2019年04月22日

153系ブルーライナー

京阪神の新快速は当初は113系でスタートしたが、昭和47年のダイヤ改正で急行用車両の失業対策の一環として、当時の国鉄では破格の急行用153系による運転に変更された。
この時、湘南色の車体塗装を改め、グレー地にブルーの帯で登場、「ブルーライナー」の愛称も与えられた。
国鉄離れした明るい色合いは評判を呼び、ブルーライナーという言葉もあっという間に広がった。
西明石駅には同名の喫茶店が誕生し、長年にわたって営業を続けた。

このブルーライナーの大評判こそ、今の新快速発展のその原点だ。
新快速を運転するにあたって「特別快速」とせず、「新快速」というネーミングを採用したことも当時としては斬新で、お上の鉄道たる国鉄にしてはずいぶん思い切ったことだったのだが、その専用車両を急行型から転用、明るく斬新な塗装に変更、さらにダイヤは特急並み、まさに当時としては破天荒な列車が登場したわけだ。
写真は昭和51年、須磨駅での撮影だ。
153系ブルーライナー須磨駅.JPG

夢前川を渡る153系、姫路から新快速になるためすでにヘッドマークが用意されている。
国鉄夢前川153系新快速.JPG

姫路駅、美しいサイドのブルーライナーが停車中。
153系ブルーライナー姫路駅Side.JPG

115系電車と並ぶ様子。
153系ブルーライナー姫路駅115系と.JPG

その列車のアップ。
当時の新快速は朝9時から夕方16時台までの運転だった。
この編成は先頭がクハ165で、乗り心地が良く、乗るときは好んで乗ったものだ。
153系ブルーライナー姫路駅停車.JPG

クハ165の車内。
基本的にクハ153と変わりはないオールクロス、デッキ付きだが、座席手すり、天井の造作などに時代の進化を感じたものだ。
急行型車両はエアサス、車内仕切により静かで快適な乗り心地だった。
急行型クハ165車内新快速.jpg

宝殿・曾根間、法華山谷川付近にて。
上りの後追い。
宝殿西153新快速後追い.jpg

上りのアップ。
153系ブルーライナー法華山谷川アップ.JPG

下り列車が貨物と出会う。
153系ブルーライナー法華山谷川東.JPG

宝殿駅構内。
サイドビュー。
153系ブルーライナー宝殿駅Side.JPG


通過する新快速。
低運転台の初期型の軽快感が好きだ。
新快速_153宝殿 (2).jpg

こちらは朝夕の快速運用、ヘッドマークは横棒3本だ。
6連2本、12連で運用されていた。
宝殿153快速クハ165.JPG

その列車の後追い、大窓初期型が美しい。
宝殿153快速低運.JPG

加古川橋梁西側・・築堤上を行く新快速。
153系ブルーライナー7加古川橋梁西側.JPG

加古川橋梁、出会う新快速、一瞬しゃたータイミングがずれた。
153系ブルーライナー加古川橋梁並び.JPG

その列車のアップ。
153系ブルーライナー加古川橋梁アップ.JPG

中間車モハ153-15.
153系ブルーライナー加古川橋梁Side153-15.JPG

加古川駅、上り新快速。
153系大窓新快速加古川.jpg

明石駅、電車線を入線する新快速。
153系ブルーライナー明石駅入線.JPG

こちらは高運転台クハ153-500台。
153系ブルーライナー明石駅アップ.JPG

朝霧、並行する山陽電車の普通電車車内から撮影。
153系ブルーライナーS51朝霧」山電車中から.JPG

須磨海岸、湘南色の原色クハ153。
背景は夏の浜辺だ。
153系ブルーライナー湘南色先頭須磨.JPG

こちらはブルーライナーカラー初期型。
153系ブルーライナー大窓須磨.JPG

松林の合間から新快速を見る。
海2須磨浦公園153系.jpg

昭和53年のダイヤ改正から神戸駅に停車が実現した新快速、まだホームは閑散としている。
153系ブルーライナー神戸駅停車初日S53.JPG

神戸駅、乗客が少しずつ増えてきた。
153系ブルーライナーS53神戸駅.JPG

上牧近く、山崎・高槻間。
153系新快速編成。
153系ブルーライナー上牧編成.JPG

この編成は中間車MM'が湘南色だ。
153系ブルーライナー上牧湘南色中間.JPG

その湘南色・・こちらはクハ165を先頭にした急行「比叡」、遠くに117系新快速が迫るのが見える。
153系クハ165急行比叡.JPG


サイドから・・急行型車両としては非常に秀逸なデザインだったと思う。
153系ブルーライナー上牧サイドアップ.JPG

153系ブルーライナーは昭和47年から55年までのせいぜい8年間、走っただけだ。
この後の117系が震災前後まで19年間、、221系が平生元年から12年まで使われたのを見ても、153系の短命がわかる。
元々東海道・山陽急行で酷使、相当早急化していたものを転用したのだから当然といえば当然だろうが、それでも関西の153系は昭和33年から22年間使用されただけで廃車となっている。
117系以降の車両が今も存命であることを見れば、その後の国鉄⇒JRの車両が如何に長寿命になったかとも思える。

最後に‥
宝殿駅ホームを通過する新快速。
宝殿153新快速通過.JPG

静かで快適な乗り心地は最新の225系にも決して引けを取らなかったといえば「贔屓の贔屓倒し」だろうか。

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2019年04月10日

名鉄谷汲線今昔

廃止になった名鉄岐阜地区600V線区の中でも特にローカル色が豊かだったのが谷汲線だ。
末期には線内普通が毎時一回走る程度だったが、谷汲山華厳寺は春秋の桜、紅葉の名所でもあり、オンシーズンには新岐阜からの直通急行や忠節からの急行も運転されていた。

沿線は田園地帯で、僕はここを何度か訪れている。、
当時の名鉄は楽しい路線、列車が多く、訪問頻度がさほど多くなかったのが今にして思えば残念だ。

撮影は昭和55年前後だろうか。
新岐阜から直通の急行「いこいの森」号。
先頭はモ523、揖斐・谷上線優等列車用だった半円形電車、こちらはニセスチールと呼ばれた木造電車に鋼板を貼り付けたもの。
名鉄谷汲線523急行.JPG

揖斐・谷汲線急行は必ず510形・520形の2連で運転されていた。
反対向きはモ511、丸窓電車で一種のブームを巻き起こした電車だ。
名鉄谷汲線511急行.JPG

普段は750形が1両で走る線区だが、多客時はさらに楽しい510・520形が入るとあって、喜んで撮影に出かけたものだ。
だが現地で鉄道ファンらしき人に会うことはなかった。

長瀬付近の758、ローカルムードたっぷりの古豪だが、実は初代名古屋鉄道が郊外路線を敷設した際に登場させた都会派の電車だ。
あえて、撮影場所が今でもわかるように、土取り場を背景にした様子だ。
名鉄谷汲線758長瀬.JPG

谷汲駅、今はこの駅の右端部分しか保存されていまい。
名鉄谷汲駅舎.JPG

改札・出札口の風景。
いつ乗っても乗客はそれなりにあった。
名鉄谷汲線改札.JPG

駅に先ほどの急行が停車している。
折り返し新岐阜行き、この列車が運転されると、本揖斐からの列車が黒野止になっていた。
名鉄谷汲線522外から.JPG

こちらは折り返し前側になる511。
名鉄谷汲線511外から.JPG

ホームに停車する522。
名鉄谷汲線522停車中.JPG

750形751号、杉木立の向こうに姿を見せる。
名鉄谷汲線751接近.JPG

構内に入線する。
名鉄谷汲線751入線.JPG

停車している様子…
名鉄谷汲線751停車.JPG

この愛すべき路線は岐阜地区600V線区全廃の前に姿を消した。
線路が姿を形を消したら当たり前だが、名刹谷汲山への参拝は、自家用車を使わない人には厳しくなったことだろう。

先日、やっとこの谷汲駅を再訪することができた。
鉄道があった時代にも、本揖斐へのアクセスに近鉄養老線を使ったことはある。
その時の近鉄バス、結構な本数があったように記憶している。
揖斐近鉄バス.JPG

先日、乗車したこの経路のバス、ただし、谷汲山へ直通する路線だった。
揖斐からは意外に近く、バスで30分弱、本数は多くなく日に数本というのが現状だ。
しかもバスは車両こそ名阪近鉄バスのものだが、運行主体は揖斐川町コミュニティバスということになっている。
運賃は非常に安く設定され、谷汲まで乗っても200円だった。
谷汲双門前(谷汲駅近く)に停車した路線バス。
0401谷汲双門前名阪近鉄バス.JPG

今現在の谷汲駅、駅の大半は建て替えられ、昆虫館になっいる。
0401谷汲駅昆虫館.JPG

こちらが今残る駅舎部分。
0401谷汲駅.JPG

改札口の風景は昔のままだ。
ここに来た瞬間、40年近い歳月が一瞬、すぐこの間のことのように思える。
0401谷汲駅改札.JPG

750形755が留め置かれる。
0401谷汲駅755.JPG

ホーム上屋はあるが、さらに追加して車両保護の上屋が付けられている。
驛が原形ではないが車両を保護するための良心的な設計だ。
この角度、現役時代のそのまんまだ。
0401谷汲駅名鉄755外から2.JPG

電車には片側にスノーブラウも装備されている。
0401谷汲駅755すのーぶらう.JPG

755の車内・・・
ここに入って、昔の谷汲を知る友と語り合いたいものだ。
0401谷汲駅755車内.JPG

もう一両、ツートンに復元された514が保存されている。
0401谷汲駅514.JPG

半円形正面・・・
塗装が少し傷んではいるが、全体的には非常に良好な保存車だ。
0401谷汲駅514南向き正面.JPG

丸窓電車の愛称の由来・・・戸袋の丸窓。
0401谷汲駅514丸窓.JPG

駅名標と514・・
0401谷汲駅514と駅名標.JPG

車内、転換クロス、僕が岐阜に頻繁に来ていた頃は、シートモケットは赤か緑だったように記憶する。
0401谷汲駅514車内.JPG

桜にはまだ数日、早かったようだ。
だが、ここでのんびりするこの車両が何と幸せに見えることか。
0401谷汲駅514さくら.JPG

755を外から眺める・・・
0401谷汲駅755外から.JPG

514と755・・
すでにここに停まって何年がたつのだろうか。
0401谷汲駅514・755.JPG

構内の廃線跡、上の写真で751が入構してきたところだ。
0401谷汲駅廃線跡.JPG

1時間少々ここにいて、谷汲口へのバスに乗った。
こちらは僅か10分弱の所要時間だが、本数は少ない。
揖斐川町コミュニティバスが主体の名阪近鉄バスによる運行だ。
かつて名鉄の勢力圏だった谷汲に、名鉄系岐阜バスは、日に一度だけやってくる。
かつて新岐阜から直通で来た谷汲は今は公共交通としてはコミュバスがわずかに残るだけになってしまっている。

バスは廃線跡に沿い、かの土取場付近も通り、谷汲口駅へ向かった。
乗客は10人ほどで、桜のシーズンだからか案外多い。
谷汲口駅に着いたバス。
0401谷汲口駅名阪近鉄バス.JPG

樽見鉄道開業直後も僕はここに来ていたようだ。
その時の写真が残っている。
谷汲口樽見鉄道レールバス.JPG

今の谷汲口駅・・・
樽見鉄道と自治体により植樹が進められ、ここは桜の名所になった。
ゆっくりと軽快気動車がやってくる。
0401谷汲口樽見鉄道と桜.JPG

最後に、谷汲にいるモ514、その現役当時の写真・・・
場所は多分、長瀬・谷汲間だろうか。
名鉄谷汲線514.JPG

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2019年03月07日

相模へ帰ったハフ7=神中ハ24を見に行く。

連続して別府鉄道関連の話題で失礼します。

先日、全く鉄道と関連のない用で東京に三日間滞在した。
その二日目、午前中に数時間の暇を得たので、かねてから念願だった相模鉄道かしわ台車両センターを訪問した。

ここには別府に長年いて、ある意味では別府鉄の顔だったハフ7が今も保存されていると聞く。
別府鉄ハフ7カラー大.jpg

15年ぶりくらいに乗った相模鉄道はいろいろなものが激変している様子が見て取れ、横浜から現地へ向かうまでも刺激的な乗車だった。
かしわ台に着いて、車両センターの正門横の守衛で来意を注げた。

守衛氏は快く受け付けてくれる。
見学に際しての注意書きを読むように促され、確認するとそれで保存されている庭園の部分のみの見学が許可された。
わざわざ出向いてきた甲斐があり、保存車両をこうして見せてくれる相模鉄道に感謝だ。

機関車3号、相模鉄道開業時の機関車、現在の相模鉄道は開業時には神中(じんちゅう)鉄道と称されていて、1926年(大正15年)5月に開業した。
開業前から工事用に1・2号機があり、開業後の旅客輸送用として汽車會社で製造された機関車だ。
0224相鉄かしわ台3号機関車.JPG

その後ろに繫がるのがハ24、かしわ台正門すぐのところに連結して展示されていた。
0224かしわ台3号機ハ24.JPG

ハ24のアップ、大正15年5月の開業に際して準備された10両の客車の1両だ。
0224相鉄かしわ台ハ24.JPG

相模鉄道神中線の電化に伴い、昭和24年、三重県の三岐鉄道に譲渡、この時、のちの別府鉄ハフ5となる神中キハ10⇒機関撤去でハ10とともに移動している。
三岐鉄道ではハフ16と名乗り、偽スチール化、落とし込みの窓を二段に改造するなど手を入れられ・・・これがゆえに車体強度が増し、別府鉄廃止までの長年の使用に耐えたのだろう。
妻部の様子。
0224かしわ台ハ24妻斜め.JPG

走り装置、単純な二軸式だ。
0224かしわ台ハ24足回り.JPG

もう片方の走り装置。
0224かしわ台ハ24走り装置.JPG

台枠に「神中鉄道」の文字、創業期の社紋、車番。
車体腰部に貼られていた鋼板は撤去され、木部も綺麗に補修されている。
0224かしわ台ハ24台枠文字と車番.JPG

窓、二段窓は三岐⇒別府と引き継いだもの、神中⇒相模では落とし込み式の窓のはずで、それゆえ上昇窓なのに腰が高く、窓の天地寸法が小さい。
なお、上段は固定式だ。
0224かしわ台ハ24中央サイド.JPG

屋根部・・幕板の鋼板は車体強度上、撤去できなかったのだろう。
それでも、屋根を覆っていた屋根布は撤去され、モニタールーフが再現されている。
国鉄客車ならこの部分に開閉式の蓋があったのだが、神中ではどうだったのだろうか。
再現された今現在のように、水雷型通風機があったのだろうか。
0224かしわ台ハ24通風機.JPG

車内全景、車内には入れなかったが、出入り台までは上がることができ、扉越しに撮影ができた。
水雷型通風機の室内側には単純な円形の開閉蓋があるはずだが、そこまでは復元されていない。
もはや部品の調達は不可能に近いのだろう。
0224相鉄かしわ台ハ24車内.JPG

手ブレーキ、三岐・別府・・・あるいは神中時代からのものだろうか。
0224かしわ台ハ24車内てブレーキ.JPG

座席。
背もたれにボルト状のものが見えるが、別府時代の写真二もこれが写っている。
別府時代の扉はスリガラスだが、これは、ここでの展示のために普通のガラスにしたのだろう。
0224かしわ台ハ24座席.JPG

別府時代の車内。
別府鉄ハフ7車内.JPG

連結器・・自動連結器だが手前の台枠にバッファー(緩衝器)の跡のようなものがある。
国鉄が自連への一斉取り換えを挙行したのは大正14年で、すでに大正15年には国鉄では車輛の大半が自連になっていたはずで、国鉄との貨車直通を事業としていた神中では、当初から自連だったのではなかろうか。
だが、車両には設計・製造のタイムラグがある。
どちらでも使えるように、台枠にはバッファーが取り付けられるように用意されていたのだろうか。
0224かしわ台ハ24連結部.JPG

今年の春は早い・・はずだが、ここでは梅はやっと咲き始めたようだ。
梅の花とハ24・・僕らには今でもハフ7だ。
0224かしわ台ハ24妻と梅.JPG

車体と梅。
0224相鉄かしわ台は24と梅2.JPG

モニタールーフと咲き始めた梅の花。
この車両がいかに大事にされているか、よくわかる雰囲気だ。
0224相鉄かしわ台は24と梅.JPG

もう一両の展示車両、神中3号機もなかなか興味深い機関車だ。
タンク機の1-C-1という軸配置、珍しいように思うのだが・・
0224かしわ台3号機サイド.JPG

足回り。
蒸機のメカニズムは僕は詳しくないので、専門の方に見ていただければと思う。
0224かしわ台3号機下回り3.JPG

足回り・・2
0224かしわ台3号機下回り2.JPG


足回り・・3
0224かしわ台3号機下回り1.JPG

ハ24のデッキから見た機関車3号機の後ろ。
0224かしわ台3号機後ろ.JPG

前。
0224かしわ台3号機斜め.JPG

機関車3号機の銘板。
0224かしわ台ハ24銘板.JPG

相模鉄道公式サイトの、開業時の列車の写真。
別府鉄道とさして変わらぬ雰囲気だったのが伺える。
100y_title.jpg

今の相模鉄道、かしわ台駅を特急列車が通過していく。
例えば、大正末期の神姫電鉄=今の山陽電鉄は確かに開業時と比すと今の雰囲気がまるで別世界のように見えてしまうが、相模鉄道神中線(今の本線)は、もはやそう言った次元ではなく、まったく別次元の別の世界の鉄道に変貌したといえるのではなかろうか。
0224相鉄かしわ台相鉄10501特急.JPG

その開業時を知る生き証人として、3号機関車とともに別府にいたハフ7が昔の名前に戻ってここに鎮座しているのがとても素晴らしいことであるように思えるのだ。

折角なので、別府のハフ7を少し回顧してみたい。
別府港機関区で入換の様子。
別府鉄DB201・ハフ7.jpg

こちらも入換中の様子。
別府鉄別府港構内入れ替えハフ.JPG

土山駅発車の様子。
別府鉄土山ハフ7.JPG

僚車ハフ5とともに鳥居前を通過するハフ7。
今、大中に残るハフ5も出自は神中鉄道=相模鉄道だ。
ハフ5も故郷に帰りたいと思っているだろうか、それとも、自分は永年暮らした播磨での余生を楽しんでいるだろうか。
別府鉄ハフ7・5土山線.jpg

今現在の大中でのハフ5・・
0730別府鉄跡大中ハフ5.JPG

去る列車。
14別府鉄道ハフ7後部別府港.jpg

いつも堂々としていたハフ7・・・
夏別府ハフ7サイド.jpg

貨物のない日曜日、DBに牽かれてハフ7が行く。
別鉄S58別府港DB・ハフ7-1.JPG

ハフ7のアップ。
別鉄S58別府港ハフ7-2.JPG

明姫幹線高架を見て走る。
別府鉄中野高架道路とDBハフ.JPG

僕の当時の愛車とともに・・・
別府鉄土山先DBハフスプリンター.JPG

時代は変わる、
過ぎ去った時代はいつしか人々の記憶から遠ざかる。
だが、そこでふっと立ち止まり、記憶を呼び戻す記念碑がある・・
ハフ7がその任を受けていること、相鉄がこの客車をことのほか大事にしてくれていること、深く思いを寄せ、感謝を申し上げる次第だ。
別府鉄中野去る列車.JPG


posted by こう@電車おやじ at 22:09| Comment(2) | 現況ルポ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

カラーで蘇る別府鉄道の記憶

カラー化ソフトなるものが人気だ。
もちろん、業務用のものはすでにかなり以前から存在し、ラボなどでは使われているわけだが、今、流行っているのは気軽に使えるネット上のフリーソフトだ。
コストもかからず、古い写真を着色することで記憶がずっと鮮明になるような気がする。

しかし、フリーソフトゆえ、仕上がりが一発で完成状態になるわけではなく、場合によってはPhotoshopでさらに加工をする必要がある。
幸い、僕はPhotoshopについてはある程度の知識はあり、業務経験もあるので、フリーソフトとPhotoshopを組み合わせてみた。

なお、今回使用したフリーソフトは2019年2月現在は「siggraph2016_colorization」と称されてhttps://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/にて提供されている。

古い写真から見てみよう。
昭和50年頃かと思う。
野口駅に進入するキハ2。
周囲は広漠としている。
別府キハ2野口カラー化.jpg

野口駅に停車中のキハ2、上記と同じ時の撮影だ。
周囲はそれなりに開けたところだが、とても鉄道の結節点とは思えない長閑さだ。
別府キハ2野口停車中カラー化.jpg

別府港機関区に到着したばかりのキハ101、まだ、スカートの取り付けがなされていない。
別府キハ101原形カラー化.jpg

別府港機関区の奥に鎮座していた旧キハ2。
現物を見た時は「神戸市電に似ている」と思ったものだ。
別府鉄旧キハ2カラー化.jpg

ワ124とハフ5、ワ124は今も土山線跡地の脇の田圃に鎮座している。
ハフ5は、播磨町郷土館にて美しく整備され保存されている。
別府鉄ハフ5.ワ124カラー化.jpg

別府港を出るキハ2、撮影は昭和55年頃か・・
この頃には屋根上のベンチレータがなくなっている。
別府鉄キハ2カラー化.jpg

キハ2とキハ101の重連、機械式のキハ2、液体式のキハ101とでは運転取り扱いが異なり、運転士には苦労があっただろうと思う。
別府キハ重連カラー化 (2).jpg


土山線、今の明姫幹線高架を背景にDB201とハフ7の可愛い列車が行く。
別府鉄DB+ハフ7カラー化1.jpg


夜の帳が降りる頃、野口駅で国鉄キハと別府鉄キハ101が同時発車していく。
別府鉄キハ101国鉄キハ20並走.jpg

野口駅北方にあった、別府鉄のための折り返し線。
キハ101。
別府鉄野口キハ101カラー化.jpg

別府口駅に停車しているキハ101。
別府鉄別府口キハ101カラー化.jpg


最終日、昭和59年1月31日、もう35年も前のことだ。
最終日は大雪だった。
キハ101のさようなら列車が行く。
別府鉄さようならカラー化.jpg


本当にこの列車で終わり、心がおれそうな大雪の日だった。
別府鉄最終キハ101到着風景カラー化.jpg

この写真は原版がカラーだ。
本物のカラー写真と見比べていただこう。
ハフ7。
別府ハフ7カラー別府港.JPG

これも原版からカラーだ。
今の山陽電鉄別府駅前、すぐ裏手を行くキハ101。
別府鉄キハ101別府駅裏手.JPG

これもカラー原版、山陽電鉄の築堤を潜る・・キハ101。
別府鉄キハ101高架下.JPG

この写真は復元だけではなく、相当に加工してある。
こうしてできた写真を見ると、甘酸っぱいあの頃の思い出もまた、湧き出てくる。
別府鉄野口キハ101・国鉄キハ35並びカラー化.jpg

拙小説サイトから「別府のべんとばこ」
http://kobestory.blog98.fc2.com/blog-entry-112.html




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2019年01月14日

岐阜の名鉄名古屋本線

木曽川の西側から新岐阜までの名鉄名古屋本線の写真、すべてモノクロだが、出てきた。
木曽川橋梁を渡るパノラマカー7500系のサイド。
S55木曽川ん7500サイド.JPG

当時の僕は7500系がことのほか好きだったようだ。
写真がたくさん出てくる、あるいはこの系列はほとんどが名古屋本線で使われていたから出会う機会が多かったのか。
西詰を行く7500系。
S55木曽川7500サイド後尾.JPG

夕方近く、なぜかここは小雨模様の写真が多い。
流し撮り、こういう撮り方の似合う電車でもある。
S55木曽川7500流し.JPG

接近!
S55木曽川7500探しサイド.JPG

6000系急行。
端正なデザインだが、やはり7500の流麗さとは写りが違う気がする。

S55木曽川6000.JPG

今はなき、東笠松駅にて。
今回はモノクロの夕景だ。
5200系の普通、更新後の姿だ。
S55東笠松5200普通.JPG

後ろ側は高運転台に改造された車両だ。
事故復旧などでこの系列と5500系に高運転台の車両が存在した。
S55東笠松5200普通後追い、高運転台.JPG

7000系の急行。
S55東笠松7000急行岐阜正面.JPG

その列車の後追い、
速そうに見えるがここは速度制限があり、大してスピードは出ていない。
S55東笠松7000高速岐阜後追い.JPG

豊橋行きの高速。
7000系だ。
S55東笠松7000高速豊橋.JPG

後追い、大好きな真っ赤なパノラマカーが轟音を立てて鉄橋を渡る。
S55東笠松7000高速後追い.JPG

白帯車の特急。
S55東笠松7000白帯特急岐阜.JPG

こちらは7500の特急運用。
当時の私鉄界最高峰の高速性能を有する車両だが、特急としては最後の頃だったのではないだろうか。
S55東笠松7500特急豊橋.JPG

後追い。
S55東笠松7500特急豊橋後追い.JPG

東笠松の駅名標と木曽川の看板。
S55東笠松駅名標.JPG

7500系の流し撮り。
パノラマカーが最もカッコよく見える角度。
S55東笠松7500流し.JPG

こちら7000白帯特急の流し撮り。
時刻が進み、周囲が暗い。
S55ひがし笠松7000白帯流し.JPG

ある時、乗った下り普通電車は岐南で長時間停車した。
この間に何本かの列車に抜かれ、反対方向の列車も眺められた。
5500系を前にした高速。
S55岐南5500・5000高速.JPG


後ろ4両は丸い5000系だ。
S55岐南5000系高速.JPG

こちら側の本線を5500系急行が行く。
S55岐南5500急行下り通過.JPG

7000系白帯車の重連、8連の特急だ。
S55岐南7000白帯特急重連.JPG

その列車の後追い。
S55岐南7000白帯特急重連後追い.JPG

常滑行き高速か・・
7000系だ。
S55岐南7000上り後追い.JPG

前にも書いたが、新岐阜手前、国鉄線をオーバークロスする陸橋はその部分だけ単線になっていた。
今回はワイドレンズによる風景で…
真横を一般道が通り、電車を駅チカで眺められる絶好のポイントだった。
5200が行く、。
S56新岐阜5200XE.JPG

7000系白帯車。
ワイドで写すパノラマカーはカッコいい・・
もっとワイドで撮影しておくんだった。
S56新岐阜7000白帯XE.JPG

7000系白帯車の回送。
S56新岐阜7000白帯回送XA.JPG

後尾、茶所の検車区へ行くのだろう。
S56新岐阜7000白帯回送後追いXA.JPG

7500系の異端児、7515F、スキャンして画像を見で、初めて気が付いた。
S56新岐阜7515XE.JPG

既出だが、その少し前の新岐阜駅、昭和51年。
フロントアイのない原形7500.
名古屋名鉄新岐阜7500.jpg

時代は変わる。
それから35~40年後、つい先日、岐南駅で少し撮影をした。
地元ファンのNさんの案内で、貴重な1131Fもここで撮影できた。
岐南駅は下りのみ待避線があったが、上下とも待避ができるようになっていた。
1131Fが速度を上げて突っ走る。
010504岐南名鉄1531.JPG

後追い、展望車が後尾になる。
010504岐南名鉄1131下り後追い.JPG

その列車の折り返し快速特急。
010504岐南名鉄1131上り.JPG

ロングシート車、増結3206を先頭にした下り特急。
かつての名鉄では考えられない列車だ。
010504岐南名鉄3206.JPG

こちらは今のステンレス銀色の5000系、足回りは早々と廃車された4連1000系のものだ。
この電車は乗ると、SRのような音がする。
010504岐南名鉄5007.JPG

名鉄岐阜と名を変えたかつての新岐阜、そこに入線する1131F、昨年夏に撮影。
線路横の楽しい道路は廃止されてしまった。
名鉄1131F1431名鉄岐阜20180809.JPG

岐阜でいつも使っていた国鉄保養所へ向かう電車は旧形ALだった。
3500・3600あたりだろうか。
重厚な車内の雰囲気、ふた昔前の国鉄優等客車にも通じるものがあった。
S55名鉄AL800形車内.JPG


posted by こう@電車おやじ at 18:18| Comment(4) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする