楽しい。
名鉄揖斐510形+520形シルエット2.JPG

金華山を背景にした様子も・・ク2326。
名鉄尻毛2326.JPG

黒野、この路線の分岐点であり、最大の拠点でもある。
名鉄揖斐黒野事務所.JPG

車庫のモ702。
名鉄揖斐702黒.JPG


駅に停車するモ703。
名鉄揖斐703黒野.JPG

モ703のアップ、いい電車だ。
名鉄揖斐703黒野全景.JPG

こちらモ759。
名鉄揖斐759黒野.JPG

進入するモ523。
名鉄揖斐523黒野.JPG

モ512が後ろだ。
名鉄揖斐512黒野.JPG

留置されたモ523の正面。
名鉄揖斐523黒野縦.JPG

谷汲・・522。
なお、谷汲駅は以前のエントリーで詳しいのでそちらを。
http://kokutetu.seesaa.net/article/465075247.html
谷汲線は日中はモ700・750形の単行ばかり、急行乗り入れ時とはいえモ510形、520形は珍しかった気がする。
名鉄522谷汲.JPG

本揖斐駅舎。
大垣とのつながりが深い揖斐では、名鉄によって岐阜へ出る流れは少なかったのだろうか。
名鉄本揖斐駅.JPG

時刻表。
名鉄揖斐駅時刻表.JPG

停車するモ513。
名鉄513揖斐.JPG

サイド。
名鉄本揖斐513サイド.JPG

ホーム上屋が特徴的だ。
モ511・・
名鉄揖斐511s全景.JPG

モ511のアップ。
名鉄揖斐511.JPG

後ろはモ522だ。
名鉄揖斐522本揖斐.JPG

モ522が発車する。
名鉄揖斐522発車.JPG

僕らは揖斐線でこの景色を見ることができた。
それはものすごく運がよかったことなのかもしれない。

名鉄揖斐510+520シルエット.JPG

電車はモーターのうなりを上げ、せわしなく短いレールジョイントが響く。
あの記憶はもはや夢の中でしかない。
posted by こう@電車おやじ at 21:47| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月04日

名鉄美濃町線ふたたび

名古屋鉄道の岐阜地区600V線区については過去に何度も取り上げているが、今回、未公開の写真データが見つかったこともあり、改めてそれらデータを書きだしていきたいと思う。
ただ、話の流れの中で、過去の写真も使用すると思う。

今回見つかった写真は新岐阜、徹明町、野一色、日野橋、上芥見、赤土坂などで関市内に撮影に行ったことなど完全に記憶から消えてしまっていた。
さっそく、徹明町から進めよう。
美濃町線は本来は徹明町と美濃市を結ぶ路線で、ここが始発駅だ。
札幌からやってきたA830形→名鉄モ870形が停車している。
徹明町には30分ヘッドの運行だった。
美濃町線徹明町2・870形2.JPG

新岐阜。
田神線を開通させ、美濃町線と新岐阜の直通運転が開始されて以降、こちらが本線のようになっていた。
モ600形がお客をおろして回送で出ていってしまった。。
この電車に乗りたいのに・・
田神線新岐阜5・600形回送.JPG

その次のモ880形が折り返しになるようだ。
沢山お客が乗っている。
田神線新岐阜4・880形到着.JPG

折り返し発車をするモ880形。
田神線新岐阜3・880形から―.JPG

こちらも880形、この日はお天気があまりよくなかった。
田神線新岐阜2・880形.JPG

車内、閑散時間帯、のんびりとした空気が漂う。
美濃町線880形車内.JPG

電車に乗って野一色まで行ったらしい。
後続のモ870形が入線してきた。
名鉄美濃町線野一色8・870形.JPG

モ870形と600形が並ぶ、この後ろに小さく乗ってきたであろうモ880形が写り込んでいて、美濃町線オールスターズと思ったのだが・・
名鉄美濃町線野一色1・870形・600形.JPG

どうも野一色から日野橋まで歩いたようで、途中の写真がある。
モ870形。
名鉄美濃町線野一色5・870形.JPG

後追いか・・
名鉄美濃町線野一色3・870形.JPG

モ600形。
名鉄美濃町線野一色4・600形.JPG

接近する。
名鉄美濃町線野一色6・600形.JPG

上芥見・・雨が降ってきた。
美濃町線上芥見6駅名標.JPG

雨の中をモ600形が行く。
美濃町線上芥見1・600形.JPG

モ880形・・新しいが小気味の良いデザインで好きだった。
美濃町線上芥見2・880形.JPG

白金よりだろうか、雨にかかわらず歩いたようだ。
橋梁をモ880形が渡る。
美濃町線上芥見4・橋梁880潟.JPG

その後追い。
美濃町線上芥見3・880形.JPG

600形がいく・・
美濃町線上芥見1・600形.JPG

この日はこのあと、関近くの赤土坂で降りたようだ。
道路わきの簡易な停留所だが交換設備があった。
名鉄美濃町線赤土坂7赤土坂構内.JPG

ホームから先を見る。。
関か、岐阜かどっちの方角だろう。
名鉄美濃町線赤土坂8赤土坂構内2.JPG

880形がやってくる。
美濃町線赤土坂3・880形.JPG

600形だ。
名鉄美濃町線赤土坂5・601.JPG

歩道橋より俯瞰、600形だ。
後追い、岐阜市内に比して関市内は路面電車の設備がきちんとできている印象を持った。
美濃町線赤土坂4・600形俯瞰.JPG

後追い。
ローカルムードではあるがきちんと整備された軌道だ。
美濃町線赤土坂4・600形俯瞰2.JPG

新関より更に美濃市のほうへ歩いたようだ。

ここでモ592を見た。
野一色でみたのは美濃町線オールスターズではなかったということだ。
美濃町線赤土坂1・592.JPG

いかにも古い街並みの中、モ592が去っていく。
美濃町線赤土坂2・592・2.JPG

この日の名鉄詣では雨にたたられて、この後全て雨だったように思う。
別の日。
美濃市駅。
名鉄美濃市駅.jpg

上芥見、ここだけは何があっても当時の名鉄詣ででは外せなかった。
晴れた町に880形がやってくる。
名鉄美濃町線上芥見9・880形.JPG

後追い、ミニバイクとすれ違う。
名鉄美濃町線上芥見10.JPG

子どもたちの自転車と電車が並走する。
名鉄美濃町線上芥見12・880形と少年.JPG

この街の風景に溶け込む600形。
名鉄美濃町線上芥見12・600形.JPG

駅というか、看板しかないところに電車が停まる。
名鉄美濃町線上芥見11・600形.JPG

駅の時刻表、本数の多さに驚く。
調べたら昭和59年改正の時刻だ。
名鉄美濃町線上芥見13時刻表.JPG

はるか遠くを880形が行く。
美濃町線上芥見7・880形遠望.JPG

いつまで経っても忘れることのできない路線。その一つが美濃町線だ。
本当ならば、乗客を増やす手段はいくらでもあった路線であり、近代化の努力も名鉄自身はしていたのに、行政の支援が得られなかったのは返す返すも残念でならない。

夕陽を浴びて走るモ880形。
美濃町線上芥見8・880形夕景カラー.JPG
posted by こう@電車おやじ at 12:52| Comment(4) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月01日

阪神西宮にて+

ネガデータを漁っていたら、阪神西宮の地上時代、それもジェットカーの大半が非冷房だったころの写真が出てきた。
昭和53年頃だろうか。
ちょっと今回はこのブログとしては短いものになるが、この後大作も考えているので・・・これを。。

赤胴3501系、3516の入線、後ろのミドリ電化は今の家電量販エディオンの創業期の姿だ。
阪神西宮地上時代3516.JPG

赤胴7001系7108、コストダウンの車両群から脱皮して、阪急などと肩を並べた上質な電車。
但し台車はコイルバネ仕様で、日本最初のチョッパ制御車でもある。
阪神7108西宮.JPG

ジェットカー5231形5238、台車がコイルバネ仕様になりコストダウンも意識して作られた形式だ。
阪神5238西宮.JPG

ジェットカー5201形5213、最初の量産型ジェットカー。
阪神5213西宮.JPG

ジェットカー5151形5152、この頃は片運転台だが、まだ単車走行が可能だった。
阪神5152西宮.JPG

特急待ちをするジェットカー5231形5249・・
阪神5249西宮.JPG

こちらは急行、赤胴7801系7827、大量増備の必要性からかなりのコストダウンを目指したシリーズだが、この頃はすでに冷房改造され、車内も美観の向上が図られていた。
7801系は赤胴最大のシリーズでもあるが、年代別に激しく形態が変化し、とても同じ系列とは思えない車両で構成されていた。
阪神7827西宮.JPG

余談だが、7801系には7922という異端車があり、須磨浦特急などでもよく見かけた。
3011系特急車を3ドアに改造して7801系に組み込んだものでなんとも言い難い不思議な外観をしていた。
写真は電鉄須磨にて。
阪神7922須磨阪急5010.jpg

7801系のバラエティをもう少し・・
7839、ラインデリア装備で登場したグループ、両開きドア、内装もかなり良くなった。
ただ、まだ屋根が低い。

こちら電鉄須磨にて。
山陽須磨阪神7839.JPG

方向幕が付いた。
鳴尾にて。
阪神赤胴7839鳴尾.jpg

7844、最初からの冷房付き、チョッパ制御7001系の連結相手として製造されたので車体は7001系と同じデザインで屋根も高くなった。
野田にて快速急行運転開始当初。
阪神赤胴7844野田快急.jpg

7861、初期型の2両運転ができるタイプ、番号が進んでいても新しいとは限らないのが難解なところ。
今も武庫川線に残る車両があるが、まもなく運用を終了するという。
野田での快速急行。
阪神7861.jpg

これら、初期の赤胴車は後に多くが2000系、3000系に改造されたが、それもすでに運用を終了し5月末と言われる武庫川線での置き換えで過去のものになろうとしている。
posted by こう@電車おやじ at 15:33| Comment(2) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月24日

信州の鉄道(その2)長野電鉄・国鉄大糸線

昭和57年だったと思うが、長野電鉄が都心部を地下化したというので、親友のO君とともに信州訪問の際に訪ねたと思う。
何処をどう回ったか記憶にないが権堂のビジネスホテルに深夜に到着し、食事をするところもなく困った思い出だけは残っている。
と言っても、地下化前の長電の訪問などは全くできておらず、僕としてはこの時が最初の訪問だったわけだ。

長電には到着した夜に一駅だけ乗ったが、特にこれという印象もなく、ごく普通の地下鉄だった。、
明けて、電車に乗るべく駅に行ったが運賃の高額さに驚き、須坂までしか行かなかったのではないだろうか。

須坂駅の様子。
東急5000系改め長電2500系が停車している。
この電車には乗車もできたが、中古車とは思えない素晴らしい整備状態に驚いたものだ。
長野電鉄須坂2508.JPG

転入改造が終わったばかりなのだろうか、2510が美しい姿で留置されている。
長野電鉄須坂2510.JPG

屋代線旧型電車、1552、堂々とした風貌だ。
長野電鉄須坂1552.JPG

ED5001、工事列車牽引状態で据え置かれていた。
昭和初期製造の自社発注電気機関車だ。
長野電鉄須坂ED5001.JPG

復元電車102と屋代線1000形だろうか。
102は後に上田交通へ転属していたが、もちろんこの時は長野にいたので上田での姿は僕は知らない。
長野電鉄須坂102・1000形.JPG

折り返し、長野へ戻る途中、たぶん村山という駅で降りたと思う。
千曲川の併用橋は絵にするのが難しく、その前後で撮影したと思う。
2000系特急車、名鉄5000の姉妹車だというがずっと洗練されていた。
長野電鉄村山2000系.JPG

後追い。。
長野電鉄村山2000系2.JPG

東急5000系改め2500系、2508。
長野電鉄村山2508.JPG

反対側は2558、東急5000系を生で見るのは実にこの長電が初めてだったがそのデザインの良さに惚れ惚れしたものだ。
長野の赤が勝ったツートンカラーが良く似合う。
長野電鉄村山2558.JPG

2500系4連がやってきた。
先頭は2501だ。
長野電鉄村山2501ほか4連.JPG

2000系特急車、一編成だけの三次車で、前面にスカートが付く。
長野電鉄村山2007.JPG

アップ。
いい顔立ちだ。
長野電鉄村山2007・2.JPG

去っていく。
これほどの電車を作れる会社、すごいなぁと感嘆したものだ。
なお、当時走っていたOSカーには前夜に乗れたが、写真は撮影出来ていない。
長野電鉄村山2008.JPG

順序が逆になるかもしれない、
大阪から夜行「ちくま」で行けば、最初に訪問したのが大糸線もしくは松本電鉄になると思う。
大糸線、以前にもエントリーしているが、今回見付けたネガデータもいれてみていただこうと思う。

ここは関西急電で活躍したモハ42系が大挙して走っている線区でぜひ一度、訪問したかったところだ。
松本駅に着くと、美しいクモハ60が迎えてくれた。
車体塗装はスカイブルーだ。
大糸線松本クモハ60.JPG

途中、車窓から流電第三次車、半流のクモハ43が見えた。
美しい・・・
大糸線安曇野クモハ43.JPG

駅名に惹かれ、安曇追分で降りたように思う。
大糸線安曇野駅クハ55ほか.JPG

ED60、1号機が北アルプスの山々を背景にやってくる。
大きな鳥が横切る。
大糸線安曇野ED601.JPG

ED601接近する。
背景は有明山だろうか。
大糸線安曇野ED601・2.JPG

165系急行、当時から僕の好みは特急よりは急行だった。
いかにも山男のイメージがある急行電車だ。
大糸線安曇野165系2.JPG

クハ55、クモハ43、サハ45、クモハ51からなる編成が北アルプスを背景にやってくる。
大糸線安曇野クハ55・クモハ43・クハ47」・クモハ51・2.JPG

接近する。
大糸線安曇野クハ55クモハ43ほか.JPG

この電車で折り返したのだろうか、クハ55のようだ。
大糸線安曇野クハ55.JPG

前回公開したカラーも。
クモユニ81、ファンから青坊と親しまれた。
81003が在籍していたが、本来は80系の一員だ。
大糸線クモハユニほか.jpg

接近する。
青い急型国電なんてとは思っていたが、実際に北アルプスを背景にしてみると、非常に美しい。
大糸線クモユニ81.jpg

クモユニ81003、北アルプスを背景にしたサイド。
大糸線クモハユニサイド.jpg

先頭はクモハ60だろうか、長い編成だ。
大糸線クハ55ほか全景.jpg

接近する。
大糸線クモハ40.jpg

中間のサハ45とサハ57、背景は北アルプス大天井岳、旧型客車にも劣らない素晴らしい旅情だ。
大糸線クハ47・サハ48.jpg


このあと、松本電鉄に立ち寄ったようだが、大糸線の感動冷めやらぬ中、あまりまともな写真は撮影していない。
一枚だけ三溝駅で撮影したもの。
松本電鉄三溝108.JPG

飯田線は以前エントリ―で二回で出ております。
そちらをご参照ください。
飯田線 昭和57年9月。

豊橋の電車たち・・(その1)飯田線。


posted by こう@電車おやじ at 22:08| Comment(2) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする