2020年08月08日

列車から前や後ろを見るということ

列車と言うのは、特に長距離列車は、昔は機関車牽引列車が中心だったから、客車から前方を見ることができない。
けれど、例えば路面電車でも運転台横のポールにしがみついて前方の景色を見るのを好む人は、鉄道ファンであるナシ、老若男女問わず存在しているし、特に子供の頃には誰しも思い出のあることだと思う。

走っている列車から前を見たい・・それは人間の本質的な欲求かもしれない。

国鉄では後方の景色を見る車両、展望車が存在した。
前を見られないなら後ろをということでもなかろうが、国鉄客車の展望車は、いわばステータスとしての存在、乗車するのは相応の社会的地位が必要であり、誰しも気軽にと言うわけにもいかなかった。

今、JR西日本に一両存在するマイテ49、その現状を少し。
展望室の室内、洋式であり比較的簡素な室内だ。
マイテ展望室.jpg

外観、網干総合車両所での公開時。
マイテ全景.jpg

回送時の大久保駅にて。
0927土山マイテ4927展望室側全景2.JPG

JR東日本、大宮の鉄博に展示されているマイテの車内。
桃山式の重厚な雰囲気が可能な限り復元されている。
0726鉄博マイテ車内.JPG

大井川鉄道ではマイテを模した改造展望車が存在する。
スイテ82、新金谷にて。
0801新金谷展望客車.jpg

だが、やはり列車の前方を見たい。
運転士の特権でもあるのだが、そこを道楽で、座って出来れば酒でも呑みながら眺めたいと・・それを実現した電車が昭和30年代に登場した。
国鉄では組合運動が盛んで運転席後ろのカーテンを昼間でも閉めてしまって、立ってでも前方を見たい客への配慮など存在しなかった時代にだ。

昭和36年、名鉄7000系パノラマカー、本邦初、前面展望電車の登場だ。
名鉄東笠松7000急行岐阜.jpg

ごく普通に通勤電車にも運用される名鉄の大看板。
国鉄は運転台を上層にあげて151系を登場させたが、まさかのその一階部分を展望席にしてしまった電車、しかも日本車輛と名鉄の良心ゆえの設計、乗客の絶対安全を図るために、ショックアブソーバを組み込んだ標識灯のデザインは、踏切事故多発の時代にあって乗客の死亡事故ゼロの金字塔も打ち立てた。
写真は中京競馬場の保存車。
保存7028展望室ひじ掛け.JPG

展望室の全景。
保存7027展望室室内.JPG

さらに高性能7500系も登場、名鉄は一時期、パノラマカーの我が世の春を迎えた。
名鉄7500急行東笠松正面下り.JPG

7500系パノラマカー営業時の展望室の様子。
名鉄7504車内.JPG

前面を見たい人は、その時の速度も気になる。
スピードを売り物にする名鉄はそこに速度計を設置。
パノラマカー速度計.jpg

今、悔やむことのひとつに、この展望席に夜間に乗り、流れる夜景を見ることをしなかったこと・・・
S55ひがし笠松7000白帯流し.JPG

もしもレプリカでもこの電車が復活してくれたら、日本最強の観光電車になるのにと無茶な思いが募る電車だ。
名鉄7500流し東笠松.jpg

少し遅れて東の小田急でも前面展望の電車が登場した。
NSEの愛称で知られる小田急3100形、こちらは特急券が必要な、いわば「晴れの日」の電車でもある。
晴れの日の家族が記念写真に興じる新宿駅。
S56小田急NSE新宿家族.JPG

冷房機能強化、箱根登山線での様子。
小田急NSE.jpg

西の横綱、近鉄は展望車には多大な興味を持っていたようだが、近鉄は中間車のダブルデッカーを好んだ。
VistaCarの登場だが、そのうちの前面貫通タイプでは助手席側の窓を大きく広げ、前面展望にも配慮した。
国鉄が151系を登場させた翌年、昭和34年のことだ。
近鉄10100C祝園 (2).jpg

昭和55年、小田急では長年、トップの座を君臨してきたNSEに代わってLSEが登場。
1980小田原LSE.jpg

後年の色調変更後の様子。
2005鶴川LSE.JPG

昭和58年、僕も工事に携わった大阪鉄道管理局の「サロンカーなにわ」が完成した。
国鉄伝統の後部展望車を有する7両編成、車体は14系が出自なので側面はほとんど変更されていないが、両端の展望車は大きくイメージを変えた。
これには、車掌室側を編成の内側とし、トイレ洗面所を撤去の上、そこに展望室を設置するというものだった。
サロンカーなにわ完成高砂.jpg

完成時の「なにわ」展望室、ビュッフェとして使えるように厨房機器も備わっている。
新高砂なにわスロフ14703車内展望室web用.jpg

最初の公式試運転。
サロンカーなにわ野口.jpg

最近の様子。
サロンカーなにわ現代大蔵谷駅.jpg

現在のサロンカー車内。
1111なにわスロフ14703車内.JPG

もう片方の展望室、半室になっている。
なにわ展望室.jpg

この時期、12系などを改造した各地のジョイフルトレインで展望室を持つ車両も増えてきた。
写真は「なにわ」と競作になった東京の「サロンエクスプレス」
サロンエクスプレスTOKYO安土.jpg

昭和59年、名鉄はさらに斬新な前面展望車両を登場させた。
8800系「パノラマDX」だ。
機器類こそ廃車にされた7000系中間車のものだったが、世間をあっと言わせ斬新な車体は、従来のパノラマカーの真逆を行く、一階運転台、二階部分に展望室を設けるというものだった。
名鉄8800系2連犬山橋カラー.JPG

その展望室の車内。
ハイデッカータイプの展望室は新たな景観を生み出した。
名鉄8800展望室.JPG

これで名鉄は新たなスタンダードを世間に公表したことになる。
やがてこの車両は中間車を増結、一般の有料特急として運転されることになる。
名鉄8800犬山橋3連.jpg

その翌年、この名鉄の流儀にいち早く飛び乗ったのが国鉄だ。
北海道でアルファコンチネンタルエクスプレスを登場させ、さらに「ゆぅトピア和倉」としてキハ65を使用、85系にぶら下がって運転できるようにした画期的な改造展望気動車が登場。
ただし、国鉄の前面展望はあくまでも運転席を介した展望である。

昭和63年、JR西日本は「エーデル」シリーズを展開し始める。
大出力エンジン、空気バネ台車を採用したキハ65を改造し、定期列車として走らせる。
第一弾が「エーデル丹後」、485系→改造183系に連結可能な気動車で前面展望
エーデル丹後大江.jpg

特急「北近畿」に連結された「エーデル丹後」
エーデル丹後と北近畿.jpg

第二段が「エーデル鳥取」
電化なった山陰線だが非電化区間への直通用として改造された。
エーデル鳥取.jpg

第三段が「エーデル北近畿」
改造工事の手を重ねるごとに、その内容が簡略化されていったのは如何にも国鉄→JR西日本らしいと思う。
中間車には増結用の簡易改造車も見える。
エーデル北近畿丹波大山.jpg

余部橋梁を行く「エーデル北近畿」
餘部遠望エーデル4連 (2).JPG

昭和62年、「みやび」を前年に失っていたJR西日本が究極のお座敷客車、「あすか」を世に送り出した。
サロンカーは中間車になったが、両端の展望客車も存在し、国鉄伝統の後部展望車を現代流に発展させた感じだ。
あすか展望網干.jpg

その展望席。
あすか展望室.jpg

ついでに特徴的な客室も。
1103網干あすかお座敷車内.JPG

トワイライトのもとになったとも思える中間車のサロンカー。
1103網干あすかサロン車内.JPG

昭和62年、小田急は前面と側面双方の展望をいずれも重視したHiSEを登場させる。
小田急HiSE2005B (2).jpg

この車両も画期的な取り組みだったが、バリアフリー化の時代、ハイデッカー構造が障壁となり、結局は早期の廃車の憂き目を見ることになる。
ただし、ごく一部の車両は今も長野電鉄で健在だ。
0715長野電鉄朝陽1000系S22.JPG

つい先日に所用があり長野へ行った折りの空き時間で撮影した。
0715長野電鉄朝陽1000系S2後追い.JPG


昭和63年、本気でパノラマ新時代を考えていた名鉄が「パノラマスーパー」1000系を登場させた。
パノラマDXの構造を基本に、さらに磨きをかけ、また白帯7000系に代わる通常の有料特急としての登場だ。
名鉄1000系4連犬山橋.JPG

登場後ほどなく一般席車と混結となり、当初はSR系と連結して運用された。
名鉄乙川1000・7000.jpg

パノラマカー7000系とパノラマスーパー1000系の連結運用。
名鉄乙川1000・7000斜め.jpg

何度も出している写真だがまさに電車のKISSだ。
名鉄乙川7000・1000.jpg

このあと、パノラマスーパーは3ドアの一般席車1200系と組むように変更され、その後さらに特急政策の変更により余剰となったものは廃車され、今に至るのは前回の記事の通りだ。

パノラマスーパーの現在の展望席の様子を今一度。
010505岐阜名鉄1000展望室.JPG

豊橋駅に着いた時の様子。
010506豊橋名鉄1000展望室.JPG

だが、この後が続かない。
名鉄の前面展望車の歴史は一般席車である5700・5300系にも受け継がれはした。
H2名鉄5700犬山.JPG

運転席後部の展望席。
0106河和5700車内先頭5801.JPG

末期の頃、河和線富貴で5300・5700が並んだ。
名鉄5704・5305富貴.jpg

乗客のための速度計も最後まで現役だった。
名鉄5701速度計.jpg

3500系一般席車にも大きな前面窓が使われ前面展望の名鉄・・は僅かながら生き残った・・
名鉄3500犬山橋2002.jpg

名鉄の前面展望の歴史は現在のところはこれで終わったことになってしまう。
名鉄が誇る空港特急「ミュースカイ」では各車両の客室仕切上部にモニターがあり、案内をしないときはここに前面展望映像とその時の速度が表示されるのが僅かに名鉄が「前面展望」を守っていると言えなくはない。


前面展望車を出さない名鉄に対し小田急はその後も展望室を持つ特急車両を開発している。
平成17年のVSE。
2004小田急VSE町田.JPG

そして得意の連接構造を辞めながらも、名鉄のお株を奪った赤い展望特急GSE。
0224小田急町田GSE1.JPG

いやいや、西の横綱、近鉄でも運転席越しではあるが前面展望を確保した特急車両が相次いで開発されている。
平成2年製造の「さくらライナー」26000系。
1122さくらライナー吉野.jpg

その最前列の様子。
1122さくらライナー運転台.jpg

平成24年の「しまかぜ」
近鉄しまかぜ高安.jpg

展望席は大人も子供も楽しめる空間だ。
かつての名鉄のように特別な料金が不要で誰でもそこを利用できるというのは、確かに理想だろう。
だが、鉄道にはラッシュもあり、そこを考えないとかえって大多数の乗客から迷惑がられるかもしれない。
(名鉄7000・7500系の場合は床面積の拡大という意味においてラッシュにも貢献していたとも考えられるが)
名鉄7500前河和線1.jpg

前面展望のできる電車が並ぶ。
名鉄新岐阜5700急行・7000特急.JPG

パノラマスーパーから展望席から撮影したパノラマスーパー1031F・・
010506①000車内から名鉄1531.JPG

特別料金くらいなら払ってもいい、そこでゆったりと前面展望を愉しみながら、出来れば缶ビールでもゆっくりと味わいたいもの、そんな列車がJRや名鉄にあってもいいと思うのだが。。。
S51パノラマカー先頭展望.JPG


posted by こう@電車おやじ at 22:38| Comment(0) | 国鉄・私鉄双方の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月04日

パノラマスーパーの32年

名鉄特急と言えば、パノラマカーをはじめとするSR車が沢山の乗客を乗せて濃尾平野を快走するイメージがあるのだが、パノラマカー7000系に白帯車ができた頃から特急専用車の登場が利用客からも会社からも望まれていたのは事実だろう。

パノラマカーで名を馳せた7000系、7500系と言えど通勤輸送を考慮した造りで、展望席・転換クロス・連続窓ではあってもロングシート部分もあり、吊革もついていて、天井からは中づり広告というのでは、小田急や近鉄、東武、西武、南海などの華やかな他社特急に比せばどうしても見劣りしてしまう。

特急専用車としてはすでにキハ8000はあったが、これはいわば例外的な存在で国鉄直通の観光列車、通勤輸送は考慮されていなかった。
パノラマの新時代を目指して颯爽と登場したのが、1000系パノラマスーパーだ。
河和線名鉄1000青空.jpg

時に昭和63年、国鉄が民営化され、真横の東海道本線は本数増とスピードアップ、117系の増備で大きく飛躍しようとしていた。
既に名鉄では昭和61年にJR東海の設立を見越して、新型SR、5300・5700系を出してはいたが、ここは一気に華やかさを身につけてライバルを引き離そうとしたのだろうか。

パノラマスーパー1000系は新時代の名鉄のイメージリーダーとして、中京圏の代表的な鉄道こそ名古屋鉄道=名鉄である証として、さっそうと登場したと僕は見ていた。

その少し前、昭和59年、名鉄には画期的な観光特急が登場していた。
パノラマDX、8800系で、パノラマ7000系の中間車を廃車、その機器を流用して創られた、日本初の二階前面展望室やセミコンパートメントの客室などを持った観光特急だった。
名鉄8800系2連犬山橋カラー.JPG

8800系の車内。
名鉄8800車内.jpg

けれど、名鉄はどちらかと言うと都市間連絡鉄道で、観光需要もあるものの例えば南海の高野山、小田急の箱根、東武の日光のようなわけには行かない。
名鉄犬山橋8800・2連.jpg

どちらかと言うと、近鉄の都市間特急のような車両が求められていたのではないだろうか。

満を持して登場した名鉄らしい特急専用車、それが1000系パノラマスーパーだったと僕は見ている。
他社観光特急に負けない華やかさ、内装のレベルも高く、パノラマスーパーが出て逆にパノラマDXが色あせて見えたのは致し方のないところだ。
名鉄1000系4連犬山橋.JPG

しかし、僕は個人的にパノラマ7000・7500が大好きで、たとえ質素な内装であってもパノラマカーに払う特急料金は惜しくない、そういうファンだったから登場時はまともに乗らなかった。

全席指定、8連もの特急が河和線を走る。
名鉄1000系8連.jpg

当時から名鉄特急は「たまたま来たのが特急だから仕方なく料金を支払った」人が多いとされていた。
自由席特急に相当する「高速」なんて種別もあったし、急行も頻繁に運行され、そのほとんどがSRによる運行だったから、時間に余裕がある人は特急をやり過ごせばいいんだろうけれど、急いでいるときはそうもいかない・・
名鉄の特急料金は今も昔も他社に比すれば随分安いけれど、無理に払わされる乗客から見れば、高い安いも問題ではないのかもしれない。
切符以外の料金を取る列車が来てしまった不運と思う人もいただろう。

パノラマスーパーになって、一般席のSRとの差が大きく、乗ってしまえば満足感もあるだろうが、やはり名鉄は都市間連絡鉄道だ。
やがて、名古屋本線でパノラマスーパーに一般席のSRを連結した運転が開始、そしてその一部指定席と言うやり方は乗客に大好評を持って受け入れられた。
名鉄乙川1000・7000斜め.jpg

だが官庁からの指摘もあり、編成として一般席・特別席とした特急の営業方針の大変革が行われる。
雑多な車両を連結していた楽しませてくれた名鉄特急の短い時代は終わり、統一されたデザインで編成美を魅せるパノラマスーパーの新時代に入っていった。
名鉄1000・1200木曽川堤.jpg>

支線直通特急には3連化された8800系パノラマDXも使われた。
名鉄8800鵜沼.jpg

最後に8800系に出会った時、支線の特急用途で使われていた。
名鉄8800知立2008.jpg

支線直通用パノラマスーパーとして1600系も登場した。
パノラマ7000に対する7700のような存在だろうか。
名鉄1600系犬山橋.jpg

パノラマと言うにはなんだか厳つい、でも男前の電車だ。
名鉄1600系犬山橋 (2).jpg

やがて全車特別車特急が中部空港用「μスカイ」を除き全廃され、なんとパノラマスーパーに大量の廃車が出て、その機器を再利用して通勤電車を作るという・・名鉄ファンの僕には信じられないことを見せた名鉄。
5000系を名乗るこの車両からは、かつての名鉄のステータスを感じることは全くなく、僕にとっては受け入れるのに時間がかかったが、やわらかな曲面で構成されたフロントデザインや、大人しい色合いに今では好んで撮影する車両になったのだから鉄道ファンなどと言うのは当てにできないと自分で思ってしまう。
010504岐南名鉄5007.JPG

残存するパノラマスーパー1000系は更新され、色合いは名鉄と言うより京急のそれに近くなった。
だが、嫌いではない。
新しい名鉄特急のイメージとしてとても良いデザインであるとも思う。
0322熱田名鉄1000リニューアル.JPG

1600系は、2200系に合わせ3両編成のうち1両をまだまだ新しいのに廃車、残る2両を2200系一般席車である2300系と連結して走るようになった。
そして系列名は1700系になった。
1122名鉄舞木1700・2230・3200系特急.JPG

だが、この姿もすでに一部廃車が出て2200系に置き換えられ、残る車両の命脈も尽きようとしているという。
(ちょっとパノラマスーパー大量廃車の頃から名鉄はあまり車両を大事にしなくなったような気がして、その点がファンとしてはとても残念だ)

それでは、パノラマスーパーの写真を眺めていきたい。
パノラマカー7000系との併結。
名鉄乙川7000・1000.jpg

日本を代表する前面展望2車種の豪華な特急。
名鉄乙川1000・7000.jpg

東笠松を通過する併結特急。
名鉄1000東笠松.jpg

5300系と1000系・・
なんと、一般席車は2両のみだ。
名鉄東笠松1000+5300.jpg

乙川にて5300系との連結。
名鉄1000・5300.jpg

新鵜沼にて。
上り向きで二本並ぶ。
名鉄1000横顔新鵜沼並び1991WEB.jpg

青空とパノラマスーパー。
河和線名鉄1000サイド青空.jpg

木曽川堤にて1000系、後ろには1200系一般席車が繋がる。
名鉄1000木曽川堤WEB.jpg

後追い、1200系。
5700系とは異なり3ドアの車体を採用したことがラッシュにも対応でき、この電車の寿命を延ばしたように思う。
名鉄1200木曽川堤2002.jpg

知立だろうか。
名鉄1000知立2002.jpg

舞木付近を行くパノラマスーパー1000・1200・1800系による8連特急。
増結用1800系を後ろにつないでいる。
名鉄1000・1200・1800舞木.jpg

こちらも8連特急。
0322舞木名鉄1000原色.JPG

ここからは最近3年以内の写真だ。
金山に入る1800系。
0106金山1800系.JPG

1200系と6500系が並ぶ。
0321金山名鉄1200・6500.JPG

旧塗装の1000系。
0322熱田名鉄1000.JPG

JRの尾頭橋から眺める。
雨模様の夕刻、パノラマスーパーが走ってくる。
尾頭橋名鉄1000旧色20180321.jpg

岐南で・・1703特急、この編成の特別車はすでに廃車になった。
010504岐南名鉄1703.JPG

最後の旧塗装車、1131F、7500系の機器を再利用した最後の編成だったが。パノラマスーパー1200系必要本数のリニューアルが終わったときに廃車になった。
010504岐南名鉄1131上り.JPG

名鉄岐阜へ入る1131Fの一般席側。
名鉄1131F1431名鉄岐阜20180809.JPG

パノラマスーパー展望席から見た1131F。
010506①000車内から名鉄1531.JPG

パノラマスーパーがリニューアルされたことは、僕に少し安心感をもたらしてくれた。
塗装が変わっても走ってくれるなら何よりだ。
それに、新塗装もよく似合っていると思う。

ライバルJR311系、2200系と並ぶパノラマスーパー。
0321金山名鉄1000リニューアル・2200・JR311.JPG

塗装変更時の新旧連結。
0322下地名鉄1200・1800連結部.JPG

新塗装、1200系一般席側。
藤川にて。
0322藤川駅名鉄1200リニューアル.JPG

名電山中、パノラマスーパーが行く。
0322名電山中名鉄1000リニューアル俯瞰.JPG

後追い。
0322名電山中名鉄1200リニューアル俯瞰後追い.JPG

神宮前、2200系とパノラマスーパーの並び。
名鉄1000・2200神宮前.jpg

東笠松駅跡、1700系最後の春。
0402名鉄東笠松5・1701.JPG

パノラマスーパーの雄姿。
0402名鉄東笠松8・1000系.JPG

舞木付近にて、大雨の後。
0322藤川南名鉄1000 (2).JPG

島氏永、1000形サイドビュー。
0402名鉄島氏永15・1012.JPG


パノラマスーパーの車内。
010505名鉄1000車内.JPG

展望室。
010506豊橋名鉄1000展望室.JPG

展望室を上り口から見る。
010505岐阜名鉄1000展望室.JPG

1200系一般席。
20180830名鉄1200車内.JPG

1700系車内。
20190106内海名鉄1700系車内.JPG

パノラマスーパーがある限り、僕は名鉄に通い続けるだろう。
そのあと、どうなるかはもはや誰にも分らず、期待の新型パノラマが出るか、それとも2200の天下となるか・・
ともかくその時まで、せいぜい楽しんでおきたいと思う。
パノラマスーパー、どうか少しでも長く生き残ってほしいと願いつつ。
0321尾頭橋名鉄1000サイドアップ.JPG
posted by こう@電車おやじ at 20:11| Comment(2) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月03日

阪急6300系への想い

このブログでも僕はずっと、僕にとっての最高の「電車」と言えば、登場順に南海11001系(→1001系)、名鉄7000・7500系、京阪3000系(先代)、阪急6300系、国鉄117系であると公言してきた。
既に南海、名鉄はなく、京阪は富山に車体だけ移籍したものが残るだけ、国鉄は急速に数を減らし今や岡山と京都に塗装を変えた数本ずつが残るだけという有様である。(JR西日本が117系を改造して長距離列車を作り上げていて、イメージはとても良いとは思うが、僕が愛した関西急電色の新快速117系ではない)
その中で阪急6300系は、阪急電鉄の担当者にも深く愛されているようで、嵐山線に3編成、「京とれいん」に1編成が残り、まだ恵まれているのかもしれない。
だが、やはり僕にとっての6300系はずらり並んだ転換クロス、京阪間ノンストップのサービスであり、観光用、観光路線用と言うのは確かに好きな電車で今もわざわざ見に行くくらいだけど、心の底から僕が惚れ込んだあの時代、いやそのあとの、6300系が苦手な中間駅停車を担当するようになり如何にも苦労して走っていたあの時代でも、「特急」の表示を見れば、それだけでも元気が出る・・そんな電車ではないことは確かだ。

今回、特急用としては末期にあたるデジタルデータ、また一部プリントを取り出してみて、今でも会いたくて会いたくて仕方のない6300系特急の雄姿を思い起こしていきたいと思う。
まず、淀川を渡る夕景。
阪急夕景6300 (2).jpg

カッコいい!
心からそう思える電車。
美しい、心底惚れることのできる電車。
気持ちの良い、いつ乗ってもそう思えた電車。
どんな風に撮影しても、絵になる電車。
それが僕にとっての6300系だ。
阪急淀川夕景6300系編成(小.jpg

まず6350F、栄えあるトップナンバー編成だ。
20082008年の崇禅寺での崇禅寺でのカット、かつての崇禅寺もまた大阪市内よは思えぬ、緑豊かな心地よい駅だった。
2008阪急6350崇禅寺.JPG

その後追い。
2008阪急6450崇禅寺.JPG

2002年、桂にて、6350。
2002阪急6350桂.jpg

後追い。
2002阪急6450桂.jpg

こちらは2010年10月撮影、6連に短縮されても生き残り、オンシーズンの嵐山線直通用に走っていた頃。
梅田で。
20100503阪急6350臨時特急梅田.jpg

この一月後、このカットを撮影したくて十三に行った。
20101129十三阪急6450臨時特急全景.jpg

接近する。
この時が特急用原形の6300を見た最後かもしれない。
20101129十三阪急6450臨時快速特急.jpg

6351F、6300系特急末期のデータを探してみてもこのワンカットしか出てこなかった。
もしかしたら、最末期には一足早く嵐山線仕様への改造が進められていたのかもしれない。
2002年、南方で。
2002阪急6451南方.jpg

6352F、梅田折り返しの情景。
2008阪急6452梅田.JPG

崇禅寺。
2008阪急6352崇禅寺.JPG

後追い、梅田へ向けて走り去る。
2008阪急6452崇禅寺.JPG

6353F、この編成も特急末期にはあまり出会えていない。
上新庄にて。
2008阪急6353上新庄.JPG

6354F、今「京とれいん」で活躍する編成だが、特急時代のカットを。
2008年、梅田に進入。
長い編成は如何にも6300系だ。
2008阪急6354梅田.JPG

接近する。
2008阪急6354梅田進入.JPG

この電車に乗って桂へ。。
去り行く特急。
2008阪急6354桂.JPG

6355F、この編成からは新しいのに一足先に廃車されてしまった。
2002年、高槻市か・・
2002阪急6455茨木市.jpg

2008年の崇禅寺。
2008阪急6455崇禅寺.JPG


高槻市進入。
2008阪急6455高槻市.JPG

6355と6356が並んだ。
6300系ファンには狂喜するような光景だ。
2008阪急6355・6356高槻市.JPG

6356停車の風景。
2008阪急6356高槻市.JPG

南方で6356と5317がならぶ。
2008阪急6356・5317南方.JPG

6356、上新庄通過。
2008阪急上新庄6356.JPG

6357F、高槻市。
2008阪急6357茨木市.JPG

崇禅寺にて、対向の普通電車車内から。
2008阪急6357崇禅寺・淡路間.JPG

桂駅進入。
2008阪急6357桂.JPG

茨木市。
2008阪急6457茨木市.JPG

桂停車。
2008阪急6457桂.JPG

2008年、その桂で、嵐山線用となった6351Fと、間に5315を挟んで並ぶシーン。、
6300系特急最末期の様子だ。
2008阪急桂6357・6351・5315.JPG

6330F、6300系最後の増備車で7300系と合わせた編成になり、車内のつくりも美しさを増し、好きな電車だったが、意外にも撮影するときはなかなか来ず、用事で乗るときによく来てくれた電車だ。
2002年の南茨木にて。
2002阪急6430南茨木.jpg

後追い、梅田側の先頭パンタはこの編成だけだった。
2002阪急6330南茨木.jpg

電車は走り去っていく。
6300系で最も短い命だった編成だ。
阪急の電車は長生きが普通だが、この編成は僅か25年の命でしかなかった。
2002阪急6330南茨木Ⅱ.jpg

その後の6300系・・・
2011年末、正雀に留め置かれていた6350F、休車の札がかかっている。
20111224阪急正雀6350休車.jpg

車庫の裏側から・・復活してほしい・・その願いも虚しく、6350以外の車両は解体されてしまった。
残る6350の復元、保存を心から願う。
2011122阪急正雀6450休車.jpg

6351F、嵐山線桂での様子。
2008阪急桂6351.JPG

2009年の松尾。
20090530阪急6351松尾.jpg

2014年末、6352F、雪の松尾で。
20141218阪急6352松尾.jpg

6353F、この日はものすごい雪だった。
20141218嵐山阪急6453.jpg

桜の松尾、2013年。
20130401松尾阪急6353.jpg

6354F、「京とれいん」に抜擢された幸運な編成。
梅田へ入線。
当初は扇形のヘッドマークはなかった。
阪急6354入線梅田.jpg

十三にて6354。
0427十三19阪急6354京とれいん.JPG

十三へ進入、6454。
0427十三7阪急6454京とれいん.JPG

同じく十三にて。
0427十三18阪急6354京とれいん.JPG

「京とれいん」としての運用を終え、回送で正雀へ戻る6454。
この電車だけがかつての栄光を感じさせてくれる。
0104淡路阪急6454京とれいん回送.JPG

だが、6300系「京とれいん」も先行きはかなり不安でもある。
十三のホームドア工事により十三通過の「快速特急A」限定で運用されているが、阪急は全駅へのホームドア設置を目指していて、淡路高架完成時には間違いなく、運用を外されるとみている。
すでに「京とれいん」は、7000系の「雅楽」編成も完成していて、車体幅の問題から神戸線に入れない6300系とは異なり全区間で運用が可能、ホームドアにも対応している。
外観も6300系のイメージを上手に引き継いでいるし、内装はさらに凝っている。
この編成がもう一本あれば6354Fに存在意義がなくなってしまう。
20190427十三阪急7106京とれいん.jpg

名鉄7000・7500なき今、JR117系が原色で走らなくなった今、阪急6300系の残存4編成は富山で走る京阪3000系とともに僕の心を癒してくれるあの頃の憧れ、その最後の存在でもある。
セミクロス化されていてもいい、豪華な観光列車でもいい、6300系よどうか、一日も長く走ってほしい・・
その願いが天に届けと思うこの頃だ。
阪急淀川夕景6300系サイド1.jpg

夕景の中を走る梅田行き特急をこの文の〆としよう。
阪急淀川夕景6300系下り方サイド.jpg
posted by こう@電車おやじ at 20:28| Comment(2) | 関西私鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

名鉄揖斐線ふたたび

名古屋鉄道揖斐線についても未公開のネガも見つかっているので、今回はこちらをご覧いただこうと思う。
なお過去ログには何度も登場している路線であり、検索して見ていただければ幸いである。

新岐阜での谷汲急行、モ511の顔。
名鉄511急行谷汲岐阜駅前.JPG

新岐阜駅前の停留所にモ515+モ526がはいっていく。
丸窓電車として有名で、在籍5両中、今も4両が保管されているという。
名鉄揖斐線515新岐阜.JPG

モ526の側を。
こちら520形は正面5枚窓以外の特徴が見えないことから保存はされていないが、実は大正12年1923年生まれの木造電車で、外板に鉄板を貼っただけの所謂ニセスチール車であり、鉄道線を走る電車としては大手私鉄最後の木造車だったのではないだろうか。

新岐阜駅前、今もたまにここに立ち寄るが、かつて電車が走っていたとは到底思えない雰囲気だ。
名鉄揖斐線526新岐阜.JPG

千手堂付近か、乗った電車(たぶん写真の526)から見た対向のモ511。
名鉄揖斐車内から511千手堂.JPG

丸窓急行電車は路面電車区間ではごく一部の停留所だけに停まり、忠節に着く。
広電己斐、西広島とよく似た構造だが、広電が一日中、人で賑わうのにこちらは電車が付いた時だけの賑わいだ。
モ513が停車する。
名鉄揖斐513忠節.JPG

市内線各停留所へはモ571へ乗り換え。
名鉄忠節571.JPG

モ526を上から。
名鉄526忠節乗降.JPG

モ523と市内線小型のモ562が出会う。
名鉄揖斐忠節523・。562.JPG

一度出した写真だが珍しいシーンなので・・ク2326、谷汲行急行に運用される。
名鉄2326臨時急行忠節.jpg

尻毛駅だろうか、当初、忠節・黒野間で急行運転がなされていて、行きたい下方には急行が停まらないので、乗り換えることもあったと思う。
電車はモ522。
名鉄揖斐522政田進入.JPG

尻毛駅。
名鉄尻毛駅舎.JPG

下方駅。
名鉄揖斐下方駅.JPG

広大な果樹園だろうか、ここの雰囲気が好きだった。
電車はモ513。
名鉄揖斐下方駅513.JPG

根尾川の河原から電車を見上げる。
名鉄揖斐下方510形下から.JPG

モ526・モ515が鉄橋を渡る。
名鉄揖斐526下方橋梁.JPG

モ512単行の急行で、谷汲急行のようだ。
名鉄岐阜512谷汲急行.jpg

ここでいつもなら鉄橋から金華山を望む写真を上げるのだが、今回は電車のシルエットを。
モ750形の二連、よく見ると番号は751・752になっている。
MMの編成は珍しかったのではないか。
名鉄揖斐750形×2下方2.JPG

電車は先へ進む、この2両が完全に写った写真が出てこない、うまく撮れていないのだろうが、惜しいことだ、その当時の僕。
名鉄揖斐750形×2.JPG

この撮影は昭和50年代後半だが当時とて貴重なシーンである。
名鉄揖斐750シルエット.JPG

モ750形もしくはモ700形と、ク2320形のコンビ。
・・まるでおとぎの国の電車だ。
名鉄揖斐750+2320シルエット2.JPG

揖斐線でよく見られた組み合わせだが、こうしてシルエットで見ると電車の形態の違いが面白い。
名古屋鉄道郊外線開業時の重厚な電車と、愛知電鉄出自の都市間電車の元祖でSRの流れの最初となった電7形を電装解除、組み合わせた編成は楽しく、丸窓電車でなくとも、十分に楽しめる揖斐線だった。
名鉄揖斐750形+2320形2.JPG

土手のほうへ電車が去る。
名鉄揖斐2320形+750形シルエット.JPG



こちらは丸窓電車モ510形+520形。
小さな電車が仲良く手を繋いでゆったり走る・・・
実際は急行運転ではかなりの速度(最高時速は65キロだった由)で走っていた。
名鉄揖斐510形+520形シルエット3下方.JPG

2両ともパンタグラフが上がっているが、実際はモ510形のみ、モーターを動かしている。
モ520形はサービス電源だけのために通電していた。
名鉄揖斐510形+520形シルエット3.JPG

この愉快なシルエットが急行電車だというのだから本当に楽しい。
名鉄揖斐510形+520形シルエット2.JPG

金華山を背景にした様子も・・ク2326。
名鉄尻毛2326.JPG

黒野、この路線の分岐点であり、最大の拠点でもある。
名鉄揖斐黒野事務所.JPG

車庫のモ702。
名鉄揖斐702黒.JPG


駅に停車するモ703。
名鉄揖斐703黒野.JPG

モ703のアップ、いい電車だ。
名鉄揖斐703黒野全景.JPG

こちらモ759。
名鉄揖斐759黒野.JPG

進入するモ523。
名鉄揖斐523黒野.JPG

モ512が後ろだ。
名鉄揖斐512黒野.JPG

留置されたモ523の正面。
名鉄揖斐523黒野縦.JPG

谷汲・・522。
なお、谷汲駅は以前のエントリーで詳しいのでそちらを。
http://kokutetu.seesaa.net/article/465075247.html
谷汲線は日中はモ700・750形の単行ばかり、急行乗り入れ時とはいえモ510形、520形は珍しかった気がする。
名鉄522谷汲.JPG

本揖斐駅舎。
大垣とのつながりが深い揖斐では、名鉄によって岐阜へ出る流れは少なかったのだろうか。
名鉄本揖斐駅.JPG

時刻表。
名鉄揖斐駅時刻表.JPG

停車するモ513。
名鉄513揖斐.JPG

サイド。
名鉄本揖斐513サイド.JPG

ホーム上屋が特徴的だ。
モ511・・
名鉄揖斐511s全景.JPG

モ511のアップ。
名鉄揖斐511.JPG

後ろはモ522だ。
名鉄揖斐522本揖斐.JPG

モ522が発車する。
名鉄揖斐522発車.JPG

僕らは揖斐線でこの景色を見ることができた。
それはものすごく運がよかったことなのかもしれない。

名鉄揖斐510+520シルエット.JPG

電車はモーターのうなりを上げ、せわしなく短いレールジョイントが響く。
あの記憶はもはや夢の中でしかない。
posted by こう@電車おやじ at 21:47| Comment(0) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月04日

名鉄美濃町線ふたたび

名古屋鉄道の岐阜地区600V線区については過去に何度も取り上げているが、今回、未公開の写真データが見つかったこともあり、改めてそれらデータを書きだしていきたいと思う。
ただ、話の流れの中で、過去の写真も使用すると思う。

今回見つかった写真は新岐阜、徹明町、野一色、日野橋、上芥見、赤土坂などで関市内に撮影に行ったことなど完全に記憶から消えてしまっていた。
さっそく、徹明町から進めよう。
美濃町線は本来は徹明町と美濃市を結ぶ路線で、ここが始発駅だ。
札幌からやってきたA830形→名鉄モ870形が停車している。
徹明町には30分ヘッドの運行だった。
美濃町線徹明町2・870形2.JPG

新岐阜。
田神線を開通させ、美濃町線と新岐阜の直通運転が開始されて以降、こちらが本線のようになっていた。
モ600形がお客をおろして回送で出ていってしまった。。
この電車に乗りたいのに・・
田神線新岐阜5・600形回送.JPG

その次のモ880形が折り返しになるようだ。
沢山お客が乗っている。
田神線新岐阜4・880形到着.JPG

折り返し発車をするモ880形。
田神線新岐阜3・880形から―.JPG

こちらも880形、この日はお天気があまりよくなかった。
田神線新岐阜2・880形.JPG

車内、閑散時間帯、のんびりとした空気が漂う。
美濃町線880形車内.JPG

電車に乗って野一色まで行ったらしい。
後続のモ870形が入線してきた。
名鉄美濃町線野一色8・870形.JPG

モ870形と600形が並ぶ、この後ろに小さく乗ってきたであろうモ880形が写り込んでいて、美濃町線オールスターズと思ったのだが・・
名鉄美濃町線野一色1・870形・600形.JPG

どうも野一色から日野橋まで歩いたようで、途中の写真がある。
モ870形。
名鉄美濃町線野一色5・870形.JPG

後追いか・・
名鉄美濃町線野一色3・870形.JPG

モ600形。
名鉄美濃町線野一色4・600形.JPG

接近する。
名鉄美濃町線野一色6・600形.JPG

上芥見・・雨が降ってきた。
美濃町線上芥見6駅名標.JPG

雨の中をモ600形が行く。
美濃町線上芥見1・600形.JPG

モ880形・・新しいが小気味の良いデザインで好きだった。
美濃町線上芥見2・880形.JPG

白金よりだろうか、雨にかかわらず歩いたようだ。
橋梁をモ880形が渡る。
美濃町線上芥見4・橋梁880潟.JPG

その後追い。
美濃町線上芥見3・880形.JPG

600形がいく・・
美濃町線上芥見1・600形.JPG

この日はこのあと、関近くの赤土坂で降りたようだ。
道路わきの簡易な停留所だが交換設備があった。
名鉄美濃町線赤土坂7赤土坂構内.JPG

ホームから先を見る。。
関か、岐阜かどっちの方角だろう。
名鉄美濃町線赤土坂8赤土坂構内2.JPG

880形がやってくる。
美濃町線赤土坂3・880形.JPG

600形だ。
名鉄美濃町線赤土坂5・601.JPG

歩道橋より俯瞰、600形だ。
後追い、岐阜市内に比して関市内は路面電車の設備がきちんとできている印象を持った。
美濃町線赤土坂4・600形俯瞰.JPG

後追い。
ローカルムードではあるがきちんと整備された軌道だ。
美濃町線赤土坂4・600形俯瞰2.JPG

新関より更に美濃市のほうへ歩いたようだ。

ここでモ592を見た。
野一色でみたのは美濃町線オールスターズではなかったということだ。
美濃町線赤土坂1・592.JPG

いかにも古い街並みの中、モ592が去っていく。
美濃町線赤土坂2・592・2.JPG

この日の名鉄詣では雨にたたられて、この後全て雨だったように思う。
別の日。
美濃市駅。
名鉄美濃市駅.jpg

上芥見、ここだけは何があっても当時の名鉄詣ででは外せなかった。
晴れた町に880形がやってくる。
名鉄美濃町線上芥見9・880形.JPG

後追い、ミニバイクとすれ違う。
名鉄美濃町線上芥見10.JPG

子どもたちの自転車と電車が並走する。
名鉄美濃町線上芥見12・880形と少年.JPG

この街の風景に溶け込む600形。
名鉄美濃町線上芥見12・600形.JPG

駅というか、看板しかないところに電車が停まる。
名鉄美濃町線上芥見11・600形.JPG

駅の時刻表、本数の多さに驚く。
調べたら昭和59年改正の時刻だ。
名鉄美濃町線上芥見13時刻表.JPG

はるか遠くを880形が行く。
美濃町線上芥見7・880形遠望.JPG

いつまで経っても忘れることのできない路線。その一つが美濃町線だ。
本当ならば、乗客を増やす手段はいくらでもあった路線であり、近代化の努力も名鉄自身はしていたのに、行政の支援が得られなかったのは返す返すも残念でならない。

夕陽を浴びて走るモ880形。
美濃町線上芥見8・880形夕景カラー.JPG
posted by こう@電車おやじ at 12:52| Comment(4) | 名鉄の思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする